ドイツ陸軍における人員補充制度~ドイツ再軍備後の一年現役制と二年現役制
ドイツ再軍備後の一年現役制と二年現役制
前稿では、再軍備以前のドイツ陸軍、すなわち `Reichsheer`(共和国陸軍)の兵員補充を扱った。そこでは、10万人という枠の中で、各部隊が長期服務に耐えられる志願者を選ぶ制度が中心だった。
今回は`Aufrüstung`(再軍備宣言)つまりドイツがヴェルサイユ条約を破棄し一般兵役義務が導入されてからの人員補充制度を当時の官報、法律、新聞記事などから見ていく。
1.10個師団から常備36個師団へ
1935年3月16日、ドイツ政府は `Gesetz für den Aufbau der Wehrmacht`
(国防軍建設法)を公布した。
同法により、ReichswehrはWehrmachtに改変され、平時定数を12個軍団司令部、36個師団と定めた。

和訳
第1条
国防軍における服務は、一般兵役義務にもとづいて行われる。
第2条
ドイツの平時陸軍は、編入された警察部隊を含め、12個軍団司令部および36個師団に編成される。
第3条
一般兵役義務の規定に関する補足法律は、国防相により、すみやかに政府へ提出されるものとする。
ベルリン、1935年3月16日
いきなり10個師団が36個師団へ増えたわけではないものの、かなり急ピッチで再軍備は実施された。
1936年9月28日付の米国大使ドッド電報は、軍事駐在官が得た公式情報として、ドイツ陸軍が1936年10月10日ごろに24個師団から36個師団へ拡張されると報告している。同電報は、ラインラント兵力が6個師団または7万人に増え、1936年11月1日時点で陸海空三軍の推定兵力が70万人、第一線航空機が1,400機になるとも書いている。
後世の研究は、この流れをいくつかの段階に分けて整理している。Deist らの再軍備研究によると1933年12月の構想では、平時30万人、21個師団、戦時63個師団が目標とされ1935年7月の計画では、1939年10月までに平時約70万人、33個歩兵師団と3個装甲師団、戦時63個師団が目標とされた。そして1936年の `Augustprogramm`(八月計画)では、平時約80万人、13個軍団、32個歩兵師団、4個自動車化歩兵師団、3個装甲師団、3個軽師団を含む構想となり、戦時陸軍は102個師団、総兵力360万人規模へ拡大する。
ただし、後世の整理だけでなく、1937年以後の実勢を示す同時代・準同時代資料もある。米陸軍戦史の整理では、1937年10月時点の現役陸軍は50万から60万人、4個上級司令部、14個軍団、39個現役師団、うち4個自動車化歩兵師団と3個装甲師団で、さらに29個予備師団が編成済みだった。1939年3月には、現役・予備を合わせて102個師団と1個現役騎兵旅団、現役約73万人、予備約110万人とされる。
ここで、徴兵制の話に戻る。1935年の一年現役制は、まず毎年の年次を軍へ入れて、36個師団体制の土台を作るための制度だった。しかし1936年以後の目標は、36個師団を並べるだけでは済まない。現役部隊を維持し、予備師団を作り、動員計画に乗せ、経済と物資も戦争に耐える状態へ持っていく必要があった。一年で兵を外へ出してしまう制度では、急拡張する部隊の中に、経験済みの兵が薄くなる。ここに、1936年の二年現役制化を見る必要がある。
2. 兵役法の枠組み、徴兵条件、志願入隊
1935年5月21日の `Wehrgesetz`(兵役法)は、この一般兵役義務を実際に動かすための枠組みを定めた。誰を兵役義務者とし、いつ現役へ入れ、志願入隊を徴兵制度の中でどう扱うのか。ここから先は、その条文を見ていく。

第1条
(1)兵役はドイツ民族に対する名誉奉仕である。
(2)すべてのドイツ男子は兵役義務を負う。
(3)戦時には、兵役義務を超えて、すべてのドイツ男子およびすべてのドイツ女子が祖国への服務を義務づけられる。
第4条 兵役義務の期間
兵役義務は、満18歳から、満45歳に達した後の3月31日まで続く。
第5条 戦時における義務
(1)すべての兵役義務者は、動員の場合、国防軍の用に供される状態に身を置かなければならない。国防相がその使用について決定する。
(2)戦時においては、国防軍の利害がすべてに優先する。
第6条 兵役義務の拡張
戦時および特別の非常事態において、国防相は、兵役義務の履行対象となるドイツ男子の範囲を拡張する権限を有する。
この部分だけでも、徴兵条件の骨格はかなりはっきりする。平時の兵役義務は「ドイツ男子」にかかり、年齢は満18歳から、満45歳に達した後の3月31日までである。ただし、兵役義務者になった者が全員すぐ兵営へ入るわけではない。兵役義務を負うことと、現役服務へ召集されることは別である。
戦時の条文はさらに広い。第1条第3項は、男子だけでなく女子にも祖国への服務義務を課す。第6条は、戦時または特別の非常事態に、兵役義務対象となる男子の範囲を国防相が広げられるとした。1935年の兵役法は、平時徴兵の手続だけでなく、戦時動員を視野に入れた法律でもあった。
つづいて、兵役の種類、現役へ入る時期、志願入隊の位置を見る。
第7条 兵役兵役義務は兵役によって履行される。兵役には以下を含む。
