"話しやすい人"じゃ満足できない。
「あじさい子がいれば、あんまり親しくない人がいる集まりも安心する」そんなニュアンスのことを言ってもらえることが何度かあった。
ありがたいことだ。そこに役割のようなものを感じて、私自身強みだなと思えていたから。「話しかけやすい存在」としての立場。
でも嬉しいけど、少しモヤモヤもした。
"話しかけやすい"のは、"もっと話したい"とはちょっと違う。そんな感覚をおぼえていたから。
大学の仲良しの先輩に言われた「あなたが先輩にいたら仲良くできてたかわかんない」が妙にうっすらと心に残っていたが、この話につながっていく違和感なんだろう。
「その場の空気が読めたら、悪いところを治さずにいられない」
そんな"空気治し"をするのは、居心地の悪い空間が嫌だからしているだけ。誰かの為にやった試しは正直ない。それでも感謝される。
空気が治ったあと、ふと我に返り、その場で何の話をしていていいか、じぶんがグループの中のどの役割なのかわからなくなる感覚が好きじゃなかった。
それは家族の中でも感じる。
わたしには歳の近い兄がいて、兄も"空気治し"が得意なタイプだと思っている。小さい頃から、兄があまり仲良くない両親のあいだを取り持つようにリビングにいてくれるとき、わたしはいつも部屋に戻っていった。
「兄ちゃんがいるから、うちは居なくていい」
誰もそんなこと言ってないのに、自己判断をしてしまう。あなたの話が聞きたい、とただ求められたかっただけなのかもしれない。
ありのままでいてもいい。
そう思う練習を今はしているけど、体感として理解できるにはちょっと時間がかかりそう。本当に話したいことは、ここに置いていくことにする。
こういう場所では、おしゃべりだから。
