「超嗅覚」という呪いが解けて、私は一番後ろから歩き出した―― 1分で患者の特効薬がわかる魔法を失い、当たり前の医者になった私が思うこと (約2,800字 4分40秒~7分)
このお話は、かつて私が持っていた「超嗅覚」という特性と、それを失った現在について綴ったものです。
特定のにおいから患者さんの状態や薬の適合性まで分かってしまう――。それは診療を助ける「魔法」であると同時に、愛する家族との間に深い溝を作る「呪い」でもありました。
魔法が消えたあとの静かな診察室から、今の私が思うことをお届けします。
【読者の皆様へ】
今回のお話には、感覚過敏(超嗅覚)に伴う生きづらさや、それゆえに生じた家族との心の距離についての描写が含まれます。ご自身の心の状態に合わせてお読みください。
注︙守秘義務の都合上、一部改変しています。画像の生成にAIを使用しています。
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家族との距離、情報の氾濫
私が「ぼっち」になってしまった理由のひとつは、この鼻にあった。
誰もが同じような嗅覚をもって同じ世界で生きているものだと思っていた。
けれど、私だけが「におい」という情報の氾濫の世界で「ぼっち」だった――そう気づいたのは、ずっと後になってからのことだった。
最後に玄関に帰って来たのが誰か、廊下を誰が通ったのか、靴や靴下のにおいでわかってしまうのはまだいい。
家族がうれしそうにトイレに置いた「キンモクセイの香り」と書かれた芳香剤は、私にとっては芳香どころではなかった。
鼻粘膜を焼くような化学薬品の強烈な刺激は、もはや嗅覚ではなく痛覚に襲いかかってきた。
芳香剤をやめてもらっても、いったん壁や床に染みついた化学薬品の臭いはいつまでも残り、息を止めるか「ドアを開け放たなければトイレが使えない」日々が続いた。
素敵な香りを見つけた日常のささやかな喜びすら、大切な人たちと共有できない。
それは「不幸な呪い」そのものだった。
呪いは、家族の洗濯物を畳んで仕分けるときにも降りかかる。
私は敏感な嗅覚に反して、視覚情報の整理が弱い。
相貌失認というほどではないが、家族の服であれば、どれが誰の服か、色や形は見えているのに見えていないのだ。赤とオレンジや紫と藍の境界に戸惑う人となら話が合うかもしれない。
家族からは「個々の服は全然似てなんかいないのに、どうしてわからないんだ。」と不思議がられるが、わからないものはわからないのだ。
最も悲しくなるのは、「記憶力は良いくせに、家族の服を覚える気はないのか。」と、がっかりされることだ。
嗅覚は鋭いが、視覚は障害とは見做してもらえない程度に心もとないという、少し手を焼く特性の私だったのだ。
そんな私の唯一の判別手段は、家族ひとりひとりで異なる「におい」だった。
けれど、衣類のにおいを嗅いで仕分ける私の姿は、家族を嫌な気分にさせるのに余りあるものだった。
きわめつけは、トイレの先客が誰かはもちろん、その健康状態まで嗅ぎ分けられてしまう私。
家族を愛しているからこそ、役に立とうと「におい」に頼る。
けれど、その愛し方は、家族からしてみれば、気持ち悪いだけの存在だったのだろう。何か言えば言うほどに、私は家庭内でも「ぼっち」になっていった。
感覚が人と違うのがこんなに不幸な呪いだとは知らなかった。
診察室の「魔法」
家庭内での「ぼっち」の源であった呪いは、医師の現場では、「魔法」へと姿を変えた。
訪問診療でアルコール依存症の宅を訪ねれば、漂うにおいで、いつまで何をどれくらい飲んでいたか、見当がついた。
さらに診察室でも。
患者さんが診察室に入ってきて一分。まだ話もうかがっていない時点で、患者さんがどういう状態か、効く薬は何か、においから分かってしまうことがあった。
もちろん全ての患者さんではない。
こういうにおいだったら、こういう状態で、薬はこれが効いて、この薬は効かない、という、「紐づけができているにおい」に限られた。
経験を積むほどに「紐づけできたにおい」の種類は増えていったので、年々、精度は上がっていった。
はるか昔、観相をなりわいとし当たることで評判だったお年寄りが、こっそり教えてくれたことがある。
「人相や手相を見る、と言うのは、気味悪がられるから付け足しているだけの方便で、じつは最初からすべて見えているのだよ。体に触れるとより鮮明に見えるものがあるから手を出してもらうことはあっても手相を読んでいるわけではない。」と。
何を馬鹿な、と笑い飛ばしていた私だったが、誰にも言っていない秘密を次々に言い当てられ、しまいには「もうやめてください」と、泣きが入ってしまっていた。
そのお年寄りは、こうも言っていた。
「見えている人は千人に一人くらいは居るが、自分で能力に気づいていないか、あえて言わないだけ。」
残念ながら私にそのお年寄りのような力は無かったが、嗅覚に頼った診療は、それに通じるものがあったのかもしれない。
一番後ろからの再出発
その魔法を、コロナ禍が根こそぎ奪っていった。
初期の強烈な株は、私から嗅覚を完全に奪い去った。
長年にわたって鼻の奥まで吸い込まないようにしていた、そんな無意識から解放されて、起床直後の深呼吸にためらいがなくなるのに五年近くかかった。
五年以上経った今も、味覚こそ戻ったが、嗅覚は百分の一も戻っておらず、静かな日々が続いている。
けれど、今さら嗅覚を失ったところで、子どもが多感だった時期に疎まれたまま過ぎ去っていった日々は、もう戻らない。
咲き誇る本物のキンモクセイの下を通っても、大切な人と幸せの香りを分かち合うことはできないままだ。
かつての魔法は消え失せた。
今の私は、きちんと話を一から十までうかがわなければ、薬一つ決められない「当たり前の医者」になった。
嗅覚というショートカットを失った代わりに、私は、患者さんの話をじっくりと聴く全国の精神科医一万数千人の一番後ろに戻って再出発することになったのだ。
対話に時間をかけ、患者さんと向き合う。
ときには患者さんの嘘も見抜けずにだまされているかもしれない。
けれど、においの騒音が去った今の診察室は、どこか静かだ。
窓から差し込む光の粒が、あたたかいダイヤモンドダストのように流れていく、そんな診察室も、存外にわるくもないと思っている。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
五感のうちの一つを失うことは、本来なら「障害」と呼ぶべきかもしれません。けれど私にとって、騒がしい情報の氾濫が去った今の診察室は、かつてないほど患者さんと呼吸を合わせられる場所になりました。
遠回りをし、対話に時間をかけ、時には迷う。そんな、周回遅れの再出発が、今の私にはとても愛おしく感じられます。
いまだにキンモクセイの香りは、金色の光の粒にしか見えませんが、窓から差し込む光を確かに背中に感じつつ、記させていただきました。