a) 現役兵役
現役兵役にある者は、
1.§8第1項に定める現役勤務義務を履行中の兵役義務者
2.現役将校、および§8第1項に定める期間を超えて志願により長期勤務する下士官・兵
3.第1号または第2号の勤務義務を履行した後、予備役状態へ移されることなく官吏として任用された国防軍官吏
4.予備役状態から演習その他の現役兵役のため召集された将校、下士官、兵、および第3号の国防軍官吏
b) 予備役状態における兵役
1.予備役状態にある者は、予備役(Reserve)
2.補充予備役(Ersatzreserve)
3.後備軍(Landwehr)
に属する者とする。§6に基づき召集される45歳を超える年齢層は、**国民軍(Landsturm)**を構成する。
§8 現役勤務義務兵役義務者の現役勤務義務の期間は、総統兼ドイツ国首相が定める。
兵役義務者は原則として、満20歳に達する暦年中に、現役勤務義務を履行するため召集される。国防軍への志願入隊はそれ以前でも可能である。
労働奉仕義務の履行は、現役兵役に就くための前提条件である。例外については特別規定で定める。
30日を超える自由刑を受けた場合、兵役義務者は、その期間に相当する勤務を追加で行わなければならない。ただし§23に基づき現役兵役から離脱しなければならない場合を除く。
第8条 現役服務義務
(1)総統兼首相は、兵役義務者の現役服務義務の期間を定める。
(2)兵役義務者は、原則として満20歳となる暦年に、現役服務義務の履行のため召集される。国防軍への志願入隊は、それ以前にも可能である。
(3)労働奉仕義務の履行は、現役兵役の前提条件である。例外は特別規定によって定められる。
(4)30日を超える自由刑を受けた場合、兵役義務者は、第23条により現役兵役から離脱しなければならない場合を除き、その相当期間を追加服務しなければならない。
第9条 予備役
予備役には、現役兵役から除隊された後、満35歳となる暦年の3月31日までの兵役義務者が属する。
第10条 補充予備役
補充予備役には、第8条第1項にもとづく現役服務義務の履行のために召集されない兵役義務者が、満35歳となる暦年の3月31日まで属する。
第11条 後備役
後備役には、満35歳となる暦年の4月1日から、満45歳に達した後の3月31日までの兵役義務者が属する。
第12条 補充制度
(1)兵役義務者は、国防軍の補充官署によって把握される。国防相は、内相との合意のもとで、補充官署の編成および一般・内務行政官庁との協力を定める。
(2)非武装地帯では、兵役義務者は一般・内務行政官庁によって把握される。
第13条 兵役不名誉
(1)兵役不名誉者であり、したがって兵役義務の履行から除外されるのは、次の者である。
a)重懲役に処せられた者。
b)市民的名誉権を有しない者。
c)刑法第42a条にもとづく保安および改善処分に付された者。
d)軍法会議の判決により兵役名誉を失った者。
e)国家敵対的活動により裁判で処罰された者。
(2)国防相は、第1項cおよびeについて例外を認めることができる。
(3)公職に就く能力の剥奪を宣告された兵役義務者は、その判決で定められた名誉刑の期間が経過した後でなければ召集されない。
ここで、志願入隊の位置もだいたい定まる。1935年の兵役法では志願入隊は、兵役義務制度の外にある別枠ではなく、その中に置かれていた。
兵役法上、志願には少なくとも二つの意味があった。
一つ目は、第8条第2項の「通常より早い志願入隊」である。通常の召集は満20歳となる暦年だが、それ以前に国防軍へ入る道も残された。
二つ目は、第7条第1項a第2号の「定められた現役服務期間を超えて長く服務する志願者」である。一年現役制なら一年を超えて、二年現役制なら二年を超えて、現役下士官・兵として残る者である。これは再軍備期にはかなり重要だった。急に師団数を増やす場合、単に一年ごとの新兵を入れるだけでは、上等兵や下士官の層が薄くなる。長期に残る志願下士官・兵は、徴兵軍を動かす骨格になる。
もちろん、志願すれば誰でも採られたわけではない。兵役義務者は補充官署に把握され、検査を受け、身体・精神・法的資格・政治的資格で振り分けられた。
引き続き兵役法上の兵役資格者について述べる。
第14条 兵役義務の例外
以下の者は兵役に就かせてはならない。
1.軍医または国防軍が委託した医師の鑑定により兵役不適格とされた兵役義務者
2.ローマ・カトリック信徒で、副助祭叙階を受けた兵役義務者
第15条 アーリア系出自アーリア系出自は現役兵役の前提条件である。
例外を認めることができるか、またどの範囲で認めるかは、内務大臣が国防大臣との協議の上で定める指針に従い、審査委員会が決定する。
国防軍において上官となることができるのは、アーリア系出自の者に限る。
国防軍および予備役状態にあるアーリア系出自の者が、非アーリア系出自の者と婚姻することを禁ずる。違反した場合、すべての上級軍務階級を失う。
戦時における非アーリア人の勤務については、別途規定する。
第16条 延期
兵役義務者は、平時において一定期間、現役勤務義務の履行を延期されることがある。
