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振り返り | '90年代の歴史


この前、1980年代の歴史を振り返りました。今回は、1990年代の歴史を振り返ります。

ここら辺の歴史は、教科書で学んだのではなく、リアルタイムに生きていた時代なのです。だから、まったく知らないということはありません。けれども、あとになって振り返ってみると、その当時はほぼスルーしていたことでも、「これは重要な意味を持っていたんだな」と思うこともあります。

以下では、
「経済に大きな影響を与えた出来事」、「社会に大きな影響を与えた出来事」、
「それぞれの年にヒットした曲」に分けてみました。

気になる出来事や曲がありましたら、拾い読みしていただけたらな、と思います。

すべてGeminiさんによるまとめです😊。

'90年代の歴史の中では、個人的には、
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、山一證券が経営破綻の時の社長の涙…、の3つが特に印象に残っています。





(1) '90年代の経済。




1990年代の日本経済は、バブル経済の崩壊から始まり、深刻な不況や金融危機へと突き進んだ「失われた10年」の始まりの時代です。
1990年から1999年まで、各年に日本経済に大きな影響を与えた出来事を3つずつ、時系列で振り返ります。

🍁1990年(平成2年):バブルの頭打ちと引き締め

  • 大蔵省による「総量規制」の導入(3月)
    不動産融資の伸び率を総融資の伸び率以下に抑える行政指導。地価高騰を抑える目的でしたが、バブル崩壊の決定打となりました。

  • 日経平均株価の大暴落(年初〜秋)
    1989年末に史上最高値(38,915円)をつけた株価が年初から急落。10月には一時2万円を割り込み、資産デフレが始まりました。

  • 公定歩合の相次ぐ引き上げ
    日本銀行がインフレ抑制のために利上げを敢行。8月には5.5%にまで達し、市場の資金流動性が一気に収縮しました。

🍁1991年(平成3年):バブル景気の終焉

  • 公示地価の戦後初の下落へ(大都市圏)
    株価に続き、それまで「土地神話」に守られていた地価が下落に転じ、不動産バブルが名実ともに崩壊しました。

  • 「バブル景気」の公式な終焉(4月頃)
    景気のピーク(山)を迎え、ここから日本経済は長い後退局面(平成不況・複合不況)へ突入しました。

  • 証券会社の「損失補填問題」の発覚
    大手証券会社が特定の過客(大企業など)の株式損失を穴埋めしていた不正が発覚。市場への信頼が大きく揺らぎました。

🍁1992年(平成4年):不良債権問題の顕在化

  • 住専(住宅金融専門会社)の経営危機表面化
    不動産バブルの崩壊に伴い、住専各社に巨額の不良債権(回収不能な貸出金)があることが発覚し、社会問題化し始めました。

  • 日経平均株価が15,000円を割り込む(8月)
    株価の下落が止まらず、バブル期の最高値から6割以上も下落。金融機関の含み益が激減しました。

  • 政府による「総合経済対策」の決定(8月)
    景気の急速な悪化を受け、政府は当時として過去最大規模の10.7兆円に上る財政出動(公共投資など)を打ち出しました。

🍁1993年(平成5年):戦後初のマイナス成長と円高

  • 「リストラ」という言葉の定着と雇用調整の本格化
    企業業績の急速な悪化により、自動車や電機大手を中心に余剰人員の削減や一時帰休が相次ぎ、「リストラ」が流行語となりました。

  • 急激な円高の進行
    実体経済は不況にもかかわらず、貿易黒字が続いていたことなどから円買いが進み、輸出企業にダブルパンチを与えました。

  • 戦後初の「実質GDPマイナス成長」を記録
    バブル崩壊後のストック調整(設備や在庫の削減)が長引き、戦後日本経済を支えた成長神話が完全にストップしました。

🍁1994年(平成6年):デフレの足音と規制緩和

  • 米ドルの為替相場で初の1ドル=100円突破(6月)
    円高の勢いが止まらず、ニューヨーク連邦市場などで一時1ドル=99円台を記録。国内製造業の海外移転(産業の空洞化)が加速しました。

