見出し画像

ヨナス・カウフマン とヘルムート・ドイチュによるシューマンの「詩人の恋」「ケルナー歌曲集」

今晩は、9月5日にソニー・クラシカルからリリースされた、ヨナス・カウフマン のテノール、ヘルムート・ドイチュのピアノによるロベルト・シューマンの「詩人の恋」Op. 48 、「ケルナー歌曲集」を聴きます。


ヨナス・カウフマン(Jonas Kaufmann) は1969年ドイツ・ミュンヘン生まれで現代を代表する歌手として広く知られていますね。彼の声はダーク・テノールでちょっとバリトンっぽい声。それが叙情的なリリックな歌曲からワーグナーのヘルデンテノールまで歌いこなしています。その声質だけではなく、音楽に対する知的なアプローチ、オペラでは演技量の高さにも定評があります。キャンセル魔みたいですからなかなか生で聴けない歌手かも。


ピアノのヘルムート・ドイチュは1945年ウィーン生まれ。現代を代表するリートの伴奏者ですね。今年の12月で80歳。すごいなぁ。ウィーン国立音楽大学で学び、半世紀以上にわたり第一線で活躍。フィッシャー=ディースカウやヘルマン・プライといった巨匠から、ヨナス・カウフマンら現代のスター歌手まで幅広く共演し、豊かな音楽性と詩のニュアンスを映し出す演奏で高く評価されています。


「詩人の恋」はご存知の通り、シューマンの歌曲の年、1840年に生まれました。長年交際を妨げられていたクララ・ヴィークとの結婚を実現して、爆発的に歌曲が溢れ出てた頃の作品。


私は若い頃、10代から20代の始めまで、シューマンやシューベルトのリートにすごく共感して、聴くたびに涙し、ドイツリートの専門の先生に歌を習ったりもしたことがあるのですが、あれからウン十年。すっかり初老になった今、この歌曲で歌われている青春時代の恋や希望、絶望の交錯するリートを聴くと、なんだか気恥ずかしく感じてしまいます。あまりにも若くて純真だったからこそ感動していたのでしょうが、世間の塵芥に汚れた心にはもうあまり響いてこないように感じていまして・・・。本当に詩人の恋、久しぶりにじっくり聴きます。


まずは1曲目、「美しい5月に」。この歌を聴いた瞬間、私の感覚は19歳くらいに戻っていました。あの青春時代。さらば青春。美しい5月に、私は彼女に告白した、私の憧れと渇望を。カウフマンの声は憧れとドイチュの美しい音のピアノが揺れ動く心を表します。
しかしカウフマンの声は、若々しさよりも、年輪を経た経験豊かな男性。録音のときカウフマンも実はもう51歳。青春はかなり前に過ぎ去って、この第1曲は青春そのものの歌ではなくて、はるか昔の恋を懐かしく思い出している歌。だからこそ私も過去の恥ずかしい時代を少し客観的に振り返れる。あの頃の純粋な気持ちに。


カウフマンの声の特徴の暗い声もまたその思いに寄与します。柔らかでありながら憂いを帯びている。そのために、若者が歌っているというよりは中年の歌。しかしまだ心は覚えています。あの頃のむせるような苦しい恋の思い出。
6曲目、「ラインの聖なる流れに」では、声とピアノは厳粛となり、恋する心の中にある不安感と孤独感が聞こえてきます。


7曲目、Ich grolle nicht(私は恨まない)、と何度も自分に言い聞かせながら、裏切られた恋への強い恨み。そしてカウフマンはund sah die Schlang’, die dir am Herzen frisst(そして私は見た、君の心を食らっている蛇を)、でヘルデンテノールの如き絶叫します。Herzen frisst、彼女の心の中に食らっている、この部分で感情をストレートにぶつけてきます。最高音であるにもかかわらず、声は重く激しい。カウフマンにしかできない表現です。
その後続く失恋の痛み、これをストレートに歌っていますね。あまり皮肉っぽさを感じさせません。まっすぐな感情をぶつけてくる。


