1000人が通り過ぎても
1000人が通り過ぎても
作者 大野好克
18歳から21歳まで、
私はシンガーソングライターをしていた。
いくつものアルバイトをしながら、
自分が感じている、
考えている、
見えているもの。
それを表現したくて、詞と曲を創作して歌っていた。
ライブハウスで歌ったり、
東京の街中で歌っていた。
駅前や、
人の多い繁華街。
夜になると、
ギターを持って、
そこに立った。
目の前を、
知らない人たちが歩いていく。
10人。
100人。
1000人。
誰も、
私のことなど見ていない。
なかには、
「なんだ、こいつ!」
「邪魔だな!」
そんな顔をして通り過ぎていく人もいる。
最初は、
恥ずかしくてたまらなかった。
猛烈な孤独感を感じた。
でも、
何度もやっているうちに、
そんなことを考えなくなった。
恥ずかしいとか、
どう見られているとか、
そんなことよりも、
自分の歌を歌う。
自分の表現をする。
自分の心を、
飾らない。
格好つけない。
ただ、
自分の歌を歌う。
そうしていると、
不思議なことが起きる。
100人が通り過ぎても、
1000人が通り過ぎても、
その中に、
足を止める人がいる。
立ち止まって、
聴いてくれる。
そして、
歌い終わったあと、
話しかけてくれる人もいる。
私は、
その経験を何度も何度もした。
想像してほしい。
1000人の見知らぬ通りすがりの人の前で、自分の本音や気持ちを歌い続けること。
インターネット上に自分の本音や価値観を、物語やエッセイとして投稿すること。
......。
私は今、
文章を書いている。
歌ではなく、
エッセイを書いたり、
短編小説を書いたり、
詩を書いたり、
昔の経験や記憶を使って、記事を書いたりしている。
そして、
それをインターネット上に投稿する。
そこにも、
たくさんの人がいる。
10人。
100人。
1000人。
ほとんどの人は、
私の文章など見ずに、
通り過ぎていく。
昔と同じだ。
だからといって、
私は自分の表現を変えようとは思わない。
変えないというのは、本質を変えないという意味だ。
もっと人に受けるように。
もっと立ち止まってもらえるように。
もっと「いいね」がもらえるように。
そんな理由で、
自分の言葉を変えるつもりはない。
自分の表現には、
これでいいという、
妙な自信がある。
自信と言っても、
「私の文章は素晴らしい」
というようなものではない。
もっと単純なものだ。
これは、
私が本当に感じたこと。
私が本当に考えたこと。
私が本当に表現したいこと。
だから、
これでいい。
もちろん、
誰にも読まれないこともある。
それは仕方がない。
昔だって、
1000人の中のほとんどは、
私の歌など聴かずに通り過ぎていった。
でも、
その中の誰かが、
足を止めてくれた。
今も、
それでいいと思っている。
ただ、
自分の中にあるものを、
自分の言葉で、
徹底的に工夫して、
外へ出す。
振り返れば若い頃、
売れるために、
認められるために、
有名になるために、
そういう目的でシンガーソングライターを始めたんだと思う。
そして、
そういうチャンスも、
実際に何度かあった。
でも、
結局のところ
たどり着いたのが、
嘘のない表現の世界だった。
その表現とは、
結婚し、
家庭を持ち、
子供を育て、
仕事をし、
日常を過ごし、
病気や怪我など、
あらゆる経験をする。
歌でも、文章だけでもなく、
人と関わり続ける限り、それは磨かれていく。
私は、人間だから。
人間として。
終わり
