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NJZとミン・ヒジンとハン・ガン: 未完の民主化運動を続ける国の人たちと日本の関わり

それまで一切興味のなかったKポップで目に止まってのがNewJeansでした

で、記事にしたのがこれが最初のことで


"OMG”(2023)でのトップスがミニ、ボトムスがワイドという彼女たちのスタイルを、自分はレディースのアイテムを取り入れながら勝手に取り入れていたん楽しんでいたんですが、「やっぱりアリだったんだ😃」思わせてくれたり、

ベトナム系オーストラリア人のハニが歌う松田聖子さんの『青い珊瑚礁』も魅力的でしたしね

(ハニが着用している青いボーダー柄のカットソーにも注目です)


日本の文化が禁止されていた時代の1980年代のアイドル・ソングは、密かに当時の韓国では人気がありました

その中でも一番人気だったのが『ギンギラギニ』(1981)と親しまれていたこちらですが、コレは動画を視聴してもらわなくてはわからないくらいの盛り上がりです😌


韓国人DJのNight Tempoさんがシティ・ポップの伝道師となっていましたが、

日本人でもマニアックな存在だったあの辺の作り手が1980年代のアイドル・ソングに多くの曲を提供しているので出来が悪いはずはないわけです

ハニに比べると松田聖子さんは桁違いに歌が上手いのは、まだ垢抜けない顔立ちのテレビ初主演で披露したデビュー曲の『裸足の季節』(1980)でわかりますが、

歌声がどこまでも伸びていくのに声量が全然落ちないこの方は、財津和夫さんが作詞を担当した『白いパラソル』(1982)直前のツアーで喉を壊してしまいます…


それでも、狙ってオリコン1位を取りに行った、既にカリスマ的な人気が定着していたYMOの『君に、胸キュン。』(1983)の野望を阻んだ、寄りに寄って細野晴臣さんが作曲を手がけた『天国のキッス』(1983)という難曲を軽々歌いこなす聖子さんのこのテレビ・ライブが彼女のアイドルとしての頂点だったんじゃないかと思うくらいには、喉が壊れた後に調整して維持したとんでもない凄みがありました

と、ただ単に楽しんでいただけなのに、いきなり裁判沙汰になってしまった…


次いでに言えば、『君に、胸キュン。』で坂本龍一氏がボーカルを担当したのは、🇺🇸アカデミー賞の作曲賞を受賞する5年前のことでしたが、

インディ・シーンの実力者を集めた竹田賢一さんが率いる『極左』ユニットのA-Muslkが同じ1983年にリリースした唯一のアルバムに客演してクレジットがしっかり載っていますし、
じゃがたらと正規メンバーを兼任しながら、後にコンポステラとしてチンドンの魅力を伝えてくれた故篠田昌已さんも「当然でしょ?」と言わんばかりに取り上げていたのが、『プリパ』ですが、これは光州事件や反ナチスの抵抗歌として今も世界の何処かで歌い継がれているくらいのものです



或いは韓国の音楽シーンが気になっていく中でメジャー以外で目についたのは、米国の「ブラック・ミュージック」が電子楽器を取り入れて一時代を築いた「ブラック・コンテンポラリー」というジャンルがあり、ディアンジェロと J•ディラが「ネオ・ソウル」を発明するまで影響力を残していったのですが、それを取り込んで今風に仕上げたKim A Reumの完成度の高さにも驚かされました

サブスクにもあるので、アルバムで聴いてほしいと思うくらいの優れた出来です


以来ずっとニュースを追いかけていましたが、どう見ても勝ち目のない裁判に怯むことなく突き進んでいく最中には、韓江(ハン・ガン)さんのノーベル文学賞受賞というニュースがあり、その受賞スピーチがまたもや寄りにも寄って尹錫悦前大統領が非常戒厳を宣言して国内が大揺れになっている最中だったりもした…

韓江さんのノーベル文学賞受賞スピーチは、ボブ・ディランの代わりに出てきてありきたりのパフォーマンスをお気楽に楽しんでいたパティ・スミスなど比較にならないレベルの緊張と強靭な意思を感じさせるものでした


NewJeansが所属していたのはADORという芸能事務所ですが、ここはBTSと共に弱小事務所から韓国最大手に登り詰めたHYBEの傘下にあるところで、ハニは20歳そこそこで国会で証言もしていますから、日本では考えられないくらいの闘争でもあったんです

(坂道グループの人気メンバーが秋元康さんを相手に反旗を翻すなんて考えられないでしょう?)

