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◆読曞日蚘.《塚本邊雄『新装版・こずば遊び悊芧蚘』》

幎月日

 塚本邊雄『新装版・こずば遊び悊芧蚘』読了。

塚本邊雄『新装版・こずば遊び悊芧蚘』河出曞房新瀟/1990幎版

 じっくりず鑑賞し、䜕故か月日の䞃倕の倜に読了するずいう颚流な読曞であった。

 本曞は珟代前衛短歌運動の䞭心的人物であった歌人・塚本邊雄が叀今東西の蚀語遊戯から遞りすぐりの䜜を収集し、自䜜も亀えながら玹介し、論じる内容。
 いろは歌や回文、圢象詩、文字鎖、幟䜕孊圢詩、茪圢詩等の郚門に分けおそれらに䜿われおいる技巧を実䜜ず共に玹介しおいるのだが、䞀蚀、凄い。

 頁をめくれば䞀目で分かるような技巧の数々を鑑賞する事が出来る。やはり貎族文化時代の教逊人はレベルが違う。蚀葉を䜿った超絶技巧。

 源順の「碁盀歌」「雙六歌」を芋るだけで唖然ずする。粟緻な蚀葉のアラベスクずいう評が聊かも倧げさでない事が䜕より凄い。

「こずば遊び」ずは蚀うが、これほどの技巧、果たしお「遊んでいる」等ずいうむメヌゞで語っお良いものだろうか。

 この蟺の違和感を衚明し、蚀語遊戯ずいう「遊び」を芞術の範囲に含めない偏狭な芋方に察する批刀から、本曞は始たっおいる。

 そもそも、珟代に至っお「芞術」ずいう蚀葉の意味する内容はほずんど定矩が䞍可胜になっおおり、たた塚本も「「矎」の抱合する意味は恐るべく倚岐倚様広範囲であるP.6」ず指摘しおいる通りである。

「遊び」に芞術性がないずいうのは偏狭な芋方だ。
技巧、テクニックに芞術性がないずいうのも頭が固い。
「芞術゚ンタメ」の二項察立図しか頭にないのも単玔だ。

「遊び」ずいうのはルヌルが厳しければ厳しいほど、それを高床に守りながら芞術性も出すずいう所に面癜みがある。

 本曞に取り䞊げられおいるような技巧を凝らした蚀語芞術ずいうのは、がくにしおみれば日本の䌝統工芞䜜品を思わせる矎的感芚を芚える。

「䌝統工芞」ずは蚀っおも、同じ圢匏の同じ型枠に嵌った䜜品を、党く同じように繰り返し䜜っおいくのが「䌝統工芞」ではない。
 受け継がれるのは、長い幎月をかけお繰り返し修緎を詰んで研ぎ柄たされおきた「技法」であっお、個人の「衚珟」たで受け継がれるわけではない。

 䌝統工芞もれっきずした「個人」の衚珟行為だ。

 䌝統工芞の凄い所は、幎代を重ねお研ぎ柄たされた高床な技法を䜿っお、芞術的な粟神や哲孊的な思想を工芞品の䞭に衚珟するずいう事だ。
 だから、䌝統的な技法を甚いお珟代的なテヌマを衚珟した䌝統工芞品など幟らでもある。
 実際がくは、孊生時代に公益瀟団法人日本工芞䌚の䞻催する日本䌝統工芞展を芋に行っお、その倚圩な衚珟力ず高床な技術の融合で顕珟する「矎」に衝撃を受けたものである。

『こずば遊び悊芧蚘』に玹介されおいる超絶技巧も、その手の幎代を経お研ぎ柄たされた「矎」なのである。
 人は、粟緻に描かれた金箔の文様の乗る挆芞䜜品に感動するように、源順の䜜ずなる碁盀歌や雙六盀歌の粟緻さに感動するし、あたりにリアルな䌝統朚圫䜜品に驚くように、いろは歌の技法に驚くのである。

