お為さんが住んでいた七代目市川団十郎宅跡地に行ってきました
木場宅にはいつまで住んでいたか
木場島田深川町にあった団十郎宅は、現在木場二丁目公園になっています。



【案内板文】
江東区登録史跡
七代目市川團十郎宅跡
~江戸歌舞伎の第一人者の市川家の邸宅~
木場2ー11ー11~13付近
四代目団十郎が安永五年(一七七六)に隠居して深川木場島田町(木場二丁目)に邸宅を構えて以来、七代目園十郎まで市川家代々が島田町内(木場2ー11ー11~13付近)に居住していました。
七代目国十郎は小柄ながら才能があり、荒事・実事・和事・実悪・色悪などの多彩な役柄をこなして人気を博し、四代目鶴屋南北の作品なども演じました。また、初代以来の当たり役を調べ、「歌舞伎十八番」を選定するなど、歌舞伎の発展に貢献しました。
しかし、天保十三年(一八四二)に、当時の老中水野忠邦が推進した天保改革における奢侈禁止令に違反したとして江戸を追放されました。その理由は、島田町の邸宅や家財道具が豪華でぜい沢であるというもので、追放の申渡書によると、天井を金泥で塗り、桐紋をあしらった豪華な箪笥を用い、庭に御影石の燈籠などを置いていました。そのため邸宅は取り壊しとなってしまいました。
平成29年11月
江東区教育委員会
江東区が設置した案内板には天保十三年の天保改革時に邸宅が取り壊しになったかのように書かれていますが、実際は贅沢品の没収と金塗りや漆塗りを施された贅沢箇所を取り壊されただけで、住居部分は残されたのではないかと思います。
と言うのも、海老蔵が江戸十里四方追放時、本妻や息子たちは木場宅に残っているからです。その事は文献で確認できますし、赦免後の嘉永五年に描かれた下の豊国画を見ても木場宅は健在です。

ではいつまで木場宅に住んでいたかと言うと、七代目団十郎が亡くなる一年前の安政五年までです。その年、大坂に出稼ぎに出ていた七代目は八代目が残した江戸の借金返済のため江戸に戻り、その際に木場宅を手放し売ったお金を返済に充てています。
四代目から代々住んでいた?
案内板には、四代目から七代目まで市川家が代々住んでいたと書かれていますが、実際に五代目六代目が住んでいたと確認できる一次資料はなかなか見つけられません。江東区がどの資料を根拠に案内板を設置したのか知りたいところです。
整理すると、こんな感じです。
• 四代目(1711-1778):安永5年(1776年)引退後、深川木場の自宅に五代目團十郎らを集めて「修行講」(演技研究会)を開いた記録が複数の歌舞伎事典・世界大百科事典系資料に残っています。「木場の親玉」と呼ばれたのもこの隠居生活からです。この点は比較的しっかり裏付けがあります。
• 五代目:引退後(寛政3年/1791年頃に鰕蔵と改名、51歳で舞台引退)は、向島の反古庵(ほごあん)に隠居したという記述が複数の資料(歌舞伎事典、世界大百科事典、服部幸雄『市川団十郎代々』など)で一致して出てきます。蜀山人・烏亭焉馬ら文人との交流も向島隠居期の話として語られることが多いです。ですが、木場を「本宅・別宅として継続使用していた」という直接的な言及は見当たりません。
• 六代目:五代目の実子(または養子)で、14歳で團十郎を襲名し22歳(寛政11年/1799年)で早世した短命の人です。居住地に関する個別の記録自体が少なく、木場を指す記述は見当たりません。
以上のことから、私は四代目から七代目まで市川家が代々住んでいたということには懐疑的な立場です。たばこと塩の博物館発行の「浮世絵に見る名所と美人」では、四代目が住んでいた場所を七代目が買い戻して住んでいたと表現していて、その根拠となる資料は示されていないものの、その説の方が、私はしっくりきています。

「浮世絵に見る名所と美人」より
木場宅の大きさ
木場二丁目公園の敷地だけでも充分広いのですが、実際はもっと広かったようです。こちらが木場二丁目公園の大きさです。

当時の団十郎宅はここまでありました。

木場宅から亀戸への水路
木場から亀戸を訪れていた際、団十郎が使っていた水路を推測してみます。舟着場がどこにあったか定かでないので、家の前の大島川東支川(現在木場親水公園)から乗ったと仮定します。大島川東支川を北上し、三十間川(現在仙台堀川)を右折します。

そのまま三十間川を東へまっすぐ進み、

南十間川(現在横十間川)で左折し北上します。

小名木川を越え、まっすぐ進めば亀戸です。矢印部分には、現在小名木川クローバー橋が架かっています。

小名木川クローバー橋の上から撮った写真がこちらです。

さらに南十間川を北上します。竪川を右折すると歌川国貞の五ツ目の生家に着きますが、今回はそのまままっすぐ天神橋に向かいます。
南十間川は竪川を境に十間川と名称を変えます。十間川は天神川とも呼ばれていました。

到着です。天神橋際にはお為さんが働いていた越前屋があり、矢印部分には、歌川国貞の家(四十二歳の時、五ツ目から転宅)がありました。

水路の旅、お付き合いいただきありがとうございました。
亀戸推しの私ですが、木場の七代目市川団十郎宅にお為さんが暮らしていた事がわかってから、木場にもじわじわ興味が出てきて、今日散歩の足を伸ばしてみました。木場をもう少し探索した後は、芝居町のあった人形町と浅草にも足を運び、お為さんゆかりの場所巡りをする予定です。
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