俳句ほろほろ 北アルプス黎明・上條嘉門次
上高地へ50年ぶりに行ったおり、衝撃を受けたのは、梓川に外来種のブラウントラウトがいたことである。裏切られたような気持ちで明神池へ行くと、岩魚がいた。
ほっとして、明神池にある嘉門次小屋にたち寄って、岩魚の塩焼きを頂いた。
明治時代に上絛嘉門次が建てた小屋は六畳ほどの広さだった。彼は猟師としての腕も秀でていたが、冷静沈着で礼儀正しい嘉門次を頼って通っていた人がいた。ウォルター・ウエストンである。鎖場もなければ梯子もないどころか、登山道も山地図さえもなかった時代である。
ウエストンは第一回めの来日から帰国すると、「日本アルプスの登山と探検」を著してロンドンで発刊した。ウエストンが嘉門次の登行技術の高さと体力に尊敬の念すら抱いていたらいしことは、この本の中で嘉門次を「ミスターカモンジ」と呼んで紹介していることからも伺えた。この本を手にした明治時代の日本登山界の先駆者たちが、こぞって嘉門次小屋を訪れて山の案内を依頼したのも頷けた。
嘉門次小屋を訪れていた人のなかに異色な方がおられた。大正皇后である。
嘉門次は初めて会う皇后を「女将さん」と呼んで随行していた新聞記者たちを慌てさせた。新聞記者は嘉門次に女将さんと呼ばないように注意したが、嘉門次に改める気配はなかった。皇后はその様子を微笑えんで見ていたというから、嘉門次を気に入ったのであろう。その後、皇后は嘉門次を皇居に招待している。
東京を初めて訪れた嘉門次は新聞記者に案内されて銀座を歩いていた。嘉門次はで立ち止まると、支給されて履いていた靴を脱いで素足で歩きはじめた。新聞記者は靴を履くように促したが、嘉門次は靴を履かなかった。嘉門次は足の指で地面を掴んで歩いていたので、靴が邪魔だったのだ。とはいえ、銀座通りには岩場のような凸凹はなかったから、足の指で地面を掴むのは容易ではなかったであろう。嘉門次にとって銀座通りは、北アルプスよりも危険な場所だったのかもしれない。
余談になるけれど、ウエストンと嘉門次の二人の最後の山行は、北鎌尾根からの槍ケ岳登頂である。嘉門次64歳のときであった。
ともあれ、銀座を裸足で歩いた人は、後にも先にも嘉門次一人であろう。
好奇心がくすぐられるのは、皇居での晩餐会である。嘉門次は皇后に招待されたのだから、皇后の賓客である。とすれば、その場に天皇陛下が在席されておられたであろうと想像するが、とすれば嘉門次は天皇陛下をなんとお呼びしたのであろうか。まさか、旦那さん、はないとは思うのだが。
もしも、そうだったとしても、皇后は笑っておられたような気がするのである。ここで一句。
雲の峯素知らぬ顔の穂高かな 雨水