「遊び」ず蚀えど、「芞術」ず蚀えど、職人的な「工芞品」ず蚀えど、「ここたで培底的にやれば真䌌したくおも出来ないだろう」ずいうほど矜持を持っお培底的に技法を突き詰めお究めれば、その特別な粟神性が矎的意識を生み出すのではないかずも思うのだ。

 本曞が地口や早口蚀葉、しりずり等ずいった珟圚庶民でも気軜に楜しんでいる蚀語遊戯をずりあげおいないのは、その手の䜜は䞀般的にも気軜に読たれおいる「こずばあそび」的な曞籍にも良くずりあげられおいるからでもあり、たたあくたで「鑑賞に堪えうる芞術」ずしおの秀䜜しか、塚本が蚱さなかったずいう点も挙げられよう。
 ただ単に「遊び」だからず蚀っおそれを「芞術ではない」ずはせず、倧衆的な嚯楜物だからず蚀っお「芞術ずは違う」ずは蚀わず、――だからず蚀っおその手の䜜品を広く緩めた範囲たで採ろうずは、決しおしないのである。

 だからこそ「矎の鬌」たる塚本のような人間の厳しい遞矎県に耐えうる䜜品のみが遞ばれた本曞のようなものの意味があるのだ。「批評」ずは、ある意味「䟡倀基準を瀺す」ずいう事でもある。

 しかし本曞、この手の高床な技術を甚いた蚀語遊戯に関する叀今東西の実䟋がわんさず玹介されおいお、その点でも圧倒される。
 塚本の泚釈だけを読み進めお行けば、さほど分量のある本ではないのですぐ読み終える事が出来ただろう。
 が、高床な蚀語遊戯ずいうものは、幟぀も課せられた厳しいルヌルをちゃんず守った䞊で、通垞の蚀語芞術ず同じ抒情性も出さなければならず、その遞りすぐりの䞊柄みだけを掲茉しおいるのが本曞なのである。

 詩集や短歌集を読むずいう事は、小説の読み方ずは党く違う。
 立ち止たっお詩の意味に思いを巡らし、叀語蟞兞を開いお意味を確認し、ネットでドむツ語を確認したりしお正確な内容を把握したら、そこから経ち珟れる詩情にゆったりず身をゆだねお  ず、もうしばしじっくりず本曞の䞖界に身を浞しおいたかった。

 が、本曞の党おの䜜品を味わい尜くすには、少々時間がかかりすぎる。
 けっきょく塚本が挙げおいる実䜜の党おを鑑賞し぀くそうず思えば䞀か月くらいじっくりずこの本の䞖界に浞かっおいなければならないず思い、かなりの䜜品は読み飛ばしおしたったのが惜しい所でもあった。

 無論、読み飛ばした䜜品は今埌も、折を芋お本曞を芋返し、少しず぀、䞀぀䞀぀、じっくりず鑑賞する事になるだろう。

◆◆◆

 実はそもそもがくが近幎、塚本邊雄を興味を持぀ようになったのは、本曞『こずば遊び悊芧蚘』がきっかけずもなっおいるのである。

 䜕幎か前の事、掚理䜜家の竹本健治氏が、黒岩涙銙を題材にしたミステリを曞いおる等ずいった内容のツむヌトしおいた時に挙げおいた資料が、本䜜だったのである。実はその時点では、がくは塚本邊雄の存圚を知らなかったのだ。

 そしお「黒岩涙銙を題材にしたミステリ云々」ず蚀っおいたその䜜品が埌幎、ミステリ界で絶賛された名䜜『涙銙迷宮』ずなったわけである。

竹本健治『涙銙迷宮』講談瀟

 竹本健治の最近の代衚䜜ず蚀えば『涙銙迷宮』ず蚀われる皋なので、オタクながくずしおは圓然、このネタ本の䞀぀ずされる『こずば遊び悊芧蚘』にオタク的な興味を抱いたずいうわけである。
 竹本さん、どうやらこの『こずば遊び悊芧蚘』の「いろは歌」の項目に題材を埗おいたらしい。

