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サヴァールが描くシューマン《楽園とペリ》 天国の門を開いた一滴の涙



今晩は、2026年8月7日にAlia Voxからリリースされた、ジョルディ・サヴァール指揮、ラ・カペラ・ナシオナル・デ・カタルーニャ、ル・コンセール・デ・ナシオンによる、ロベルト・シューマンの《楽園とペリ》を聴きます。

収録作品は以下の通り。

ロベルト・シューマン(1810–1856)

《楽園とペリ》作品50 全3部の独唱、合唱と管弦楽のための世俗的オラトリオ

リーナ・ヨンソン(ソプラノ)

ヨハンナ・ローザ・ファルキンガー(ソプラノ)

マリアンネ・ベアーテ・キーラント(メゾソプラノ)

キーラン・カレル(テノール)

フェラン・ミジャンス(テノール)

マヌエル・ヴァルザー(バリトン)

ニコラ・ブロイマンス(バス)

ラ・カペラ・ナシオナル・デ・カタルーニャ

ル・コンセール・デ・ナシオン

ジョルディ・サヴァール(指揮)

つい先日《ヨハネ受難曲》を聴いたばかりのサヴァールですが、また素晴らしいアルバムがリリースされました。シューマンの《楽園とペリ》。

海外では時々演奏されていますが、日本ではほとんど上演されることがなく、馴染みのない作品です。私もほとんど聴いたことがありませんでした。

《楽園とペリ》は1843年に作曲された大作で、同年12月にライプツィヒで初演されています。シューマン自身、この作品をオペラでも宗教的なオラトリオでもなく、演奏会のための新しいジャンル、いわば「世俗的オラトリオ」と考えていました。

原作はアイルランドの詩人トマス・ムーアの《ララ・ルーク》に収められた物語詩《楽園とペリ》。

「ペリ」とはペルシャの伝承に登場する精霊のような存在です。この物語では、罪ある種族の出であるため楽園から締め出されており、再び楽園へ入るためには「天が最も愛する贈り物」を持ってこなければならないと告げられます。

そこでペリは、その贈り物を求めて世界を旅します。

第1部の舞台はインド。

侵略者との戦いの中、祖国と自由のために最後まで戦い、命を落とした若者がいました。ペリはその英雄の心臓から流れた最後の一滴の血を受け取ります。

自由のために流された英雄の血。これほど尊いものなら、きっと楽園の門は開くだろう。

ところが天国への門は開きません。「さらに神聖な贈り物でなければならない」と天使は告げます。

第2部でペリはエジプトへ向かいます。

そこでは疫病が猛威を振るっていました。疫病に冒され、誰にも看取られず死を待つ若者。そのもとへ、彼が長年愛してきた乙女がやってきます。

若者は「逃げてくれ。私の息ひとつで君まで死んでしまう」と告げますが、乙女は去ろうとしません。

「死であろうと生であろうと、あなたから来るものなら私には甘美なもの」

そう言って恋人を抱き、最後の口づけを与え、自らも死んでゆきます。

ペリは、これほど純粋で自己犠牲的な愛こそ、天が求めているものに違いないと考えます。

しかし、それでも楽園の門は開きません。

そして第3部。ペリはシリアへ向かいます。

そこで目にしたのは、花の中で遊ぶ無垢な少年と、罪にまみれた人生を送ってきた一人の男でした。

夕暮れとなり、シリアのモスクの塔々から祈りを告げる声が響くと、少年は花の上にひざまずき、神の名を唱えます。

それを見た男は、自分にもかつて、この少年のように若く清らかで、純粋に祈っていた時代があったことを思い出します。

そして自分が歩んできた罪と血に満ちた人生を悔い、涙を流します。

その一滴の涙を見て、ペリはついに悟ります。

これこそが「天が最も尊ぶ贈り物」だった・・・。

祖国と自由のために命を捧げた英雄の血でもなく、愛する者のために自らの命まで差し出した純粋な愛でもない。最後に楽園の門を開くのは、罪にまみれて生きてきた人間が自らの罪に気づき、心の底から悔いたときに流した、ほんの一滴の涙でした。

