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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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「ロングウォーク」の長い歩み 1966→2025〔感想編〕【ネタバレ】

トップ画像:The Long Walk 公式X (Twitter)より引用


この記事は

10代の頃「死のロングウォーク」を読んだ人間が、
2018年に映画化のニュースを見てからというもの、転々とする映画化権に踊らされながら8年間待ちつづけ、
映画化したら日本語版の復刊と電子書籍化してくれと言いつづけ、
ついに映画化され、本国から9ヶ月遅れながらも日本公開され、復刊と電子書籍化の悲願が叶い、
映画館に通い、改めて原作を読み返し、映画の脚本とキング御大のAMA (Ask Me Anything)も読んで、
「ロングウォーク」という作品について考えたことを改めて整理しようと試みたもの

👉 作品情報のまとめは別記事〔資料編〕(ネタバレ控えめ)

同じ事を何度も言ってて構成をどうにかしたかったけどなんともならないまま配信が始まってしまった…
配信観てから後で修正するかも

本日2026/8/21 アマゾン・プライム・ビデオで見放題配信開始!

  • 全編ネタバレあり

  • もののついでに「ランニング・マン」のネタバレもする

  • 〔資料編〕と内容は一部重複

  • 〔資料編〕も含めて書き手による自分のためのまとめであり、作品のおすすめは主眼としていません

  • とても個人の主観

  • その上で、「ロングウォーク」について考えたい方になにかしらプラスになったらうれしい

  • 配信開始前に映画館で観た記憶を頼りに書いているので、間違いがある可能性が大いにある

  • 特に映画の台詞と日本語字幕はうろ覚え

  • 原作の原書(英語版)の再読は途中までしか間に合わなかった

  • 英語の記事などを日本語訳した部分は筆者訳

  • 原則敬称略

🆕更新履歴

2026/8/21
虹のシーンの項で他のシーンと混同していた記述を削除
2026/8/22
目次を追加
コリー・パーカーの項を「チャント(歌)」と修正
映画に登場しないキャラクターの項にマイクとジョーを追加
2026/8/29
原作の世界観の項を加筆修正

日本語紙版2冊 英語紙版2冊
日本語電子1冊 英語電子1冊
このあと日本語電子がもう1冊増えて計7冊に…
(マーカー引きまくった資料用と普通に読む用)

この記事を書いた人

  • 10代の時「バトル・ロワイアル」で人生が狂った

  • 「バトル・ロワイアル」の発想の元になった「死のロングウォーク」も当然読む

  • 同じくリチャード・バックマン名義の「バトルランナー」「ハイスクール・パニック」も同じ頃に読んだ

  • スティーヴン・キング読者というよりリチャード・バックマン読者

  • 「バトル・ロワイアル」では相馬光子、「ロングウォーク」ではステビンズが好き

  • 七原秋也と中川典子と川田章吾、レイ・ギャラティとピーター・マクヴリーズが当然に好き

「バトル・ロワイアル」公式書籍で、作者・高見広春先生が「ロングウォーク」を発想の元にしたと答えているインタビュー
「バトルランナー」(現在は「ランニング・マン」に改訳)、「ハイスクール・パニック」(現在は絶版)にも触れている

引用:「バトル・ロワイアル・インサイダー」(太田出版)
監修・高見広春、バトル・ロワイアル製作委員会

ロングウォークとは

設定の詳細なまとめは別記事〔資料編〕

ルール

  • 毎年全米から集められた男子が一定以上の速度で歩き続ける競技

  • 制限速度を下回ると警告を受け、警告が3回累積し、4回目で失格となり銃殺される

    • 警告を受けてから規定の秒数が経っても速度が回復しなければ再び警告を受ける

    • 警告を受けた後、制限速度以上で1時間歩き続ければ警告1回が消滅する

  • コースの道路を外れた場合は警告なしで即失格

  • 最後の一人が優勝者となり、破格の賞金と何でも一つ願いを叶える権利を与えられる

  • 怪我、病気、睡眠、食事、排泄などにかかわらず休憩は許されない

  • 競技はテレビで全米に生中継されており、規定内で沿道での見物も許可されている

  • メイン州北部のアメリカ・カナダ国境をスタートして州を南下し、隣接するニューハンプシャー州〜マサチューセッツ州まで歩く年もある

  • 必須事項を記載したルールと、競技の助けとなるヒントがある

世界観

現実とは別の歴史をたどったパラレルワールドで、(原作当時から見て)近未来の全体主義国家アメリカ
思想統制が行われているディストピアで、反政府的とみなされた者は軍に連行または殺される
ロングウォークへの批判も反政府的な意見に含まれる
象徴的な存在である「少佐」が最高権力者の可能性もあるが説明はない

結論から先に

いい映画化だった…………
ずっと待っててよかった………

原作をそのまま再現するような意味の"忠実な"映画化は元々求めてないのでその点は問題なし
「ロングウォーク」の映画化として100点満点かというとそうではないけれど、それはよく真っ先に言われるラストの展開の改変ではなく、また別の部分(後述)

  • 全体主義的な社会システムが人間性を犠牲にする危険を描くディストピア

  • 国家(+メディア・国民)が人間の命を消費する残酷さを描く=徴兵制度のメタファー

  • 極限状態の中で生まれる友情や人間性の描写

といった作品の核は変えずに表現しつつ、
時代や現実社会の変化を反映して表現の方向性を変え(原作執筆から約60年経ってる!)
形の上では原作とは真逆に改変された部分も多いけれど、
トータルで見ると原作の核にあったものを別の形で表現していて、新しい価値も加えている

いい映画化でした……
映像作品として良くなるなら原作改変はあまり気にならないタイプの観客ですが、期待以上でした

一方で、こうした方向性の変化を踏まえた上でも、
ここは原作を活かす形で表現できたのでは!?と思ってしまった、作品の要素を損なってしまったと感じた改変や、映像として惜しい表現があったのも事実……

長年待ちつづけた映画化(さらに日本公開は本国から9ヶ月遅れ)、
公開初日から1,2回目くらいまではやはりそこがどうしても引っかかってしまって、今でもできれば違った表現をしてほしかったと思うものの、
鑑賞を重ねて、トータルでいい映画化だったな〜と思っています

作品分析:原作から映画の改変を軸に

原作改変のポイントを列挙するのは目的ではなく、
改変の結果として生まれたものを見たり、その差分から逆算したりして、
原作と映画それぞれの作品性を改めて考えたい

まず原作、映画に脚本(準備稿)も加えて各媒体ごとの特徴を比較

原作

(以下「原作」「小説」)

方向性

極限状況の中で、肉体・精神共に徐々に追い詰められて死に向かっていくさまを描く
異常な状況の中でも友情が芽生えるが、最終的には希望がない現実に直面し、正気を失っていく
突き放したような乾いたトーンで絶望や狂気を描く
作者が当時大学1年生の若者で、ベトナム戦争への徴兵に怯える当事者だったことが影響している

世界観

歴史・体制
ロングウォークの起源、何年目の開催かなど一切説明はない
1966〜67年に執筆後、1979年の出版前に時代に関するディテールが修正されたが、具体的な時代の説明はなく、1960年代末〜80年代の間と思われる
マクヴリーズの台詞にエリノア・ルーズヴェルトが登場し、少なくとも第二次世界大戦の1945年頃までは現実と同じ歴史と考えられる
アメリカは全51州(9章)
開催前日の最終取消日は4月31日(13章)

マクヴリーズの台詞にエリノア・ルーズヴェルトが登場し、第二次世界大戦の途中頃までは現実と同じ歴史と考えられる
過去の大統領であるリンカーン、ルーズヴェルトの名前は登場するものの、「知事」はいても「大統領」という言葉が一度も登場しない
少佐が軍と政府の最高指導者を兼ねる軍事国家の可能性もある

「その先は大通りを行く。前はリスボン・ストリートって名だったけど、今はコター記念アベニューになってる。メイン州からロングウォークに出場して優勝したのは、レギー・コターただ一人だ。ずい分前の話だけど」
「そいつ、死んだだろう?」ベイカーがいった。
「うん。片目に出血して、ロングウォークが終わった時は半盲になってた。脳に血の固まりがあったんだ。ロングウォークが終わって一週間かそこらで死んだ」重い話を軽くしようと、ギャラティははかない努力を傾けてくりかえした。「ずっと昔のことだ」

14章

「本年のロングウォークの終結をここに宣言します。
皆さん──市民の皆さん──優勝者をご覧ください!」
  ──少佐

18章 引用文

原作の結末の後、今回の優勝者も同じように称えられたと思われる

アメリカ国内の社会状況についての記述

昔、社会変革が起きて分隊が幅をきかす前の、まだ百万長者たちがいたころは、大金持ちは財団を設立して図書館やら何やら世のため人のためになるものを建てたものだ。

12章

「モントリオール向けの生鮮食品を積んでるんだよ、きっと」ギャラティがいった。「ボストンあたりから来たんだろう。おれたちのために無理やり道からはずされたんだ。仕事を失うのを恐れてるんだろう。トラックを失うのかもしれない。もし自営業者ならね」

7章

自分のトラックを失ってからは、政府のトラックをブランズウィックから運転して生活していた。

7章

何らかの社会変革後、私有財産が制限されているか、極端な富裕層がいないような社会になっている様子から、現実の1960年代では冷戦でアメリカと対立していたソ連の体制にむしろ近いようにも見えるが、マクヴリーズやスクラムが働いていた工場が政府に運営されていないことから、共産主義/社会主義体制ではない
自営業者がカナダに輸出を行うことが可能で、他国と貿易関係があり、鎖国状態でもない

「あの試験は、まったくもののはずみで受けたんだ。映画に行く途中、たまたま通りかかった体育館で、みんながテストを受けてた。中に入るには労働許可証を見せなきゃならないんだが、偶然にもそのとき許可証を持ってたんだ。持ってなけりゃ、わざわざ家へ取りに戻ったりしやしない。そのまま映画に行って、今ここにこうして、楽しい仲間に囲まれて死ぬはめにはならなかった」

13章

市民権を持つアメリカ国民を対象とした労働許可証(Work Permit Card)は現実にはない
実在する労働許可証(Employment Authorization Document, EAD)はビザで一時滞在する外国人を対象としたもの

国際関係についての記述
(世界史の知識が乏しいので誤っている可能性あり)

