強くなりたい、その思いを胸に――鹿嶌俊佑が苦悩の先に見つけた次なる一歩~長野GaRons 鹿嶌俊佑選手~
高校から始めたバレーボールだった。それでも「強くなりたい」という思いを胸に、近畿大学、そして長野GaRonsへと進んだミドルブロッカー(MB)鹿嶌俊佑。2年間で得た喜びや葛藤、苦悩すべてを糧にして、次なるステージへと歩き出す。
迷いの果てに選んだ新たな挑戦
悩み、迷い、葛藤し続けたシーズンだった。
「バレーボールはやっているけど、自分自身は何をしているんだろう」
2024年。「強くなりたい」という向上心を秘め、ミドルブロッカー(MB)鹿嶌俊佑は生まれ育った大阪を離れ、長野GaRonsへ入団した。

社会人として仕事をしながらバレーボールをするという環境は、学生時代とは違う。厳しい環境はメンタル面の強化につながり、フィジカル面ではトレーニングの強化で体重も増え体も大きくなったという自信もあった。
監督やコーチが変わった2025-26シーズンは、チームのディフェンス力が上がったことを実感していた。
「昨シーズンは拾えなかったボールが今シーズンは拾えている」
しかし「自分自身がチームに深くかかわれていない」こともまた、現実だった。
何が悪いのか。どうしたらいいのか。格上のSV.LEAGUEも観戦し、トップで活躍する選手のように1時間以上のウォーミングアップや体幹トレーニングを取り入れたりもした。「自分自身が変わらなければ」と、もがき続けた。モチベーションが上がらない自分に悩むときもあった。

それでもバレーが好き。バレーがしたい。
パンク寸前になってしまい、藁にも縋る思いで相談したのは、大学の頃の監督だったという。
「バレー選手としての寿命は決して長くない。その中で自分がどう考えて動くかが大事になる」
上を目指してプレーし続けたい。そのためには、自分自身が段階を踏んで1つずつステップアップしていきたい。
改めて考えた時、鹿嶌が選んだのは新たな環境に身を置くことだった。
限られた環境から始まったバレーボールの道

そもそも鹿嶌の「強くなりたい」と考える原点は、バレー人生のスタートとなる高校時代の環境にあった。
「従兄弟の影響で中学からバレーをやろうと思ったが、中学にバレー部がなかった」
そんな思いで念願のバレー部に入ったが、鹿嶌が進学した大阪学院高校はバレーボールの強豪校ではなかった。コーチがいるわけでもなく、体育館が使えず外で練習することも多かった。
それでもやりたかったバレー。限られた環境の中でどんな練習をしたら効果的か、強くなれるか、試行錯誤する日々。
苦戦はしたが、苦にはならなかった。鹿嶌を動かしていたのは「バレーが好き」という思いだ。
そんな中、高校3年生の時に転機が訪れる。地区選抜のメンバーに呼ばれた鹿嶌は、近畿大学の監督からも声がかかった。
近大バレー部といえば、関西大学バレーボール連盟1部に所属する男子バレーボールの強豪チームだ。何度か練習に参加する機会を受けていた。
鹿嶌は当時を振り返り「記憶が正しければ『ユニフォームが着られなくてもいいなら、うちに来ないか』と言われた気がする」という。強豪校であれば、レギュラーの座に就くことは容易ではない。それをわかったうえで、進学に迷いはなかった。根底には「バレーがしたい、強くなりたい」という揺るぎない思いがあるからだ。
入学した時期は新型コロナウイルスが蔓延する真っただ中。思うような練習はほとんどなく、やっとボールに触れた時は楽しかったと、声を弾ませる。
高校までのバレーとの違いも大きく感じた。
技術面も体力面も格段に上。頭を使ったバレー。監督やコーチが細かな指導をつける。組織的にもしっかりしていて、その中で自分がどううまくなるか、向上するためには何が必要になるか、考えることが多かった。
「高校とのギャップに苦労したが、それよりも楽しかった」
チームメイトには東京グレートベアーズ(SV.LEAGUE)で活躍するアウトサイドヒッター(OH)、後藤陸翔がいた。現在も連絡を取り合う仲間。2022年には黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会で共にメンバーに選ばれている。
厳しい練習や環境の中で、鹿嶌はユニフォームを着てコートに食らいついた。

近大での経験を経て、鹿嶌の“V.LEAGUEでプレーしたい”という思いはさらに強くなっていった。しかし、チームを探すもなかなか行き先は決まらない。そんな時、近大の先輩・今中聖也が長野GRでプレーしていることを知る。
「自分も長野GRに入りたい」
そう考えた鹿嶌は、自ら近大の監督に相談。当時長野GRを率いていた篠崎寛監督へと話がつながり、長野行きが決まった。
楽しさと苦しさを超えてたどり着いた答え

「V.LEAGUEは大会や試合も多いし、レベルの高い相手と試合ができる。これからもバレーが続けられるというほっとした気持ちがあった」
デビュー戦は2024年11月24日、アウェーで行われた東京ヴェルディとの闘いだ。2、3セットを奪われ後がなくなった4セット目、かつビハインドの状況。鹿嶌はサーブのターンでサービスエースを決めた。そして流れは長野GRへ。逆転でセットを奪い、フルセットの末勝利した。
緊張はなかったという。サービスエースでギアも上がった。記憶に残るデビュー戦になった。

しかし、V.LEAGUEの世界は甘くなかった。
長野GRのMBは人数も多く、競争率が高い。その中で残っていく厳しさがあった。
「自分がどれだけシビアにやっていけるかを考えながらやっていた。SVの選手がどんな練習をしているか、直接後藤(東京GB)に聞いたりもした」
全てを真似するわけではない。聞いたやり方を一度取り入れ、自分に合っているかどうかを考える。その繰り返しだ。
体の変化も実感していた。練習の入りもよくなり、これまで反応しづらかったところで反応できる場面も増えた。
もっと上へ――。
もがきながら伸びようとしたが、思うように結果へつながらない。
苦しみながらも前へ進もうとした先にあったのが、“退団”という決断だった。
別れに刻んだ感謝と未来への決意

それでも鹿嶌は口にする。
「ガロンズに来て、プロとしての生き方を学べた」
生活や食事の自己管理。「長野GRの選手」としてのふるまい。自分たちのバレーボールを支える人たちへの感謝。
「監督、スタッフ、チームを育ててくれるスポンサーの方々、すべての方に支えてもらったと思う。退団の件では韮崎社長(韮崎昌彦 代表取締役社長)にも話を聞いてもらい、支えになった」
「ガロンズのファンの方は、地域の小さなイベントでも結構来てくれる。大学の頃から応援してくれている方もいて、本当に感謝しかない」
辛く悩んだ時期があったことは事実だが、楽しく喜びを感じた時間があったのも確かだ。
そしてチームメイトへの思いを口にした。
「入団した時は、とんがったヤツだったと思う。自分はビッグマウスだったし。それでも仲良くやってくれて嬉しかった」
チームは離れてもバレーボールは続けていく。その決意は変わらない。鹿嶌の迷いが消えたわけではないかもしれない。それでも鹿嶌にとって「長野GRでの2年間」が大きな経験になったことも、また事実だ。
取材・記事:原田寛子
