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エッセイ:「インターネットの仕組みとは」から明かされた建築の意匠設計への不快感の正体

はじめに

私は長らく、建築の意匠設計に対して漠然とした違和感を抱いていた。

建築学科に所属し、環境工学やCFD、熱環境解析などを学ぶ一方で、意匠設計の課題になると手が止まることが多かった。周囲の学生が楽しそうに形態を考えている中で、私はどこか居心地の悪さを感じていた。

その理由を長い間説明できなかった。

しかしある日、AIとの何気ない対話の中で、その違和感の正体が少しずつ姿を現した。

驚くべきことに、その出発点は建築ではなく、「インターネットとは何か」という問いだった。

第一章 インターネットから始まった問い

建築の中を流れる空気や熱の振る舞いなら説明できる。しかし、ポケットの中のスマートフォンがどのように世界とつながっているのかと問われると、私は言葉に詰まった。

環境工学を専門とする研究室に所属していた私は、建築のスケールで起こる現象について学んできた。室内の温熱環境や気流の形成、エネルギーの流れについては説明できる自信があった。

ところが、ある日のゼミで指導教員からインターネットの仕組みについて質問されたとき、私はほとんど何も答えられなかった。

毎日使っている技術であるにもかかわらず、その根本的な原理を理解していない。その事実は意外であり、悔しかった。

そこで私は、インターネットとは何かを一からAIに聞いてみた。

当初は単なる知識の穴を埋めるつもりだった。しかし質問を重ねるうちに、興味は通信の物理層へと移っていった。

なぜスマホは小さなアンテナで通信できるのか。

なぜ反射波があっても通信が成立するのか。

なぜアンテナが四本あると通信速度が向上するのか。

やがて私は、

「有限個の観測から空間全体を再構成できるのか」

という疑問にたどり着いた。

これは通信工学においては逆問題と呼ばれるものである。

例えばアンテナが四本あるとして、それだけで部屋の形状や障害物の位置を一意に推定できるのだろうか。

答えは一般には否である。

なぜなら観測よりも自由度の方が大きいからだ。

ここで私は、通信工学の問題が実は建築設計の問題と非常によく似ていることに気付いた。


第二章 一意性という考え方

逆問題では、一つの観測結果から複数の空間を導けることがある。

つまり解が一意に定まらない。

このとき研究者は、

「どの条件を加えれば解が一意になるのか」

を考える。

壁は平面である。

空間は滑らかである。

障害物は有限個である。

そうした前提条件を加えることで、自由度を削り、候補となる解を減らしていく。

私はここで重要な発見をした。

前提条件とは、自由度を減らす装置なのだ。


第三章 建築設計における自由度

ここで話は突然建築へ戻る。

意匠設計の課題では、しばしば次のような要求が与えられる。

「魅力的な公共施設を設計しなさい。」

「新しい住まい方を提案しなさい。」

「自由な発想で空間を構成しなさい。」

私はこれらの課題に強い疲労感を覚えていた。

なぜなら条件が少なすぎるからである。

逆問題で言えば観測が少なすぎる状態に近い。

解空間が広大すぎるのである。

どの案も成立しうる。

どの案も否定できない。

だからこそ決められない。

私は設計能力が低いのだと思っていた。

しかしそうではなかった。

私が苦しんでいたのは、自由度の高さそのものだったのである。


第四章 私が求めていたもの

対話を続けるうちに、自分が本当に興味を持っている対象が見えてきた。

それは建築そのものではなかった。

建築を生み出す制約だった。

例えば、

「視覚障害者だけが使う建築」

という条件を与える。

すると視覚的な自由度が大幅に削減される。

音響や触覚が支配的になる。

あるいは、

「火星における建築」

という条件を与える。

すると重力、気圧、放射線といった制約が現れる。

さらに、

「人間ではなくロボットが利用する建築」

を考えれば、床や壁という概念すら再検討の対象になる。

私はそこで初めて理解した。

私が好きなのは創造ではなく発見なのだ。

白紙から何かを生み出すことではない。

制約を与えたときに必然的に現れる形態を発見することなのである。


第五章 自由度の高い社会への違和感

ここでようやく、建築への違和感の正体が見えた。

現代社会は、技術の発展によって自由度を増やし続けている。

建築家は自由な表現を求められる。

施主は理想のライフスタイルを求める。

設計者は多様な価値観への対応を求められる。

しかし私には、それが無限に自由度を増やし続ける営みに見えた。

もちろんそれは社会にとって必要なことである。

しかし私はその方向に魅力を感じない。

むしろ逆である。

私は、

「何が自由度を減らすのか」

に興味がある。

どの制約がどの形態を生むのか。

どの条件がどの可能性を排除するのか。

どの仮定が世界を一意に近づけるのか。

そうした問いに惹かれている。


終章 建築を超えて

振り返ってみると、私が興味を持っていたものは最初から一貫していた。

CFDもそうである。

境界条件を与えれば流れ場が決まる。

逆問題もそうである。

観測と前提条件から世界を推定する。

建築もそうである。

制約が形態を決める。

つまり私の関心の中心には、

「制約」

「自由度」

「一意性」

「形態生成」


という四つの概念があった。

インターネットの質問から始まった対話は、最終的に私自身の思考の構造を明らかにした。

私は建築を通して、世界を一意に定める条件を探していたのである。

そして今では、建築の形を考えること以上に、

「なぜその形になるのか」

を考えることに強く惹かれている。

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