優しい嘘をやめた日。食卓の「いただきます」が変わる、命と向き合うプロの言葉選び
大人はなぜ「命の終わり」をオブラートに包むのか
「ねえ、死んでしまったの?」 子どもからの真っ直ぐな矢印に、言葉がギュッと詰まること、ありませんか?
「お星さまになったんだよ」「ただ長く眠っているだけだよ」 そうやって、優しい嘘のオブラートで包んでしまいたくなるのが親のホンネですよね。
私も子どもがいますが、幼い頃は傷つけたくなくて必死でした。 でも、その曖昧な表現が「いつか起きるかも」という誤解の構造を生んでしまうんです。
【実践】命のリアルを届ける3つの言葉のルール
動物の群れを観察していると、彼らは仲間の死を前に「悲しむ」ことはあっても、決して「隠す」ことはしません。 命が止まるという圧倒的な事実を、ただそのまま受け入れているんです。
① 擬人化せず「事実」を伝える 「心臓が動かなくなったんだよ」と、生物学的な事実を静かに伝えます。 大人が無理に物語を作らないという「構造」にすることで、親自身の心理的負担も減ります。
② 感情を先回りして止めない 「泣かないで」と出口を塞ぐのではなく、一緒に悲しむ余白を作ること。 元保育士の視点から見ても、感情を出し切る環境設定こそが、一番の心のケアになります。
③ 「かわいそう」から「ありがとう」へ お肉を食べる時、「残酷だ」で終わらせず、命のリレーが自分の命に繋がっている事実を話す。 精神論ではなく、生態系という「システムのロジック」として伝えるのがコツです。

完璧に伝えられなくていい。不器用な親のままで
偉そうなことを言っていますが、私も日常では失敗ばかりです。 仕事で疲れ果てている時は、虫の死骸を見つけた子どもに「ああ、そうだね…」と流してしまうことも。
飼育員だから、元保育士だからと、いつも完璧な親でいられるわけじゃありません。 「うまく伝えられなかったな」と自己嫌悪に陥る、そんな泥臭い日々です。
でも、それでいいんです。親が迷いながら命に向き合う背中そのものが、子どもへの答えになります。 大切なのは、綺麗事を並べることではなく、不器用でも一緒に立ち止まることですから。
命の現実を知ることは、今の命を輝かせること
命の終わりを教えるのは、決して残酷なことではありません。 それは「今、目の前にある命がどれほど尊いか」を教える、一番の光になります。
私が『ぱぐぱぱん』として絵本を作っているのも、この「命と喪失」のリアルを届けたいからです。

さて、ここで皆さんに質問です。 道端で干からびたミミズを見つけた時、あなたならどうしますか?
A:命の事実をしっかり伝える
B:可哀想だねと優しく声をかける
C:とりあえず見なかったことにして急がせる
皆さんの最近のちょっとしたエピソードも、ぜひコメント欄で教えてくださいね!
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