  • 「価格破壊(デフレ)」の本格化
    安価な輸入製品の流入や消費者の節約志向により、流通業界を中心に「低価格競争」が激化。デフレ経済への歩みが始まりました。

  • 東京の2つの信用組合(東京協和・安全)の経営破綻(12月)
    多額の不良債権により破綻。のちに東京都や日銀が救済枠組み(東京共同銀行)を作ることになり、金融不安の前兆となりました。

🍁1995年(平成7年):激震の年と超円高

  • 阪神・淡路大震災の発生(1月)
    関西の経済基盤が壊滅的な打撃を受け、サプライチェーンの分断や復興費用の増大など、景気回復に冷や水を浴びせました。

  • 1ドル=79円75銭の歴史的超円高(4月)
    東京外国為替市場で当時の戦後最高値を更新。輸出産業は深刻な収益悪化に陥りました。

  • 日銀による「公定歩合0.5%」への引き下げ(9月)
    超円高と震災による景気足踏みを防ぐため、日銀は金利を過去最低の0.5%まで引き下げ。本格的な「超低金利時代」へ突入しました。

🍁1996年(平成8年):住専処理と「金融ビッグバン」

  • 住専処理法案の可決(6月)
    破綻した住宅金融専門会社の処理のため、6,850億円の「税金(公的資金)」を投入することが国会で決定。国民から強い批判を浴びました。

  • 「日本版金融ビッグバン」の提唱(11月)
    橋本龍太郎内閣が「フリー・フェア・グローバル」を掲げ、為替や証券の手数料自由化など、大規模な金融制度改革を打ち出しました。

  • 完全失業率が当時過去最高の3.5%を記録(春〜夏)
    景気は一時的な持ち直しを見せたものの、企業の採用抑制(就職氷河期)が深刻化し、雇用情勢は悪化の一途をたどりました。

🍁1997年(平成9年):金融危機と増税ショック

  • 消費税率の引き上げ(3% → 5%)と特別減税の廃止(4月)
    財政再建を優先した財政緊縮策。これにより駆け込み需要の反動減と消費マインドの冷え込みが起き、景気は急速に後退しました。

  • 大手金融機関の相次ぐ破綻(11月)
    三洋証券、北海道拓殖銀行(都市銀行で初)、そして四大証券の一角だった山一證券が自主廃業を発表。日本の金融システムに対する国際的信用が失墜しました。

  • アジア通貨危機の勃発(7月〜)
    タイのバーツ暴落に端を発した通貨危機が韓国やインドネシアに波及。日本企業の現地法人や輸出にも大きな打撃となりました。

🍁1998年(平成10年):平成最悪の不況と「貸し渋り」

  • 金融再生関連法案の成立と公的資金枠の設置(10月)
    日本長期信用銀行(長銀)や日本債券信用銀行(日債銀)が相次いで破綻・国有化。金融システム崩壊を防ぐため、総額60兆円の公的資金枠が設けられました。

  • 銀行の「貸し渋り・貸し剥がし」の深刻化
    自己資本比率の維持を迫られた銀行が、中小企業への融資を極端に抑制・回収。倒産や資金繰り悪化が急増しました。

  • 自殺者が初めて年間3万人を突破
    景気の本格的な悪化と失業率の急上昇、中小企業経営者の連鎖倒産などが背景にあり、経済苦が社会に暗い影を落としました。

🍁1999年(平成11年):ゼロ金利政策とITバブルの幕開け

  • 日本銀行による「ゼロ金利政策」の導入(2月)
    デフレと金融危機を阻止するため、短期金利の指標である無担保コールレートを「実質ゼロ」に誘導する前代未聞の政策がスタートしました。

  • 大手銀行の「大合体(再編)」の発表(8月〜)
    第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が統合を発表(現・みずほフィナンシャルグループ)。これを皮切りにメガバンクへの再編劇が始まりました。

