No.1914 夢でバケーション!
今年1月、旧知の友を失いました。知り得たのは、新聞の「お悔やみ欄」のお陰でした。もう20年近くも音信不通になっていた人物だったからです。
知友のEさんは、私たち家族4人が大分市に引っ越してきたときに、同僚の紹介で転がり込んだアパートの管理人でした。ハキハキとした明るい物言い、相好を崩しながらの話しぶり、人の話をよく聴く態度、一本気な性格のようでありながら誠実なその人柄に、私はいっきにファンになりました。元号が「昭和」から「平成」に名乗りを上げた頃です。Eさんは44歳、私は36歳でした。
或る時、地域の寄り合いがあり、出席を求められました。何かの話題で会議が紛糾した時に、Eさんがいきなり私に振り、意見を求めたので、第三者ですが腹蔵のない意見を述べました。運よく何とか話し合いがまとまったことを機に、Eさんがより一層親しくしてくれるようになりました。
数年後、私が小さな家を建ててアパートを出てからも、何度も我が陋屋を夫婦して訪ねて下さり、人懐こい笑顔と楽しい会話を残して帰って行くのが常でした。
その彼は、会社に勤めながら、地元の生え抜きの顔役の一人として地域に貢献し、少年野球の公式審判員としても活躍し、また、四国の霊峰石鎚山(1,982m)の山岳信仰に深く傾倒して、何度も御地に足を運んで自ら修行し、人間形成を図る恐るべき人物でした。
私が50代の頃だったか、新年のあいさつに、彼が祀るお社に参詣した時、ご神体なるもので、頭や背中や両腕をさすって、そのご利益を与えてくれました。そのお蔭で、今も二病ながら息災でいられるのかもしれません。
それ以後、お互いの子どもたちが成長し、公私ともに多忙となり、いつしか賀状だけのやりとりも途絶えたまま、年月だけが過ぎて行きました。そんなある日の「お悔やみ欄」に彼の名前を見つけたのでした。
カミさんとご自宅を訪問し、お悔やみを申し上げた時、
「正月にお参りする信者さんやお客さんをお迎えしてホッとしたのか、8日に亡くなりました。80歳でした。」
と、奥様からお話を伺いました。
「何度も、どうしていらっしゃるかなあ。また会いたいなー。」
と案じていたのだとも教えられました。
Eさんは、体調不良を患い、末期の患者だったというのに、神社にお参りに来て下さる方々のために最後の力を振り絞られたのだということを知り、人々に対して貫いた「滅私奉公」の精神に、敬服しました。私は、都合の良い時にだけ神頼みをするような、度し難き者ですが、そんな私のためにも快く祈ってくださる、有り難く得難い大人でした。
ご家族から参会者に渡された「追悼のしおり」の初めには、
「『世のため人のため』と父は折々に口にしていました。そして、まさにこの言葉通りに生きた父であったと尊敬の念にたえません。」
と書かれてありました。一番身近な家族をしてそう言わしめたEさんに、彼岸も明ける頃となってしまいましたが、御霊の安らかなれとあらためて祈らずにはおられません。
「呵々大笑」の四文字がふさわしい大破顔の彼に、「化けーション」でもよいから夢で逢いたいものです。
※画像は、クリエイター・いでのりこさんの、タイトル「『ばけばけ』の舞台、松江・出雲への旅」の中から、松江市「小泉八雲記念館」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。