ギャラティは歴史の本で見た写真を思い出した。第二次大戦の末期に、ドイツ軍がアメリカ東海岸に空から猛攻撃をしかけたときの写真だ。

14章

現実では第二次世界大戦でアメリカ本土への攻撃を実行したのは日本だけ
ロングウォークが開催されるメイン州〜ニューハンプシャー州〜マサチューセッツ州のコースは概ねアメリカ東海岸沿いで、本土攻撃のあった場所が近いことになる
ギャラティは当時生まれていないが、親世代は経験している可能性がある

空中で大爆発した花火が少佐の顔を描き、ギャラティは呆然と、神を思った。続いてニューハンプシャー州臨時知事の顔が広がった。この知事は一九五三年にほとんど単独でサンチアゴのドイツ軍核基地を襲撃したことで有名だ。片足を放射能にやられて失っている。

16章

現実では第二次世界大戦後、敗戦したナチス・ドイツの残党が南米に逃亡したことは知られているが、1953年時点で東ドイツ・西ドイツ共に軍隊は保持しておらず、他国に基地を置くような軍事力はない
チリは日本と同様に地震国で、原子力発電さえ採用していないため、他国に核基地を配備されるのはよほどの状況ということになる

  • 原文にもSantiagoとしか書かれていないが、もしチリのサンチャゴではなくキューバのサンチャゴ・デ・キューバだった場合、現実ではキューバ革命の始まりとなった、1953年7月26日のフィデル・カストロらによるモンカダ兵営の襲撃が有名(ただし攻撃されたのはアメリカの傀儡政権だったバティスタ政権)

  • その後1962年のキューバ危機では、冷戦でアメリカと対立していたソ連がキューバに核基地を建設していたことが発覚した

いずれにしても第二次世界大戦でドイツが(現実と同じようには)敗戦していないと思われ、全く違う歴史をたどっている
ドイツ軍基地を襲撃した人物が英雄視されている様子から、アメリカとドイツが敵対していた第二次世界大戦の連合国と枢軸国の対立、冷戦期の西側諸国と東側諸国の対立と近い関係ではありそう

頬の、げっそりこけた歯のない男は、アンクルサムのスーツに身を固め、こう書いた看板を持っていた。〈パナマ運河をアカの黒ん坊どもにくれてやる〉。

11章

これは現実と矛盾しない記述で、1979年の出版の際、時代を示すディテール修正の一環で追加したと思われる
1977年、将来的にアメリカがパナマに運河の管理権を譲渡する新パナマ運河条約が締結された
パナマ国民の多くはメスティーソ(白人とラテンアメリカ先住民の混血)で、共産主義(アカ)でもないが、アンクルサムに象徴される愛国主義者の典型的な差別的発言を風刺した描写
現在もSNSなどで見られるスティーヴン・キングの政治的姿勢と一致している

思想統制
反政府的とみなされた者は分隊に連行される(表向きは強制徴兵だが、実際は軍に殺されることの暗喩とも言われる)
音楽、文学など文化面でも思想統制があると思われる

  • ジャズが禁止されているらしいが、実際には隠れて聴いている者が多い記述がある

禁止されているかどうかはっきりしないが、作中に登場する作品・人名

  • エドガー・ライス・バロウズのSF小説「火星シリーズ」(オルソンの台詞に登場)

  • シャーリィ・ジャクスンの短編小説「くじ」(ギャラティの連想に登場)

  • レイ・ブラッドベリのホラー短編小説「群衆」(ギャラティの回想に登場)

    • ブラッドベリのディストピアSF小説「華氏451度」はこの国で最も禁止されそうな本の筆頭だが、「群衆」は8年生でも入手して読むことができる

  • ウィルキー・コリンズの推理小説「白衣の女」(マクヴリーズの愛読書)

  • 漫画「ポパイ」(マクヴリーズの回想に登場)

  • J. D. サリンジャー(おそらく「ライ麦畑でつかまえて」マクヴリーズが言及)

  • ジョン・ノウルズ(おそらく"A Separate Peace"(邦題「友だち」)マクヴリーズが言及)

  • ジェイムズ・カークウッド(おそらく"P.S. Your Cat Is Dead"  マクヴリーズが言及)

  • ドン・ブリーズ(おそらく"Hard Feelings"  マクヴリーズが言及)

  • ロン・ハワード(映画「アメリカン・グラフィティ」(1973)?  マクヴリーズが言及)

マイノリティ
メインキャラクターのほとんどは白人と見られるか人種に関する描写がなく、黒人やネイティヴ・アメリカンはほとんど台詞のない脇役に限られている
ただし、人種差別は正しくないこととして描かれている
(結社活動が「軍に反する」可能性も高いが、少なくとも人種差別は正しくないという観念が作中の世界にも存在する)

「おれの方がもっと悪い。三年もKKKに入ってた」 
ギャラティはベイカーを眺めた。疲れた顔は恥ずかしそうだったが、ほの暗い木もれ日を受けて、威厳もはっきり読みとれた。
「軍に反する行動だけど、そんなことかまわなかった。ほんの十二歳で入ったんだ。今じゃKKKなんてガキの集まりだ。年上の連中は頭がいい。KKKに入れよって誘って頭をなでるけど、自分たちは分隊に連れていかれるようなへまはしないんだ。黒人の家の芝生で十字架を焼いたあとで、おれは抜けた。おっかなかった。それに恥ずかしかった。黒人の家の芝生で十字架を焼いて、どこがうれしいんだ? そんなことは大昔の歴史にでてくることだろ? そうにきまってる」ベイカーは漠然と首を振った。「正しいことじゃない」

7章

同性愛差別的なからかいが度々登場するが、法律で同性愛が禁じられている描写はない
政府のビルに「5月はあなたの性別を確認する月」という看板が掲げられており、性別二元論に当てはまらない性的マイノリティ(インターセックス、性同一性障害、トランスジェンダーなど)への圧力があることが判る

人物描写

原作のウォーカー(出場者)は100人=映画の2倍
主人公の周りで名前や人物像がある程度描写されるキャラクターだけでもかなり多く、映画では4人組の「三銃士」が原作では8人いる
しかし容姿や人柄、背景などがはっきりわかる描写が全員にあるわけではなく、比較的近しいキャラクターでも正直この人とこの人はどっちがどっちだっけ…というくらい、人物像がつかめない人もいる
非日常な状況の中で発した言葉や行動が断片的に描かれては死んでいく、群像劇の残酷さ

あまり大きな特徴のない、どこにでもいるような普通の少年が、各々の個性もはっきりしないようなうちに次々死んでいき、ただ死人のカウントの数字になってしまう
一人一人にあったはずの人生や人間性を剥奪し、ただ不特定多数の死者に数えてしまう構造は、まさに戦争と同じ
キャラクター描写の薄さが、ロングウォークという競技とそれを行う国家の非人間性を描く、原作の突き放した怖さの一部になっている

脚本

2024年7月時点の準備稿

方向性

すでに映画版の大筋のストーリーはできあがっていて、ラストの展開も決まっているものの、ラストシーンの心情描写、ひいては作品全体の解釈が大きく異なる
優勝者も、優勝後に彼が取る行動も、その後再び歩き始めるのも完成した映画と同じながら、原作の優勝者と同様に正気を失い、幻覚を追って再びロングウォークに戻っていくシーンで終わる
完成した映画が、ビターながらも観る人によって捉え方が変わる余白のあるエンディングなのに対して、脚本はそれよりもバッドエンドに寄っていて、解釈できうる幅も狭い
完全した映画の換骨奪胎の上手さがすでに見えつつも、まだ途中段階なのが窺える

世界観

「私の代わりはいくらでもいる」という少佐の台詞があり、
それに対してマクヴリーズが「始めるにはまずお前からだ。レイに捧げる」と返す
ギャラティに代わって体制に立ち向かう意志を言葉にしていて、政治色もやや強め
同じくリチャード・バックマン名義のデスゲーム作品で、同じ2025年の映画版「ランニング・マン」が"革命"を前面に出したのと、この時点では方向性が近い

描写された範囲で少佐を唯一の敵として見せた完成版とは国家権力の描き方も若干違う
(完成版にもステビンズが「少佐は元凶じゃない」と言う台詞があり、少佐=国と完全に同一視しているわけではない)

人物描写

登場人物の性格や言動は映画版のバージョンにリライトされているが完全ではなく、人種などの設定は概ね原作を踏襲していて、まだキャスティング前の段階

脚本家JTモルナーのインタビューでも「脚本では具体的にせずただ人物を書き、その役に合う俳優を監督がキャスティングした」と話している

原作の台詞や文章をそのまま引用した箇所も多い

一方で映画にあった、原作から引用した台詞の意味の読み替えもすでに書かれていて、作品の目指す方向性の違いによって、同じ会話でもまったく違う意味に反転している場面がいくつもある(後述)

50人(映画設定)と言ったあとで100人(原作設定)と設定が混じっている箇所もあり、まだ推敲前という感じ

カットされたシーンもいくつかあり、中にはキャラクター性に影響するものもある(後述)

また全体的に原作よりも映画よりもウェットで、原作ばりの残酷描写を感傷的なトーンでやるので読んでいてかなりキツい
ハークネスの死に方が映画よりキツいとは……
映画よりもグロテスクさが際立つほか、精神的にもわざわざエグい描写を入れてる箇所もある(映画ではカット)
描き方の点でも完成版の映画とは方針が違う印象を受ける
このまま作ってたらR-18になっても驚かない

しかもカットされた部分の一部、「バトル・ロワイアル」原作と同じ残酷描写がある…
二言目にはバトロワのパクリと言われがちな「ハンガー・ゲーム」の監督作品でやらなくてよかったねと正直思いました

あと少佐が現れるたびウォーカーたちの前でこれ見よがしにウイスキー飲んだりサンドイッチ食ったり煙草吸ったりしててクソダルい
よくあるキッズ向けデスゲーム作品の露悪って感じでやめてくれてよかったです

ちなみに特報版の予告編に一瞬映る、ダムの上で誰かが血まみれになっているシーン
映画本編にはなく、原作にもなく、脚本には「ダムの上を通る」と1行書かれているだけで、どこにもない幻のシーン

映画

(以下「映画」「映画版」「完成版」)

方向性

極限状況でも人間の善意や友情、愛情にスポットを当てる
絶望の中でも光を見つけ、物事の美しさを見ようとするさまを描く
肉体・精神の疲労〜限界を迎える描写は原作より少なめ

トランプ政権下で格差が広がり、他国への武力侵攻が続き、国家権力であるICE(移民・税関捜査局)が国民を殺害する2020年代のアメリカの社会状況への批判が見られる

原作から時代や世界情勢に合わせて作品のトーンが変わり、それにつれて人物設定が変わり、原作と意味が反対になってるシーンすらあるけれど、その活かし方が良い
「すべては見方次第だ」と映画版のマクヴリーズの台詞で言う通り、作品の方向性が変わったことによって、同じキャラクターでも少しずつ性格が変わり、原作と同じ台詞や会話でも意味が反転している(後述)