第17条 国外に居住する兵役義務者国外に居住する兵役義務者も、原則として兵役義務を履行しなければならない。
国外に居住する者、または長期間国外へ赴こうとする兵役義務者は、2年間、例外的には兵役義務終了時まで、兵役義務関係から休暇扱いとすることができる。ただし§5第1項の義務を免除できるのは、特別な例外の場合に限る。
第18条 ドイツ国籍本法にいう「ドイツ人」とは、外国籍を併有する場合を含め、すべてのドイツ国籍保有者をいう。
すでに他国軍で現役勤務を行ったドイツ人も、ドイツの兵役義務を免れない。ただし平時に現役兵役への受入れが認められるのは、国防大臣が決定する特別申請があった場合に限る。
兵役義務者がドイツ国籍を離脱し、これに伴って兵役義務関係から離脱するには、国防大臣またはその指定する補充機関の許可を必要とする。
ドイツ国籍を有しない者が兵役関係に入るには、総統兼ドイツ国首相の許可を必要とする。この許可権限は国防大臣に委任することができる。
第19条 兵役監督すべての兵役義務者は兵役監督下に置かれる。これは国防軍の補充機関が、一般・内務行政機関と協力して行う。
予備役状態の兵役義務者は、原則として年1回、兵役集会に召集される。参加を免除できるのは補充機関のみである。
兵役集会の期間中、補充機関との公務上の接触時、および国防軍各軍種の制服着用時には、予備役状態の兵役義務者は軍の指揮権に服する。現役兵役外において、軍紀処分権、軍刑法および軍事裁判権にどの程度服するかは、軍紀処分規則、軍刑法典および軍事裁判所規則によって定める。
第20条 演習
国防大臣は、予備役、補充予備役および国土防衛軍の兵役義務者を演習に召集し、その他の継続教育について規則を定めることができる。
兵役法第18条は、この法律でいうドイツ人を、外国籍を併有していても `Reichsangehöriger`(ライヒ国籍保有者)とした。外国軍で現役服務したドイツ人も、ドイツの兵役義務から当然には外れない。ただし平時に現役兵役へ受け入れるかどうかは、国防相が特別申請で決める。反対に、ライヒ国籍を持たない者が兵役関係に入るには、総統兼首相の許可が必要だった。
年齢は、兵役義務そのものと現役召集を分けて読まなければならない。兵役義務は満18歳から始まるが、現役召集は原則として満20歳となる暦年である。18歳になった者をそのまま一年または二年兵営へ入れる制度ではない。18歳から把握され、通常は20歳の年に現役へ送られる。
その前に置かれたのが `Arbeitsdienstpflicht`(労働奉仕義務)だった。第8条第3項は、労働奉仕義務の履行を現役兵役の前提条件にしている。再軍備後のドイツ徴兵制では、兵営へ入る前に国家労働奉仕を経由することが、制度上の通常経路になっていた。
資格の面では、兵役不名誉と不適格がある。第13条は、重懲役、市民的名誉権の喪失、保安・改善処分、軍法会議による兵役名誉喪失、国家敵対的活動による処罰を、兵役義務履行からの除外理由にした。第14条は、軍医または国防軍委託医師により兵役不適格とされた者を、兵役に引き入れてはならないとする。
さらに第15条は、現役兵役の条件として `arische Abstammung`(アーリア系血統)を掲げた。これは軍事的な能力条件ではなく、人種法的な排除条件である。1935年の兵役制度は、近代的な国民皆兵制の形式をとりながら、ナチ体制の人種政策をその中に組み込んでいた。
猶予規定もあった。平時には、兵役義務者を現役服務義務から一定期間猶予できる。在外ドイツ人も原則として兵役義務を負うが、国外在住または長期出国の場合には、二年まで、例外的には兵役義務の終了まで、兵役関係から休暇扱いにすることができた。徴兵制といっても、実際の処理は年次、居住地、身体、職業、法的資格、政治的資格で分かれる。
ここまでで制度の骨格はそろう。満18歳から45歳後の3月31日までを兵役義務に置き、通常は満20歳となる年に現役へ入れる。現役を終えた者は予備役へ、現役へ入らない者は補充予備役へ、年齢が進めば後備役へ移る。志願者もこの外には出ない。早期入隊、または定められた期間を超える長期服務として、同じ兵役制度の中に組み込まれる。
ただし、`Wehrgesetz`(兵役法)そのものは、現役服務期間を一年とも二年とも書いていない。第8条は、その期間を総統兼首相が別に定めるとした。
3.選抜条件

一般兵役義務者及び志願者の選抜基準は
H.Dv. 252
国防軍のための兵役義務者および志願者の検査要領
によって細部が規定されていた。


ここでは兵役自体の適格性をいくつかの段階により区分している。
a) 適格
Tauglich 1 第1級適格
被検者が身体的にも精神的にも完全に健康で、十分な身長を有し、かつ頑健な体格である場合は、「第1級適格」と判定する。
Tauglich 2 第2級適格
被検者に、欠陥表A欄に掲げる比較的著しい欠陥が認められる場合、または身長が160cm未満である場合には、その他の所見により別の判定を要しない限り、「第2級適格」と判定する。
召集時までに高い確率で治癒すると見込まれる一時的疾病に罹患している者についても、「第1級適格」または「第2級適格」と判定する。
