ごめんね、メイサちゃん。通勤バスでの葛藤、再び
私が朝に乗る通勤バスは、私が10時出社なのでラッシュ時間を外れているうえ、ぐるっと大回りするルートを走るので空いています。
同じ時間、同じルートのこのバスに、もうかれこれ10年以上乗っているので、乗客も見知った顔ぶれが多いのです。
そんな顔ぶれのなかに、私が心の中で「メイサちゃん」と呼んでいる30代くらいの女性がいます。
黒木メイサさんのような、キリッとしたかっこいい顔立ちの美人です。
私は自分がのんきな丸顔なので、彼女のようなクールビューティに弱いのです。
メイサちゃんは、いつも私の2つ後の停留所から乗ってきます。
私の隣に座ってくることもよくあります。
もちろん言葉を交わすことはありません。
メイサちゃんはスマホ、私は文庫本を広げ、それぞれの時間を過ごします。
ただ、窓際の私の方が先に降りるので、その時だけは、小声で「すみません」と声をかけます。
すると、メイサちゃんは「はい」とニッコリ笑顔で席を立って通してくれるのですが……。
普段から緩んだ顔をしている私のそれとは大違いな、クールビューティが放つ一瞬のその笑顔の破壊力たるや。
まぶしくて目を開けていられないほどなのです。
ある日のこと、メイサちゃんが乗ってきたのはいつもと違うバス停でした。
その後も、彼女はそのバス停から乗ってくるようになりました。
メイサちゃんが私の隣に座った日。
彼女の左手の薬指に指輪がはまっているのを見つけました。
結婚して引っ越したのね!
私は心の中でメイサちゃんを祝い、彼女を射止めた幸運な相手について思いを巡らせたりしました。
そしていつからか、メイサちゃんのバッグに、ピンク色のマタニティマークが揺れるようになりました。
メイサちゃんの少しずつ大きくなっていくお腹を、心の中で勝手に応援して愛でる日々が続きました。
それから少しすると、気づけば彼女は姿を消していました。
きっと産休に入ったのです。
もはや親戚のおばちゃんくらいの熱量で私は思いました。
がんばれ、メイサちゃん!
そしてそして、ついこの間のことです。
いつの間にか私の前の席に座っていた女性の後ろ姿を見て、私は息をのみました。
メイサちゃんだ!
隙間からチラリと見えてしまった彼女のスマホ画面。そのカメラロールは、愛らしい赤ちゃんの写真で埋め尽くされていました。
(見ちゃってごめん)
間違いない、メイサちゃんだ。無事に生まれたんだ。
私は思わず、前の席にいる彼女の肩を叩き、
「おかえりなさい!出産おめでとう!お疲れ様!」
と声をかけたい衝動にかられました。
が、いや待て。落ち着け、私。
私は内なる「メイサちゃんの親戚のおばちゃん」に必死でブレーキをかけました。
私は彼女にとって、同じバスに乗り合わせる赤の他人の丸顔のおばちゃんに過ぎません。
そんな人に、突然、熱量高めにお祝いの言葉をかけられたら、それはホラーです。
私はまだ少しドキドキしている心臓をなだめ、静かに本に目を落としました。
不審者になる一歩手前で踏みとどまれた自分を褒めてあげたい。
メイサちゃん、本当におめでとう。
あと、おばちゃんキモくてごめん。