世界観

歴史・体制
「国を分断する戦争(The Big War)」終戦から19年経っても経済的に復興できず苦境にある
かつては世界一の大国だった
戦後の経済回復、国民の怠惰を戒めることを目的としてロングウォークが考案され、毎年ロングウォーク開催後は生産が向上するという
液晶デジタル腕時計、オゾン層破壊の知識など技術面から1974〜80年代頃と考えられる
バーコヴィッチの台詞にフランクリン・ルーズヴェルトが登場する(脚本段階では台詞になく、アドリブか改稿かは不明)
アメリカという国名は群衆が歌う"America The Bearutiful"にしか登場せず、「バトル・ロワイアル」の大東亜共和国のように、現実とは違う国名の可能性もある

思想統制
反政府的とみなされた者は少佐に即処刑される場合がある
禁書の例としてニーチェ、キルケゴールの哲学書、マーク・トウェインをギャラティが挙げているほか、音楽にも何らかの統制がある

マイノリティ
メインキャラクターに白人、黒人、ネイティヴ・アメリカン、アジア人が混在している
同性愛差別的なからかいが度々登場するが、原作よりは少ない
(役への影響はないものの)トランスジェンダー男性の俳優がキャスティングされている

人物描写

製作陣の作品解釈が変わったのか、
キャスティングが脚本に反映された(当て書き)
のか、
撮影現場で俳優の演技やディレクションによって要素が加わった
のか、
それらすべてのハイブリッドか、
脚本段階と比べてキャラクターや関係性のニュアンスが変わっている

また、監督は俳優たちに自分の役と衣装と持ち物を選ばせた
劇中のロングウォークの通りの順で続く撮影期間の中で、役の心情に近づく助けになったとインタビューで俳優たちが話している

ルール

制限速度:現実的な速度に修正
警告の間隔:映像で次の警告まで30秒待っているとテンポが崩れてしまう
出場者数:スクリーンに100人は映りきらない、約2時間で描ききれない、撮影の都合など
対象年齢:未成年の俳優の労働条件など撮影の都合
見物:原作にあったウォーカーと見物人のコンフリクトを極限まで減らし、約2時間の時間制限の中でウォーカー間の人間関係にフォーカスする

と主に技術上の理由による改変が多く、加えて

出場者数:各州代表とすることで現代アメリカMAGA層の"愛国心" "愛郷心"とリンクさせる
対象年齢:徴兵対象年齢とリンクさせる

と社会批判も見ることができる
(一方で「国を分断した戦争」と「各州代表」の設定が上手くつながっていない惜しさもある)

原作改変の分析

  • 原作執筆(1966〜67)から映画化(2025)まで約60年が経過している

    • 日本では、1968年までの小説はすでに著作権が切れて青空文庫に収録されている作品もあるくらいの年代

  • 時代の変化、社会情勢を反映して原作とは作品の方向性を転換した

    • 原作執筆時のアメリカの社会背景:ベトナム戦争

    • 映画制作時のアメリカの社会背景:Black Lives Matterムーブメント 〜 トランプ政権下のICE(移民・税関捜査局)による人種的マイノリティの殺害

      • 現実に国家権力が国民の殺害を行ってしまうようになった世界では、現実の残酷さがフィクションを超えてしまい、国家が若者を殺すディストピア作品をそのまま映画化してもただの現実追認にしかならず、もはや娯楽性と社会批判の両面ともに成立しない → 原作の暗く絶望的な作風とは違ったアプローチが必要になった

  • 原作の台詞・会話の意味を反転させたシーンの例

    • 見物人の家族に対して

      • [原作]「もちろんあの連中は畜生なみだ」「だがおれたちが人間だってどうして言い切れる?」

      • [映画]「彼らは愛し合ってる家族だ」「あの家族に敬意を示せないなら今すぐ銃弾を浴びろ」

    • ベイカーのキリスト教信仰

      • [原作]死後に体が腐敗するのを恐れて「鉛の内張り」をした棺桶に入れてくれとギャラティに頼み、狂気の表れとして描かれる

      • [映画]十字架のネックレスを祖母に渡すようギャラティに頼み、友情と家族愛の表れとして描かれる

  • 人種に関する表現

    • [原作]1960〜70年代の娯楽作品としては特に悪意はなかったとしても、現在の感覚で改めて見ると少しぎょっとする人種構成

      • 主人公と近いキャラクターたちは白人(と思われる描写)もしくは人種が判る描写がない

      • 悪役は有色人種

      • 黒人とネイティヴアメリカンは脇役

      • アジア人はいない

    • [映画]ディストピア的な国家権力が弱い立場の人間を搾取する残酷さを描く物語で、同じ階層でも人種的にはマジョリティである白人だけをメインに据え、現実にはより弱い立場に置かれる人種的マイノリティを描かなかった場合、2020年代の現在の感覚では作品性と表現が整合せず欺瞞が生まれてしまう

      • Black Lives Matterのきっかけとなった警察官が無実の黒人を射殺した一連の事件でもICE(移民・税関捜査局)でも、現実のアメリカで国家権力に殺されているのは人種的マイノリティであり、フィクションで国家による殺人の被害者を白人中心に描いてしまうと、人種差別的な層がBlack Lives Matterに対してAll Lives Matter(人種的偏見を口実に警察官に殺されるようなリスクのないマジョリティが、権力勾配を無視して「全ての命が大切」と均一化し、黒人の命を軽視するスローガン)と応じたのと同じ効果を生んでしまう

      • メインキャラクターに白人、黒人、ネイティヴ・アメリカン、アジア人、ヒスパニック(推定)が混在

      • 原作で脇役だったネイティヴ・アメリカンのマイクの死に際の表現を、コリー・パーカーに一部引き継いだ

映画(別エンディング)

US版Blu-rayに収録
日本盤にも収録されてほしい……


登場人物

レイ・ギャラティ

Raymond "Ray" Davis Garraty

[原作]
番号:47番
出身:メイン州 アンドロスコギン郡 フリーポート パウナルロード
民族:白人
年齢:16歳
体重:160ポンド
背が高く、がっしりした体格
開催地・メイン州出身の唯一の出場者

父親は政府に批判的で、5歳の時に分隊に連行されて行方不明
母親と彼女のジャンとフリーポートで会う約束をしている
物事に対して「うぶ」(naive)とマクヴリーズに評される
潜在的バイセクシュアル(親友間の性的欲求の描写、子供の頃に同性の友人と性的なスキンシップの経験あり)
政府への明確な反抗心はなく、多くのウォーカーと同様になんとなくロングウォークに参加した

[映画]
俳優:クーパー・ホフマン(Cooper Hoffman)
番号:47番
出身:メイン州 アンドロスコギン郡 フリーポート
民族:白人
年齢:18歳?
体重:178ポンド(脚本でも同じ)

背が高く、体重がある
開催地・メイン州出身の唯一の出場者
父親は反体制的とされる思想を持ち、数年前に少佐に処刑され死亡
彼女がいたが、ロングウォーク参加がきっかけで別れた
潜在的バイセクシュアルの可能性(親友の恋愛経験を聞いて動揺するような描写、友情〜ブロマンスの範疇だが死の直前に親友に伝える言葉が脚本段階よりも直接的)
政府への明確な反抗心があり、少佐を殺すことで体制の変化を望んでいる

ピーター・マクヴリーズ

Peter "Pete" McVries

[原作]
番号:61番
出身:ニュージャージー州
民族:白人(推定)
年齢:16〜17歳(推定)
体重:167ポンド

顔に傷がある(彼女との諍いによる)
体重があり、ロングウォークにおそろしいほど適性があるように見える体型
皮肉な性格で、自分も余裕があるわけではないが、ギャラティを何度も助け、示唆を与える
新しいシャツと生のハンバーグ、歯ブラシを持参している
補欠リストの12番目だったが、正選手が12人辞退した結果、4日前に出場が決まった
両親と4歳の妹・カトリーナがいる
過去に彼女と別れた(経済苦から諍いになり彼女を暴行しかけて反撃された)
潜在的バイセクシュアル(親友間の性的欲求の描写)

[映画]
俳優:デヴィッド・ジョンソン(David Jonsson)
番号:23番
民族:黒人(アフリカ系)
年齢:ギャラティと同年代?(推定/俳優の実年齢は10歳年上)
体重:177ポンド(脚本では165ポンド)

顔に傷がある(喧嘩からのトラブルによる)
鍛えられた筋肉質な体型
経験豊富で精神的・肉体的に余裕があり、ギャラティを何度も助け、導く役割をする
自分で仕留めた生の鹿肉、歯ブラシを持参している
両親がいない(物心がつく前に戦争で死亡)
バイセクシュアル/パンセクシュアル/ゲイを示唆する描写(クィア・リーディングの項でも後述)

  • 親友への性的欲求の表現

  • 彼女はいないと答えた際の含みのある態度(脚本では「ギャラティの目をしばらくじっと見つめた後、判別できない笑みを浮かべて」答えたと描写されていて、性的マイノリティが自分の性的指向に触れず曖昧に示す典型的な会話といえる)

  • オルソンが「お前はゲイか?」とギャラティに言ったのを聞いて、後方で黙り込んで苦笑いしているようにも見える

イースターエッグ:
スティーヴン・キング作品マルチバースで、同名の人物が「ダーク・タワー 鍵穴を通り抜ける風」"The Wind Through the Keyhole: A Dark Tower Novel"にも登場する
(「ダーク・タワー」シリーズ(全7巻)スピンオフ 日本語版は絶版)

登場は名前だけ おそらく同姓同名の別人(舞台はファンタジー世界)
銃の扱いがとても上手かったことと、3年前に毒殺されて亡くなったらしいことしか触れられない

ステビンズ

Stebbins

[原作]
番号:88番
民族:白人
やせっぽちの金髪の少年
真意の見えないミステリアスな一匹狼で、最初にわざと受けた1回以外はほとんど警告を受けず、疲れた様子もなく余裕をもって最後尾を歩き続ける
ジェリーサンドイッチを持参している
過去のロングウォークの記録を知り尽くしている
少佐の隠し子で、父親に会わせてくれと要求するために出場した
少佐を憎み、復讐への執着を原動力に歩き続ける