それにBTSは「防弾少年弾」としてデビューした時の志は今も変わらないままで、自分は浅田彰氏がいきなり朝日新聞で解説したのを読んでびっくりしましたが、それは今では有料になっているものの、こちらで同内容のものが読めます
(何度も紹介してますが💦)


ただ、それよりも「オールド」としか言いようがないYouTube配信の『デモクラシー・タイムス』で、月に一度『マイノリティ・リポート』として北丸雄二さんと共に辛淑玉さんが語った際のものが素晴らし過ぎて、文字起こしを自分の文責においてココに記載したくらいでした

非常戒厳で何が起きていたかを伝えた回も含めてコレも必聴だと思いますよ


兵役を全メンバーが終えてのBTSの最初のアルバムタイトルが『アリラン』というのですから、世界的な存在となった今も彼らは本気です


光州事件が今なお未解決で、セウォル号事件という痛ましい記憶も残る韓国社会は、「ヘル・コリア」と自嘲されるくらい矛盾に満ちていますが、それが「未完の民主化運動」として今もなお残っているし、それをハン・ガンさんやBTS、NewJeansのプロデュースを担当したミン・ヒジンさんたちが今風にアレンジしながら体現してもいてダイナミックな動きがある国です

そして、先月25日にミン・ヒジンさんは腕こきの弁護士を揃えたHYBEとの民事訴訟に完勝したのですが、
新生NewJeansから排除されたダニエルがInstagramを開設するや世界中のBunnies🐰(New Jeansのファンダムの名称。BTSはARMYとなる)たちが騒ぎ始めました

スーパー・ボウルで素晴らしいパフォーマンスを見せたあのBad Bunnyでさえ #NJZ を付け、オレも🐰だと示すかのような言葉の最後に”Free NewJeans”というくらいの大きさにまで膨らんでいきます
X: @talytokkiz のポストより

Xの優れた翻訳によると

『Bad Bunnyがブラジル滞在中にComplexconの限定NJZフォトカードを手にしているところを目撃されました。

NewJeansのフォトカードではなく、なぜNJZのフォトカードなのかと聞かれると、彼はただくすくす笑ってこう答えました:

「Mera、だってNJZは完全な自由だからさ。俺は鎖を断ち切り、誰にも屈しないアーティストたちを尊敬してるよ。それは心からのもので、本物の勇気から来るものだ。

俺はBunnyさ… Bad Bunny、聞いたか? もう分かってるだろ。だからもちろん俺はNJZと一緒だよ。

Free NewJeans、みんな知っとけよ。」』


世界中のDJがNewJeansのリミックスをサブスクに発表しているくらいの盛り上がりの中で、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックの女子フィギュア・スケートで金メダル🥇を勝ち取ったアリサ・リウさんもまた自らBunnies🐰であることを公然と示してもいる


ただ、そんな中でも僕の心に残ったのは「ミン・ヒジンは冷笑に勝った」という無名の方の一言でした


ミン・ヒジンさんはまだ一審で勝っただけですが、その後の会見で驚くような提案を投げかけています

『会見でミン・ヒジンは「256億ウォンを別の価値と交換することに決めたことをお伝えしたい。256億ウォンは、多くの人々にとって大金だと思う。新しいスタートを切る私にとっても貴重な資金だ。しかし私は巨額のお金より望む価値があるため、HYBEに意味のある提案をしようと、この記者会見を開くことにした」と述べた。

彼女は「私がこのような決定をした最も切実な理由は、NewJeansのメンバーたちだ。私が256億ウォンを手放す代わりに、現在進行中の全ての民事・刑事訴訟を止め、全ての紛争を中断することを提案する。この提案には私個人だけでなく、NewJeansのメンバーと外部のパートナー会社、前ADOR職員たちはもちろん、ファンダムに向けた全ての告訴と告発の終了まで含まれている。全てが終了してこそ、アーティストがもちろん、その家族、ファンダムなど、これ以上の無分別な雑音が発生しないだろう」と語った。』(上記の記事より)

『ミンヒジン「エンターテインメントの本質とは、日常のささやかな幸せを通じて人生の質を高めることにある」

NewJeansを通して感じたのは日常でくだらない事を共有して笑い合うこと、いつも根底にあったのは人間らしい優しい時間。ミンヒジンさんが守っていたのはそういう場所』(上記のポストより)

そして、このポストを引用します


こうした最中に、また異なる日本人のBunnies🐰さんが、目ざとく見つけたのは、ミン・ヒジンさんが”Free Soul”や”Apres-midi”で日本の部屋や街角から流れる音の光景を変えた選曲家の橋本徹さんが主催していた’Suburbia Suite’のかつてのファンジンやコンパイルだったというのですから、これもまたヤられてしまいました

日本人が冷笑に晒され、自己責任という言葉に雁字搦めになる以前の世界に通じるカルチャーを持っていた時代を大切にしてくれていたこと

ミン・ヒジンさんが大切にしてきた思いやセンスがあってこそ、自分もまたNewJeansに「何か」を感じたんだと全ての謎が解けたこと

(ハニが着ていたボーダー柄のカットソーは「オリーブ少女」の大好きなものでしたから、渋谷系を形づくっていった人たちとは相性がとても良いのです🙂)


そして、それは東南アジア以東の全域から聴こえてくる今現在の音の光景とも共通していることでもあるんです


冷笑や自己責任の束縛から自由になるのはクリエイティブになるのに等しくて、それは「未完の民主化運動」の只中にいる韓国の人たちがクリエイティブであることとも響き合っていたという事実


日本人もまだ捨てたもんじゃないなと思ってよいですよ😉

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