「大丈夫、なんとかなる」——不登校の子を持つ親が、自分を責めなくていい理由
①朝、起きてこない我が子を前に、あなたはひとりじゃない
朝、子どもが起きてこない。 声をかけても、布団から出てこない。 「学校、行くの?」と聞いても、返事がない。
そんな朝を、もう何度も迎えているんじゃないでしょうか。
最初のうちは、理由を探しますよね。 「学校で何かあったのかな」 「友達関係かな」 「先生と合わないのかな」 「勉強についていけてないのかな」 「単純に疲れてるだけなのかな」
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。 原因さえ分かれば、親として何かできる気がするんです。 でも、当の本人にも、うまく説明できない。
それも、無理はないんですよね。 大人だって、自分がなぜつらいのか、いつもきちんと言葉にできるわけじゃない。 まして、子どもです。 「なんとなく嫌だ」「行きたくない」という感覚を、本人がうまく言葉にできなくても、不思議ではないんです。
でも、当時の私たちには、そんなふうには思えませんでした。
分からない。だから不安になる。 不安だから、なんとか理由を見つけようとする。 それでも理由が見つからないと、もっと不安になる。 その繰り返しでした。
実は私のところは、少し複雑でした。 長男と次男、二人の息子がいるんですが、それぞれ別の中学校に通っていたのに、ほぼ同じ時期に、二人とも学校に行かなくなっていったんです。 片方が休む。すると、もう片方も休む。 まるで、不登校が感染しているみたいな状態でした。 「おいおい、どうなってるんだ」と、本気で思いました。
そして、不安になると、考えてしまうのは目の前のことだけじゃないんですよね。
「このままで、この子の将来は大丈夫なのか」 「高校はどうする」 「大学は」 「仕事は」 「ちゃんと社会に出られるのか」
気がつけば、今日、明日のことじゃなくて、10年後、20年後のことまで、勝手に想像して、勝手に不安になっている。 まだ何も起きていないのに、です。
そのうえ、「自分の育て方が悪かったのかな」「あの時、ああしてあげていれば」と、自分を責める気持ちも、ずっと消えてくれない。
その気持ち、痛いほど分かります。 私も、まったく同じでした。 何が正解かも分からないまま、ただ目の前の状況に、必死で向き合っていました。
でも、先に一つだけお伝えしておきたいことがあります。 今、あなたが感じているその「自分を責める気持ち」——実はそこにこそ、大事な落とし穴があるんです。
②自分を責めるほど、こじれていく——その本当の理由
先に言ってしまいますね。
「自分の育て方が悪かったんじゃないか」って責めてしまう、その気持ち自体が、実は問題を解決から遠ざけてしまっているんです。
「え、そんなはずない。私はちゃんと原因を考えようとしてるだけなのに」
そう思いますよね。私もそうでした。
でも、ちょっと振り返ってみてほしいんです。 「原因は何だろう」「私の何がいけなかったんだろう」って考えているとき、私たちが本当に見ているのは、目の前にいる子どもでしょうか。それとも、「ちゃんとした親でいたい自分」でしょうか。
正直に言うと、私は完全に後者でした。
当時の私は、ある日こんなことを言い出したことがあります。 「玄関以外の扉を全部外す!」
……今読み返すと、「何を考えてるんだ、俺は」って思いますよね(笑)。 でも、あのときは本気でした。 子ども部屋に閉じこもられて、扉を閉められたままになるのが、とにかく怖かったんです。だから、「それなら扉ごと取っ払ってしまえばいい」という、かなり乱暴な発想に至ってしまいました。
別に、子どもを追い詰めたかったわけじゃないんです。むしろ逆で、状況を悪化させたくなかった。 でも今なら分かります。あれは「子どものため」というより、「このままだとどうなるか分からない」という、自分自身の不安をどうにかしたくてやったことでした。
