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野球の旅 夢は遥かベロビーチ(8)

眠れぬ夜が過ぎて
 
 やっとの思いで朝を迎えた。時差の影響か緊張なのか、昨夜は夜中の2時に目が覚めて、ベッドで体操をしたりコーヒーを沸かしたりして孤独な時間を過ごした。時計が7時を指すとホッとした。
 
 食堂に入ると受付の年配女性がたどたどしい日本語で、「おはようございます」と笑顔を送ってくれた。彼女の後方には近鉄バファローズのユニフォームが飾られている。朝食はたくさんのお皿と食器が並んだバイキング形式になっていた。カリカリのベーコン、スクランブル・エッグ、果物などがたくさん並び、おいしいオレンジジュースが何杯でもおかわり自由。なんたってアメリカの朝食ではオレンジジュースの味が最高だ。ナチュラルで本当においしい。パンもうまかった。
 
 コーヒーが飲みたくてカップを持ってウロウロしたが、どこを見てもコーヒーポットが見当たらない。「しょうがないか」とあきらめて座ったら、黒人の若い女性がポットを持ってテーブルにやってきた。コーヒーはリクエストすれば注いでくれるのだ。やっぱり田舎人間や。ちょっと赤面。それからはその黒人の若いウェイトレスは毎朝心配してわたしのテーブルを気遣ってくれた。旅慣れないアジア人に同情したのかもしれない。話す相手もいないわたしは「グッモーニング」だけを頼りに初の朝食タイムを乗り切ったが、「野球よりも緊張するわ」と思った。
 
 ロッカールーム
 
 待ち望んだ11:30。いよいよロッカールームがオープンする時刻だ。スポーツをする人間にとって「ロッカールーム」という言葉には独特の響きと味わいがある。どこであっても野球場のベンチ裏更衣室へ入ると、それだけで身が引き締まるものだ。ましてやここはドジャータウンのロッカールーム。たまらない。

 ここには古今東西幾多のマイナーリーガーたちの汗と涙、成功と挫折がしみこんでいる。(メジャーリーガーのロッカーは同じドジャータウン内の別なエリアにある。その区別は厳格だ)。中村選手(元楽天)や斉藤隆投手(元ドジャース、ブレーブス)が着替えてシャワーを浴びた部屋。そこに自分のユニフォームが吊るされる。これからの一週間、わたしはここでイスに腰をかけ、真っ白なソックスをはき、そして疲れた体でスパイクを脱ぐのだ。

 出身地や言語に微妙な違いをみせる多彩なアメリカ人に囲まれて、パンツ姿でコークを飲み、サンドイッチを食べ、プロ野球選手になった気分に浸ることができる。それがベロビーチのロッカールームなのだ。

 隣のロッカーはレジー・スミス(元巨人)で、後方にはデイブ・ウォレス(当時はレッドソックスのピッチング・コーチ)がユニフォームを置いている。ウォレスは地味なキャリアながらドジャーズでゼネラル・マネージャーを、メッツではアドバイザーを務めるなど(この部分はわたしの英語力なので確信は持てないが)、「ビッグ・リーグ」(メジャーリーグのこと)で30年のシーズンを過ごしている人物だ。彼らはこうして何十年のキャリアを経て、一歩一歩指導者としての階段を昇っていくのだ。

 一方、日本のプロ野球界では指導者としての能力に関係なく、人気で集客を図ろうとするから、元スター選手というだけで監督になることができる。
アメリカはプレーヤーとしての実績と指導者としての力量をまったく別なものだと考えている。ファンにとってはどちらが野球の素晴らしさを提供してくれるシステムなのだろうか。わたしには結論が出ていると思えるのだが。
 
 そのデイブ・ウォレスが後日、ランチタイムの休憩どきにわたしのピッチングを批評して、「もっと低めに」と話しかけてきた。わたしは驚いて彼に尋ねた。
「日本語がじょうずですね」
すると笑いながら彼がいった。
「ノモさん、低めに、低めに」

 彼は野茂投手が近鉄からドジャーズに入団したときのピッチング・コーチであり、二人はメッツでもいっしょに働いたことがある。野茂投手は当時を振り返りデイブ・ウォレスの思い出を次のように語っている。
「デイブはオヤジ系のコーチでしたね。ドジャーズ時代、僕やラモン・マルチネス、ペドロ・アスタシオのような実績のあるピッチャーに対しては自由にやらせてくれたんですが、そのかわり、若くて実績のないピッチャーに対しては、遅刻するな!とか言ってよく怒っていましたよ。ただ選手の側に立ってくれるというか、何か悩みがあると親身になって相談に乗ってくれましたね。データよりもコミュニケーションを大切にするコーチでしたね」
彼はときおりコントロールを乱す癖のある野茂投手に、低めに投げるよう指示し続けていたのだろう。

 ランチタイム、テーブルに腰をかけて両足をブラブラさせながら、「タケモト、低めに」と微笑むデイブ・ウォレスに、わたしもつりこまれて大きく笑った。ドジャーズの元スター選手と名もない日本人。しかしそこには上下の関係や圧迫感はなかった。ベースボールを愛する者同士の自由な人間関係だけが介在していた。だから生まれた二人の交流だった。

 こんな会話が生まれるドジャータウンのロッカールーム。これだけでも参加した価値があるというものだ。たまらない瞬間だった。(ウォレスはその後松坂投手の入団と入れ違いにボストンを離れ、ヒューストン・アストロズへ移ってしまったから、テレビの画面で彼と会う機会がなくなったのが寂しい)
 
 わたしはハンガーにかかっている背番号「11」の新しいユニフォーム二着をしばらくじっと見つめてから、ゆっくりと着替えを始めた。

反転しているが、愛すべきロッカールームでの一コマ


  

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