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仕事をやめた

わたしは社会に向いてなかったので、紆余曲折を経て看護学校に25歳で入学した。

そして紆余曲折を経て28で看護師になる。
みんな20そこそこで仕事する人がいる一方で、私は人より8年間もモラトリアムを多くもらった。
こどもができて人の親になった今になってわかるが、親はさぞ心配していたことだろう。

しかし働いてもう安心。とはいかないものだ。
看護師1年目は全ての記憶を忘れていくわたしとしては珍しく嫌なことが多かったため今でも覚えている。
お局さんと呼ばれる方々や、プリセプターの看護師にかなり絞られたのだ。

そもそも看護師で男というのはレアで目立った。
25人ほど看護師が居て、私を入れて男は2人だった。

そして1年目看護師のわたしはまったく地に足がついてなかった。
ずーっと左脳に居て、先輩から怒られる危険な未来を予測して生きていた。
失敗のイメージと共に仕事をしていたと言っていい。
全く今に居ないので些細なミスや緊張で手が震え、採血や清潔操作がうまく出来ず全く独り立ちさせてもらえずほんとうに惨めな思いをしたことを覚えている。
夜勤の独り立ちをしたのも2年目になってからだったのではないだろうか。同期なんか1年目の夏には独り立ちしていたというのに。

そんなわたしもなんとかかんとか12年看護師として働いた。
12年前のわたしに現状を話せば「12年もつの!?」とさぞ驚かれることだろう。

12年前のわたしに言ってやりたい。
「正直、一番しんどいのは1年目の時がマックス。
その後はお局さんだって、プリセプターだって、なんだかんだ仲良くなることができるよ。」と

2年目以降、毎年当たり前だが後輩が出来た。
後輩ができるたび、1年目看護師の辛さを誰よりも分かっていたのでわたしはめちゃくちゃ優しく接した。
今も1年目や転職して来た人にはアホのように優しく接する。
どんなけ叩かれて理不尽な思いをしてもそんな風に接するように努めたお陰か、職場のスタッフにはほんとうに恵まれたと思う。

わたしは今回、まったく定年を待たずに仕事を辞めるが、ほんとうに12年間一緒に働いたスタッフにはずっと恵まれ続けた。
同僚に恵まれる運だけは割と滋賀県でも5本の指に入るのではないかと思ってる。
結局みんな優しい人だったのである。

ちなみにわたしは12年看護師をやった今でも仕事ができる方ではない。
これは謙遜ではなくマジである。マニュアルが全く頭に入らないのだ。覚えないと仕事にならないと分かっていてもマニュアルだけは頭から欠落していく。
嫁には「人柄だけで仕事してる」と言われる。悔しいがそうかもしれない。

あ、仕事を辞めた。んじゃなくて今日が退職する日なんです。
退職する日の朝にこうやって記事になるかわからないけど振り返りながら文字を打ってる。
回想してみるとまぁ、嫌な思い出は数あれど、感謝しか書くことがない。

12年間お疲れ様でした。
いや、まだ39なんだから、ただちょっと休憩するだけだけど。
2ヶ月ほど休んで、またどこかで看護師やろうと思ってます。

今日の朝は清々しい。

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