アンソロを5冊作ってわかった、野生の書き手と読み手のはなし
2025年9月にアンソロジー(類型内向ZINE)企画を立ち上げ、満を持して最初の1冊を11月に出してから、2026年7月現在までに、累計5冊のアンソロジー(ZINE?同人誌?)を刊行してきた。
その中で感じたことを率直に述べていこうと思う。

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まず一番思うのは、“こんなに「書ける」人が無名でそこらへんにゴロゴロ眠っているなんて恐ろしい“ということだ。いや、実はとっくにプロとして活躍している人が正体を隠してこの企画に参加している可能性もゼロではない。
とにかく、“明らかに“文章が上手い人が紛れ込んでいるのだ。
どういうことかというと、文章力も然る事ながら、型をしっかり押さえた上で、さらに作者の独自性を出し、しかも次々読みたくなるような展開を設計し、それなのに先を焦らずしっかりと丁寧に描写を書き込んだり。
とにかく、「プロの所業」に近い作品をポーンと投げられちゃあ、編集の重責を感じてしまって嬉しい悲鳴と共に肩がガチガチになる。(あくまでイチ主宰者の超個人的な感想である。悪しからず。)
そういうことで、いずれ(というか近い未来に)、intro-参加者の中から数人は「プロ作家」が出てくると踏んでいる。(※ここで言うプロ作家とは、商業出版をしている作家のことである。)
というか早くデビューして?いや、超ありがたいんですよ?ただの素人が趣味でやっているアンソロジーに超完成度が高い作品をいただけるのは。でもなんというか、この完成度を受け入れられる器は他にあるはずだ!と居ても立っても居られない感情になってしまうわけで……。
それとは別に、いずれ「introー参加者の中からプロ作家が誕生しました!」と大声で叫びたいという下心はもちろんある。
次に思ったのは、意外と文字を読むことに抵抗のない人がそこそこいるんだな、ということだ。
もちろんXで企画し、Xを中心に活動しているから、潜在的に文字を読むことに抵抗のない人が多いのは当たり前なのだが、それにしてもである。
X民は140文字以上の文は読めないと揶揄されて久しいが、これは嘘である。長文を平気で読める層は、案外多い。という体感。あくまでも体感である。
ではなぜ短文しか読めないという言説が広まっているのだろうか?
システム的に、長文を読む層が見えにくくなっているのだろうか。
読書垢という界隈があるらしいが、フィルターバブルによりあまりTLに流れてこない。
気付かぬうちにみんな似たような人に囲まれて、それでXをわかったような気になっているのかもしれない。
ということは、短文しか読めないと言っている人も実はその中の一人ということなのか。謎は深まる。
さて大いに話は逸れたが、とにかく、長文を平気で読む人は意外と多い。特に類型界隈に限ってはそう感じる。
野生の読み手である。
そう、野生の書き手と野生の読み手は案外多い。これだ。これが言いたかった。
そして、プロ作家やプロ評論家など、「プロであるかどうか」での「作品の質や感想の質」の差はさほど感じない。とまで言ってしまうと各方面から矢が飛んできそうなので補足すると、プロだから質が高く無名だから質が低いというほど、そこに綺麗な境界線は感じない、ということが言いたかった。
実際商業文芸誌の作品はやはり素晴らしいものが多いが、intro-の作品も同じように素晴らしいと思っている。
もちろん、何をもって素晴らしいと思うかは個人の価値基準に準拠するため、これまたあくまでもイチ主宰者の超個人的な感想である。
というわけで、これからもたくさんの野生の書き手と出会いたいし、野生の読み手に届けたい。
綺麗に着地できた?
