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植物を育てることは、思った以上に尊いことなのかもしれない

いつの頃からだろう。
わたしの身の回りには、白い花ばかりが並ぶようになっていた。
一昔前まで、好きだと思える色の花になかなか出会えず、自然と白に統一されていった。


白は美しく、どんな植物とも調和する。
長い間、わたしにとって花の世界はそこで完結していた。


ところが近年、園芸の世界はずいぶん変わった。
育種や園芸トレンドの変化によって、淡いニュアンスカラーや、落ち着いたシックな色合いの花が増え、選ぶ楽しみが広がった。
気づけば、わたしも自然と白以外の花を育てるようになっていた。


近年は、コンパクトに育つ矮性品種も増え、限られた空間や環境でも、園芸を楽しめるようになってきた。




ところで、先日、庭の手入れをしているご近所さんが、こう嘆いていた。
「夏の酷暑で、花が溶けちゃうの」


やはり、そうだったかと思った。
昨今、夏の暑さは「災害級」と言われるようになり、植物を育てる環境は、年々厳しさを増している。
わたし自身も、日差しが強くなる日は、タープを張って、植物たちを強い日差しから守っている。


そう考えると、多種多様な植物を生産、管理し、わたしたちの元へ届け続ける生産者やショップの苦労は、計り知れない。
園芸を取り巻く環境は、年々厳しさを増している。


その影響は、身近な場所にも静かに広がっている。
地元で長く親しまれてきた、大型園芸店が閉店したときには、本当に悲しく思った。
時代の変化、住環境の移り変わり、競争の激化──
理由はいくつもあるのだろう。




現代の街並みを見渡すと、雑草対策のために、庭全面がコンクリートで覆われた家も珍しくない。
忙しい生活の中で、定期的に庭の手入れをするのは、現実には難しいに違いない。


都市化は、便利さをもたらした一方で、人と自然の距離を少しずつ、確実に遠ざけている。
けれど、その変化は単に「自然に触れる機会が減った」という話ではない。わたしたちの心身の健康とも無関係ではないようだ。
医学の父ヒポクラテスは、次のような言葉を残している。

「人間は自然から離れれば離れるほど病気に近づく」


また、『あなたの子どもには自然が足りない』の著者、リチャード・ルーブは、自然から切り離された現代人の状態を、このように呼んだ。

「自然欠乏症候群」


興味深いことに、こうした感覚は近年、科学的にも裏づけられつつある。
ガーデニングには、「うつ」や「不安症状」の緩和や「ストレス」の低下など、心身の健康を支える可能性が示されている。


土に触れ、芽吹きを待ち、季節の移ろいを観察するという行為は、思った以上に、人間を深いところで支えているようだ。




さらに、植物を育てることの価値は、個人の健康だけにとどまらない。
アントニオ・グテーレス国連事務総長は、このように警告している。


「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」



こうした時代にあって、楽しみながら継続できる環境とのかかわり方の一つが、園芸なのかもしれない。


目の前の一鉢から始まる花との暮らしは、ほんのわずかであっても、地球環境を守ることとつながっている。
植物は、根から吸い上げた水分を葉から蒸散させ、周囲の温度を和らげてくれるからだ。


加えて、近年はゲリラ豪雨対策として、降った雨をいったん受け止め、ゆっくり地面へ浸透させる植栽帯「レインガーデン」が、都市部で整備される例が増えている。





こうした取り組みは、人と自然をつなぎ直し、モノトーンになりがちな都市の生活に、確かな季節の色を取り戻してくれている。


わたしは体力に自信があるわけでもなく、世話をしている植物もそれほど多くはない。
けれども、季節の変化に目を留め、新しいつぼみや、つややかな葉に気づく時は、ささやかな高揚感が生まれる。


風にゆらゆら揺れる花穂を眺めていると、穏やかな気持ちになる。


朝、窓を開けたときに、ふわっと鼻をくすぐるラベンダーや、ワイルドストロベリーの甘い香りは、一日のはじまりを、ふっと明るくしてくれる。


世の中の価値観がどう変わろうと、人間は自然なしには生きていけない。
植物を育てるのは、時代を超えて続く尊い文化だ。


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