  • 「ITバブル(ネットバブル)」の到来
    アメリカのハイテク株高に連動し、通信やインターネット関連企業の株価が実体経済を無視して急騰。一時的な好況感を生み出しました(翌年崩壊)。


(2) '90年代の社会。




1990年代の日本社会は、冷戦の終結に伴う政治の激変、未曾有の大災害、社会の根幹を揺るがした凶悪事件、そしてインターネットや携帯電話の普及によるライフスタイルの変化など、激動の10年でした。
経済以外の分野(政治、社会、事件、文化など)で、日本社会に大きな影響を与えた出来事を各年3つずつ振り返ります。

🍁1990年(平成2年):新時代の幕開けと国際貢献の議論

  • 「即位の礼」および「大嘗祭」の挙行(11月)
    今上天皇(現・上皇さま)の即位に伴う一連の国事行為・皇室行事が行われ、名実ともに「平成」の新時代が本格的にスタートしました。

  • 湾岸危機(8月〜)と国際貢献を巡る議論
    イラクのクウェート侵攻を発端とする危機に対し、日本は多額の資金援助を行うも国際社会から批判され、「自衛隊の海外派遣」に関する激しい議論が巻き起こりました。

  • 「ちびまる子ちゃん」のテレビアニメ放送開始と大ブーム
    昭和40年代の日常を描いた作品が空前の視聴率を記録し、主題歌「おどるポンポコリン」もミリオンセラーを達成。平成初期の国民的ポップカルチャーとなりました。

🍁1991年(平成3年):冷戦終結の余波と自然の猛威

  • 雲仙普賢岳で大火砕流が発生(6月)
    長崎県の雲仙普賢岳で大規模な火砕流が発生し、報道関係者や火山学者、消防団員など43人が死亡・行方不明となる大惨事となりました。

  • ソ連崩壊と冷戦の完全終結(12月)
    世界の二大超大国の一角だったソビエト連邦が解体。これにより戦後の「東側・西側」という国際秩序が崩壊し、日本の外交・安全保障の前提も大きく変わりました。

  • 「東京ラブストーリー」などトレンディドラマの全盛期
    バブルの余韻を残す華やかな都会の恋愛を描いたドラマが若者の間で大ヒット。主題歌のCDが爆発的に売れ、放送日には「街からOLが消える」と言われました。

🍁1992年(平成4年):PKO派遣と環境への意識

  • PKO協力法の成立と自衛隊のカンボジア派遣(6月〜)
    激しい国会論戦を経て「国連平和維持活動(PKO)協力法」が成立。自衛隊が戦後初めて、本格的な海外派遣(カンボジア)へと向かいました。

  • 環境サミット(地球サミット)の開催(6月)
    ブラジルのリオデジャネイロで開催され、日本も「持続可能な開発」に向けて環境政策を本格化させる契機となりました。

  • 毛利衛さんがスペースシャトルで宇宙へ(9月)
    日本人宇宙飛行士として初めて米スペースシャトル「エンデバー」に搭乗し、科学実験を遂行。日本中に宇宙ブームが巻き起こりました。

🍁1993年(平成5年):55年体制の崩壊とJリーグ開幕

  • 非自民・非共産連立政権(細川護熙内閣)の誕生(8月)
    総選挙で自民党が過半数を割り込み、8政党・会派による連立政権が発足。1955年から続いていた自民党の一党優位体制(55年体制)が崩壊しました。

  • プロサッカー「Jリーグ」の開幕(5月)
    日本初のプロサッカーリーグが開幕し、一大ムーブメントに。サッカー人気の爆発とともに、地域密着型のスポーツビジネスという新たな文化が定着しました。

  • 「法隆寺」「姫路店」「屋久島」「白神山地」が日本初の世界遺産に登録(12月)
    ユネスコの世界遺産条約に日本が承認され、国内初の登録が実現。観光や文化財保護への意識が大きく高まりました。

🍁1994年(平成6年):政治の驚きとオウムの影

  • 自社さ連立政権(村山富市内閣)の発足(6月)
    長年の宿敵同士であった自民党と社会党、そして新党さきがけが手を組み、社会党委員長の村山氏が首相に就任。社会党は従来の非武装中立などの基本方針を大転換しました。

