犬にまで気を使っていた
先日、大型犬カフェに行った。
犬が好きなので、前から行ってみたかった。
でも、いざ行ってみて気づいたことがある。
どうやら私は犬にまで気を使ってしまうようだ。
寄ってきてくれる犬は撫でる。
でも、寄ってこない犬には自分から触らない。
無理に気を引くこともしない。
触れ合ってもいい場所なのに。
触れ合うことが前提の場所なのに。
「犬には自由に思うように過ごしてほしい」
「それを邪魔したくはない」
そんなことを考えていた。
もちろん犬にも気分があるだろうし、嫌がっているなら無理に触る必要はない。
でも、改めて考えた。
私は犬に気を使っていたんだろうか。
それとも、いつもの自分が出ていただけなんだろうか。
私は昔から、人に対しても遠慮が多い。
相手が嫌がる前に引く。
負担になる前に諦める。
求める前に我慢する。
でも、その結果として、自分が何を望んでいたのかすら分からなくなることがある。
大型犬カフェでの私は
「触りたい」よりも先に
「犬が嫌かもしれない」を考えていた。
最近、「私さえ我慢すれば丸く収まる」をやめたいと思っている。
だから、この出来事も少し気になった。
犬は人間ほど複雑ではないし素直だ。
嫌なら離れるし、嫌なら避ける。
それなのに私は、嫌がられる前から遠慮していた。
おそらく私は、人との関係でも同じことをしているのだろう。
相手を尊重しているつもりで、実は自分の希望を先に引っ込めている。
嫌がられる前に諦める。
断られる前に我慢する。
私は相手がどう思うかを想像することは得意だけれど、その想像だけで結論を出してしまうことがある。
本当は聞いてみればよかったのかもしれない。
本当は近づいてみてもよかったのかもしれない。
本当は「私はこうしたい」と言ってみてもよかったのかもしれない。
もちろん、相手の気持ちを無視したいわけではない。
でも、相手を尊重することと、自分を後回しにすることは違う。
最近ようやく、その違いについて考えるようになった。
だから次に同じような場面があったら、少しだけ自分の気持ちを優先してみたい。
寄ってきてくれるのを待つだけではなく、自分から手を伸ばしてみる。
そこで離れていかれたら、そのとき考えればいい。
嫌がられるかもしれない未来を先回りして諦めるのではなく、実際に起きたことを受け止める。
そんな練習をしてもいいのかもしれない。
私はずっと、相手の気持ちを想像することや理解することに力を使ってきた。
これからは、自分の気持ちを伝えることにも、少しだけ力を使ってみたいと思う。
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