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私の見ている世界の全てが、被写体に見える。

カメラを手にして、明らかに自分、変わったなって思います。
それは、この現実の世界を見る目が変わりました。
世界、というと広すぎますが、要するに自分が見ている世界の中での話です。
つまり私の場合であれば、住んでるのは大分市なので、大分市の街の中の、私の日々の生活範囲内の世界のことです。

建物はもちろん、街ゆく人や道路を走る車、信号機、横断歩道、歩道橋、坂道、道路、空、空気、風、光、そして影。
私のこの目で見ている世界の様々な要素が、全て被写体に見えるのです。

いい感じに照らされた横断歩道

見る目が、変わりました。
たとえカメラを持ってないときでも、「あ、今のこの雰囲気、いいな」とか思います。
ここを切り取ったらきっとこういう写真になるなあ、とか考えちゃいます

光と影もそう。
自分の影なんかしょっちゅう撮りたくなります。
自分自身をそのまま撮るのは抵抗があるのですが、自分の影が地面にあって良い感じだと、とりあえずシャッター切ります。
何故なのでしょうね…
今、この世界に生きているという、存在を確かめたいのでしょうか、私は。

いい感じだったので撮っちゃう

「私は今、2026年のこの世界線上に本当に生きているのだろうか?」
というあり得ない考えをしてしまって、生きている実感が湧かないときが、今でもあります。
現実からの乖離症状、みたいなものです。

「自分を痛めつければ生きている実感が湧くのか?苦しめば生きている実感が湧くのか?」
なんて阿呆なことを考えたこともあります。
でも自分を痛めつけることは私は絶対にしません。

そのかわり、今生きている実感を感じるために、一番いい方法だと思うのが、カメラを使って写真を撮ることです。

現実のあらゆる要素にカメラを向けて、シャッターを切る。そしてその写真を見て、「ああ、自分、この世界に今、この瞬間も、生きてるんだな」って実感を得られる。

建物、街ゆく人、道路を走る車、信号機、横断歩道、歩道橋、坂道、道路、空、空気、風、光、影。
これ以外にもたくさんの世界の要素を、自分自身がカメラのシャッターを切って、写真に写す。
そうして、今この瞬間を生きてる実感が湧くようになってから、私の、"世界を見る目" が変わりました。

当たり前のような日常、そして代わり映えのしない世界の要素が、被写体に見えるようになりました。

かわいいネコちゃんを撮ってると、この世界に生きてるって実感を強く得られます(笑)

カメラは、自分をこの世界に繫ぎ留めてくれた素晴らしい道具です。
カメラは写真を撮る道具、そして、この世界での自分自身の存在実感を得られる道具、だと思っています。
自分を写した写真は、後に存在証明になりますね。 一石二鳥かもしれません(笑)

というわけで、これからもこの世界に今生きているという実感を得ながら、自分が見ている世界を写し撮っていけたらと思います。
それでは。

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