これはかなりキリスト教的な救済の思想にも通じるものを感じます。

偉大な行為を成し遂げた英雄だけが救われるのではない。最初から清らかな人間だけが救われるのでもない。どれほど罪深い人生を歩んできた人間であっても、自らの罪に気づき、本当に悔いることによって救済への道が開かれる。キリスト教の大きな主題の一つ、許し、がここにあります。

シューマンは、それを壮大な奇跡としてではなく「一滴の涙」として描いています。初めて歌詞を追ってじっくりと聴きましたが、この物語にはかなり心を動かされました。

そして何より音楽が実に美しい。シューマンというと、つい先日聴いた交響曲やピアノ曲、あるいは《詩人の恋》などの歌曲を思い浮かべますが、《楽園とペリ》には、それらとはまた違ったシューマンの姿があります。

大規模な独唱、合唱、管弦楽を用い、壮大な合唱がある一方で、ふっと室内楽のような親密な世界へ入り、独唱がリートのように語り始める。自然の描写も美しく、インド、エジプト、シリアという異国的な風景が次々と現れながら、その中心には常に人間の心があります。

これはもっと聴かれていい作品ですね。初演当時は大成功を収め、シューマンの存命中には非常に高く評価された作品だったそうですが、現在では演奏される機会がずいぶん少なくなっています。独唱者を何人も必要とし、大規模な合唱と管弦楽も必要ですから、上演する側にとってなかなか大変な作品なのでしょう。

今回のサヴァールの録音は、彼が近年力を入れているYOCPA(Youth Orchestra and Choir Professional Academies)のプロジェクトから生まれたものです。《ヨハネ受難曲》も同様でしたね。2025年4月にサンタンデール、5月にバルセロナとパリで演奏され、このプロジェクトの中で録音も行われました。

サヴァールは最近、ベートーヴェンからシューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、そしてブルックナーへと、歴史的奏法による探究を19世紀の作品へ広げています。この《楽園とペリ》もその流れにある録音でしょう。

演奏はさすがに素晴らしい。

古楽器による演奏ですが、それをことさらに意識させるようなものではありません。とりわけ弦楽器が実に美しい。

ヴィブラートはかなり抑えられていますが、まったく使わないというわけではなく、時折ポルタメントも交えながら、とても自然に歌っています。歴史的奏法だからといって音を痩せさせる方向には行かず、むしろシューマンの旋律の美しさが素直に伝わってきます。

そしてソリストたちも素晴らしい。国際的に活躍するメゾソプラノのマリアンネ・ベアーテ・キーラントをはじめ、マヌエル・ヴァルザー、キーラン・カレルらが参加。テノールのフェラン・ミジャンスは、先日聴いたサヴァールの《ヨハネ受難曲》にも参加していた歌手です。

この作品はペリ一人だけを中心にしたオペラのような作りではなく、語り手や天使、若者、乙女、罪人など、さまざまな人物が現れて物語を紡いでいきます。その一人ひとりの声がとても自然で、合唱も含めて、聴いているうちに物語の中へ引き込まれていきます。

録音も素晴らしいですね。

残響をたっぷりと取り入れた音作りで、広く深い音場が広がります。

それでいてオーケストラの細部が残響の中に埋もれてしまうことはなく、とりわけ弦楽器の響きがとても美しい。声も遠くなりすぎず、独唱、合唱、オーケストラが大きな空間の中で自然に溶け合っています。

天上と地上を行き来しながら「救済」を求めるこの作品には、この豊かな残響もよく似合います。

聴き終えて、本当に心が洗われるような感動がありました。

シューマンの作品はずいぶん聴いてきたつもりですが、こんなに美しい作品があったとは。なぜ今まで聴かなかったのだろう、と思ってしまいました。そして、こんなに美しい作品が、どうして現在もっと演奏されないのでしょう。私にとってシューマンという作曲家のまた別の一面を知ることのできた素晴らしいアルバムでありました。


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