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「恵」という名前

人生には、後になって初めて意味がわかる出来事がある。

私にとって、それは娘の「恵」が生まれた日だった。

私は、クリスチャンの家庭に育ったわけではない。

戦争を経験した両親に、孫のようにかわいがられて育った。

「元気で生きていてくれれば、それで十分。」

そんな親の愛情に包まれ、何不自由なく過ごした子ども時代だった。

学生時代も、これといって大きな夢や目標があったわけではない。

流れに身を任せるように生き、人生とはそんなものだと思っていた。

一方、妻は私とは正反対だった。

複雑な家庭に育ち、「頼れるのは自分だけ」という現実の中で生きてきた。

幼い頃に洗礼を受けたクリスチャンだったが、私と出会った頃は教会には通っていなかった。

それでも、彼女の机の上には、いつも古びた聖書が置かれていた。

ある日、妻が一冊の本を勧めてくれた。

三浦綾子さんの『ちいろば先生物語』だった。

主人公・榎本保郎牧師の親友に、「恵」という人物が登場する。

男性の名前だった。

不思議とその名前が心に残った。

「男の子でも女の子でも、『恵』にしよう。」

そう決めた。

まだ、子どもがどんな人生を歩むのかも知らない頃だった。



十か月目に入った朝。

妻に突然の出血があった。

ちょうど健診の日だったので、そのまま産院へ向かった。

診察室の空気が変わった。

「赤ちゃんが育っていません。心音も下がっています。このままでは危険です。」

救急車でNICUのある病院へ搬送され、そのまま緊急帝王切開。

娘は産声を上げなかった。

重症仮死だった。

医師からは、命が助かっても重い障害が残る可能性が高いと説明を受けた。

その時、妻は驚くほど落ち着いていた。

「きっと助かる。」

そう言って、続けた。

「もし障害が残っても大丈夫。私は仕事を辞めて、この子の療育に付き添う。」

女性は、どうしてこんなにも強いのだろう。

私はただ立ち尽くすことしかできなかった。



病院の長椅子に一人座り、私は祈っていた。

神様がどんなお方なのかも知らなかった。

信仰もなかった。

それでも祈らずにはいられなかった。

「神様。

どうか、この子を生かしてください。

どんな障害が残っても構いません。

どうか、娘を生かしてください。

私はタバコをやめます。」

それが、私の人生で初めての、本気の祈りだった。

あの日以来、一本もタバコを吸っていない。

長年のヘビースモーカーだった私が、不思議なことに吸いたいと思ったことさえ一度もない。

自分の意志が強かったとは思わない。

あの日の祈りを、神様が今日まで守らせてくださっているのだと思っている。



娘は助かった。

しかも、何の後遺症も残さず、四十日後には元気に退院した。

担当の先生は、

「奇跡です。」

そう言われた。

学会で発表したいとも言われた。

そんなことはどうでもよかった。

ただ、生きていてくれた。

それだけで十分だったし、感謝しかなかった。



退院して間もなく、妻が言った。

「この子は、お宮参りじゃない気がする。」

「教会へ連れて行こう。神様にお返ししよう。」

私も、まったく同じ気持ちだった。

理由は説明できない。

ただ、それが自然なことのように思えた。

私たちは近くの教会で献児式をしていただき、その日から毎週礼拝へ通うようになった。

そして、その年のクリスマス。

私は洗礼を受けた。

人生で初めて、自分の人生には意味があるのだと思えた。



献児式の日、牧師が一枚の色紙をくださいました。

そこには、こんなみことばが書かれていました。

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さのうちに完全に現れるからである。」
(コリント人への手紙 第二 12章9節)

あの頃は、その意味を十分に理解していたわけではない。

けれど、年月を重ねた今、そのみことばを読むたびに思う。

あの日、病院の長椅子で祈るしかなかった私の弱さの中で、神様の恵みは確かに働いていたのだと。



娘の恵は、元気に成長した。

自分の意志でキリストを信じ、教会では長老として奉仕し、素敵な伴侶にも恵まれた。

今は公認心理師を目指して学んでいる。

神様にお委ねした娘を、神様は今も変わらず導いてくださっている。

「恵」という名前は、生まれる前につけた名前だった。

けれど、その名前はやがて、私たち家族そのものを表す言葉になった。

振り返れば、私たちの歩みは、神様の恵みに包まれていた。

珈琲を飲みながらそんなことを思い返せる朝があることも、また一つの恵みなのだと思う。

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