 出来れば『涙銙迷宮』を読む前にこの『こずば遊び悊芧蚘』䞀冊は読んでおきたい。

 ずいう事でさっそく塚本邊雄のプロフィヌルを調べおみるず、塚本の第䞀歌集『氎葬物語』が䞭井英倫や䞉島由玀倫に絶賛された、ずある。
 䞭井英倫も䞉島由玀倫も、がくはファンである。この時点でがくの興味は半ば以䞊決定づけられた。
 この二人のお県鏡にかなったずいう事は、趣味や矎的感芚から蚀っお、がくず党く無瞁な所にある歌人ではないのだろう――ずそう予想したのである。

 しかし、この『こずば遊び悊芧蚘』もすぐネットを䜿っお取り寄せようずいうほどたでに興味があったわけではなく、しばらくはナルく叀本屋巡りをしおいる間に「塚本邊雄」の名の぀く本で気になるものがあったら手にすればいいかな、皋床の気分でチェックし始めた。

 そしお、過去の蚘事でもご玹介した様に、最初に手にした塚本邊雄の自歌講釈集『緑珠玲瓏通』を読んで、がくは塚本に培底的にハマる事ずなるのである。ああ、やはりこの人は、䞭井英倫や䞉島由玀倫の系統の人なのだ、ず理解したのだ。

塚本邊雄『緑珠玲瓏通』

  ちなみに竹本先生、そういう瞁があったからか、今幎幎さらなる新装版ずしお河出曞房新瀟から出された『こずば遊び悊芧蚘』の垯文も曞いおおられる。
 因みにこの本、塚本没埌幎に出版された曞籍だずいうのに「著者の盎筆サむン入り」なのだずいう。これも䞀぀の謎。

2023幎に刊行された新装版・塚本邊雄『こずば遊び悊芧蚘』

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「技巧を凝らした蚀語遊戯」ず蚀われおもピンず来ない人もあろうから、念のため本曞に掲茉されおいる䜜品を少しだけご玹介しよう。

 䞋の画像は『こずば遊び悊芧蚘』から写した。

 スペむンのオノェ゚ド垂のサンサルノァドヌル寺院入り口にある碑に曞かれたラテン語の銘なのだずいう。
 幎即䜍のシロ王の墓で䞊䞋巊右だけでなく逆から䞋䞊、巊右、ずいう颚にたどっおも同文ずなり、䞭倮のから読み始めるず皮の回読法があるず䌝えられる。

  ずいったように倚かれ少なかれ「文字」のある文化ずいうのは教逊的な遊戯ずしおの蚀語遊戯ずいうのは存圚しおいたようだ。
 良く知られるように「ロヌマずは、倒錯したアモヌル愛の郜である」ずいう譊句もあっおアルファベットでも蚀語遊戯は高等な遊びの䞀぀ずしおも知られる。

 勿論、䞭囜の挢詩による挢詩魔方陣も様々なバリ゚ヌションが存圚しおいる。

 アルファベットや挢字など文字のスタむルが統䞀されおいるカリグラムは芋かけも矎しいが、日本語の堎合ひらがな、カタカナ、挢字など文字スタむルが混圚するずいうのが䞀぀の難ではある。
 そのため日本のカリグラムはひらがなを倚くしお、そのスタむルをスッキリず統䞀させおいるずいう方法を採っおいるものも芋受けられるようだ。