片眼で完全またはほぼ完全な視力を得るために眼鏡を必要とする場合は、判定に必ず「眼鏡使用者」と付記する。
b)Bedingt tauglich 条件付適格
条件付適格は、欠陥表B欄に掲げる欠陥および障害を根拠として判定する。ここには、健康自体には影響を及ぼさないものの、重大ではないにせよ勤務能力を低下させる欠陥が掲げられている。
c) Zeitlich untauglich 一時的不適格
身体的発育が著しく遅れている兵役義務者および志願者、既往症のためまだ本来の勤務能力を完全には回復していない者、または検査時に治癒可能な疾病に罹患しているものの、召集時までの治癒を確実には見込めない者は、一時的不適格とする。
d)Beschränkt tauglich 制限付適格
重大な身体的欠陥および障害を有し、そのため勤務能力は低下しているものの、なお限定的な軍務への使用が可能な者は、制限付適格とする。判定の基準は欠陥表L欄による。
また、補助学校に在籍した者も、他の欠陥により「不適格」または「完全不適格」と判定されない限り、この区分に含める。
e) Untauglich (für Wehrdienst) 不適格(兵役)
不適格を判定するにあたり、医師は、認められた欠陥が被検者を兵役についてのみ不適格とするものかどうかを審査しなければならない。
軍医による検査結果は、労働奉仕、一般的な職業上の使用可能性など、他の目的にも利用できるものでなければならない。
その際、重大な身体的欠陥または治癒不能の疾病があり、国防軍勤務に必要な特別な要求には適合しない者であっても、民間の職業生活においてはなお十分な能力を有する労働者となり得ることを前提とする。
この判定で考慮すべき欠陥等は、欠陥表U欄に掲げられている。
f)Völlig untauglich 完全不適格
重大な精神的または身体的欠陥・障害のため、恒久的に職業能力を欠く者、または特別な条件下でのみ限定された職業活動を行うことができる者は、「完全不適格」と判定する。
判定の基準は欠陥表vU欄による。
また、各種兵科への振り分けに当たっては各兵科ごとの基準を定めた。
14. 次の兵科について適格とする者
I. 陸軍
a) 歩兵
行軍の要求に耐え得る兵役義務者および志願者。
b) 砲兵
細身であるが頑健な兵役義務者および志願者。
c) 騎兵
体重が過大でない兵役義務者および志願者。体重は可能な限り65kgを超えないことが望ましい。体重は身長と密接に関連するため、身長も可能な限り172cmを超えないことが望ましい。短い胴と長い脚は、多くの場合「細身体型」の志願者に見られる。知的能力は必要であり、敏捷性およびある程度の筆記能力が望ましい。
d) 工兵
筋力の強い兵役義務者および志願者。「筋肉質型」または「丸型」の体型。身長165cm未満の被検者は、限定的にのみ配属する。
e) 通信部隊
知的に機敏で、良好かつ速い筆記能力を有する兵役義務者および志願者。色覚異常のある者は、限定的にのみ配属する。
f) 自動車部隊
敏捷で知的に機敏であり、良好な聴力・視力を有し、鼻呼吸に障害のない兵役義務者および志願者。
色覚異常者および眼鏡使用者は、限定的にのみ配属する。
g) 衛生部隊
知的に活発で、頑健な兵役義務者および志願者。
職業上の事前教育・経歴よりも、衛生勤務への志向の方が重要である。
被検者が一般的には適格であっても、前述の特別な要求に基づき特定の兵科には不適である場合、その旨を判定に明記しなければならない。
例えば、欠陥のない被検者で、身長180cm、体重72kgの場合には、
「第1級適格(騎乗兵科には不適)」
と判定する。
また同時代の新聞が紹介した `Die amtlichen Bestimmungen über die Tauglichkeit im Heeresdienst`(陸軍服務における適格性に関する官庁規定)も参考となる。

この紹介記事から抜ける基準は、次の通りである。
基本線:強健な体格、良好な発育、健康・運動性・持久力を損なう欠陥がないこと。
精神・人物面:精神的な新鮮さ、機敏さ、同志的態度、性格の堅固さ、青年期の身体鍛錬による能力は、一定範囲で身体的欠陥を補う長所とされた。
身長:国防軍勤務の最低線は154cm。ただし、160cm未満の兵役義務者・志願者は、特別の事情がある場合にだけ採用される。
判定:身体・精神が健康で、十分な身長と力強い体格があれば `Tauglich 1`(適格1)。比較的強い欠陥がある場合、または身長160cm未満の場合は、他の所見が別判定を必要としない限り `Tauglich 2`(適格2)。
一時的な疾病:召集時までに治る可能性が高い場合は、`Tauglich 1`(適格1)または `Tauglich 2`(適格2)にできる。
眼鏡:片眼で完全またはほぼ完全な視力を得るため眼鏡が必要な場合は、`Brillenträger`(眼鏡使用者)と付記する。
条件付き適格:`bedingt tauglich`(条件付き適格)は、健康を損なわないが能力を軽く下げる欠陥・障害がある場合。
一時的不適格:`zeitlich untauglich`(一時的不適格)は、身体発育の遅れ、病後の未回復、治癒可能だが召集までに治るか確実でない疾病の場合。