[映画]
ビリー・ステビンズ
Billy Stebbins
俳優:ギャレット・ウェアリング(Garrett Wareing)
番号:38番
民族:白人

ほとんど脂肪がない筋肉質な体型(脚本段階から)
真意の見えないミステリアスな一匹狼だが、原作よりも他の出場者と距離が近く隙が多い
原作同様にジェリーサンドイッチを持参している(ギャラティの台詞で言及)原作のスクラムの要素を一部引き継ぎ、ロングウォークの途中から体調を崩す
過去のロングウォークの記録を知り尽くしている

少佐の隠し子で、父親に会わせてくれと要求するために出場した
「お茶に招待されたい」と父親を慕う描写があり、少佐への感情が原作と異なっている
スタート前に少佐から番号を受け取る際"Good luck, son"(sonは他人相手でも「若者」と呼びかけに使うが、ここでは裏の真意を込めている)と声をかけられ、少佐が自分の息子と知っていることに気づく
(脚本では少佐は自分に父を殺されたギャラティに"Good luck, son"と声をかけており、ステビンズがいつ気づいたかの描写はない)

イースターエッグ:
原作では下の名前がなかったが、ギャラティの父と同じ名前がつけられた
(ギャラティの父は、原作のジム・ギャラティから、映画ではウィリアム・ギャラティに変えられた BillyはWilliamの愛称)

アート・ベイカー

Arthur "Art" Baker

[原作]
番号:3番
出身:ルイジアナ州
民族:白人

ギャラティと友人になる「三銃士」(8人いる)の一人
かすかな南部なまりがあり、バーコヴィッチに繰り返し「貧乏白人」と罵られる
KKK(白人至上主義団体)に12歳から3年間入っていたが、今はそれを恥じている
葬儀屋のおじがいて、以前は自分も葬儀屋になろうと考えていた

[映画]
俳優:トゥット・ニュオット(Tut Nyuot)
番号:6番
出身:ルイジアナ州 バトン・ルージュ
民族:黒人(アフリカ系)

ギャラティと友人になる「三銃士」(4人いる)の一人
貧しい地域で育ち、賞金と宇宙ロケットで月に行くことを望んでいる
信心深いキリスト教徒
演じたトゥット・ニュオットのルーツは南スーダン

ハンク・オルソン

Hank Olson

[原作]
番号:70番
民族:白人(推定)
ビッグマウスで痛烈な口を利く
SF冒険小説「火星シリーズ」に由来する「おれはジョン・カーター」「家は火星のバルスーム」という台詞がある

[映画]
俳優:ベン・ウォン(Ben Wang)
番号:46番
民族:アジア人(中国系)
ビッグマウスで痛烈な口を利く
読書好きで「千夜一夜物語」の船乗りシンドバッドの名前を挙げる
豚肉アレルギーがある
ロングウォーク中でも地球環境に配慮し、女性を性的に買うことに反対する

優勝したら10人の裸の女性を要求すると話す(脚本では格好つけようとして言ったと後で判明するシーンがあるが、カットされた)
原作のスクラムの要素を一部引き継ぎ、出場者で唯一結婚している
妻の名前はクレメンタイン

コリー・パーカー

Collie Parker

[原作]
番号:不明
出身:イリノイ州 ジョリエット
民族:白人(推定)

筋骨隆々たる金髪の少年で、不良っぽいタイプ
時折ギャラティたちに近づいてきてはきつい口を利くが、疲労につれて人柄が丸くなる
ガールフレンドがいる
兵士を殺して軍に反逆を試み、仲間に逃亡を呼びかけるが射殺される

[映画]
俳優:ジョシュア・オジック(Joshua Odjick)
番号:48番
出身:イリノイ州(原作と同じ台詞でギャラティがパーカーの故郷を揶揄する)
民族:ネイティヴ・アメリカン

筋骨隆々たる体格で長髪 動物の歯を使ったネックレスを着けている
「三銃士」グループからは少し離れた距離感で、時折会話に参加する
ステビンズとはまた違った一匹狼

母に会えるギャラティを羨んできつい口を利くが、実際に対面した場面を目にして同情し兵士に激昂する
脚本ではスタート前に番号を受け取る際少佐に敬礼をする
徐々に体制への反骨心が増し、兵士を殺して軍に反逆を試み、仲間に逃亡を呼びかけるが別の兵士に撃たれ、部族に伝わるチャント(歌)を歌って自決する
(原作のマイク(ネイティヴ・アメリカン)が死を覚悟したあと母語で話し続けたシーンも受け継いでいると思われる)

演じたジョシュア・オジックはカナダ先住民(ファースト・ネイション)アルゴンキン族のキティガン・ジビ・アニシナベグ族

ハークネス

Harkness

[原作]
番号:49番
民族:白人(推定)

クルーカットの髪で眼鏡をかけている 血色のよい顔
参加者視点でロングウォークの本を書くため、ノートに全員の名前と番号を書き留めている
片足がつっぱって警告を受け、ローファーを脱ぎ靴下で再度速度を上げて1時間ほど歩き続けるが、燃え尽きて退場する

[映画]
リチャード・ハークネス
Richard Harkness

俳優:ジョーダン・ゴンザレス(Jordan Gonzalez)
番号:49番
民族:ヒスパニック系(?)

クルーカットの髪で眼鏡をかけている
参加者視点でロングウォークの本を書くため、ノートに全員の名前と番号を書き留めている

演じたジョーダン・ゴンザレスはトランスジェンダー男性

ジョーダン・ゴンザレスは撮影期間中ずっと実際にノートに書き込みを続け、ハークネスをファシスト的な政権下のジャーナリストと考えている
撮影は基本的に時系列順で行われたが、ハークネスの死亡シーンは唯一撮影順が変更になり、前日に撮影場所を見に行って「ああ、彼はここで死ぬんだ」と感じたという

ジョーダン・ゴンザレスが撮影中に聴いていたプレイリスト

イースターエッグ:
原作では下の名前がなかったが、本を書くキャラクターであることからか、映画では原作者(ペンネーム)と同じ名前がつけられた

カーリー

Curley

[原作]
番号:7番
出身:言及なし
民族:言及なし
細く角張ったにきびだらけの顔 頬ひげを生やそうとしていたがうまくいっていない
やせてひょろひょろした少年

[映画]
アダム・カーリー・ホワイト
Adam Curly White

俳優:ローマン・グリフィン・デイヴィス(Roman Griffin Davis)
番号:7番
出身:言及なし
民族:白人
年齢:16歳(推定)- 18歳と偽って参加

映画で名字とミドルネームがついたほか、カーリーのスペルが原作と映画では違っている

ゲイリー・バーコヴィッチ

Gary Barkovitch

[原作]
番号:5番
出身:ワシントンD.C.
民族:有色人種(オリーブ色の肌)
浅黒く張りつめた顔で、茶色の目、とがり気味の鼻をした小柄な少年
常に他の出場者に悪態をつき、「お前の墓の上で踊ってやる」と煽る

スティーヴン・キングはバーコヴィッチの死に様を書いた後、何日か眠れない夜を過ごしたというhttps://www.reddit.com/r/movies/comments/1myuw3q/hey_rmovies_im_stephen_king_ask_me_anything_about/

[映画]
俳優:チャーリー・プラマー(Charlie Plummer)
番号:5番
民族:白人

常に他の出場者を煽って悪態をつく
カメラを持参しており、周囲の風景や死にそうになっている出場者をふざけて撮影する
原作よりもコミュニケーション不全が強く、発達特性(ニューロダイバーシティ)がある可能性もうかがわせる
脚本ではいつも何かのメダルを持ち歩いていて、死んだ後でカートゥーンの猫が描かれたものだと判る

少佐

The Major

架空の全体主義国家アメリカの象徴的存在
目を覆い隠すミラーサングラスがトレードマーク

[原作]
背筋を伸ばした背の高い男性
演説以外は寡黙で、大衆の前で笑顔を浮かべる時以外は無表情な印象

[映画]
俳優:マーク・ハミル(Mark Hamill)

粗野な言動でロングウォーク中も出場者を煽る
冒頭の演説を含めて明らかに現職のアメリカ大統領ドナルド・トランプを反映している
マーク・ハミル自身は原作者スティーヴン・キング同様にトランプを痛烈に批判する大物の一人
父親は軍人で、高校時代を過ごした日本の米軍基地で目にした経験を元に演じたという

ギャラティの母

[原作]
背が高く痩せぎすで、最近ひどく体重が減ったかのようにだぶだぶの服が垂れ下がっている
鉄色の髪にやたらクリップをとめてある
夫を分隊に取られ、一人息子のレイを女手一つで育てている

[映画]
ジニー・ギャラティ
Ginnie Garraty

俳優:ジュディ・グリア(Judy Greer)
背が高く金髪を一つにまとめている
夫を少佐の処刑で殺され、一人息子のレイを女手一つで育てている

ギャラティの父

[原作]
ジム・ギャラティ
Jim Garraty

砂色の髪をした大男で、朗々としてとどろくような声
10歳のギャラティをロングウォーク見物に連れていったことがある
政治的な意見を胸にしまっておけない性格で、分隊に連行された
政府のトラックを運転して生活していた
ギャラティ家の男性に伝わる編み物をレイに教えた

[映画]
ウィリアム・ギャラティ
William Garraty

俳優:ジョシュ・ハミルトン(Josh Hamilton)
反体制的とされる思想を持ち、禁じられている哲学書、音楽などを息子に教えた
少佐によって妻と息子の目の前で処刑された

イースターエッグ:
原作とは下の名前が変わり、新たに名前がついたステビンズと同じ名前になった(BillyはWilliamの愛称)

映画に登場しないキャラクター

スクラム

雄牛のように体の大きい17歳の少年
クルーカットの髪の大きな丸い頭で、歯はまばらにしか残っていない

14歳で学校を中退して15歳で結婚し、工場で働いている
1歳上の妻・キャシーは現在妊娠中
貧乏で、自分たちの貯金額では子供を産めないことに気づいていない

学がなく頭が鈍いが、度々示唆的な言葉を発する
物心ついて以来ロングウォークに出ると決めていて自信満々だったが、肺炎を起こして脱落する

映画ではオルソンとステビンズに設定が引き継がれている

エイブラハム

赤毛で背の高いひょろりとした体格
たまたま応募したロングウォークの小論文テストに完全にナメた解答を提出したらなぜか選考を通ってしまった普通の少年

他のウォーカーに反応するような言動が多く、彼自身から何か発する場面はあまりない

デイヴィッドソン

主人公と何度か会話がありグループの雑談に入るが、その印象ほどは親しくならなかった様子で、その後比較的早い段階で脱落してしまう
(関係ないけどマクヴリーズを演じたデヴィッド・ジョンソンと名前が似てる)

グリブル

「三銃士」グループの中では過激派
見物人の若い女子の挑発に応じて性行為をしようとして失敗し、警告を受けて失格

ピアソン

映画では名前だけが残ってほぼ別キャラクターになり、やたらと冷たい扱いをされる(なぜあんなに?)

