木々との15の対話集~『木』幸田文著
木についての、著者の15の随筆をまとめた本です。
文庫で164頁の薄い本なのですが、木に対する著者の感情の動きの濃密さ、奥行、語彙の多彩さを消化するのは簡単ではなく、読むには思いのほか時間がかかりました。
職場の読書会での課題本として読んだのですが、著者の本は今まで読んだことがありませんでした。こうして自分以外の人から素晴らしい本を知らされるのが、読書会の楽しみです。
著者は1904年生まれ。この本に収められた随筆は1971年から1984年に発表されたものといいますから、著者が60代半ばから80代手前くらいの体験をまとめたものになるのでしょうか。
読むと、とにかくその文章の才能に圧倒されます。
語彙の広さ、それを用いる柔軟さは、自分などでは想像もつきません。
それが父に幸田露伴をもつゆえの生来のものなのか、その環境ゆえの鍛錬や教養によるものなのかは、私にはわかりません。
ただ、それまで文筆活動を全くしていなかったにもかかわらず、露伴の没後すぐに発表された、父を追憶する作品がただちに認められたことからしても、やはり特別な才能なのではと思います。
文章は率直、正直で、格好つけるところがありません。
その言葉の選び方は、古典的な教養からくるものなのか、著者の自由さからくるものなのか、無知な私ではそれすらわからないけれど、読むたびに「こんな表現ができるのか」と新鮮な驚きがあります。
こんなふうに文章が書けたら、と思うのですが、現代人が古典の教養を磨いたとしても、その延長には、著者のこうした文章はないように思えます。書いたとして、嫌味になるだけだではないかと。
この本にも少し触れられていますが、著者は生涯、和服で通したといいます(「木のきもの」)。
和服に自信があったわけではなく、洋服があまりに似合わないので躊躇しているうちに年をとってしまっただけ、といいますが、文章も、その人の生活や人生と切り離せないものなのだろうと感じます。
そういう意味で、この『木』のような文章は、現代の私たちの生活の中からはもう生まれないのではないかと思い、少し寂しく感じます。
今の私たちの言葉も、後の世代の人たちから見てそんなふうに感じてもらえるのだろうかと思うと、心もとないところです。
木という無言の生き物であっても、著者がそれと出会った際の感情の動きはには激しさがあります。著者は倒木に涙し、ひのきの優れた性質にはひがみを感じ、屋久杉には恐怖に近い怯えを感じます。
私などからすると、少し木を擬人化し過ぎているのではないかと思うほどで、ここは自分と異なる部分だと感じました。木は同じ生き物だけれど、動物とは全く違う形の生命なので、そこに人間の死生観をそのまま投影するには少しためらいがあります。
でも、著者が尋常ではない鋭敏な神経を持っていたことはよくわかります。
この本を読んだ続きで、著者の『父・こんなこと』(1949、1950)も読みました。
父である幸田露伴の強烈な人格に圧倒され、ときに苦しめられながらその最晩年に付き添った様子を書いた作品で、これも尋常でない質量を感じた本でした。
その父が登場し、著者がまだ子どものころの、水際の藤の花を父子で眺める場面のある「藤」が、この『木』のなかで私は一番好きでした。
しきりに花が落ちた。ぼとぼとと音をたてて落ちるのである。落ちたところから丸い水の輪が、ゆらゆらとひろがったり、重なって消えたりする。明るい陽がさし入っていて、そんな軽い水紋のゆらぎさえ照り返して、棚の花は絶えず水あかりをうけて、その美しさはない。沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽根の音が高低なく一つになっていた。しばらく立っていると、花の匂いがむうっと流れてきた。誰もいなくて、陽と花と蛇と水だけだった。虻の羽音と落花の音がきこえて、ほかに何の音もしなかった。ぼんやりというか、うっとりというか、父と並んで無言で佇んでいた。飽和というのがあの状態のことか、と後に思ったのだが、 別にどうということがあったわけでもなく、ただ藤の花を見ていただけなのに、どうしてああも魅入られたようになったのか、ふしぎな気がする。
明るい陽射し、水、花、虫の羽音・・・その中でぼうっと佇んでいる様子を「飽和」と表現した著者の言葉の力に、静かな衝撃を受けます。
「水あかり」という言葉も、初めて知らされました。
私が読んだのは新潮社の文庫版なのですが、巻末の佐伯一麦氏の解説も大変いいものでした。
サマセット・モームの「いい文章というものは、育ちのいい人の座談に似ているべきだと言われている」との言葉を引いて著者の文章を論じているのに「なるほど」と思い、解説が、ルナールの『博物誌』の「木々の一家」の一節を引いて閉じられるのには、本書の内容と響き合って深い余韻を感じました。
以前、小川洋子さんの『ことり』を読んでからは、それまで全く気にとめなかった街中で聞こえてくる様々な小鳥の声に、耳を傾けるようになりました。
この『木』も同じように、都会にいても出会うことができる様々な木に目を向けさせてくれます。
本ばかりではもちろんいけないけれど、本は現実を見る目も養ってくれる、やはりありがたいものだと感じました。