制限付き適格:`beschränkt tauglich`(制限付き適格)は、大きな身体的欠陥・障害があり、能力は下がるが限定的な軍務使用は可能な場合。
軍務不適格:`untauglich für Wehrdienst`(軍務不適格)は、国防軍服務の特殊要求には耐えないが、民間職業生活では働ける場合があり得る。
完全不適格:`völlig untauglich`(完全不適格)は、重度の精神的・身体的欠陥または障害により、継続的に職業不能、または特別条件下でしか限定的な職業活動ができない場合。
この紹介記事に従えば、最低線としては154cmがあり、通常の扱いでは160cmが一つの境目になっていた。154cm以上160cm未満なら直ちに完全不適格ではない。しかし、優先的に現役へ入れる標準的な兵というより、特別事情つき、または「適格2」側に寄る扱いだったと見てよい。
3. 一年現役制
1935年5月22日、現役服務期間は一律一年と定められた。

国防軍における現役服務義務期間に関する総統兼首相令
1935年5月22日
1935年5月21日の兵役法第8条にもとづき、私は次のように命令する。
三つの国防軍構成部門における現役服務義務の期間は、一律一年と定められる。
ベルリン、1935年5月22日。
これが、よく「一年徴兵制」と呼ばれるものの実体である。正確には、一般兵役義務のもとで、三軍の現役服務義務を一律一年とする命令だった。
ただし、ここでも制度を単純化しすぎると誤る。「20歳男子が全員一年だけ兵営へ行く」という話ではない。1935年の最初の処理では、1914年生まれと1915年生まれが扱われ、東プロイセンでは1910年生まれも対象に入った。

1935年の徴兵検査および徴集決定に関する命令。1935年5月29日。
第1条 対象者
1935年の徴兵検査および徴集決定には、1914年生まれおよび1915年生まれの兵役義務者を招集する。東プロイセンでは1910年生まれも対象とする。
第2条 徴兵検査
兵役義務者は、6月15日から8月15日まで、非武装地帯では8月31日までに徴兵検査に出頭する。
第3条 徴集決定
徴集決定によって、徴兵検査で兵役能力ありと認められた1914年生まれの兵役義務者のうち、どの者を現役兵役に入れるかを決定する。
この命令に出てくる年次は、後年のように整った処理ではない。1914年生まれは現役服務へ向かい、1915年生まれはまず労働奉仕へ回される。東プロイセンには別の年次処理も入った。再軍備直後の徴兵制は、安定した平時サイクルというより、徴兵制廃止期の空白を拾いながら新制度へ移す作業だった。
では一体どれくらいの人員が招集されたのか。
1935年に検査された1914・15年生まれの世代について、戦後のドイツ連邦議会資料が当時の統計を再掲している。
Tauglich 1・2:75.9%
Bedingt tauglich:6.2%
Beschränkt tauglich:8.5%
Zeitlich untauglich:6.2%
Untauglich:2.0%
Völlig untauglich:1.2%
となっている。つまり、単純な「完全不合格」は比較的少なく、何らかの形で軍事利用可能とされた者が相当に多かった。
https://dserver.bundestag.de/btd/05/024/0502453.pdf
1935年6月17日付の駐独米国大使ドッド報告によると各徴集年次につきおよそ30万人の新兵が召集され、そのうち約8万人が必要条件を満たさず不合格となる可能性があると見積もっている。
同報告によれば、必ずしも徴兵制に関して好意的な世論ばかりだったわけではなく、少なからず不安が広がっていることも述べている。
学生や若い徒弟は、徴兵によって経歴が中断されることに不安を持っている。労働者や被用者も、職を離れること、予備役服務に必要な短期間でさえ収入を失うことを気にしている。
4. 国家労働奉仕との接続
1935年6月27日、`Reichsarbeitsdienst`(国家労働奉仕団)の服務期間と定員が定められた。

国家労働奉仕団の服務期間および兵力に関する総統兼首相令
1935年6月27日
1935年6月26日の国家労働奉仕団法第3条にもとづき、私は次のように命令する。
国家労働奉団の服務期間は、当面、半年とする。
内務相は、国防相との合意により、移行期間について、兵役義務者の特定集団を国家労働奉仕義務から全部または一部免除する権限を有する。
国家労働奉仕団の兵力は、1935年10月1日から1936年10月1日までの期間について、幹部人員を含め平均20万人と定める。
ベルリン、1935年6月27日
ここで、一年現役制の見え方は少し変わる。兵役法第8条は、労働奉仕義務の履行を現役兵役の前提条件としていた。制度全体では、半年の国家労働奉仕団勤務と一年の現役服務が続いていたのである。
米国大使ドッドの1935年6月報告も、この点を重視している。報告によれば、陸軍側は国家労働奉仕団で得られる規律や行進訓練を、陸軍での三か月分の予備教育に相当すると見ていた。一方で、保守派やシャハトは、労働奉仕半年と軍務一年を合わせると青年を通常生活から長く引き離しすぎると見ていた。最終的に国家労働奉仕団の勤務は半年とされた。
