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教うるは学ぶの半ば

月刊致知2026年5月号の特集は、
「人を育てる」です。
巻頭言にて、

「人は育てるのか育つのか、どっちだろう」

との言葉がありました。
「両方が相まって育っていくのでは
ないか」と自ら答えつつ、
論考が進みます。

この問いを読んですぐ思い出したのは、
「教うるは学ぶの半ばなり」
という言葉でした。

『書経』に出てくるこの言葉の意味は、
「人は学ぶことで自分の知識が
足りないことを知り、
教えることで自分の理解や経験が
乏しいことを知る」

というもの。

既にこちらで4年ほど前にテーマとして
取り上げたことがありました。

人に教える経験を積むことは、
その内容を理解する上で恐らくは
最も効果的な手段だと思います。

教えようと思ったら、
どこまで自分が深く認識できて
いるかによって出来栄えが明らかに
大きく変わってくるわけですから、
自信がないとつい躊躇してしまう
という人も多いかもしれません。

とはいえ、教えることがその人を
大きく伸ばすこともまた真実だと
言えるのですから、
人に教えるチャンスが身の回りに
転がっているのなら、積極果敢に
そのチャンスを取りに行くのが
大切だろうと思う次第。

致知の巻頭言には、
5月号の記事にも出てくる
亀井史巠(ふみひろ)氏
取り上げられていました。

彼は現在85歳、元刑務官で、
第42代横浜刑務所長を務められた
方です。

過去に関わりのあった「S」氏について
語っているのですが、この記事が
涙なしには読めない内容でした。

劣悪な環境下で育った「S」は、
亀井氏の懸命なサポートによって、
みるみる変わっていったことが
うかがえます。

これまで、愛情をもって誰かに接して
もらった記憶などない「S」は、
死刑判決を受けるほどの重罪を犯し、
収監時は「生きた鬼」と亀井氏が形容
するほどに恐ろしく殺気立っていました。

それでも、死刑囚であった「S」に
対して人としての道を説き続けた
亀井氏によって、いつしか般若心経の
写経と読経を日課
とするようにまで
なったそうです。

その後死刑執行がなされるのですが、
「S」は人生を終える間際に大変に
光輝くような人生のひとときを、
亀井氏の教導によって過ごすことが
できたと言えるでしょう。

そんな素晴らしい教えを「S」に与えた
エピソードから、
誰あらぬ亀井氏本人が仕事の本質、
原点を掴んだ
ような気がしたと
言われているのを読み、
正に「教うるは学ぶの半ばなり」
だと改めて感じた次第です。

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ahiraga 己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。