他のウォーカーとよくコミュニケーションを取って、見物客の女の子を見て下品な発言をしたり、余裕がなくなっていく中で皮肉を言ったり、こちらもよくも悪くも普通の少年という印象

マイクとジョー

ホピ族(ネイティヴ・アメリカン)の兄弟
ニューメキシコ州出身
背中に鷲らしい図柄をつけた同じ革のジャケットを着ている

マイクが死を覚悟して座り込んだあと撃たれるまで母語で話し続けるシーンがあり、映画ではコリー・パーカーが自決の前にチャントを歌うシーンに表現が受け継がれている

ブロマンス/クィア・リーディング

クィア・リーディングするまでもなく原作に書いてあったことを10代の頃読んだときは気づけなかったというだけなんですけども…

原作

男性同性愛を示す表現としてまさにそのままqueerという単語が10回も登場して、今改めて読み返すと、かなりはっきりとギャラティとマクヴリーズの間の性的な緊張感が描かれている

「おれたちはホモだって思ってるんだ、あいつ」マクヴリーズがおかしそうにいった。
「あいつが、何だって?」ギャラティがぱっと顔を上げた。
「別に悪い奴じゃない」マクヴリーズが考えるようにいって、上目使いにおどけてギャラティを見た。「ひょっとしたら、半分当たってるかもしれない。ひょっとしたら、だからお前を助けたのかもしれない。ひょっとして、おれはお前に首ったけなのかもしれない」
「おれがこんな顔をしてるのにか? ホモってのはなよっとした奴が好みなんだろう」そうはいったが、不意に落ち着かなくなった。
 ぎょっとしたことに、マクヴリーズが唐突にいった。「おれにお前のマスをかかせてくれないか?」
 ギャラティははっと息を吞んだ。「いったい──」
「もういいよ」マクヴリーズが不機嫌にいった。「いつになったらそのいい子ぶりっこをやめるんだ? おれが冗談でいったとしても、今のは冗談だよって教えてやる気さえないぜ。いうことはあるか?」
 ギャラティは喉がいやな感じにかわいた。肝心なのは、彼が触れてもらいたいと思っていることだ。ホモとかそうでないとかいうことは、全員が死に急いでいる今は、問題にならない。問題はマクヴリーズだ。マクヴリーズには触れてもらいたくなかった。そんな形では。
「お前には生命を助けてもらった恩があるし──」ギャラティは宙ぶらりんのまま口をつぐんだ。
 マクヴリーズが笑った。「お前はおれに借りがあって、おれはそこにつけこんだゲス野郎だっていいたいのか? そうなのか?」
「したいようにしろ」ギャラティがぶっきらぼうにいった。「だが、ふざけるのはやめろ」
「イエスっていってるのか?」
「好きなようにしろって!」ギャラティが大声でいった。ピアソンは催眠術にかかったように足を凝視していたが、ぎくりとして顔を上げた。「何でも好きにしろ!」ギャラティがわめいた。
 マクヴリーズはまた笑った。「お前はまともだよ、レイ。疑わしき点は一つもない」ギャラティの肩をぽんとたたくと、後ろへ下がった。
 ギャラティは煙に巻かれて、マクヴリーズを見つめていた。

14章

原作を読んだ当時、同じクラスにカミングアウトしてる友達も同性カップルもいたのに、小説の中で描かれているのは一種の軽口の類だと読み飛ばしていたんですよね
今読むとどこかそれ以上の切実さが滲んで見える
まだLGBTQ+作品もBLも読んだことがなかったし、それ以上に社会の中で今よりさらに可視化されていなくて、小説の中に描かれるという発想がなかったんだと思う

英語圏の映画インフルエンサーで「原作のギャラティは内面化した同性愛嫌悪から、自分の潜在的な同性愛傾向を恐れ、男らしさを証明するためにロングウォークに出場した」という意見も見ました
個人的にはそれが出場の動機とまでは思わないけれど、全体主義国家がその性質上家父長的であるゆえに「有害な男らしさ」を称揚し、家父長制には邪魔になる性的マイノリティを弾圧する(あるいは表面的に擁護してピンクウォッシュに利用する)以上、構図としてそういう側面があるのは事実でしょう

脚本

原作よりもクィア描写が減り、かわりにギャラティとマクヴリーズの関係を表す「兄弟」がラストシーンに至るまでキーワードになっている
ブロマンス(bromance)のbrother側に寄っている印象

映画ではカットされたけど、脚本の段階では二人の間の最も重要な感情のやりとりの一つとして描かれていたのが、マクヴリーズが顔の傷のことを明かし、「どんな闇の中でも光を見つける」と言ったあとに続ける会話

McVries looks at Garraty for a long while, carefully considering how much to share. Finally:

MCVRIES (CONT’D): Know what would have saved me?
GARRATY: What?
MCVRIES: A brother.

Garraty eyes him closely. McVries stares back at him.

MCVRIES (CONT’D): Ray, I’ve already gotten something out of this I never thought I’d have. I could die happy.

Garraty understands what he’s saying and it moves him. He acknowledges it.

MCVRIES (CONT’D): I never had family.

https://deadline.com/2025/12/the-long-walk-script-stephen-king-adaptation-1236658171/

「自分にはずっと家族がいなかった」と言うマクヴリーズが、意を決して「何が俺を救ってくれたかわかるか? 兄弟だよ」とギャラティに伝え、さらに「自分が得られるなんて思ってもみなかったものを、もう得ることができた。これで幸せに死ねる」とまで伝える
それを聞いたギャラティは、彼の言葉が指しているのが自分のことだと理解し、心が動かされる

ラストシーンで「僕には見えないものがお前には見える」とマクヴリーズに伝えたギャラティに対して、
今までの人生で一度も得られなかった「兄弟」「家族」であり、ひいては最悪の状況で見つけた一種の「光」だとも言っているようなマクヴリーズ

順番は前後するけれど「僕には見えないものがお前には見える」と伝えるシーンの直前、ギャラティとマクヴリーズが互いに相手に優勝を譲ろうと立ち止まるシーン

GARRATY: No!-
MCVRIES: Fuck off, Ray! Get away from me!

Garraty finds something deep within himself (something he didn’t even know was left)...

He LIFTS MCVRIES OFF OF THE GROUND in one powerful, undeniable move.
McVries has no choice but to be swept up, and onto his FEET.
Garraty HOLDS HIM TIGHTLY, IN A FULL EMBRACE. The boys are FACE TO FACE:

MCVRIES (CONT’D): What do you think you’re doing, you dumb shit?
GARRATY: Being a brother...

He drags him along as he walks.

GARRATY (CONT’D): ...to my brother.

This hits McVries... hard.

LOUD SPEAKER VOICE: Warning! Third warning 23! Third warning 47!

https://deadline.com/2025/12/the-long-walk-script-stephen-king-adaptation-1236658171/

自分でもどこに残っていたのかわからない力で座り込もうとするマクヴリーズを引き起こし、強く抱き締めるギャラティ
二人は顔を合わせ、「何をしてるかわかってるのか」と怒るマクヴリーズにギャラティは「兄弟として……僕の兄弟に」と告げ、マクヴリーズは打ちのめされる

これがブロマンスでなかったら何がブロマンスなのかといわんばかりのシーン……

ギャラティが最期にマクヴリーズに伝える言葉も映画とはまったく違う
マクヴリーズの言う「美しさ」「光」が今は自分にも見えると言い残し、マクヴリーズは仲間を示す「三銃士」と呼びかける

Ray lifts his head one last time. He SMILES.

GARRATY: Pete, it’s going to be okay. I see it... I can see it now!

Garraty closes his eyes, at peace (he’s ready).

MCVRIES: Musketeer.

https://deadline.com/2025/12/the-long-walk-script-stephen-king-adaptation-1236658171/


一方でbromanceのromance側に寄った表現もあり、完成版の映画でも描かれている

マクヴリーズが彼女はいないと答えた際の含みのある態度は、脚本では「ギャラティの目をしばらくじっと見つめた後、判別できない笑みを浮かべて」答えたと描写されていて、性的マイノリティが自分の性的指向に触れず曖昧に示す典型的な会話といえる

映画ではマクヴリーズのその答えに動揺したギャラティが2度目の警告を受けてしまうが、脚本では単純にジャケットを脱ごうと立ち止まってしまったことで2度目の警告を受ける

映画

脚本で一旦減ったクィア描写が再び増えている

マクヴリーズの性的指向(バイセクシュアル/パンセクシュアル/ゲイ)を示唆する描写

  • 親友への性的欲求の表現

  • 彼女はいないと答えた際の含みのある態度

  • オルソンが「お前はゲイか?」とギャラティに言ったのを聞いて、後方で黙り込んで苦笑いしているようにも見える

脚本では「今ならお前にも興奮しそうだ 体臭がこんなにひどくなければな」と言い、ギャラティが笑って終わっていたシーンが、
映画ではマクヴリーズが「今ならお前にも興奮しそうだ いいニオイがする」(英語の台詞は聴き取れなかったので元のニュアンスはわからない…)と言ってギャラティにちょっかいをかけ、ギャラティが警告まで受けてしまう、と若干ニュアンスが増している

その日の夜になって急勾配の坂道の直前のシーン
彼女はいないと答えたマクヴリーズの態度に、ギャラティは動揺したようにしばらく言葉を失って歩く速度が落ち、2度目の警告を受けてしまう

さらに3度目の警告を受けたあと励ますマクヴリーズを拒否して「本当は僕が死ねばいいと思ってるんだろ」とひどい言葉を投げつけるのは、生命の危機が目の前に迫った焦燥のほかに、内面化された同性愛嫌悪によってマクヴリーズへの好意を否定し突き放そうとする自己防衛も読み取れる

「兄弟」のキーワードは脚本よりも弱まり、
優勝を譲ろうとするギャラティに「何してるんだ」と怒るマクヴリーズに

Being a brother. You're my brother.

と言うのは脚本とほぼ同じなものの、比較的軽くさらりと描かれる
脚本のような劇的なやりとりではない

マクヴリーズの言う美しさや光が今は「自分にも見える」と言い残した脚本と逆に、完成した映画では「僕には見えない」だから「生きてくれ」と変わっている

そしてギャラティが最期にマクヴリーズに"I love you, Pete"と伝える言葉が加わっている
"I love you"自体は恋愛に限らない愛情表現で、友情〜ブロマンスの範疇として読み取れるシーンだが、「兄弟」のニュアンスを減らして"I love you"を加えたことを踏まえると、bromanceのbrotherからromanceにやや寄ったようにも取れる

I can't, I can't see it. But you can.
That's why I love you.
I love you Pete.