第10曲、Hör’ ich das Liedchen klingen(あの小唄が響くのを聞くと)では、諦観と失われた愛への痛切な気持ち、そして自然の中への逃避が静かに歌われますが、ここでは後奏のヘルムート・ドイチュのピアノが素晴らしい。歌が終わってもその心の中の涙と痛み、そして静かな諦めを深い音色で聴かせてくれます。ドイチュはブックレットの中のインタビューで、この歌曲の後奏の重要性を語っていますね。


第12曲 Am leuchtenden Sommermorgen(輝かしい夏の朝に)。柔らかいけれど悲しげで囁くようなカウフマンの歌が、花たちの優しさと詩人の閉ざされた心を音楽化しています。ここでもドイチュの後奏が実に美しい。沈黙と慰めを音楽にしていると言えばいいでしょうか。


そしてピアノが沈黙したまま13曲目Ich hab’ im Traum geweinet(私は夢の中で泣いた)に移ります。途切れるようなピアノの中、夢の中で泣く詩人。沈黙が音楽になります。そしてströmt meine Tränenflut(私の涙はあふれ続けていた)、ここで感情の爆発的な吐露。カウフマンはこの曲の静的な歌から思い切ったフォルテで抑えきれない悲しみを表現します。


終曲、Die alten, bösen Lieder(古い、邪悪な歌)ではアイロニーを込めて巨大な、比喩的にはちょっとあり得ない大きさの棺の中に何かを入れていく様子が、少しユーモアとやけっぱちな感じで歌われるけど、最後の

Ich senkt’ auch meine Liebe
私はそこに私の愛も沈めたのだ
und meinen Schmerz hinein
そして私の苦しみも一緒に


ここで表情は一変、切ない過去を一瞬思い出したかのようにLiebeとSchmerz(苦しみ)で大きく表現します。そしてドイチュの後奏。ここは歌曲全体にとって重要。歌の中で皮肉的自嘲的な感情が一瞬過去の愛を思い出した後、詩人の感情が言葉のない静かな諦めと、澄んだ心に収斂されていく様が、ドイチュの本当に美しく、しかし年輪を感じさせる音で弾かれていきます。本当に美しい演奏です。


後半は、「ケルナー歌曲集」Op. 35。これも1840年、歌曲との年の作。この歌曲集については、私はあまり親しんでいません。詩人であり、医師であるユスティヌス・ケルナー(1786–1862)の詩による12の歌曲集。「詩人の恋」ような物語性はありませんが、多様なモチーフがモザイクのように並んでいます。


まずは嵐の夜を描いた激しい冒頭曲「Lust der Sturmnacht」に始まり、激情が予感されます。カウフマンはここでもオペラ的な演技で劇的な歌唱。しかし、Stirb, Lieb’ und Freud’!(死ね、愛と喜びよ!)では一転して教会で祈る敬虔な愛する少女が神に支えるための決断と、詩人の愛の希望が打ち砕かれる、二つの視点が穏やかに描写されます。歌曲全体として配置にも調性や曲調が考えられて置かれていますね。カウフマンはその両極端の感情を劇的に描いていきます。さすが演技派。放浪への憧れ、そして自然による癒しと孤独、永遠の友情。


第8曲、Stille Liebe(静かな愛)、ここでは愛を言葉や歌で表すことのできない神聖なものとして捉え、そして逆にそれを表現できない哀しみを穏やかに歌います。オクターブで弾かれる下降音形のピアノがその心の襞を表現しますが、素晴らしいのは、ヘルムート・ドイチュの後奏。穏やかな美しさ、余韻。どうこの心を表現して良いかわからない神聖な愛について無言で語ります。


第10曲、Stille Tränen(静かな涙)。眠りから目覚め、牧場を歩いていく。その上には不思議なほど青い空が広がっている。ゆったりした爽やかな朝の情景。音楽はハ長調から突然感動的な変イ長調に変わり、転調を繰り返して、自然が憂いもなく眠っている夜の間に、人は多くの涙を注いだのだ、そして

In stillen Nächten weinet
静かな夜に涙を流すのは
oft mancher aus dem Schmerz,
しばしば痛みに沈む人間なのだ