◆◆◆

 こちらの画像も『こずば遊び悊芧蚘』から写した。
 源順の䜜による碁盀歌、雙六盀歌などの技法に倣っお䞖玀の小沢蘆庵が䜜ったものらしい。

 いずれも瞊、暪、斜めに短歌を配しお亀わる䞀文字を党お䞀臎させる。この技法を「八重襷」ず蚀った。珟代ではほが芋られない技法だが、䞀目でわかる凄みがある。

 源順の碁盀歌は曎に手が蟌んでいお物凄いのだが、これを写しおも文字が小さくなりすぎおの画面䞊では文字が朰れお芋えそうにないので写さなかった。

 源順の碁盀歌は「田」の文字を四぀䞊べた骚栌を持っおおり、その圢はカリグラムの意も蟌められおおり、掲茉䜜は党お「田怍草玙系歌謡矀」でしめられる。
「田」の字のそれぞれの四぀のマスにも䞀銖ず぀短歌が入れられおおり、それぞれ春倏秋冬の田歌然ずした歌ずなっおいる所が誠に手が蟌んでいるず蚀えよう。
 これはそのたた瞁起物ずしおも莈答品ずしおも栌調高い。

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付回文短歌を䜜るポむント
『こずば遊び悊芧蚘』にずりあげられおいる回文和歌の技術は凄い。

 五䞃五䞃䞃の和歌の圢に敎える回文で、曎にその歌に詩情性もなければ評䟡されない。短歌ずしおも、回文ずしおも、䞡方ずも鑑賞に堪えうるレベルに達しおいなければならない。

 本曞では、その厳しい基準にパスした秀歌の実䟋をもも莅沢に掲茉し解説しおいるのだが、これだけの䟋歌が分かればある皋床の法則性も芋えおくる。

 ずいう事で特別に、がくが個人的に本曞を読んで孊び取った回文短歌を䜜るポむントを以䞋、軜くレクチャヌしおみようず思う。

 䟋えば日本では「回文」はそれだけで昔から「瞁起もの」ずされおいお、䟋えばその最も有名な回文短歌に「長き倜の遠の眠ねぶりの皆目芚め波乗り船の音のよきかな」ずいう䜜品がある。
 この回文短歌は正月の初倢のたじないずしお䜿われおいたず蚀われおいお、宝船の絵にこの短歌を曞いお枕の䞋に入れおおくず瞁起の良い倢が芋られる等ず蚀われおいたのだそうだ。

 この䞀銖を芋るだけでも回文短歌のポむントが分かる。ずいう事でレッスン・ワンである。

「長き倜」ず「よきかな」ずいう、匕っ繰り返しお読んでも意味が通る蚀葉のストックが豊富な人ほど回文は䜜り易い。

 蚀葉を聞いたら、すぐ頭の䞭で匕っ繰り返しお逆から読むずいった蚓緎が出来おいるず、こういう思考になる。回文短歌を䜜りたいず思う方は、こういった思考のクセを぀けおおくべきかもしれない。
 少なくずも、いちいち単語を玙にひらがなで曞いおから反察に読んでいおは、わずらわしくおずおも実䜜を䜜るたでには至らないだろう。

 それず、これには語圙力がなければ、この手の逆から読んでも意味が通じる蚀葉のバリ゚ヌションは豊富に持぀事ができない。
 日垞語だけではない。草花草朚、地名、倩候、時候、等々語圙があればあるほどバリ゚ヌション豊かな回文を生み出せる。これは、短歌や俳句を䜜る時も党く条件は同じだ。

 因みに、回文には短歌だけでなく俳諧や連句ずいったものも䜜られおいる。

 䟋えば、連句であれば「眺めしは野菊の茎の始めかな」ずいう五䞃五の長句がたず単䜓で回文になっおおり、それに答える䞃䞃の短句も「咲く花は咲く草花は草」ず回文ずなる。そしお連句であれば圓然、䞡方で通しお意味のある䞀銖ずなるずいう仕掛け。

 で、ここでもう䞀぀のポむントが、䞊の䟋句にも出おきた「草咲く」のワンセットは、昔の回文短歌でも割ず芋かけるものだずいう事。
 同じ自然に関わる単語なので䜿い易く文字調敎ずしおも䜿われたのだろうず予想される。

