娘と私のバウンダリー
「学校なんて怖くないよ」と言ってしまった私の話
去年、小学生の娘が不登校になった。
引っ越しや就学など、いくつもの環境の変化が重なった時期だった
最初はどうしていいか分からず、
なんとかして「行きたくない理由」を聞き出そうとしていた。
「お友達となにかあった?」
「嫌な授業があるの?」
「先生が怖い?」
はっきりとした答えを言わない娘にイライラして、
「学校なんかそんなに難しいところじゃないよ」
「怖がる必要ないよ、気楽に行きな」
と言ったりしていた。
今考えると、私は娘が学校で感じていた気持ちを無視して、
自分の価値観で上書きしようとしていたんだと思う。
その結果、娘はますます学校に行けなくなった。
娘にとっては学校は気楽な場所ではなく、
今の自分のキャパを大きく越える恐ろしい場所、
それを言葉で親に伝えることができなくて、
「学校へ行きたくない」と言うことが唯一できる親へのSOSだったのだ。
私はそれに気づかないまま、娘を追い詰めてしまっていたのかもしれない。
子供がなにかネガティブな感情を口に出した時、
たとえば
「○○ちゃんのことが嫌い」
「テストやだな」
と言った時に、「そんなこと言っちゃダメだよ」とか「そんなんじゃ将来大変だよ」とか咄嗟に言ってしまう時がある。
すでに心に芽生えてしまった感情はそれはそれで本当のことなのに、
あたかも「そんなふうに感じるのはよくないことなんだ」と植え付けるようなことを言ってしまう。
私も親にそうされてきたからというのもある。
でも、これが友人だったら、私はそんなことは絶対に言わないだろう。
なぜなら私は私で友人は友人、別々の人間だからだ。
別々の人間が心の中で考えるとことはこちらは制御できない。
それがなぜか娘だと制御できると思ってしまう。
境界線(バウンダリー)が曖昧だからだ。
そのことに気づいてから娘がなにかネガティブな発言をした時は、
娘「学校が嫌だ」
私「そっか、学校のどんなところが嫌?」
娘「勉強」
私「どの授業の時に嫌って感じる?」
娘「道徳」
私「道徳の授業、なにをする時が嫌?」
と、感情を受け止めつつ何がその気持ちにつながっているのか
本人と一緒に整理していくようにしている。
娘はいまでは毎日学校へ通っている。
だからといって、あの頃の出来事が「終わった」とは思っていない。
違う人間になったわけではないのだから、
またそういう「波」が来るかもしれない。
娘の不登校を通じて、親子にも「バウンダリー」が必要なことを知ることができた。
家族にとっては苦い経験だったけど、
娘があの時、「学校へ行きたくない」というSOSを出してくれなかったら、
私はずっと、娘の感情を制御しようとしていたかもしれない。
子どもの気持ちは、親のものではない。
親の不安や期待も、子どもが背負うものではない。
同じ家族でも、心はそれぞれ別のもの。
その境界線を大切にできるようになってから、娘の言葉を以前よりも素直に受け止められるようになった気がする。
娘の中にある私との境界線も、まだきっと成長の途中だ。
お互いにとって心地よい境界線を、これから一緒に育んでいきたい。
