【エッセイしりとり】コンテスト2026 うしさん、ありがとう
昨日、「ペイフォワード」という赤いバトンを渡した…はずだったが今度は「エッセイしりとり」という色の違うバトンが届いきました。
今度届いたバトンは↓
送り主は空手家パパさんからでした。
「頭角をあらわしたな!小僧!」
なんだか斬新なタイトルですよね!
タイトルの最後の文字は「う」でした。
しりとりということは「う」から始まるタイトルにすればいいのですね。
私はすぐ「う」で始まる言葉を思いつきました。
それは「うし」です。
今日は「うし」について綴ろうと思います。

休日の牧場は、子どもたちの歓声と笑顔であふれています。
それは間違いなく、温かくて眩しい「光」の景色です。
でも、その裏側にある牛舎へ足を踏み入れると、空気の温度が少しだけ変わるのを感じます。
人が楽しむ場所のすぐ隣で、彼女たちは生々しい「命」の時間を生きている。
その境界線に立つとき、私の胸の奥にはいつも、チクリとした痛みが走ります。

「いただきます」の先にある現実
「感謝して食べれば罪にはならないのか」
牧場という現場にいると、時折その言葉が都合のいい免罪符のように感じられることがあります。
仏教の教えに、他者の命を消費することは間接的な殺生であり、私たちは他者の犠牲なしには生きられない「悲しい業(ごう)」を背負っている、というものがあります。
笑顔の裏側で、彼女たちの命を「コンテンツ」として扱わざるを得ない人間の身勝手さ。
夕暮れの牛舎で穏やかな瞳を見つめるたび、「ごめんね」という言葉が漏れ出しそうになります。それは薄っぺらい同情ではなく、私たちが背負う業への直視と、どうしようもない申し訳なさなのです。

命を削って、届けてくれる
私たちには、この残酷な現実を自覚した上で「伝える役割」があると思っています。
先日、乳搾り体験の前に、お客様へ5分ほど牛の生涯についてお話しさせていただきました。
・牛は毎日、平均30リットルものお乳を出していること
・そもそも、赤ちゃんを産まなければお乳は出ないこと
・赤ちゃんが本来飲む量は、10リットル程度であること
・生後1週間ほどで粉ミルクに移行し、残りはすべて私たちがいただいていること
・人間のために必要以上のお乳を出し、文字通り「命を削って」くれていること
静かに耳を傾けてくださったお客様から、お話のあとに温かい拍手をいただきました。
嬉しかったです。
もちろん、私たちが命を搾取している事実に変わりはなく、罪が軽くなるわけではありません。それでもあの瞬間、真実を共有できたことで、ほんの少しだけ牛さんたちと心が通じ合えた気がしました。

冷たくて確かな優しさ
「ごめんね」と落ち込むだけでは、何も変わりません。
痛みの底から湧き上がるのは、「せめてここで過ごす生涯が終わるまで、苦しい思いをしないように」という強い祈りです。
だからこそ、私は愛情や個人の気合いではなく、牧場を「人間都合」から「動物都合」へ作り変える『仕組み化』にこだわります。
数字やルールを使った仕組みづくりこそが、彼女たちの命を何があっても守り抜く、一番確実で優しい方法だと信じているからです。

いのちをつなぐ場所へ
楽しい時間だけで終わらせず、私たちが日々感じているヒリヒリとした命の手触りを伝えたい。
今期からスタートする「いのちをつなぐ」イベントも、そのひとつの形です。
「ごめんね」という痛みと、「せめて」という祈り。
その間で揺れながらも、私はこれからも彼女たちの命の隣に立ち続けたいと思います。
「いただきます」の奥にある重くて尊い現実から目を背けず、いのちをつなぐ物語を紡いでいきます。
うしさん、ありがとう。

皆さんいかがだったでしょうか。
普段当たり前のように食べているお肉や飲んでいる牛乳…
彼ら彼女たちは間違いなく命を削って我々人間を生かしてくれています
皆さんなら牛さんにどんなお返しをしますか?

では次なるバトンをお渡しするお二人を発表いたします
はるまき大臣さん
コロッバーさん
「う」から始まるタイトルで「エッセイしりとり」をよろしくお願いいたしますね
#エッセイしりとり
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