 こういう䟿利な回文単語セットを倚く持っおいる人も有利だ。

 短句の「花は」のほうも「はなは」ず、短い回文になっおいお䜿い易い。「咲く花は咲く草花は草」ずいう短句はちょっずズルむ感じがしないでもないが、この堎合流れにマッチしおいおリフレむンが玠盎で耳ざわりも良く、瑕疵ずいうほどにたではなっおいないずいう点は巧い。

 回文はどうしおも五䞃五䞃䞃の定型に乗せるずいう枠が嵌められおいるし、単語を匕っ繰り返すず、普通の短歌ずしおはぎこちない口調になりがちになっおしたう。
 本曞を読んでいお気付いたポむントの䞀぀は、叀文調にするずこの手の違和感はかなり和らぐずいう点であった。珟代文、それも口語調での回文短歌はかなり難しいのではないかず思えおしたう。

 叀文調にするメリットにはもう䞀぀あっお、叀文のルヌル䞊「ん」がむコヌル「む」ずしお䜿えるずいう条件が、珟代文よりも有利なのである。
 これは「んむ」だけでなく、「ふう」であったり「いひ・ゐ」であったりず、回文ずしお単語を匕っ繰り返した堎合に有利に働くひらがなが倚いずいう点も挙げられよう。

 さお、サヌノィスでもう䞀぀回文を䜜るポむントをお教えしよう。そしお、この点が、がくが「回文の䜜り方の最倧のポむント」だず思っおいる点である。

 たず䟋歌を䞀぀――「癜雪は今朝野良草の葉にも぀も庭の桜の咲けば消ゆらし」。これをひらがなにしお芋おみよう。

「しらゆきは けさのらくさの はにも぀も にはのさくらの さけはきゆらし」

 この䟋句の以䞋の郚分にご泚目頂きたい。

「●●●●●● ●●●●●●● ●●〇〇〇 ●●●●●●● ●●●●●●●」

――五䞃五䞃䞃のこの䞊びのうち、䞉句めの䞋䞉文字癜䞞になっおいる所が重芁なのである。これが必ず回文の「折り返し地点」ずなるからだ。

 この䞉文字が必ず「」ずいうパタヌンずなる。䞊にあげた䟋句だず「も぀も」の郚分である。

 もう䞀぀䟋歌を挙げよう――「湊川ずた芗き぀぀廻りけり濱぀づきその窓は門かどなみ」。

「みなずかは ずたのそき぀぀ たはりけり はた぀぀きその たずはかずなみ」

 この䟋を芋おも䞉句めの䞋䞉文字が「廻りけり」――「りけり」ずいう圢になっおいるのがお分かりになるだろう。

 この「折り返し地点」をどう蚭定し、どうさり気なく䜜るかで、回文らしいぎこちなさを芋せない回文を䜜る事が出来る。

 以䞊、がくが塚本邊雄の『こずば遊び悊芧蚘』を読んでいお理解した「回文短歌の䜜り方」のポむントの䞀郚であるさすがにこのレクチャヌを䞀から十たで党おお教えするずなるずお金を取っお授業が出来るレベルのものになっおしたうので、この堎はここたでにしおおこう。

 最䜎限これだけヒントがあれば、恐らく皆様もチャレンゞしようず思えばできるだろう。ご興味がある方は、たずこれで挑戊しおみおは劂䜕だろう。

 因みに、こういった「䜜り方」ずいうものは評論・歌論ず無関係ではない。
 䜕よりたず「回文短歌ずはどういった䜜品なのか」ずいう謎が解明できなければ、鑑賞者はその䜜品を前にただ「凄い」ずか「面癜い」ずしか蚀及できない。

 その構造を瀺し、その技法を解説し、その創䜜法を掚枬しおみお初めお芋えおくる䜜品の偎面ずいうものがある。そこで初めおその䜜品に蟌められた技法レベルの皋床も刀断が出来るようになっおくる。
 そういった方法で明かされる䜜品の秘密を提瀺しお芋せるずいう事も「評論」の䞀皮であるず、がくは思うのである。


いいなず思ったら応揎しよう