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No.1601 おおきなこころ

「君の名は」というと、若い世代の人々は2016年(平成28年)に公開された新海誠監督によるアニメーション映画『君の名は』を思い出すのでしょうか?山深い田舎町に住む女子高生(宮永三葉)と東京に住む男子高校生(立花瀧)が、夢の中で入れ替わる(『とりかへばや物語』的発想?)現象を通して出会い、互いの存在を知り、運命的な出来事に巻き込まれていくスケールの大きく切ない物語です。私も、まだ若かった60代の頃に観ました。

しかし、まずお話ししたい「君の名は」とは、1952年(昭和27年)4月10日~1954年(昭和29年)4月8日までNHKラジオで放送されたというラジオドラマ『君の名は』のことです。1953年4月生まれの私は赤ん坊であり、氏家真知子と後宮春樹の大人同士のすれ違いの恋を理解するには、余りに幼過ぎました。いや、記憶すらありません。
 
毎週木曜日の20時30分~21時までの30分放送(全98回)だったそうですが、
「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」
というエピソードを生んだ「超」のつく人気ドラマだったそうです。
 
お話は、その15年後のタイ王国でのことです。
1969年(昭和44年)に発表された『メナムの残照』は、タイ王国の女流作家・トムヤンティさんの、日本軍に所属する小堀大尉とタイ人女性・アンスマリンの恋物語です。大変な人気を得て1970年以来、4度の映画化、6度のテレビドラマ化がされたということをウィキ君に学びました。
 
1990年(平成2年)にタイ国でテレビドラマが放映された時、バンコク中の人がドラマを見るためにテレビの前にスタンバイしたために、
「バンコク名物の交通渋滞がなくなった」
という、ちょっと信じられないエピソードがあるくらい有名だったそうです。

その女流作家・トムヤンティさんの言葉を紹介した2018年の新聞の記事を読んで、私なりに考えた過去のコラムがあるので、再録しました。悪しからずご一読ください。

「日本人の矜持も復興せねば」
 目の前には、4月27日付けの大分合同新聞の朝刊がある。「親切、規律失った日本人」という見出しの記事の主人公は、タイ人の女性作家・トムヤンティ(81歳)さんである。
 「第2次大戦中のタイの混雑した列車内で、日本人兵士が私を膝に乗せ抱き締めて放してくれなかったのは、日本に残してきた娘と自分を重ねていたからだろう」と想像する。
 当時、タイに駐留していた実直で優しい日本人司令官の評判や彼女の家に立ち寄って貴重な砂糖をくれた日本人兵士等々、親切で暖かみがあり、規律正しい人が日本人男性像であった。彼女の書いた小説『メナムの残照』は、そんな日本人青年将校・小堀と、タイ人女性・アンスマリンの恋愛を描いたものであり、タイでは映画化もドラマ化もされた程の有名な小説。「小堀」は、日本人の代名詞であったという。
 だが、戦後70年以上が経った今、タイに進出する日系企業も多く、「金儲けに明け暮れる日本人ビジネスマン」であり、電車のつり革につかまるサラリーマンの表情は、「まるで人形。かくも変わってしまった。」と彼女は嘆く…。
 サラリーマンだけではない。いっこうに衰えを見せない振り込め詐欺、天災被害にあった家屋に侵入しての盗み、天下国家を支えるはずの政治家や官僚たちの鉄面皮ぶりに我々日本人も辟易している。「『小堀』を探しに日本に行くがもはやどこにも存在しない。」と語った彼女の言葉が、刃の様に心に刺さる。
 日本の大人や子供の根本的モラルの崩壊の原因は、何??

2018年(平成30年)5月9日 コラム「秋山そ我は」

その原因も理由も複合的であり、一つに帰着するほど容易な問題ではないのでしょう。時代に呼応する教育観や指導法があり、昔の教育論(方法)を振りかざすことは危険でしかないでしょう。しかし、新しいものが常に正しいという判断も性急に過ぎることは、未来が証明してくれるのでしょう。私たちの過去が、今(そう)であるように…。

どんな日本人でありたいかということも、どんな地球人でありたいかということを展望したくらいの教育観の上に立たなければ、世界のナンバー1主義は、いびつさを増すだけです。

1987年(昭和62年)刊の井上ひさし著『握手』は、第二次世界大戦直前から日本で暮らしているカナダ人のルロイ修道士(仮名:孤児院の院長)と、その孤児院で過ごした作者「私」との再会と別れが主題の自伝小説です。ルロイ修道士の強い握手と、その後に訪れる別れが、物語の重要なポイントとなっています。ラ・サール会修道士ブラザー・ジュール・ベランジェがモデルと言われるルロイ院長は、こんな言葉を残しました。

「総理大臣のようなことを言ってはいけませんよ。だいたい、日本人を代表してものを言ったりするのは傲慢です。それに、日本人とかカナダ人とかアメリカ人といったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる、ただそれだけのことですから。」
 
1913年(大正2年)6月、カナダ・ケベック周辺のサン・タレクサンドルにおいて17人兄弟の14番目の子供として出生し、修道士として地球大の心を持った彼は、1980年(昭和55年)3月、病禍により故郷のカナダで天に召されました。苦難といばらの道の果ての66歳の生涯でした。


※画像は、クリエイター・十六夜🌖さんの、クレマチスの1葉です。そのタイトルに、
「たのしみは昨日の蕾開く朝」
とあり、心ゆかしく思いました。爽やかな美しさです。お礼申し上げます。