親って、子どものことを心配しているつもりで、実はかなり自分自身の不安に振り回されているんですよね。 「このままで、この子の将来は大丈夫なのか」 そう考えているようで、本当は、 「このままで、私は親として大丈夫なのか」 を心配している。
そこに、私は自分では、なかなか気づけませんでした。
気づかせてくれたのは、次男のひと言でした。
あるとき、あまり自分から話さないタイプの次男が、こう言ったんです。 「親は子どもに教育を受けさせる義務がある。でも、子どもは教育を受ける権利があるだけで、義務じゃない」
……いやいや。なんだ、その理屈は。 正直、最初に聞いたときはちょっと腹が立ちました。「こっちは心配してるのに、そういうところだけ屁理屈こねるのかよ」って(笑)。
でも、腹が立ったからこそ、その言葉がずっと頭に残ったんです。 そして少し時間が経ってから、ふと思いました。
「……待てよ。確かに、一理あるな」と。
親には、子どもに教育を受けさせる義務がある。でも、それは「子ども自身が学校に行かなければならない義務」とは違う。 つまり、義務があるのは中学生まで。それ以降は、本人の自由なんだ、と。
これは、私にとってかなり大きな発想の転換でした。 それまで私は、「高校も大学も、親がなんとかしてあげるもの」だと、どこかで思い込んでいたんです。子どもが大人になるまでの道を、親があらかじめ用意しておくのが当然だと。
でも、それって本当に「親の義務」なんでしょうか。
ここでようやく、本当の原因が見えてきます。
私たちが苦しんでいたのは、「育て方が悪かったから」ではありませんでした。 「子どもの人生」と「自分の人生」を、知らないうちに一枚の紙のように重ねてしまっていたからなんです。
子どもが学校に行かない → 私の育て方が悪い → だから私が何とかしなければ。 この一直線の思考の中に、実は「子どもは、親とは別の人間である」という視点が、すっぽり抜け落ちているんです。
自分を責めている限り、この重なりは解けません。 「私のせいだ」と思えば思うほど、「だから私が何とかしなきゃ」というプレッシャーは強くなり、そのプレッシャーは、そのまま子どもへの圧力になっていってしまう。 つまり、自分を責めることは、優しさのようでいて、実は状況をこじらせる方向に働いてしまうんです。
じゃあ、どう考えればいいのか。 次の章から、私たちが実際にたどり着いた考え方を、順番にお話ししていきますね。
③3つの視点を変えるだけで、家族の空気は変わり始めた
結論から言うと、私たちがたどり着いた考え方は、大きく3つです。
1. 子どもの人生と、親の人生を分けて考える
「親子といえど、別の人間」ということを、ちゃんと意識するようにしました。 心配することと、決めることは違います。助けることと、代わりに生きることも違います。 子どもの人生のハンドルを、親が握りっぱなしにしない。これが一つ目の柱です。
2. 大きな目標ではなく、小さな一歩を用意する
「学校に戻ってほしい」というのは、正直、かなり大きなゴールです。 いきなりそこを目指すと、親も子も苦しくなります。 そうではなく、本人が「ちょっと動いてみようかな」と思えるような、小さなきっかけを、日常の中にそっと置いておく。これが二つ目の柱です。
3. 親自身も、自分の人生を進めていい
子どもが立ち止まっているからといって、親まで立ち止まる必要はありません。 むしろ、親が元気でいること、親が自分の人生をちゃんと生きていることが、子どもにとって一番の支えになる。これが三つ目の柱です。
この3つ、正直どれも、最初から「よし、こう考えよう」と決めてできたものではありません。 子どもと向き合う毎日の中で、失敗したり、腹が立ったり、笑ってしまったりしながら、少しずつたどり着いたものです。
だからこそ、次の章では、私たちが実際に家でやったことを、順を追って具体的にお話ししたいと思います。 DVDと100円玉を使った、ちょっと変な作戦の話もあります(笑)。 「うちでも真似できそう」と思えるような、等身大の話です。
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