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【B街道(B-KAIDO)】チーム紹介|シーホース三河が示す忍耐強さ

シーホース三河というチームを私は応援している。

名シューターとして日本に名を残すであろう金丸晃輔選手がチームの中心だった時代が終わり、

オールラウンダーのガードナー選手と、日本を代表するハンドラーである西田優大選手が現在のチームを引っ張っている。

B1リーグにおいて、愛知県には4つのチームが存在し、CSという優勝決定トーナメントの出場権を争っている。

まるでバスケという名の戦国時代を再現しているかのようだ。


シーホース三河。

古代から三河と呼ばれた場所は、現在の愛知県東部である岡崎や豊田を中心として発展してきた。

その中でも岡崎は「徳川家康の生まれた地」として知られている。

家康は「忍耐の人」としても有名だ。

先を急ぐことなく、機を待てる忍耐強さはどのようにして培ったのだろうか…


家康は、主君の家康に対する忠誠心が強い「三河武士」と共に、江戸幕府という天下を築いた。

しかし、その道のりには数々の苦難が待ち構えていた…

今でこそ忠誠心が強いことで知られる三河武士だが、当時は「三河一向一揆」という反乱を起こし、主君である家康側と対立した。

半年ほどの内乱の末、家康側が勝利する。

驚くべきは、その後の家康が示した寛容さだ。

家康は反乱を起こした家臣団に重い処分を科しつつも、一揆を起こした旧家臣の大半を再び仲間として受け入れたのだ。

三河武士の「もう二度と裏切れない」という家康に対する恩義が、強い忠誠心となって表れているのだ。

さらに、家康は幼少期を人質として過ごしている。

5歳頃に尾張の織田家の人質となり、その後は駿河の今川家に送られて、10代後半まで今川家の下で暮らすことになる。

今川家の元には、長らく京都で過ごした公卿らが助けを求めて駿河へ移り住んでいた。

その結果として京文化が駿河にも残り、「文武両道」を育む文化が醸成された。

家康は人質として過ごした10代後半までの長い時間を、京文化の教養と武力を磨く時間に充てていたに違いない。


その今川家が西に進軍したことで、尾張の織田信長と衝突することになる。

「桶狭間の戦い」だ。

その戦いに今川家は敗れた。

主君を失った家康は、三河の地である岡崎城を拠点として独立することになった。

桶狭間の戦いは、織田家と今川家の戦いであるが、以下の構図に当てはめることもできる。

「新興勢力 vs 秩序ある伝統」

新興勢力である織田信長は、当時の常識を嫌い、「破壊と創造」により武功を挙げてきたのだ。


シーホース三河は古豪と呼ばれる伝統あるチームだ。

しかし、長年チームを率いてきた鈴木貴美一体制からの脱却を図り、ライアン・リッチマンというNBAでの指導経験のあるHCを迎え入れ、「新興勢力」としてBリーグの頂点を目指している。

三河の強さは、鈴木貴美一氏が長年築いた伝統の上に、ライアンHCが日々実行する「カイゼン」による「忍耐強さ」が、文化として醸成し始めていることだ。

最終クオーターに魅せる西田選手の決定力の高さや、三河武士を彷彿させる粘り強いチームディフェンスからは、先を急ぐことなく期を待つことができる、家康のような「忍耐強さ」を感じる。


徳川家康が三河の地に生まれ、江戸幕府という天下統一を果たしたように、

西田優大と相棒であるガードナーの喜びを分かち合う姿が、三河の歴史に刻まれることを期待せずにはいられないのだ。


三河の歴史をより深く知りたい方は、司馬遼太郎氏の「街道をゆく 43(濃尾参州記)」を一読することをおすすめします。

桶狭間の戦いの描写は、息をのむほど圧倒されます。


Bリーグで観られる白熱した逆転劇。

私自身の歩みも「逆転戦記」として別記事へ綴っています。

工場派遣から始まった私のキャリア。建設業界という茨の道で、建設業経理士1級という武器を携え、組織という名の「歪んだ正義」に立ち向かう戦いの記録です。


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