シューマンを中心に聴くゲルナーのピアノ・リサイタル

今晩は、2026年5月1日にAlpha Classicsからリリースされた、ネルソン・ゲルナーによるピアノ・リサイタルのアルバムを聴きます。
収録曲は以下の通り。
ヘンデル:シャコンヌ ト長調 HWV435
第1変奏~第8変奏
第9変奏~第16変奏
第17変奏~第21変奏
シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6
第1曲 活発に
第2曲 内的に(親密に)
第3曲 ユーモアをもって
第4曲 せっかちに
第5曲 素朴に
第6曲 非常に速く
第7曲 速くなく
第8曲 新鮮に
第9曲 活発に
第10曲 バラード風に、非常に速く
第11曲 素朴に
第12曲 ユーモアをもって
第13曲 荒々しく、楽しく
第14曲 やさしく、歌うように
第15曲 新鮮に
第16曲 よいユーモアで
第17曲 遠くから聞こえるように
第18曲 速くなく
シュルツ=エヴラー:ヨハン・シュトラウス《美しく青きドナウ》によるアラベスク
ネルソン・ゲルナー(ピアノ)
ネルソン・ゲルナーは1969年アルゼンチン生まれのピアニストで、若くしてリスト国際コンクールに優勝し、その後ジュネーヴ音楽院でマリア・ティーポに師事しています。ジュネーヴ国際コンクール優勝を経て国際的に活動を広げ、詩情と構築性を兼ね備えた演奏で高く評価されています。Alpha Classicsを中心に多くの録音を残し、幅広いレパートリーを取り上げています。主要オーケストラや著名指揮者との共演も多く、リサイタル活動でも各地の主要ホールに登場しています。NHK交響楽団とも共演していますからご存知の方も多いでしょう。
早速聴いてみます。
まずは一聴して録音が飛び抜けていい。アルファ・レーベルは本当に良い音が多いですが、このピアノの録音はレベルが高いですね。ライヴでありながら細部まで明瞭で、音の粒立ちと空間の広がりのバランスが良好です。モヤっとしたところのないクリアな音です。弱音のニュアンスもよく捉えられている一方、大きなダイナミクスでも音が濁りません。192k/24の最高音質での配信。
ヘンデルのシャコンヌはチェンバロ曲ですが、クリアなピアノで明快に弾かれます。簡潔な主題に基づく変奏が次第に広がっていく構成で、大きく3つの部分に分かれていますね。前半は装飾的で軽やかな展開、中間部では短調に転じて対位法的で内省的な性格が現れます。後半では再び明るさと運動性が戻り、全体として均整の取れた流れが保たれています。ゲルナーはチェンバロを意識しているというよりは、現代のピアノでいかにこの作品を聴かせるかに重心を置いていますね。中間部の短調部分を陰影と柔らかな音色で聴かせ、3部には軽やかな音で明るい長調ほ響き。そしてペダルを使い分けて各変奏をしっかり色分けて弾いています。とても軽やかでありながら微妙な変化が楽しめる入りです。
このアルバムの中心となるのはシューマンの《ダヴィッド同盟舞曲集》Op.6です。シューマンが1837年、クララ・ヴィークとの婚約直後に作曲を開始した作品。ピアノが好きな方はよくご存知の曲ですね。この時期は、クララの父フリードリヒ・ヴィークとの対立が激化していた時期でもあり、私的にも精神的にも非常に緊張の高い状況にありました。
そしてこの作品の背景には、シューマンが創造した架空の芸術家集団「ダヴィッド同盟」の存在があります。これは、当時流行していた表面的で技巧偏重と彼が感じていた音楽(ロッシーニやタールベルクなど)に対抗するための、理想的な芸術家像を象徴するもの。発想の源には、E.T.A.ホフマンの文学作品に登場する架空の芸術家サークルや、ジャン・パウルの小説に見られる分身的な人物設定があり、現実と空想が交錯するロマン主義的世界観が色濃く反映されています。
シューマンはこの作品の中で、自身の内面を二つの人格に分けて表現しました。それが有名な2つのキャラクター、情熱的で衝動的な「フロレスタン」と内省的で夢想的な「オイゼビウス」です。これらは単なるキャラクターではなく、彼自身の精神の両極を象徴する存在であり、それぞれの舞曲において性格が異なる形で現れます。初版では各曲に「F」や「E」の記号が付されており、どちらの性格が前面に出ているかが示されていました(後に削除されたとのこと)。
また、クララ・ヴィークの存在もこの作品の重要な要素です。彼女のイニシャルや作品の引用が音楽の中に織り込まれており、単なる舞曲集ではなく、彼女への思いを内包した私的な作品としての側面を持っています。シューマン自身もこの作品について「仮面を外し、人物の本当の姿を示した」と語っていて、前年の《謝肉祭》よりもさらに直接的な自己表現へと踏み込んでいます。