日本語字幕は

僕には見えない光がお前には見える だから生きてくれ
大好きだよ

映画「ロングウォーク」個人的によかったところ

お互いに影響を与え合うところ

明らかに映画から加わった方向性ですごく好き……

ロングウォークと同じ10代後半に森博嗣作品を浴びるように読んだので、ある個人が他者に出会わなければ知り得なかった影響を受けて変化する話が死ぬほど好きで…………
生きてないとできないことって究極それだけだから……
違う背景を持つ者同士の異文化交流的なのもめちゃくちゃ好き……

「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?」

森博嗣「すべてがFになる」

最初にカーリーを助けようとしたときは励ましながら笑顔を見せる余裕まではなかったギャラティに対して、
「楽しく行こうぜ」と声をかけながら自然な笑顔も見せる地力があるマクヴリーズ
(原語ではWe are here in sunshineとか話しかけてて余裕デカすぎる)

終盤には、極限状態で精神的に追い詰められたバーコヴィッチに接したギャラティは、本心とは違っても「ゲイリー」と呼び「俺たちは友達だ」「一緒に歩こう」と声をかけて、自然な笑顔も見せられるようになっている

ずっと他のウォーカーのメンターのような役割を果たしてきたマクヴリーズに影響されて、ギャラティもバーコヴィッチに対してメンターの役割ができるようになった
(たとえその横でマクヴリーズはバーコヴィッチにいい感情を抱いていないとしても、独立した一人の人格としてギャラティは影響を受け、成長している!)

マクヴリーズと出会わなければギャラティのこの成長はなかったんだよね……

残された時間がたとえあと3時間でも、3日でも、人はこの瞬間に新しく何かを受け取って変化することができる
「古畑任三郎」の「古い友人に会う」にもそんな台詞がありましたね……

一方のマクヴリーズもラストシーンの通り、ギャラティから大きな影響を受けて、よくも悪くも心境ががらりと変化した

他にも、映画ではカットされたけど、脚本の段階では二人の間の最も重要な感情のやりとりの一つとして描かれていたのが、マクヴリーズが顔の傷のことを明かし、「どんな闇の中でも光を見つける」と言ったあとに続ける会話

McVries looks at Garraty for a long while, carefully considering how much to share. Finally:

MCVRIES (CONT’D): Know what would have saved me?
GARRATY: What?
MCVRIES: A brother.

Garraty eyes him closely. McVries stares back at him.

MCVRIES (CONT’D): Ray, I’ve already gotten something out of this I never thought I’d have. I could die happy.

Garraty understands what he’s saying and it moves him. He acknowledges it.

MCVRIES (CONT’D): I never had family.

https://deadline.com/2025/12/the-long-walk-script-stephen-king-adaptation-1236658171/

「自分にはずっと家族がいなかった」と言うマクヴリーズが、意を決して「何が俺を救ってくれたかわかるか? 兄弟だよ」とギャラティに伝え、さらに「自分が得られるなんて思ってもみなかったものを、もう得ることができた。これで幸せに死ねる」とまで伝える
それを聞いたギャラティは、彼の言葉が指しているのが自分のことだと理解し、心が動かされる

ラストシーンで「僕には見えないものがお前には見える」とマクヴリーズに伝えたギャラティに対して、
今までの人生で一度も得られなかった「兄弟」「家族」であり、ひいては最悪の状況で見つけた一種の「光」だとも言っているようなマクヴリーズ
こんな美しい構図あるかね………

その相手を失ったことで決定的な影響を受けたマクヴリーズが、
ギャラティがマクヴリーズに見ていた「僕には見えないもの」(=「美しさ」「光」)、
自ら「人を殺せる人間には美しさが分からない」と言った言葉に反して、
人を殺す人間に変わってしまうというラスト……

よきにつけ悪しきにつけ人は人に出会ってこんなにも変化してしまうという部分が本当によくて……
結果は全然よくないんですけど……

しかし実際のところロングウォーク世界の全体主義国家アメリカを良い方向に向けて不幸な人を減らすには、ギャラティが決意していた通り社会を変えなくてはならず、少佐はその社会の最も象徴的な存在であり、ただ殺人という手段は取ってはならない禁忌で…………
待ってくれアメリカの話だと思ってたけどうちの国でも数年前似たような事件あったな??
だからどうということもないけど、全世界的な現代の社会情勢の表れではある気はする

ラストシーンの改変

前の項と一続きになるけれど、小説から映画への改変として真っ先に挙げられるこのラストシーンが良かったなと……
意味ある改変をしてくれる映像化ってのは原作ファン冥利に尽きるよ……

どういうシンクロなのかほぼ同時期に映画化されたもう一つのリチャード・バックマン作品「ランニング・マン」の映画化もラストシーンが大きく変わっていて、わたしは「ランニング・マン」のラスト改変もかなり好き

同じく2020年代中盤の現実のアメリカ社会を反映した上で、こちらはわかりやすすぎるほどにわかりやすくもはやゴリゴリに"左翼"的、"革命"的な展開を見せまくって
(劇伴に使った楽曲の一つが「Revolution Is Not Televised」!!!!!)
ラストは原作と違って全てを破壊せず、自分も死なずにハッピーエンドに変わった「ランニング・マン」と、
原作では想像もしなかった少佐の抹殺を行った「ロングウォーク」のラスト改変はかなり対照的

WalkとRunで対になる兄弟のような2作品が、どちらも時代を反映して原作から改変を加えた結果、ラストが真逆に近くなるという構図はなんとも言えない……
(「ランニング・マン」はラストシーンが現代では9.11を想起してしまうため原作通りにはできない制約もあり、どうしてもテンポが悪くなってしまったのは惜しい……!!)

映画版「ランニング・マン」の主人公ベンはラストのあと革命運動の象徴的存在になったことが示唆されてたけど、
映画版マクヴリーズもラストのあと革命組織のリーダーとかになっても驚かないな……
映画「バトル・ロワイアル2」で七原がテロ組織のリーダーになってたのは唐突すぎたけど、このマクヴリーズならありえる……

初回に観たときは、映画版はマクヴリーズがギャラティの意志を継いでこの狂った社会を変えようと決意する、ビターだけど希望の光の見えるラストにしたんだなあと思ったんですよね
個人的に社会を描く要素があるフィクションが好きなのと、
日本では先に公開された「ランニング・マン」のかなりレフティな"革命"ムードに引っ張られてたと思う

でもその後何度も繰り返し観たり他の方の感想を読んだりするうちに印象が変わってきて、
「人を殺せる人間には美しさが解らない」と言ったマクヴリーズが、ギャラティを失って人を殺してしまった意味の大きさをより感じるようになった
この狂った全体主義社会を背景にしながら、映画版は最終的には個人と個人の友情や愛情にフォーカスしたアプローチだと今は思います

実際「ロングウォーク」も脚本段階では、
「自分を殺してもいくらでも代わりの人間がいる」と止める少佐に対して、
マクヴリーズが「始めるにはまずお前からだ。レイに捧げる」と言って少佐を撃ち殺していて、ギャラティに代わって体制に立ち向かう意志を言葉にしてるんですよね
(と同時に、ゴールの少し前から原作のギャラティ同様に幻影が見え始めていて、少佐を殺した後、前方の影を追って再びロングウォークに戻ってしまうエンドだった……)

完成した映画では最終的にマクヴリーズの喪失とアンビバレントな悲哀を描くことを取ったのかなという印象を今は持っていて、製作陣は脚本から撮影までにラストというか作品自体の解釈自体が変わったんだなあと

途中で方針が変わったのか経緯はわからないけれど、キャスティングが決まり、俳優二人のケミストリーによってギャラティとマクヴリーズの絆が目の前に現れたことの影響は大きかったんじゃないかなと想像してしまいます

いずれにしても観る人によって解釈が変わりうる、想像する余地のあるラストでそれもいいなと思います

原作は誰がどう読んでも絶望以外ないので…………

最終章の引用文のとこも、何も書いてない部分に想像がかき立てられて怖すぎる

とにかくマクヴリーズ(デヴィッド・ジョンソン)が良すぎる

小説「ロングウォーク」を読んだ人間は全員ピーター・マクヴリーズが大好きなわけですが(主語デカ)、
なんなら原作から設定も性格も言動も最も大きく変わってるのに、芯の部分が不思議と表現されててマクヴリーズとして成立してる 何事???

演技力という言葉で収まるものなのかわからないこの存在感、説得力、あまりにも良すぎて映画版「ロングウォーク」のMVPとして大感謝していたところ、
MCU映画の主演に大抜擢されて、そりゃそうもなるでしょうと大拍手

彼はこれから大俳優になっていくに違いない……
すでにA24のクーパー・ホフマンとの新しい共演作も撮り終わってるのかな?
クーパーさんも「できればこれからももっと共演したい」と言っています

ステビンズのかすかな微笑み

政府への反抗を示す他のウォーカーたちから少し距離を取り、忠告を繰り返すステビンズが、"Fuck the Long Walk!"の合唱に見せるささやかな微笑み

「バトル・ロワイアル 特別篇」の追加シーンで相馬光子さんが見せるあの笑顔に通じる素晴らしいシーン

彼がキャスティングされた価値はここにあるんだろうな……と思った通り、やはり脚本(準備稿)段階ではステビンズが微笑む描写はなく、周りの「ロングウォークは最悪!」の声を聞いているうちにステビンズの外面の固い殻が破れて、自然に微笑んでいたという

同じインタビュー動画で役作りについての質問に、
「ステビンズは初めからずっと自分が勝つと確信していて、他の子たちと親しくなると別れがつらくなってしまうから、自分の殻に閉じこもって、他の子たちとの間に壁を築いていた」と答えていて、そんな解釈があったのかと目からうろこ……
https://youtu.be/wCyti6gDON4?t=534
もしかしたら原作のステビンズにもそういう部分があったのかもしれないけど、原作は作品の方向性としてその感情は描かれる余地がなかった

ずっと昔から知ってたステビンズというキャラクターの新しい一面を見せてくれて、ありがとうギャレット・ウェアリング……

原作と同じ台詞・展開で意味合いを変える改変

原作改変の分析の項ですでに書いた通り、原作を活かしながら、時代や作品性に合わせて意味合いを反転させるような改変が上手い(以下再掲)

