「あんぱん」にみる人間教育とは
僕は今でも自分が授業をやっている夢を見ます。
僕が授業やっている頃は
「一人ひとりを生かす授業」が学校全体のテーマでした。
だから一人ひとりのカルテを取り、座席表を作り、

そこに日々の授業の現れを毎時間、毎時間記録し、その子の変化や、その子の考え方や、さらにはその子と関わる子の関わり方や、それらを考慮しながらどう話し合いを対立させ、そして求める帰着点に持っていくかどうかを構想し、
話し合いを進め、さらには結論を子供たちに委ねていく。

答えを教えるのではなく、答えを導く方法を教える。
それが僕の授業スタイルでした。
ところが今の授業はどうでしょう。
子供たちはいかにも教材をもとに自分で調べているようでいて、
パソコンで語句を検索したり、AIで考えをまとめたり、自分の考えとか人の考えとか関わり合いとかなんかどうでもよくなって、
そして「自分なりの答え」が出れば、それでオッケー。
自由進度学習とか言うそうですが、教材の上っ面をただなぞっているだけで、友達と練り合い、考えを深めていくと言う過程はありません。
「あんぱん」で芸術学校の先生が
「銀座へ行け。そして、世の中のことを知れ!話は、それからだ」
と言っていました。

素晴らしいですね。
僕の授業もまずは体験があり、その体験から気づいたことを発見し、気づいたことがみんなの英知で固まり、それを基礎化し法則としていく。
それが学問と言うものなのです。
わからなければ辞書で調べ、それが今はパソコンで調べる。それはそれでいいと思うのです。パソコンが悪いのではなく、パソコンの使い方が悪い、あくまで人間を基盤とすることです。
機械に使われているうちは、本当の人間は生きていません。
夢に出てくる授業はいつも僕の怒鳴り声で終わります。
タブレットを使っている授業です。
「こんなのは授業じゃない!」
「こんなことをやっていては、人間形成にならん!」