ここに、一年制の最初の問題が出る。現役服務だけを見れば一年で済む。しかし本人の側から見れば、把握、検査、労働奉仕、現役服務が続く。職業訓練や就職への影響は、「一年」という言葉ほど短くはなかった。
5. 一年現役制の問題
一年現役制の弱点は、制度を動かし始めた翌年にはもう見えていた。
1935年に36個師団が目標として掲げられ、1936年秋には24個師団から36個師団への拡張が報告されている。この時期に一年で最初の年次を除隊させると、部隊が増える時期に、ようやく兵営生活と基礎訓練に慣れた兵が抜けてしまう。
訓練の問題も残る。Douglas Porch は、Elizabeth Kier の研究を批判する論文の中で Deist の研究を引き、ドイツ将校もフランス将校と同じく、一年徴兵では戦闘可能な師団を訓練し、同時に維持するには不十分だと見ていた、と整理している。一年制の不安はフランス軍だけの問題ではない。ドイツ軍も、短期徴兵で機動戦に耐える兵を大量に作ることには不安を持っていた。
さらに、人を集めても、教える幹部と装備が足りなければ戦闘力にはならない。米陸軍戦史は、1935年に徴集兵訓練を一年に限った理由を、幹部人員不足に求めている。小さな Reichswehrを急に Wehrmachtへ広げたため、将校と下士官が足りなかったのである。同じ叙述は、15か月後には軍の拡張によって服務期間を二年へ延ばせるようになった、と続けている。
Porch も、国防軍が24個師団を超えて拡張されると、質の低下という問題をドイツ側も経験したと述べる。1938年から1939年冬には、急拡張が車両不足によって自動車化部隊の訓練を妨げたとも整理している。
ここで、Overy、Tooze、Scherner らの経済史研究が関わってくる。Overy は1930年代ドイツ経済を、ヒトラーの巨大な軍備構想と現実の経済・社会生活との緊張として扱う。Tooze はナチス・ドイツの軍事・経済動員を、平時資本主義世界で例外的な規模の資源動員として描く。Scherner は、1930年代後半の軍需投資が、単なる短期決戦用ではなく、より長い戦争準備へ向かう面を持っていたと論じる。
一年制の弱さは、兵の教育期間だけにあったのではない。兵を入れる制度、教える幹部、持たせる装備、収容する兵営、その背後の経済動員が同時に必要だった。一年制は、短期間で予備役を増やすには都合がよい。しかし、急拡張する現役師団を安定して維持するには薄かった。
6. 二年現役制への転換
1936年7月29日、1936年の現役服務徴集に関する命令が出された。
この命令は、1914年生まれでまだ現役服務を終えていない者、1915年生まれで一定時期までに国家労働奉仕を終えた者、東プロイセンの特例年次などを対象に入れている。
その約一か月後、現役服務期間は二年に延長された。

国防軍における現役服務義務期間に関する総統兼首相令
1936年8月24日
1935年5月21日の兵役法第8条にもとづき、1935年5月22日の私の命令を廃止したうえで、私は次のように命令する。
三つの国防軍構成部門における現役服務義務の期間は、一律二年と定められる。
国防相兼国防軍最高司令官は、必要な実施規定および移行規定を発する。
ベルヒテスガーデン、1936年8月24日。
総統兼首相
Adolf Hitler
国防相兼国防軍最高司令官
von Blomberg

1936年における現役兵役のための選抜に関する命令
1936年7月29日
1935年5月21日付国防法第37条第2項、1935年5月22日付国防法に基づく命令権の移譲に関する総統兼帝国宰相令、ならびに1936年3月21日付兵役検査および選抜に関する命令の§7第1項a、§§55第1項および59第1項の実施のため、以下のとおり命ずる。
I.1936年における現役兵役のための選抜は、1936年8月17日から29日までの間に実施する。
II.選抜には、兵役検査および選抜に関する命令§55第3項に基づき、以下の者を対象とする。1914年生まれの兵役義務者のうち、1935年の兵役検査で第1級適格または第2級適格と判定されながら徴集を延期された者、ならびに1936年の兵役検査で第1級適格または第2級適格と判定され、補充予備役I級へ移された者で、兵役義務そのものは履行したものの、国防軍における勤務をまだ開始していない、または完了していない者。
1915年生まれの兵役義務者のうち、1936年第1四半期の兵役検査で第1級適格または第2級適格と判定された者。
東プロイセンにおいては、1915年生まれの者のうち第1級適格または第2級適格と判定された者すべて。
ただし、1936年10月1日までに労働奉仕義務を履行済みであり、かつ選抜時点で、最後の居住地を管轄する労働管区の外にある労働奉仕隊に所属していない者に限る。
東プロイセンにおいては、さらに1911年生まれの兵役義務者のうち第1級適格または第2級適格と判定された者、ならびに1935年の兵役検査で徴集を延期された1910年生まれの兵役義務者で、1936年の兵役検査において第1級適格または第2級適格と判定され、補充予備役I級へ移された者。