ここでカウフマンは、Schmerz 苦痛、苦しみの部分で、この歌曲最高音のB♭の音を悲痛に、堪えきれなくなった痛みを劇的に歌います。静かなこの曲はここで感極まり、音楽は再びハ長調に戻り、

und morgens dann ihr meinet,
そして朝には人は思う、
stets fröhlich sei sein Herz.
その心はいつも明るいのだと。


なぜでしょう。いい年して涙が止まりません・・・。


人は昼間明るく振る舞っていても、夜には泣いているのです。そして再び訪れた朝には青い空が心を明るくしてくれる。その背後には深い苦しみが隠れているのに。


第11曲、12曲はピアノはほとんど和音だけ弾かれるようになります。
第11曲、Wer machte dich so krank? 誰がそんなにお前の心を病ませたのか?それは自然ではなく人間の仕業。自然は私を癒してくれるのに、人は私を安らかにしてくれない。


そして最後の第12曲、Alte Laute、古い調べ。


Was hör ich? Alte Laute
私が聞くのは何だ?古い調べ、
wehmüt’ger Jünglingsbrust
若者の胸に宿る切ない響き、
der Zeit, als ich vertraute
あの頃の、私がまだ信じていた時代の、
der Welt und ihrer Lust.
世界とその喜びを。


Die Tage sind vergangen,
あの日々は過ぎ去り、
mich heilt kein Kraut der Flur;
野の草の薬も私を癒せない。
und aus dem Traum, dem bangen,
そしてあの夢、不安な夢から、
weckt mich ein Engel nur.
私を目覚めさせるのは天使だけだ。




これは私のことかもしれません。毎日古い調べを聞いて、若かりし頃、信じていた美の世界への憧れを感じている私。


詩人のケルナーは医者でもありました。医師として人々の苦悩に接し、彼自身も病気や孤独に悩んでいたのでしょう。そしてその苦しみに深い共感を得ていた。「夜に泣く」「夢でうなされる」「生きる喜びを見失う」などの描写は、単なる恋愛詩ではなく、人間の深い心の傷を映し出しています。


そしてシューマン自身も心の病に苦しみ、絶望や幻覚と闘いながら作曲を続けました。この二人だからこそ生まれた歌曲だと思います。


現代は多くの人が社会生活の中で疲れ果て、心が病んでいます。シューマンとケルナーの185年前の歌が、今の人の心に寄り添ってくれます。


この演奏は2020年、コロナ禍で最も制限の厳しかった頃、人々は家にこもり、移動すら禁じられた中で、ヘルムート・ドイチュの私邸で行われたとのこと。あの頃、薬も手当の方法もわからない中で多くの方が亡くなりました。その時のあの先の見えない不安感がこのアルバムの中に漂っているように感じます。


そしてヘルムート・ドイチュのピアノの音は、本当に柔らかい。古いピアノでしょう、金属的な音が全くしない、美しい音です。


この後、ボーナストラックでカウフマンが1994年、25歳のときの「詩人の恋」が7曲収められています。
全く違う声。そこには恥じらいすら感じるほど若々しく、軽い声があります。ヤン・フィリップ・シュルツェのピアノもドイチュとは全くちがう煌めきのある音。


これです、これが私の20代の頃シューマンの詩人の恋に深く共感していた頃の感覚。今思い出すと、赤面してしまうような、そして懐かしい響き。純粋で人生の苦味もまだ知らなかった頃の思い出と、この若々しい歌が重なります。


人は年を重ねるとこんなにも変化するのですね。失われた純粋さの代わりに得たものは何だったのでしょうか?


エグゼクティブ・プロデューサー
Dr. Alexander Buhr
アソシエイト・プロデューサー
Thomas Voigt
アートワーク
Katrin Bahrmann
カバーフォト
Gregor Hohenberg
録音地:Herrsching am Ammersee
録音期間:2020年4月16日〜24日
録音プロデューサー:Chris Alder & Jakob Händel
録音エンジニア:Jakob Händel
ボーナス録音
ミュンヘン、1994年3月19日

https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mfy1XDItLPDllnedxk2eDv9hO8J9OE1CA&si=G2UqCtoZwaYle4qP

過去記事は以下のブログから




いいなと思ったら応援しよう!