形式としては18曲からなる小品集で、9曲ずつの二部構成をとっています。個々の曲は短い舞曲の形をとりながらも、全体としては一つの心理的な流れを形成していますね。対立する性格や感情が交錯しながら次第に統合へと向かっていきます。特に後半では、前半に現れた素材や性格が回想的に再現され、作品全体に統一感を与えています。
このように《ダヴィッド同盟舞曲集》は、同時代の音楽批評的な立場、文学的影響、そして個人的な感情が複雑に絡み合って生まれた作品で、シューマンの初期ピアノ作品の中でも特に内面的で象徴的な位置を占めています。短い舞曲が連なる形式でありながら、フロレスタンとオイゼビウスという二つの性格が全体を貫いています。それは単純に2つに分けられるのでもなく、複雑に一つの曲の中で現れたり消えたりするのがシューマンらしいところ。第1曲は揺れるアルペッジョを伴うワルツ風で、すでに二つの性格が併記される出発点となります。第2曲では内面的で静かな語りが現れ、この性格は後の第17曲で回想のように再び姿を見せます。第3曲、第4曲、第6曲などでは外向的で衝動的なフロレスタンの性格が強く表れ、リズムの推進力や急激なダイナミクスの変化が印象的です。
一方で第5曲、第7曲、第11曲、第14曲ではオイゼビウス的な内省が中心となり、和声の揺らぎや終止の曖昧さによって時間が引き延ばされたような感覚が生まれます。第13曲や第16曲では両者の性格が交錯し、ひとつの流れの中で性格が入れ替わるような構造になっています。後半に進むにつれてこの境界はさらに曖昧になり、第17曲では調性自体が溶け合うような回想的な音楽となり、第2曲との対応関係が明確に感じられます。そして第18曲ではそれまでの揺れが静かに収束し、穏やかな長調の響きの中で全体が受け止められるように終わります。
また、この作品にはクララ・ヴィークへの想いが随所に織り込まれており、冒頭のモティーフや調性の選択、そして終曲の静かな結びに至るまで、個人的な感情が音楽の構造と密接に結びついています。舞曲という外形を持ちながら、実際には内面の対話や記憶の層が重なり合うような作品になっていて、当時のシューマンが結婚前の不安定な心理状態が聴こえてきます。
ゲルナーのピアノは本当に素晴らしい。今までの名盤はどこか翳りのある音と録音で内省的な雰囲気を出していましたが、ここではこれまでの録音では聴けなかったどこまでもクリアな音でこの曲の姿を見事に描きます。フロレスタン系の曲では強靭で明快なタッチでその強い感情の昂りが露わになり、オイゼビウス系の内面的な曲は、その内省を表現するだけでなく、どこまでも澄んだ音色でくすみがちな内声を明確にして、同時に美しい高音によって性格的なものだけではなく、この曲の持つピアノ曲としての美しさに気がつかせてくれます。
コルトーの録音(意外と美しい録音)から色々聴き比べてみたのですが、多分私が聴いた限りではここまで優れた録音で全てを解き明かすようなこの曲集のアルバムは無いと思います。
そしてやはり最後の2曲が美しいですね。激しい精神の昂りとそれに対する反省のような鎮まりが、やがて第2曲に出てきたテーマが回想され、そして精神は静かな幸福へと向かいますが、その終結はどんどん低音へと沈んでいき、ハ長調でありながらもどこか異様な、深いところへ引き込まれるような響きになっています。名演だと思います。
シュルツ=エヴラーの《アラベスク》は、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」を素材とした華麗なパラフレーズで、冒頭から細かな装飾音が連なり、ピアノの響きを大きく拡張します。主題は次第に装飾を増しながら展開され、クレッシェンドや加速によって高揚感が高められます。終盤に向かって技巧的な要素がさらに強まり、華やかなクライマックスへと至ります。
演奏はとんでもなく上手い。メチャクチャなテクニックです。ただ指が動くというのではなくて、そこにはウィーンのあの音楽があります。この曲を表面的に見るならば、シューマンが否定したただ技巧的な曲のようにも聴こえますが、ゲルナーはただの軽薄な技巧だけの音楽にしないで、音楽と技巧を完璧にマッチさせていますね。これにはシューマンも脱帽なんじゃないかしら。最後に会場の拍手喝采、私も思わず部屋で拍手してしまいました。
バロックでありながら一つ一つに違う世界のある変奏曲、そしてシューマンの性格の対比、内面の物語がそれぞれ異なる形で提示し、最後に音楽のあり方として技巧と音楽に統合されていく一つの流れとして聴くことができる構成で、シューマンの世界を中心に据えながら多様な音楽の在り方を味わうことができるアルバムでありました。
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