ただし、1936年4月1日以前に婚姻していた兵役義務者は除外する。
ベルリン、1936年7月29日
帝国国防大臣兼国防軍最高司令官
フォン・ブロンベルク
帝国内務大臣
フリック
まず表向きの説明は、国内の訓練不足ではなく、外からの脅威だった。
1936年8月25日の `Heidelberger Neueste Nachrichten`(『ハイデルベルガー・ノイエステ・ナハリヒテン』)は、一面で `Aktive Dienstpflicht jetzt zwei Jahre!`(現役服務義務、いま二年へ)と掲げた。副題は `Wichtiger Schritt zum Schutz des Friedens und zur Sicherung der Nation`(平和の保護と国民の安全確保のための重要な一歩)である。中央に総統令を置き、その左右に説明記事を置く構成だった。

左の記事 `Des Führers Antwort`(総統の回答)は、二年制化を、ソ連の軍備、スペイン内戦、ボルシェヴィズムの活動に対する回答として読ませている。ここで重要なのは、紙面が「一年制では訓練が足りなかった」とは正面から書いていないことである。むしろ、前年に軍事的自由を回復した時点では陸軍の一年服務はおおむね足りた、しかしスペイン内戦とボルシェヴィズムの活動で事情が変わった、という筋で説明している。
右の記事 `Deutschland beugt vor!`(ドイツは予防する)は、さらに露骨である。ドイツは不意を突かれるつもりはない、周辺諸国の多くは一年を超える服務期間の軍を持っている、だからドイツも合わせるのだ、という言い方である。つまり、当時の国内向け説明では、一年制の問題は「制度設計の失敗」としてではなく、「外部環境が変わったので一年では足りない」という形に置き換えられていた。
この表向きの説明を、報道指示と重ねると、意図はもっとはっきりする。`NS-Presseanweisungen der Vorkriegszeit`(戦前期NS報道指示)の整理によれば、二年制は四カ年計画の第一課題、つまり `Die deutsche Armee muss in 4 Jahren einsatzfähig sein`(ドイツ陸軍は4年以内に作戦可能でなければならない)という目標に結びつけられていた。同時に、発表前からソ連軍備を大きく報じさせ、後の外交・軍事政策に公的理由を与える報道線も引かれていた。
実際の移行規定を見ると、二年制化が何を狙ったのかはさらに見える。

1936年8月26日の同紙は、国防相兼国防軍最高司令官の実施規定を載せている。1936年秋の一般除隊日に一年で除隊されるのは、1913年以前生まれの志願者と、東プロイセンで召集された1910年生まれの兵役義務者などに限られた。一方、1935年秋に入営した1914年以降生まれの兵役義務者・志願者は、二年目の現役服務に残る。
ここが制度の効き目だった。一年制なら、1935年秋に入った最初の大きな年次が、1936年秋に現役部隊から抜ける。二年制化は、その離脱を止めた。新しい年次を入れながら、前年次を残す。急拡張する部隊にとって必要だったのは、この「二年目の兵」だった。
この読み方は、再軍備計画とも合う。1935年3月には36個師団が目標として掲げられ、1936年秋には24個師団から36個師団への拡張が報告されている。各徴集年次は約30万人規模で処理される見込みだったが、兵営や施設の制約もあった。
一年制のままなら、新しい年次が入るたびに前年次が現役部隊から抜ける。二年制にすれば、一年目の新兵を受け入れながら、二年目の兵を部隊に残せる。急拡張する陸軍にとって、この差は大きい。
7. 二年現役制の効果と問題
二年制には明らかな効果があった。Porch は、1935年以後の徴集兵流入がドイツ軍に大きな問題を生じさせた一方で、大きな利点も与えたと説明している。1935年に召集された兵は、1937年秋まで除隊されず、翌1938年春には再び召集された。平時でありながら、ドイツ陸軍はかなり高い動員状態に近づいた。
この効果は小さくない。二年制では、部隊に新兵だけでなく二年目の兵がいる。除隊後も早い時期に再召集できる。この仕組みは、1930年代後半の急速な拡張と、機動戦訓練を支える条件になった。
ただし、二年制は別の問題を作った。
まず、予備役の蓄積は遅くなる。一年制なら、一年ごとに現役を終えた年次が予備役へ移る。二年制では現役部隊に残る兵は増えるが、その分、初期段階で予備役へ出ていく年次は遅れる。現役部隊を厚くすることと、短期間で大量の予備役を作ることは、同じ方向の政策ではない。
装備と幹部への負担も増える。二年制は、人を部隊に長く置く制度である。それは兵営、装備、教育幹部を長く拘束することでもあった。Porch が Deist を引いて述べるように、ドイツ軍将校は二年制化後も徴集兵の訓練水準に満足しておらず、戦争準備が1943年以前に十分整うとは見ていなかった。二年制は一年制の不足を補ったが、訓練問題そのものを消したわけではない。