  • 松本サリン事件の発生(6月)
    長野県松本市で猛毒のサリンが撒かれ、7人(のちに8人)が死亡。当初は第一通報者が疑われるなどの冤罪寸前の報道被害も起き、翌年の大事件の前兆となりました。

  • 大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞(10月)
    川端康成氏以来、日本人としては26年ぶり2人目となるノーベル文学賞を受賞。日本の現代文学の質の高さが世界に再評価されました。

🍁1995年(平成7年):社会の価値観を揺るがした激震の年

  • 阪神・淡路大震災の発生(1月17日)
    都市部を襲った直下型地震(兵庫県南部地震)により、6,400人以上が死亡。高速道路の落下やビルの倒壊は社会に衝撃を与え、この年はボランティアの重要性が認知された「ボランティア元年」ともなりました。

  • 地下鉄サリン事件の発生(3月20日)
    オウム真理教が都内の地下鉄車内でサリンを散布し、10数人が死亡、数千人が負傷。世界を震撼させた無差別テロ事件であり、教祖・麻原彰晃らの逮捕へと動きました。

  • Windows 95の発売(11月)
    日本語版が発売され、深夜の秋葉原に行列ができるほどの大ブームに。これが一般家庭へのパソコンの普及と、インターネット社会の幕開けとなりました。

🍁1996年(平成8年):ネットの普及と健康被害

  • 「Yahoo! JAPAN」がサービス開始(4月)
    国内初の本格的なポータルサイトが誕生し、一般の人がインターネットで情報を「検索」する文化が急速に広がり始めました。

  • 病原性大腸菌「O157」による集団食中毒の多発(夏)
    大阪府堺市をはじめ全国の学校給食などで食中毒が相次ぎ、死者も発生。衛生管理や学校給食のあり方が厳しく問われました。

  • 「ルーズソックス」「アムラー」などギャル文化の全盛
    女子高生を中心としたストリートカルチャーが流行の発信源となり、安室奈美恵さんのファッションを模倣する若者が街に溢れました。

🍁1997年(平成9年):少年犯罪の衝撃と環境議定書

  • 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)の衝撃(5月〜)
    小学生が惨殺された事件で、逮捕されたのが14歳の「少年」だったことが判明。凄惨な犯行内容と少年の心理、少年法の是非について社会全体で激しい議論が起きました。

  • 京都議定書(COP3)の採択(12月)
    地球温暖化防止京都会議が開催され、先進国の温室効果ガス排出削減目標を定めた歴史的な議定書が採択。環境問題が国際的な義務となりました。

  • 「もののけ姫」の記録的大ヒット(7月〜)
    スタジオジブリの宮崎駿監督作品が公開され、当時の日本映画の興行収入記録を大きく塗り替える大ヒットを記録。アニメーションの社会的地位をさらに高めました。

🍁1998年(平成10年):スポーツの歓喜と新たなライフスタイル

  • 長野冬季オリンピックの開催(2月)
    日本で2度目の冬季五輪が開催され、スキージャンプ団体の金メダルなど、日本勢の活躍に日本中が沸きました。

  • 和歌山毒物カレー事件の発生(7月)
    地域の夏祭りで出されたカレーにヒ素が混入され、4人が死亡。その後、模倣犯による毒物混入事件が全国で相次ぎ、社会的なパニックとなりました。

  • 「携帯電話」契約数が固定電話を上回る勢いへ(PHS含む)
    通話だけでなく、女子高生の間で「ポケベル」から携帯電話・PHSへの移行が進み、いつでもどこでも個人の間で連絡が取れる社会へ変貌していきました。

🍁1999年(平成11年):世紀末の不安とデジタル文化

  • iモードのサービス開始(2月)
    NTTドコモが携帯電話でインターネットやメールができる「iモード」を開始。世界に先駆けたモバイルネット文化がここから爆発的に普及しました。

  • 国旗・国歌法の成立(8月)
    「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と正式に定める法律が成立。学校現場などでの掲揚・斉唱を巡る議論が再燃しました。

  • 「ノストラダムスの大予言」と「2000年問題(Y2K)」への不安
    「1999年7月に人類が滅亡する」という予言がオカルト的な話題を集める一方、西暦2000年になる瞬間にコンピュータが誤作動するのではないかという「2000年問題」に対して、行政や企業が厳戒態勢で年末を迎えました。


(3) '90年代の音楽。



1990年代の日本の音楽シーンは、CDの売り上げが史上最高を記録した「CDバブル」の時代でした。ミリオンセラーが連発し、トレンディドラマのタイアップ曲や、ビーイング系、小室ファミリー、そしてヴィジュアル系やR&Bの台頭など、毎年ジャンル豊かな名曲が社会現象を巻き起こしました。
1990年から1999年まで、その年を象徴する流行歌を3曲ずつ挙げます。

🍁1990年(平成2年)

  • おどるポンポコリン / B.B.クイーンズ
    アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ。子供から大人まで巻き込み、この年唯一の200万枚超えを記録した国民的大ヒット曲。

  • 浪漫飛行 / 米米CLUB
    JALのCMソング。爽快なメロディが時代のエネルギッシュな空気感とマッチし、リリースから時間をかけてミリオンセラーとなりました。

  • 情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS
    ドラマ主題歌にも起用され、バンド自身初のオリコンチャート1位を獲得。ストレートな歌詞とメロディが若者の心を捉えました。

🍁1991年(平成3年)

  • ラブ・ストーリーは突然に / 小田和正
    最高視聴率32.3%を記録したフジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌。イントロのギターのカッティングと共に、当時の恋愛カルチャーを象徴する270万枚超えの大ヒット。

  • SAY YES / CHAGE&ASKA
    こちらも大ヒットドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌。オリコン13週連続1位という驚異的な記録を打ち立て、280万枚を超えました。

  • どんなときも。 / 槇原敬之
    映画主題歌やケンタッキーのCMソングに起用され、槇原敬之の名を世に知らしめたポップス史に残る応援歌。初のミリオンセラーを達成。

🍁1992年(平成4年)

  • 君がいるだけで / 米米CLUB
    ドラマ『素顔のままで』の主題歌。累計売上約289万枚を記録し、当時の歴代シングルチャート1位を塗り替えるメガヒットとなりました。

  • 涙のキッス / サザンオールスターズ
    ドラマ『ずっとあなたが好きだった』の主題歌。サザンにとってデビュー14年目にして初のシングルミリオンセラーを達成した名バラード。

  • 世界中の誰よりきっと / 中山美穂 & WANDS
    中山美穂と、当時勢いのあったロックバンドWANDSのコラボレーション。前向きなメロディでカラオケの定番曲として長く愛される大ヒットに。

🍁1993年(平成5年)

  • YAH YAH YAH / CHAGE&ASKA
    ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌。拳を突き上げて歌うパワフルなサビが社会現象となり、240万枚以上を売り上げました。

  • 負けないで / ZARD
    24時間テレビの応援ソングとしても定着しているZARDの代表曲。ビーイング系アーティストの全盛期を象徴する、時代を超えたポップス。

  • 真夏の夜の夢 / 松任谷由実
    ドラマ『誰にも言えない』の主題歌。ユーミンにとってシングル初のミリオンセラーとなり、大人の妖艶な恋愛を描いた世界観が話題を呼びました。

🍁1994年(平成6年)

  • Innocent World / Mr.Children
    コカ・コーラのCMソング。ミスチルをスターダムに押し上げた楽曲であり、この年の日本レコード大賞を受賞。同年に「Tomorrow never knows」も発表されミリオンを連発。

  • 恋しさと せつなさと 心強さと / 篠原涼子 with t.komuro
    アニメ映画『ストリートファイターII』の主題歌。プロデューサー・小室哲哉(小室ファミリー)の快進撃が本格化し、女性ソロ歌手として初の200万枚を突破。

