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厚顔無恥な人に出会ったら。



他人の厚顔無恥に腹の立つとき、ただちに自らに問うて見よ、「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありうるだろうか」と。

ありえない。それならばありえぬことを求めるな。その人間は世の中に存在せざるをえない無恥な人びとの一人なのだ。

悪漢やペテン師やその他あらゆる悪者についても同様な考えをすぐ思い浮かべるがよい。かかるたぐいの人間が存在しないわけには行かないという事実をおぼえていれば、それによって君はそういう個々の人間にたいして、もっと寛大な気持をいだくようになるであろう。

また即座につぎのことを考えて見るのも役に立つ。「この悪徳にたいするうめあわせとしていかなる徳を自然は人間に与えたか。」

なぜなら自然は恩知らずの者にたいする解毒剤として、優しさを与え、他の者にたいしてはまた他の力を与えたのである。

いずれにしても、君は迷える者をさとして心得を改めさせることができる。なぜならすべてあやまちを犯す者は、その目標を逸れて迷い出た人間なのだから。

マルクス・アウレーリウス
( 神谷美恵子 [訳] )
『自省録』(第9章 42)、
岩波文庫、p159より。
⚠️引用にあたって
適宜改行した。


 どこの世界にも、厚顔無恥な人がいるのは自然なことです。学校にも、職場にも、家庭にも、SNSにも。
 そういう人に出会ったときに、「こいつさえいなければ」と思ったことはありませんか?

「なんでこんな奴がいるんだろう?」
「出来ることなら排除したい、追い出したい」

 ローマ帝国最後の五賢帝のマルクス・アウレーリウスも、そう思ったことがあるからこそ、上のような言葉を書き残したのでしょう。

 厚顔無恥な人が周囲にいないに越したことはないが、「そういうヤツがいることが自然なのだ」と知っておくことは大切でしょうね。


 よくSNSの投稿で、職場その他で「こんなヒドい人がいます!」と嘆いている人がいるが、たぶんその人は、これから先も「ヒドイ人」に会い続け、その度に「こんなヒドいがいます!」と書き続けて投稿するのでしょうね。

 まぁ、書いてもいいのだけれども、ずっと同じ人のことを書き続けてる人って、厚顔無恥な人がいない状態がノーマルだとでも思っているのでしょうか?

 当たり前のことが当たり前に起きているだけです。だから、読んでいても面白くともなんともない。たしかに対処するのに苦労する人は、どこにでもいるけれど、愚痴みたいなことを書き綴ったって、解決から遠ざかるだけなのではないでしょうか?

 厚顔無恥な人がいるのは、ごく自然なことです。あなたが厚顔無恥な人でないならば、それも自然なことなのでしょう。どちらも当たり前のことが当たり前に起こっているだけ。

 そして、なかなか折り合いをつけられないのも自然なことです。だから、そういう人を見かけても、自然の風景を眺めるようにしていればいいだけ。


 ところで、マルクス・アウレーリウスは、厚顔無恥の人を改めさせることができると、自らに言い聞かせているが、彼はきちんと折り合いをつけることはできたのでしょうか?

 「自省録」は出版されることを前提に書かれたものではありませんが、どことなくSNSっぽい感じもするんですよ。

「ストア派の偉大な皇帝!」とか、「プラトンの哲人政治を体現した人!」みたいに神格化しないで『自省録』を読むと、とても人間くさいことばかり書かれているように思います。



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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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