アルカディ・ヴォロドスが見つめるシューベルトとシューマン 沈黙と記憶の向こうにあるもの

今晩は、2026年5月1日にSony Classicalからリリースされた、アルカディ・ヴォロドスによるシューベルト《ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 D 850》とシューマン《子供の情景》を聴きます。
収録曲は以下の通り。
フランツ・シューベルト:ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 D 850
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
第2楽章 コン・モート
第3楽章 スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ ― トリオ
第4楽章 ロンド:アレグロ・モデラート
ロベルト・シューマン:子供の情景 Op.15
第1曲 見知らぬ国々と人々について
第2曲 珍しいお話
第3曲 鬼ごっこ
第4曲 おねだりする子供
第5曲 満ち足りた幸福
第6曲 大事件
第7曲 トロイメライ
第8曲 炉ばたで
第9曲 木馬の騎士
第10曲 むきになって
第11曲 こわがらせ
第12曲 眠りに入る子供
第13曲 詩人は語る
アルカディ・ヴォロドス(ピアノ)
アルカディ・ヴォロドスは1972年にサンクトペテルブルク生まれのピアニスト。最初は声楽と指揮を学び、本格的にピアノに向かったのは比較的遅い時期でしたが、その後、サンクトペテルブルク、モスクワ、パリ、マドリードで学び、1990年代後半から国際的な注目を集めます。初期には、圧倒的な技巧と華麗なトランスクリプションで知られていました。ヴォロドス編曲の「トルコ行進曲」なんか聴くととんでもない技巧の持ち主。このアレンジはその後ユジャ・ワンが取り上げてさらに有名になりましたね。そして近年は技巧的なものよりも、シューベルト、ブラームス、モンポウなど、内省的で音色の深さが問われる作品に独自の世界を築いています。演奏会や録音の数をむやみに増やさず、自分の中で語るべきものが熟した時にだけ音楽を差し出すような姿勢も、この人らしいところです。この前のアルバムが2019年ですから7年ぶりのアルバムリリースということになります。
早速聴いてみます。
まずシューベルトのピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 D 850。シューベルトのピアノ・ソナタの中でも明るく、堂々とした広がりを持つ大作です。第1楽章の冒頭から、明るく力強いリズムが印象的。そして何よりヴォロドスのピアノの響きが完璧。和音のバランスと言えばいいでしょうか、冒頭はニ長調の和音だけなのに、引き込まれますね。技巧派と言われましたが、技巧的でない作品でもピアノを完璧にコントロールしているという感じ。決してフォルテでも割れないし、ピアニッシモ美しい。ペダルのコントロールも上手いのでしょう。
そしてシューベルトの明るさは、多くの思いがけない転調によって単純な快活さとは少し違う響きがあります。ヴォロドスは、シューベルトの最大の難しさは、絶対的な透明性であって、モーツァルトの場合と同じく、最も高貴なメッセージがごく少ない音で伝えられていて、これは演奏者の側に単純さと深さが求められると語ります。この簡潔さの中では、すべてが意味を持ち、演奏者の個性や精神性が透けて見えるのは、音符と音符の間の沈黙の中で人は完全にさらけ出されると。そしてテンポは固定されたものではなく、音楽は言語であって方程式ではないと語っています。この言葉は、この楽章を聴くうえでとても示唆的です。決して恣意的なテンポの変更はないのですが、勢いよく進む音楽の中にも、フレーズごとにわずかな伸縮があり、それによってシューベルトの音楽が機械的な推進力ではなく、生きた流れとして立ち上がってきます。そして音色の変化と微妙なニュアンスを織り交ぜ、光の中に、ふと影が差すような瞬間があります。
第2楽章は、内面的な世界です。美しく長い曲ですね。そしてヴォロドスは長い時間をかけて、旋律を静かに歌わせます。ただ音を美しく鳴らすことだけではなく、さきほど書いたように音と音の間にある沈黙をどう聴かせるかを感じさせます。この楽章では、その考えがさらにそのまま響きになっているように思えます。旋律は穏やかですが、決して平板にはなりません。ダイナミックレンジは非常に広く、フォルテッシモからピアニッシモまで大きな変化の中で、さまざまな和声の変化や低音の動きに、言葉にできない感情の陰影があります。
第3楽章のスケルツォでは、再び外向的な性格が戻ってきます。リズムは明快で、音楽には躍動感があります。しかし、ここでもヴォロドスは単に快活に弾き進めるのではなく、リズムが非常に独特。楽譜のままではなく、絶妙に長さを変えてリズムを取っていますね。そして響きの重なりや音色の変化を丁寧に扱っています。トリオでは、少し視界が変わり、音楽の奥行きが広がります。
第4楽章ロンドは軽やかで親しみやすい主題を持ちながら、終楽章全体にはどこか幻想的な感触があります。インタビューでヴォロドスは、この楽章は音楽が天へ向かって上昇していくようだと語っています。たしかにこの終楽章には、単なる明るい結末ではない、どこか別世界的な感覚があります。可愛らしく始まった音楽が、いつの間にか現実から少し離れた場所へ向かって行きます。その過程を、ヴォロドスは急がず、響きの変化を大切にしながら描いているようです。最後のフレーズは実に余韻があります。
