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トットちゃんが教えてくれたこと。


こんばんは。
人口3000人の村育ち、同級生はひとりだけ。
おまみです。


今夜は楽しみにしていたある映画を鑑賞した。

私は毎日Netflixで新しい作品が更新されるのを楽しみにしているのだが、
今回かなーり楽しみにしていた作品が配信されると予告があった。

それがこちら↓

窓際のトットちゃんだ!

あの黒柳徹子さんの幼少期を自伝的に描いた物語。

先に本で出版されているのは知っていて、
うちの実家の本棚に並んでいたことをうっすらと覚えていたが内容まではしっかり読んだことがなかったので今回見てみることにした。


結論から言おう。



めちゃくちゃ泣いた。

子も夫も寝た後、ひとりポロポロ泣いた。

とても、とても、良い作品だった   !

あー、なんで本読んでなかったんだ、私。
子育てする前にも見ときたかった笑


ああ、
トットちゃん、いや黒柳徹子さん。

あの時代に、こんなのありなの!?
と度肝を抜かれました

きっと、
今よりももっと
生きづらかったであろうあの時代を
あんなに力強く生きたトットちゃんの姿にも
それを優しく見守るご両親の姿にも
子どもたちを本当に愛しているとわかる先生方の姿にも
トットちゃんのクラスメイトの姿にも
全てが。愛と自由と個を尊重した物語で
これこそが本当の意味での多様性なのかもしれない。



話は少し変わって。

本編を見た後に思ったのだが
「窓際のトットちゃん」を購入し、本棚に並べていたのは母だが、私はこの映画を見終わった後、
母がなぜこの作品を購入するに至ったのか、
読んだあとどんな風に思ったのか対話してみたくなった。

私がそう感じたのは
今母のことをお母さんとしてではなく
1人の人間として見た時に
母が母として私に関わり、私から見て母でしかなかったあの幼少期に
どんな想いで子育てをしていたのか
が単純に気になった

私も今や二児の母になり、
トットちゃんの母の視点と重ねて作品をみていたから、
私の母は当時本を読み、
どのように感じていたのだろうと
気になったのだ。


母の思うお母さん像とは...?

この話は次に母に会った時に聞いてみようと思う。またここに書いてみる。




話を戻そう。




トットちゃんは
通っている小学校に馴染めず
(かなり多動気味で突発的でおしゃべりなトットちゃんに先生困惑)
学校側から転校させてくれとお願いされ
トモエ小学校という学校に転校する。

トモエ小学校では
個を尊重し、自由にのびのびとした教育方針。
校長先生が、またいい先生なんだな。これが。

トットちゃんの
多動的で突発的、おしゃべりな子

明るくて元気の良いチャーミングな女の子
に変換させてしまうような
見方まで変えてしまう関わり方なのだ。


校長先生は
トットちゃんのお話を決して遮らず最後まで聞き、
トットちゃんが突拍子もないことをしても
止めに入らず、見守りながら声がけをちょっとだけ。


そして作品の最後の方のシーンで
校長先生からトットちゃんに伝えられる。
君はほんとうはいい子なんだよ。


私はこのシーンではじめて
いい子
という言葉に良いイメージをもてた。

このいい子には
きっと色んな意味がこめられている。

私のいい子のイメージは
言うことを聞くいい子
だった。
だから子育てしていてとても違和感があったのだ。
私も怒ると口からうっかり
いい子にしなさい!
と出てくる時がある。

そんな時のいい子
親からみたいい子
親の思い通りに動く子
よく言うことを聞く子
という意味だ。
けれどトモエ小学校の校長先生が言う
いい子は違うと感じた。

うまく説明できないが
受け入れられたような安堵感さえ感じる。

これが子育てにおいても
人間関係においても
とても重要なことだと感じた。

この安堵感は
信頼
なのだ。


これは人間関係の中でよく直面するテーマでもあると思う。
親子で。友人との間で。職場で。夫婦で。
様々な場面で私は出会してきている。

これからはその度にトットちゃんを思いだしたい。

自分を
相手を
信頼できているかい?

忘れてしまわないように
フレッシュな気持ちをここに記録する。✒️


今日も読んでくれてありがとう☺︎
では、また。


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