原作の台詞・会話の意味を反転させたシーンの例

  • 見物人の家族に対して

    • [原作]「もちろんあの連中は畜生なみだ」「だがおれたちが人間だってどうして言い切れる?」

    • [映画]「彼らは愛し合ってる家族だ」「あの家族に敬意を示せないなら今すぐ銃弾を浴びろ」(脚本段階では、ラストのクライマックスのシーンでもマクヴリーズがギャラティに優勝を譲るためにこの家族に言及する)

  • ベイカーのキリスト教信仰

    • [原作]死後に体が腐敗するのを恐れて「鉛の内張り」をした棺桶に入れてくれとギャラティに頼み、狂気の表れとして描かれる

    • [映画]十字架のネックレスを祖母に渡すようギャラティに頼み、友情と家族愛の表れとして描かれる

言葉やシーンの意味は真逆に反転しているけれど、絶望を見せるか希望を見せるかで伝え方を変えているだけで、作品としてのテーマは「全体主義の危険さ」「戦争批判」「極限の状況の中の人間性」と変わっていない
意味ある改変をしてくれる映像化ってのは原作ファン冥利に尽きる……(2回目)

オルソンの最期のシーン

オルソンの最期の台詞「おれはまちがった!」
「ロングウォーク」の中で最も強烈で、最も印象に残っている象徴的な台詞
年に一回くらい、何もなくても頭の中にふと甦ってくるもんね

このシーンもまた原作と映画のスタンスの違いがよく現れていて、
展開も結果も台詞もほとんど原作と同じなのに、演出によってシーンの意味合いがまったく変わっているのがすごい

一人がオルソンの元に駆け寄って、別のもう一人がそれを連れ戻し、手遅れでオルソンを助けられない展開は同じ
(原作では駆け寄ったギャラティをマクヴリーズが連れ戻し、
 映画では駆け寄ったのがベイカー、連れ戻すのがギャラティに変更)

心身とも徐々に追い詰められ死に向かっていく少年たちを突き放したように描く原作では、
オルソンは分隊のハーフトラックに向かっていった見せしめに、より残酷な目に遭い、映画よりもグロテスクな描写が続く

個人の友情や人間性にフォーカスを当てる映画では、原作のグロテスクな描写は排して、
オルソンと駆け寄ったベイカーをごく近距離からエモーショナルに撮り、音楽も原作の乾いた印象とはまったく違う

最も違うのはオルソンを助けられなかった後、歩き去る場面の会話

原作では「撃たれるまでは死んでなかったんだ。生きてたよ」と繰り返すギャラティに対し、
マクヴリーズは突き放したようにオルソンの死を矮小化し、疲れと情緒の揺れを見せた後、
「オルソンも取るに足らない奴だった。すばらしい奴でもあったが、この二つはたがいに相容れないわけじゃない」とアンビバレントで残酷な現実を語る

映画では「助けられなかった」「俺を呼んでた」「俺を必要としてたのに…」と嘆くベイカーを、
ギャラティとマクヴリーズが両脇から支えて歩いていく、結果としては報われなかったとしても友情のシーンとして描く

そして「俺は間違った」のニュアンスも原作と映画では若干変わってくる気がして、
原作はみんな同調圧力でなんとなく応募して参加してしまう(応募しないやつも全然いる)からこそ、自分の選択で応募してしまった後悔が強烈

映画は国の思想統制がより強くて「応募しない選択肢はない」分、ベイカーとの友情と、ベン・ウォンの演技で補ってあまりある…

日本語字幕にはなってないけど、映画では警告を受けたオルソンの方から"Art!"と呼んで、それに応えてベイカーが駆け戻っていくんだよね
ギャラティに引き剥がされる時も、字幕にはなってないけど"Sorry, Olson"ってベイカーは声をかけてた

ベイカーを励ますギャラティの台詞は、日本語字幕では「お前の気持ちは伝わった」となってるけど
原語では"You've done a good thing"と何度も繰り返し言葉をかけてて、たしかにこれは日本語に訳すのが難しい
キリスト教的だなと思うと同時に、敬虔なベイカーにかける言葉としてもふさわしいように感じる
これもまたマクヴリーズの影響を受けたギャラティの精神的成長が見える場面でもある
ベイカーはこの瞬間受け止める余裕もないとしても…

音楽

主題歌
Shaboozey & Stephen Wilson Jr. "Took A Walk"

映画のために書かれた曲なので当然とはいえ、歌詞があまりにもロングウォーク
ロングウォークのみんなを描いた歌が将来出ると高校生の時の自分に言っても信じられないと思う……
元々シャブージーの声が好きなのでより嬉しい

予告編使用曲
Shaboozey "Last of My Kind (feat. Paul Cauthen)"

映画のために書かれた曲じゃないのに、歌詞がかなりピーター・マクヴリーズだしかなりロングウォーク どういうことなんだ

サウンドトラック
Jeremiah Fraites "The Long Walk" (Original Motion Picture Soundtrack)
1曲選ぶなら"Olson"

原作のあの強烈なシーンのイメージとはがらりと変わったオルソンの最期のシーンをこの曲が支えてくれてる
ベイカーの最期のシーンでも同じ曲が流れて、友情……😢

「ロングウォークは最悪!」のシーンでトレスラーがラジオでかける曲
Parish Hall "My Eyes Are Getting Heavy"

脚本には「60年代後半 ベトナム戦争時代のロックンロール」とだけ書かれていて、これは1970年の曲

反戦性

日本公開前にGuardian紙で「戦争のない戦争映画」と書かれていた(日本版予告編でも引用)受け売りだけれど、その言葉によって「ロングウォーク」という作品への視点が増えて、大きく切り替わった

「バトル・ロワイアル」と同じで国家による人間性の侵害を描いた社会批判だとは思っていたものの、「反戦」という言葉でははっきり認識していなかったのが徐々に結びついていった
国家による人権侵害が行きつく最悪の形は戦争で、残念ながら今のこの時代にとてもタイムリー
ここ日本でも今や全く対岸の火事ではない……嫌すぎ……

原作はベトナム戦争真っただ中の時代に、徴兵の可能性に怯える大学1年生の青年が書いたこと
映画は原作の少年たちより年上の俳優たちと大人の製作陣によって作られたこと
原作が執筆された1960年代と、映画が製作された2020年代の政治情勢の変化
ifの話として見ていられた昔と、もはやアメリカどころか日本もこういう国になりかけている今
主人公の一人称視点で読む小説と、三人称視点で観る映画
原作を初めて読んだ頃のウォーカーたちと同年代だった自分と、大人になった今の自分

とおそらく要因はたくさんあり、原作から映画への変化だけでなく自分の受け取り方が変わったのも大きいけれど、
一人称視点で個人の物語に見えやすい小説から、群像劇を見せることができる映画というメディアになり、
そしてここでもさんざん書いている作品の方向性のコントロールのおかげで、徴兵制度の暗喩としての側面が際立ち、すばらしい反戦映画になった

視覚化で生まれた現実感

ずっと何度も読んでた小説でも、映像になった途端想像できるようになったものがあって、媒体の違いってすごい

時代的に男性には許されないだろうけど晴雨兼用傘とレインコート持ってきたら勝ちじゃね?とか
映像上は映ってないけど、毎年同じコースを歩くんだから道路上のあちこちに血の痕が残っててもおかしくないよな……とか
急に自分事の体感に引きつけて見えるようになった

冒頭のシーン、兵士がIDカードを返してくれない意味が映像化で解った
返す必要がないからだ……
原作では母のなんでもない一言かと思ってしまってた……

ギャラティのママといえば、冒頭のシーンでは原作通り貧しく疲れた様子の服装だったのが、
フリーポートで待っていた時は綺麗な服で髪も整えていて、息子に元気な姿を見せよう、息子に仲間の前やテレビ中継で恥をかかせないようにと気を配ったんだろうなと思えて、服装一つでこういう表現ができるのが映像化ってすごい……

「次は快適な電車の旅を」

https://www.imdb.com/title/tt10374610/mediaviewer/rm4021003010/

初回に観た時 ヒューッ!これぞロングウォークだぜ!と思ったけど後で原作読み返したらないシーンだった ナイス演出……
この皮肉のエグみ、まさに死のロングウォーク、まさにバックマン作品

またこのデザインのテイストが古臭くてどことなく怖くていいね、60年代どころか1920〜30年代っぽい……
と思ったら元ネタがあり、1937年のドキュメンタリー写真「Towards Los Angeles, California」(撮影:Dorothea Lange)でした

世界恐慌と旱魃が重なった時代、困難な状況の中でもチャンスを求めてロサンゼルスを目指して歩く男性たちの過酷な旅路とは対照的な、皮肉かつ象徴的な広告として知られている……そうで、思った以上にロングウォークそのままだった……

元ネタの"NEXT TIME TRY THE TRAIN - RELAX"に対して、
"NEXT TIME TAKE THE TRAIN - COMFORT RELAX"と
TRYよりもいつでも乗れるかのようなTAKEに変えて、COMFORTも加えてるのが何気にえぐい

世界恐慌下のカリフォルニアを舞台にした映画「廿日鼠と人間」(1939)でも引用されているとのこと

"Good luck, son"

これはよかったところというかエグみが加わって少佐ふざけんなポイントなんですが

冒頭のスタート前のシーン、ステビンズは少佐から番号を受け取る際"Good luck, son"と声をかけられ、少佐が自分の息子と知っていることに気づく
(sonは他人相手でも「若者」と呼びかけに使うが、ここでは裏の真意を込めている)

(脚本では自分に父を殺されたギャラティに"Good luck, son"と声をかけていて、こっちはこっちでクソエグい)

そしてラスト、優勝決まったマクヴリーズにも少佐が"Tell me son, what's your wish?"言うのえぐすぎ
お前の息子もお前が殺した男の息子もさっき死んだが?????
(こっちは脚本にはなかった)

どういう経緯でこうなったのか知らないけどクリティカルな台詞サンキュー……
少佐に人の心なんてなかった 知ってた

映画「ロングウォーク」個人的に残念なところ

"分断"の扱い方が中途半端

映画版の独自設定で「国を分断した戦争」(脚本では"The Big War")の後も経済が回復せず苦境にあるという背景設定
アメリカ国内の内戦だったのか、東西冷戦のように他国も関わる戦争だったのかは不明

冒頭のカーラジオのニュースで「国を分断した戦争から19年」
少佐の演説で「国を分断した戦争」と2度言及されていて、
未だに戦後の爪痕から脱せていないことが示されている(それがロングウォーク開催の口実にもされている)のに、物語の中で実際の分断の描写が一つもない
50人の出場者が50州の代表という設定も加えておきながら、出場者の間で出身地による分断の描写が何もない
(コリー・パーカーの田舎者煽りくらいで、これは原作からある)