  • ロビンソン / スピッツ
    独特の透明感あるアルペジオと伸びやかなボーカルが印象的な名曲。じわじわとチャートを上昇し、スピッツ初のミリオンセラーを記録。

🍁1995年(平成7年)

  • WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント / H Jungle with t
    小室哲哉と、ダウンタウンの浜田雅功によるユニット。阪神・淡路大震災やオウム事件など、激動の年を生きるサラリーマンや若者への応援歌として200万枚超えの特大ヒット。

  • LOVE LOVE LOVE / DREAMS COME TRUE
    ドラマ『愛していると言ってくれ』の主題歌。ドリカムの最大のヒットシングルとなり、切ない恋心を歌った歌詞が多くの共感を呼びました。

  • ズルい女 / シャ乱Q
    つんく♂率いるシャ乱Qのブレイクを決定づけた、キャッチーな歌謡ロック。カラオケブームの全盛期とも重なり、日本中で歌われました。

🍁1996年(平成8年)

  • 名もなき詩 / Mr.Children
    ドラマ『ピュア』の主題歌。発売初週だけで120万枚を売り上げるという、当時のオリコン歴代最高初動記録を樹立したミスチルの代表曲。

  • DEPARTURES / globe
    小室哲哉自身もメンバーであるglobeの4枚目のシングル。JR東日本のCM「JR SKISKI」のタイアップとともに冬の定番曲となり、220万枚超を記録。

  • LA・LA・LA LOVE SONG / 久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
    木村拓哉主演のメガヒットドラマ『ロングバケーション』の主題歌。日本の音楽シーンに本格的なR&B/ソウルのグルーヴを定着させた名曲。

🍁1997年(平成9年)

  • CAN YOU CELEBRATE? / 安室奈美恵
    ドラマ『バージンロード』の主題歌。アムラーブームの頂点にいた安室奈美恵の最大のヒット曲(約230万枚)であり、平成を代表するウェディングソングとなりました。

  • 硝子の少年 / KinKi Kids
    山下達郎が作曲、松本隆が作詞を手がけた、デビューシングルとしては異例の哀愁漂うマイナーコードの歌謡ポップス。180万枚近くを売り上げる大ヒット。

  • However / GLAY
    ヴィジュアル系バンドの枠を超え、国民的バンドとなったGLAY初のミリオンセラーバラード。この時期、LUNA SEAやL'Arc〜en〜Cielらと共にロックバンドブームを牽引しました。

🍁1998年(平成10年)

  • 誘惑 / GLAY
    「SOUL LOVE」との2枚同時発売が大きな話題となり、激しいロックナンバーでありながら160万枚以上を売り上げた、GLAYの勢いを象徴する楽曲。

  • Automatic / 宇多田ヒカル
    当時15歳だった宇多田ヒカルのデビューシングル。圧倒的な歌唱力とR&Bのセンスが音楽業界と世間に凄まじい衝撃を与え、200万枚を超える大ヒットに。

  • Time goes by / Every Little Thing
    持田香織の切なくも力強いボーカルが胸を打つバラード。ELT初のシングルミリオンセラーを達成し、多くの女性の支持を集めました。

🍁1999年(平成11年)

  • だんご3兄弟 / 速水けんたろう、茂森あゆみ
    NHK『おかあさんといっしょ』から生まれた童謡。空前の「だんごブーム」を巻き起こし、出荷枚数は300万枚近くに達する世紀末最大の異例の大ヒットとなりました。

  • First Love / 宇多田ヒカル
    同名の大ヒットアルバム(日本国内で700万枚以上、世界で約1000万枚)からシングルカットされた珠玉のバラード。彼女の登場により、90年代末の日本のポップスシーンのトレンドが一変しました。

  • Love, Day After Tomorrow / 倉木麻衣
    16歳でデビューした倉木麻衣のファーストシングル。メディア露出が少ない中で口コミと有線から人気が爆発し、翌年にかけてミリオンセラーを達成。



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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします