7 月 30 日 (木)
「ローズンゲン、または『日々の聖句』は、その日のための聖書の一句が記されている、毎年ドイツで発行される小冊子です。毎日与えられる、旧約・新約聖書の一節ずつから得た黙想を、隠退牧師が綴っています」
自分の神を知る民は揺るがず行動する。
(ダニエル書11:32)
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聖なる方、真実な方がこう言われる。「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから・・・試練の時に、私もあなたを守ろう。」
(ヨハネの黙示録3:7、10)
イスラエルを捕囚民として苦しめたバビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされるのですが、そのペルシア帝国も滅びたあと、ギリシアの帝国が台頭し、その後4つに分裂することになります。その一つであるシリア(セレウコス王朝)の王として現れたのがアンティオコスⅣエピファネスでした。彼は名前(エピファネス・神の顕れ)の通り自らを神格化しユダヤ教の完全な抹殺をはかり残虐な迫害を行ったといいます。
いつの時代でもそうだと思うのですが、ギリシア風の進んだ文化や生活様式に憧れ、信仰を捨ててしまう人たちがいたようです。王は彼らに特権を約束し、懐柔して自分の陣営に取り込むということをしてしまいます。内部の裏切りは信仰を保とうとする人たちには大きな苦しみとなりました。そのときに語られたのが「自分の神を知る民は揺るがず行動する」ということでした。神を土台として揺るがない生活をしようとしたのです。
この言葉を支えるものとして採られたのがヨハネの黙示録の言葉です。ここでも、「あなたは忍耐についての私の言葉を守った。だから・・・試練の時に、私もあなたを守ろう」と忍耐するものへの約束が語られます。
今日の言葉、旧約聖書の言葉も新約聖書の言葉も迫害の時に語られた言葉です。だから間違っていると言えないのですが、言葉には文脈があります。この言葉を今の時代に無理に合わせると、それは少し違うかと思わされます。
「自分の神を知る民は揺るがず行動する」にしても、「だから・・・試練の時に、私もあなたを守ろう」といわれても私たちの頭の中には《ムリ ムリ ムリ》が飛び交うのだと思います。間違っているのではない言葉、正論が正論であるゆえに人を裁き、人を殺すことがあるように、ここで使い方を間違うと聖書の言葉が人を潰すということが起こるのです。聖書はトータルに読む必要があるのです。
聖書を貫いているのは《神の愛》です。それは正しく守り抜く者にだけ与えられるというのであれば《神の愛》にふさわしくないのです。ともすれば崩れそうになる者、自分の力では立つ力を失っている者、そのゆえに神の力を必死で求める者に注がれるのが《神の愛》なのです。イエスの十字架は、そのためにありました。十字架の愛は強い者を強くする愛というよりは弱い者を、それでも赦して用い、立ち上がらせて下さる《神の愛》なのです。