分断は(東ドイツと西ドイツのような)地域間だけとは限らず、経済状況や政治的意見の違いを指すこともあるわけだけど、「ロングウォークは最悪!」のようにウォーカーたちの政治的意見を含むシーンでさえ、明確な分断は特に描かれてない

出場者と見物人の間のコンフリクトも原作よりずっと小さく、むしろ家族愛や他人への尊重に言及するエピソードに反転している

現実のアメリカで共和党支持者と民主党支持者、赤い州と青い州、都市と地方、富裕層と貧困層の分断が社会に深刻な悪影響を広げていることを込めたにしても、物語に落とし込めないただの言葉だけなら余計だったのでは…
社会問題を盛り込んだフィクション作品が大好きなだけに、言葉の扱い方の軽さが気になった

キャラクターの改変が一部微妙

ステビンズのキャラクター性の変更

作品の方向性の変更によってギャラティとマクヴリーズのブロマンスにも近い友情がフォーカスされ、最後に残る二人が原作のギャラティとステビンズから映画ではギャラティとマクヴリーズに変わり、
最も割を食う結果になってしまったのがステビンズだなと…

しかし別に変えずに残せばいい部分まで変えてしまったように自分は感じて、
何が許せないかというと「お茶に招待されたい」という台詞

これも原作に登場する台詞の引用で、ギャラティが「おれも少佐をお茶に招きたいと思ったことがあった」と何気なく言ったり、
ステビンズ自身も(少佐相手ではなく皮肉で)二度口にする言葉だけど、これは悪い方の転用

ステビンズは少佐にこんなこと言いませんが!?!?!?!?
出生からの全人生と命を懸けたステビンズのクソ意地と矜持とプライドと行動原理をなぜ曲げる必要が????

もしかしたらギリ皮肉とも解釈できるのかもしれないけど、普通に受け取ったら文字通りの意味だよね……

それと原作のスクラムの要素がオルソンとステビンズに分散したわけだけど、充当先のキャラクターが変じゃないですか?とはずっと思っている
既婚者については映画のストーリー進行上他にいなかったんだろうけど、肺炎引き継ぐ必要別になくない?
スクラムとステビンズって100人の中でも両極端に近いくらいキャラクターが正反対で、わたしがその印象を引きずってるとこはある
ステビンズのキャラクター性が……(ずっと言う)

2日目の朝にはもう咳き込みだしてるステビンズじゃなくて、しんがりで終盤まで超然として疲れも見せないミステリアスなステビンズが見たかったよ……

オルソンのキャラクターの矛盾

既婚なのに10人の裸の女性を要求する映画版オルソンの設定メチャクチャだろと思ってたけど、少なくとも脚本(準備稿)段階ではちゃんとフォローされてた

ギャラティ「待てよ、10人の裸の女性って言ってた奴が結婚?」(もっともな疑問)
ベイカー「冗談で言ってただけだよ。格好つけたかったんだ」

改稿したのか、撮影したあとで編集でカットしたのかわからんけど、なんでカットしたんや……
死んだあとで急に聞かされてどう捉えたらええのよ観客は😂

なんか全体的に距離が近い

もう少し精神的に距離がありそうな場面で、物理的な距離がちょっと近すぎる
アメリカと日本の感覚の違いかもしれないけどそれだけで説明しきれなくないですか

  • ステビンズの作戦を褒めてるすぐ後ろに本人がいる

  • 「バーコヴィッチには勝つぞ」と言ってるすぐ後ろに本人がいる

限られた尺でキャラクターを印象づけて映す必要はあるにしても、もうちょっと上手い距離感ありません?の気持ち
ハークネスやベイカーの最期のシーンなんてすごく遠くに小さくしか映さないけど、ピントの合わせ方でちゃんと印象深く見える

特にステビンズは原作のいつもしんがりを歩いてるミステリアスなイメージと変わっちゃって…
(カーリーの脚が攣る直前の場面みたいに、その通りのカットもあるけど)

日本では日常でまず見ないような、地平線まで続く広大な風景にもかかわらず、なんか画面も表現もこじんまり収まっちゃってるのは、この奥行きのなさも大きいと思う
(スクリーンの大きさによっても印象が変わり得るけど、幅15m超のスクリーンでも複数回観たので…)

ステビンズが少佐の息子だと告白する目の前に少佐がいる

わたしがいちばん許せねえ演出ここかも

ステビンズが少佐のことを告白するすぐ目の前で、少佐が車の上にこっち向いて立ってる状況何?????
普通に話聞いてる距離だよな?????

ロングウォークの進行的にもこのシーンで少佐が付き添ってる必然性は特にないし、この直前にギャラティが少佐を煽ったくだりのあと走り去った方がよほど自然じゃん

https://www.imdb.com/title/tt10374610/mediaviewer/rm3823742210/

ステビンズが自分の全人生を懸けた告白をしてるのに少佐本人はどこか遠くで悠々としていて姿さえ見せない状況の残酷さ、ステビンズの命を懸けた覚悟を描くシーンだったのが、
すぐ目の前で本人が聞いてて、無視するでも嘲笑うでもなく、ストーリー上意味のないぼやっとした反応しかしない
その少佐を前にステビンズは「お茶に招待されたい」と原作になかった父を慕う気持ちを見せるって

ステビンズの尊厳はどこに行ったんですか?????
確かに死にざまは原作より誇り高い描き方になったけど、生きざまを貶めてほしくなかった……

映像作品として面白ければ原作改変は気にならない派だけどこれだけはマジで……キャラクターの扱いも映像の演出としても変だもん……
パーソナルスペース無視の無神経なやつに割り込んでこられたみてえな演出……

国家権力との距離感も違和感

現実のアメリカと同規模とすれば人口3億人前後の国で、
テロでも企んでた重大な政治犯ならともかく、単なる思想犯に、軍の象徴的存在である少佐がいちいち直々に粛清しに来るの変

ラストの「幸運を祈る ギャラティ君」と対比させたかったのはわかるけどなんか安直だし、少佐の絶対的権力が逆にショボく見えてしまう点でもどうなんだ…

映像的に表現するにしても、せめて下っ端の兵士がギャラティの父を粛清する後ろでジープに立った少佐が構えてたとかなら少佐への復讐の理由を作りつつ格も保てたのでは…

ところどころ演出がちょっと安直

道端で燃えてるその車は何??

仮にロングウォークのコース上で車が燃えてたら、軍の兵士が先回りして消し止めとかんとおかしいだろ
ウォーカーや戦車が通り過ぎるとき爆発に遭って競技の進行が妨げられる危険があるのに?
焚き火程度ならいざ知らず、車なんていつ爆発するかわからんもの放置するわけない
ちょっと雰囲気演出すぎるような…

作品のトーンによってはロングウォークに反対する反政府運動とかの可能性までありそうだけど特に何もなかった

https://www.imdb.com/title/tt10374610/mediaviewer/rm2141364994/

マクヴリーズをなぜ軍が無抵抗で見逃してしまうのか

少佐を殺す前でも後でも、ゴール地点になった場所で周りを兵士が取り囲んでる状態なのに、軍の最高権力者と思われる少佐が殺されるのを組織として妨害もせず、みすみす撃ち殺させてそのまま歩いて逃がすわけがなく、最も大事なラストでリアリティに欠けるのでは……
ロングウォーク優勝者の権利が軍の最高権力者より上なんてことはあるまい
事前にギャラティの台詞で「どうなるかは未知の領域だ」と逃げを作っておいたとしてもさすがに変

ありえない展開なので実際には殺されたマクヴリーズの見てる走馬灯なのではという感想や、
人を殺した瞬間に大切なものを失い群衆にも関心がなくなってしまったので周囲の人間が描かれなくなるという感想などお見かけして、そういう解釈もあるのか〜と思った

タイトルの"Walk"の雰囲気を保つことと、観る人によってバッドエンドともそれ以外とも捉え方が変わるエンディングの余韻を優先したんだと思うけど、多少兵士に妨害されながらも少佐を殺し、追われるのを振り切った後また歩き始める……とかでも十分だったのでは

US版円盤に収録されているAlternative endingが日本盤にも入るといいなーー
(入らなかったらもうUS盤と再生できるBlu-rayプレイヤー買います…)

とまあ演出が少々子供騙しというか……
中学生に見せるつもりで作ったのに映倫にR-15指定されてしまった「バトル・ロワイアル」と違って、
「ロングウォーク」はスティーヴン・キングからの条件で初めからR-15指定で撮ってるのに、ハイティーン以上が対象にしてはちょっと子供っぽいような…

しかしわたしが10代の頃「バトル・ロワイアル」を軽く見る大人がいたように、今「ロングウォーク」を10代で観たとしたら大した欠点ではないのかもしれない
まあ深作欣二監督の「バトル・ロワイアル」も細けえこたあいいんだよ精神でつじつまはメチャクチャなんですけどね!

「バトル・ロワイアル」はメチャクチャを勢いでスルーできる動的なアクション映画なのに対して、「ロングウォーク」は相対的に静的な映画なので、目立って見えてしまうのはある

虹のシーンで虹がよく見えない

映画の中で最も重要なシーンの一つ、前方に虹が出ているシーンで、肝心の虹がよく見えない
わたしがぼんやりしてるのかもしれないけど、映画館で3回目まで虹が出てることに気づかなかった

虹の色がかなり薄いのと、人間は動く物や人間に注意が引きつけられる性質がある
足を引きずって歩く4番(この次のシーンでとんでもなく酷い目に遭う)が目について、くたびれた姿勢で死地へ向かうウォーカーたちしか見えてなかったので、こんな皮肉な光景にも「見ろ この瞬間に感謝しよう」となんらかの美しさを見出すタフなシーンかと勘違いしてた……

実際は「人を殺せるような奴らには美しさがわからない」と語り、絶望的な状況でも光を見出すマクヴリーズの強さに打たれて、ギャラティの心境が大きく変化する、静かながら劇中でも重要な転換点のシーンでした

おわりに

……と、よかったところも残念だったところもいろいろと言ってしまったけど、トータルでは圧倒的に好きで、とてもいい映画化だった……!!

配信でこれからいつでも何度でも観られて、また新しい発見があるだろうなと嬉しい

全然まとまってない記事だけど、アメリカのロングウォーク公式アカウントのめっちゃ怖いIDを引用して無理やり終わりますhttps://www.instagram.com/jointhelongwalk/

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