続いてシューマンの《子供の情景》。ヴォロドスはインタビューで、《子供の情景》について、年齢を重ねてはじめて、これらの作品をよりよく理解できると述べています。人は年を取るにつれて、幼年時代への郷愁をより強く抱くからだけではなく、より深く形而上的なもの、子供が感じる純粋な世界を自分の内に再発見すること。人は一生をかけて、その世界を再発見しようとすること、そう述べています。そしてこの《子供の情景》の演奏には、彼の娘さんへの愛が染み込んでいるとのこと。娘さんが生まれたことで、彼の魂に深い感情が芽生え、娘さんを見るたびに、心に輝く光が差し込むと。そこには絶対的で無条件の愛と、人生の脆さとの対照もあると。そしてそれは子供の真似をするのではなく、人生を経た者が、失われた子供の世界を見つめ直す音楽なのだと思います。
演奏にもそれが表れています。第1曲《見知らぬ国々と人々について》は、遠くの世界を夢見るような旋律が、静かに始まります。シューマンは、この最初の曲に特別な愛着を持っていたのではないかとヴォロドスは語っています。実際、この旋律の気配は、曲集全体の中に何度も影のように戻ってきます。ここでのヴォロドスの演奏は、子供の無邪気さというより、遠い記憶にそっと触れるような響き。先ほど書いたようにもう失われてしまった自分の子供時代を見つめ直すような演奏です。
第2曲《珍しいお話》、第3曲《鬼ごっこ》、第4曲《おねだりする子供》では、子供の世界の動きや表情が短い時間の中に描かれます。シューマンの音楽は、突然気分が変わり、ひとつの感情から別の感情へ飛び移ります。シューベルトが連続的な流れの中で音楽を進める作曲家だとすれば、シューマンは断片と対比の作曲家です。このアルバムで二人を並べることで、その違いがはっきりと見えてきます。
第5曲《満ち足りた幸福》は、穏やかな充足感を持つ曲です。しかし、それは単純な幸せではなく、どこか儚いものです。ヴォロドスの音は柔らかく、過剰に感傷的になることはありません。むしろ、幸せというものが一瞬の均衡の上に成り立っていることを、静かに感じさせます。
第6曲《大事件》では、子供にとっての大きな出来事が、少し誇張された身振りで描かれます。ここにはシューマンらしいユーモアがありますが、そのユーモアも決して軽く流されません。短い曲の中で、響きの重みやリズムの表情が細かく変化していきます。
第7曲《トロイメライ》は、ヴォロドスの演奏は、決して大仰な表現はしないで、ただ甘く歌うのではなく、旋律の下にある微妙な揺らぎを大切にしているように感じられます。夢を見る音楽でありながら、その夢の中には、目覚めたあとの寂しさも感じますね。最後のフェルマータとその余韻が絶品。
第8曲《炉ばたで》、第9曲《木馬の騎士》、第10曲《むきになって》、第11曲《こわがらせ》では、子供の遊びや感情の変化が、次々と現れます。ここでのシューマンは、ひとつの場面を長く描くのではなく、短い瞬間を切り取っていきます。ヴォロドスはそれぞれの曲を小さな性格的小品として際立たせながらも、全体の流れを壊しません。ひとつひとつの場面が、記憶の断片のように並んでいきます。
第12曲《眠りに入る子供》は、曲集の終わりに向かう重要な曲。音楽は静かに沈み込み、子供の世界が眠りの中へ入っていきます。ここには安らぎがありますが、同時に、何かが閉じられていく感覚もあります。ヴォロドスの演奏では、静かなテンポで後半の弱音が素晴らしい。音の消え方がとても大切にされています。音が鳴っている時間だけでなく、響きが消えたあとの余白に、音楽の意味が残ります。
最後の第13曲《詩人は語る》、ここでは子供ではなく、詩人が語ります。子供の世界を見つめていた大人のまなざしが、最後に静かに現れます。ヴォロドスは、この曲に「まるで神が子供の目を通して世界を見ているかのような」感覚と述べていて、とても印象的。そして演奏も単なる余韻ではなく、曲集全体を何か宗教的で敬虔な光で照らし直しているかのよう。テンポは遅く精神は瞑想し、休符の間に深い意味が感じられる演奏。静かな余韻がいつまでも残ります。
ヴォロドスのピアノは、かつての華麗な技巧の印象を知っていると、むしろ静かに感じられるかもしれません。しかし、ここでは音を増やすのではなく、音を減らし、その中に何が残るのかを聴かせる静けさがあります。シューベルトでは、長い時間の流れと透明な響きの中に、人生の広がりが見えてきます。シューマンでは、短い小品の中に、記憶、愛情、喪失、そして詩的なまなざしが凝縮されています。
録音は、2022年6月22日、パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンでのライヴ録音です。ブックレットのインタビューで、ヴォロドスはライヴ録音を好んでいると述べています。スタジオで完全に整えられたものよりも、演奏会場でしか生まれない真実の瞬間を大切にしているとのこと。たしかにこのアルバムでも、音の美しさだけでなく、音楽がその場で生まれている感覚が重要です。ライヴでありながら響きは非常に整っていて、弱音の細部や余韻の消え方までよく捉えられています。
このアルバムを聴いていると、ヴォロドスがもはや「何でも弾けるピアニスト」としてではなく、「何を弾くべきかを自分自身で待つピアニスト」として存在していることが分かります。無闇に録音の数を増やすことではなく、本当に語るべきものがあるときにだけ録音する。その姿勢が、音楽そのものにも表れています。
かつての超絶技巧のピアニストが、音の少なさ、沈黙、そして遠い記憶の中に自分の音楽を見出していくその変化を聴くことができる、深く静かなアルバムでありました。
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