「私なんかHSPじゃないです!本当のHSPの方に失礼です」って思っているあなたへ
「繊細すぎる人」通称HSP。生まれつき感受性が強く敏感気質をもった人たち。
そろそろHSP界隈の中にもいると思うんです。
「私なんかオタクじゃないです!知識もないし今期全然追えてない。本当のオタクの方に失礼です」
って感じの謎の謙遜をする猛者たちが。
私自身「おれHSPかも」って思ったことあります。
疲れやすいし、緊張しやすいし、人目気にしすぎるし、考えすぎるところあるし、人類全般苦手だし。
けど、noteとかXとかインスタとかスレッズとかでHSP系の投稿を見ていると自信がなくなってしまいますね。
繊細さの次元が違うんですもん。
なんていうんでしょう…HSP系の方々は高性能カメラレンズみたいな感性で世界が見えていますよね。
遠いところが見えすぎたり、見えてしまう範囲が広すぎたり、身近なものが拡大して見えすぎたり。
それでいて捉えることのできる世界がシャープだから、見え過ぎてしまう苦しみもある。
その分、捉えたものを表現する力も研ぎ澄まされている人が多い。
そんな印象があります。
なので、ハズキルーペみたいな感性の私は、「おれなんかがHSPを自認したら、本物のHSPの人に失礼だな」って思ってしまうわけです。
◼️謎の謙遜
けど、同じように感じる人多分たくさんいますよね?
「私けっこう繊細なんだけど、HSPではないかも」
とか
「おれ辛い時とかたくさんあったけど、HSPまではいかないかも」
とかって思っているそこのあなた!
素晴らしいご謙遜です。
私は前向きな人よりも後ろ向きの人の方が好きなんですが、そこに謎の謙虚さを兼ね備えている人が本当に好きです。
あなたの謙虚さを無碍にしたくないので、とりあえず我々は「HSP未満」ってことにしておきましょう。
◼️そもそもHSP
余談ですが、HSPってガチ目の心の専門家ほど敬遠する概念だったりするんですよ。
世間で言われているほど十分なエビデンスがあるわけではないので、硬派な専門家ほど、
「どこからがHSPなの?」
ってことを言ったりするんですよね。
全くもって野暮ですよね。
「HSP」が流行った背景には、多くの人の苦しさや辛さ、生きづらさを拾い上げてくれる言葉がなかったからだと思うんです。
「HSP」って言葉と出会うことによって、
「そうか、私はHSPだったんだ!」
って感じでそれまでの辛さが一つの物語として回収される救いがあるんだと思うんですね。
だから、エビデンスとかは多くの人にとって重要ではなくて、それまでの傷つきを振り返りこれからの人生をサバイブするための強力な後ろ盾となるのが「HSP」という言葉なんだろうなって思うんです。(HSPの方々、見当違いだったら誠にごめんなさい🤧)
◾️HSP未満
というわけで、HSPという言葉に支えられることによって、生きづらさが緩和される側面があると思うんですね。
「名前がある」ってそれだけでも強いので!
(MBTIもそんなところありますよね!)
にも関わらず、
「いやぁ、私はやっぱHSPじゃない気がします。辛い時あるけど、やっぱただの甘えかなって。」
とか
「うーん、敏感なところ確かにあるけど鈍感なところもあるから自分は違うような…落ち込んだ時も普通にメロンパンとか食べれるし」
とか
「人に言われたことかなり引きずるけど、エペとかFPSやってるくらいだし、私はHSPなわけないな」
とか、
私はそういうHSP未満の人達が本当に大好きです。
ふつう謙遜って、
「いやー、自分なんかまだまだ下手くそです。もっと上手い人いますし、若くして活躍してる方もいるので」
とか、そういうふうに使われることが常だと思うんですね。
なのに、HSP未満の方々の謙遜ときたら、
「いやー、自分なんかまだまだ辛くないです。もっと辛い人いますし、若くして辛い方だっていますから」
って、この謙遜。
なんて、健気なんだ!
こういう方、かなり埋もれていると思うんですよ。
そして、黙っているだけでめちゃくちゃ面白い感性を持っていると思うんですよ!
なので、この記事読んで「あ、これ私かも」って思った方、仲良くなりたいんでコメントでもDMでもご連絡ください。
HSP未満トークをやりたいです。