部隊間の質の差も大きくなる。Porch は、ドイツ軍が最良の兵を戦闘の中心となる部隊に集中させ、その他の徴集兵や予備兵を第二線的な部隊へ回したと整理している。これは合理的な配分である一方、国防軍全体が同じ水準で近代戦をこなせたわけではないことも示している。
民間経済への負担も見逃せない。1937年6月10日の `Wehrsteuer`(軍役税)法案理由書は、二年現役服務に召集される者が職業訓練を中断し、すでに訓練を終えている場合には民間の職を離れなければならないと説明している。召集されない者は訓練を中断せず、早く職業生活へ入れる。その差を埋めるために軍役税を課す、という理屈だった。
Kroener の人的動員研究は、この問題を後年の戦時動員の中で扱っている。軍隊と戦時経済が、同じ男性労働力を奪い合う問題である。1935年から1936年の二年制化は、まだ全面戦争下の人員統制ではない。それでも、若年男性を二年間軍に置く制度は、軍隊と民間経済の緊張を強める方向にあった。
Overy や Tooze の経済史研究から見ても、二年制化は軍制だけの問題ではない。再軍備は、兵士だけでなく、装備、原材料、投資、労働力、輸入、外貨、工業生産の問題だった。Scherner が示すように、1930年代後半には軍需産業への投資が深まり、より長い戦争準備の性格も強まる。二年制は、その流れの中で兵を現役に長く置く制度だった。
8. 後世の研究ではどう評価されているか
後世の研究を読むと、一年制と二年制はどちらも単純には評価できない。
Deist の再軍備研究を引く Porch の整理では、一年制の弱点ははっきりしている。一年では、戦闘可能な師団を訓練し、同時に維持するには足りない。これは、個々の兵が小銃を扱えるかどうかだけの話ではない。師団として動くには、部隊内の連携、下士官の熟練、将校の指揮、砲兵・工兵・通信・輸送との協同が必要になる。一年制は、この水準を大量の新兵に与えるには短かった。
二年制の評価は、そこで終わらない。二年制は現役部隊を厚くし、ドイツ陸軍をかなり高い動員状態へ近づけた。この点では急拡張に役立った。しかし Porch が整理する同じ研究は、二年制が訓練問題を解決したとは見ていない。ドイツ軍将校はなお訓練不足を懸念し、戦争準備が1943年以前に十分整うとは考えていなかった。
また Porch は、ドイツ軍が徴集兵をフランス軍と本質的に違う使い方をしたわけではないとも指摘する。最良の兵を重要部隊に集め、その他を第二線へ回す。国防軍の制度が万能だったのではなく、限られた質の高い人員を重点的に配分していたのである。
Kier の議論をめぐる研究史も参考になる。Kier は、フランス軍が一年徴兵では機動戦を遂行できないと考え、防勢的な教義へ向かったと論じた。Porch はこの見方を批判しつつも、一年徴兵が部隊の凝集性や近代技術運用の面で問題視されていたこと自体は整理している。一年制への不安は、ドイツ固有というより、戦間期ヨーロッパ軍隊に広く見られた問題だった。
経済史研究は、別の角度を与える。Overy は、ドイツ経済がヒトラーの軍事的野心と現実の経済社会との緊張の中にあったと見る。Tooze は、ナチス・ドイツの再軍備を、平時資本主義社会として極めて大規模な資源動員として位置づける。Scherner は、1930年代後半の投資構造から、ドイツが短期決戦だけでなく、より持続的な戦争準備にも向かっていたと論じる。
この角度から見ると、一年制から二年制への移行は兵役制度だけの話ではない。軍が兵を長く保持すれば、民間経済から労働力が抜ける。軍が訓練水準を上げようとすれば、装備、車両、弾薬、燃料、教官、兵営が必要になる。二年制は現役部隊の問題を緩和したが、その負担を経済と社会へ移した。
9. まとめ
1935年の一年現役制は、再軍備後の制度再起動として大きな一歩だった。一般兵役義務を復活させ、年次を把握し、検査し、国家労働奉仕を挟み、現役服務へ入れる。再軍備以前の志願制・長期服務制とは、ここで制度の性格がはっきり変わる。
しかし、36個師団体制へ向かう急拡張の中では、一年制だけでは薄かった。現役部隊に残る訓練済み兵が少ない。幹部と装備も不足する。部隊として戦える水準へ育てるには時間が足りない。
1936年8月の二年制化は、この問題への回答だった。二年目の兵を現役部隊に残し、部隊に厚みを持たせる。1935年に召集された兵を1937年秋まで保持し、その後も再召集できるようにする。これによって、ドイツ陸軍は急拡張期にかなり高い動員状態を維持した。
ただし、二年制は解決策であると同時に、新しい問題でもあった。予備役への移行は遅れ、兵営、装備、幹部への負担は増え、本人の職業生活は長く中断される。政府自身も1937年の軍役税資料で、召集される者とされない者の不均衡を認識していた。
再軍備後の徴兵制度を見るとき、「一年か二年か」だけでは足りない。師団数、年次処理、検査基準、国家労働奉仕、兵営の容量、装備、幹部、予備役の蓄積、民間経済への負担を合わせて見なければ、制度の実態は見えない。
参考文献
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