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エッセイ | 言葉の本質は音にあるのか?それとも表記にあるのか?



現在、世界には何千もの言語がある。そして、今までに消えていった言語も、形を変えて現在に至るまで歴史を刻んだ言語も何千とあることだろう。

だが、どんな言語にも共通することは、必ず音があることだ。表記する文字を持たない言語はたくさんあるが、音を持たない言語は一つも存在しない。だから、言語学において、言語の本質は音、もっと言えば「音素」に宿ると考えられてきた。

しかし、表記(文字による記録)は、決して単なる「音のコピー」では終わらない。時に人を惑わし、時に誤りを正し、言語のあり方を深く形作る力を持っている。

たとえば英語の動詞 “pay” を考えてみよう。音だけを聞けば “pay – paid – paid” と規則的に聞こえる。ところが表記上は “paid” と書かれるため、「不規則動詞」の一つと分類される。音声的には規則的な変化が、文字によって「不規則」だと誤解される典型例だ。これは表記が私たちの言語認識を歪める側面を示している。

その一方で、表記は話し言葉の曖昧さや誤用を矯正する役割も果たしている。ネイティブ・スピーカーのなかには “should’ve” を “should of” と誤って理解・使用している人が少なくない。これは純粋に音だけで言語を学んだ場合に起きやすい錯誤である。標準的な表記が存在することで、正しい形態(should have)を視覚的に確認し、修正する助けとなる。

このように、表記には二つの性格が宿る。文字は音の本質を覆い隠し、時に人を惑わす道具となる。だが同時に、理解を深め、言語の秩序を保つ重要な支柱でもある。したがって、言語の本質を論じるとき、音のみに焦点を当てる従来の言語学は、確かに核心を捉えてはいるものの、表記の持つ独自の力と影響を十分に考慮していないと言えるだろう。

書き言葉には、話し言葉よりも強い保守性がある。それゆえに、英語では発音と綴りの間に大きな齟齬が生じている。英文法は屈折変化の多い言語に比べて日本人には理解しやすい。だが、その一方で綴りを覚えることは難しい。そのため、「英語を読むこと」よりも「聞く・話す」ことに特化した方が実用上優れていると考えられがちだ。

だが、本当にそうだろうか?

例えば “double”(ダブル)と “doubt”(ダウト)という単語は、音を聞いただけでは語源が同じであることに気づきにくい。しかし表記を見れば、両者に “doub-” という共通の要素があることが一目瞭然となる。音だけでは見えにくい語源やニュアンスの類似性に気づかせてくれるのも、また表記なのである。

音が言語の本質であることに疑いを挟むつもりはない。だが、表記が言語を規定し、豊かにしているという側面も、過小評価してはならない。言葉の持つ「聴覚性」と「視覚性」のバランスを考えることが、言語を深く理解し、学ぶ上での基本であると私は考える。


https://note.com/piccolotakamura/m/m8a00821145be


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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします