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飛躍(フェイユエ)の歴史。少林寺の僧が履いた中国の「人民の運動靴」は、海を渡ってパリのファッションになり、二つの名を持つ靴になった#PR


我々はこれまで、足元に宿る歴史を辿ってきた。英国海軍の帆布から生まれた「キャンバスの歴史」、イタリアのゴム工場が編んだスペルガ(Superga)、ニューヨークの亡命キューバ人が起こしたポニー(Pony)、そしてイタリアの糸屋からヒップホップへと駆け上がったフィラ(FILA)。バルカナイズド製法(生ゴムを加硫硬化させて布と一体化させる工法)でできた一足のキャンバスシューズは、国を変え、海を渡るたびに、その土地の物語を吸い込んできた。

今回の主役は、これまで我々がほとんど語ってこなかった大陸の靴である。中国の、飛躍(フェイユエ)。

我々40代にとって、中国製のキャンバスシューズと聞けば、安価な量産品という印象が先に立つかもしれない。だが、この一足の来歴をたどると、そこにはPRO-Kedsやコンバースと寸分違わぬ「庶民の運動靴」の血が流れており、しかも一度は少林寺の僧の足を支え、やがて海を渡ってパリのファッションになり、ついには「二つの名を持つ靴」になるという、数奇な逆説が隠されている。

Kedsから続く歴史は、ついに中国大陸へ

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PRO-KedsやKedsがアメリカの「国民的運動靴」であったように、世界の各地には、その国の人々が等しく履いた「人民の運動靴」と呼ぶべき一足が存在する。フランスにスプリングコートがあり、イタリアにスペルガがあったように、中国には飛躍があった。

飛躍とは、中国語で「跳ぶ」「躍進する」を意味する。白いキャンバスのアッパーに、飴色のゴム底。サイドには稲妻のような赤と青のラインが一本。その意匠は驚くほど簡潔で、そして我々の知るローテクスニーカーと、構造的にはまったく同じ家系に属している。

上海、ゴム工業の興隆。一足の「人民の靴」が生まれるまで

飛躍の起源は、二十世紀前半、上海のゴム工業の興隆にさかのぼるとされる。租界(外国人居留地)を抱えた上海は、当時アジア有数の工業都市であり、ゴムと布を加硫して靴を作る技術が、欧米から流れ込んでいた。

現在広く知られる「飛躍」ブランドそのものは、一九五〇年代の上海で製造が本格化したと言われている(創業年や運営主体については複数の説があり、ここでは細部に立ち入らない)。確かなのは、それが特定のデザイナーの作品としてではなく、人民が日常的に履くための、安価で頑丈な実用品として広まったということだ。

体育の授業で、工場で、街角で。飛躍は、一足数元という価格で中国全土に行き渡った。スペックを誇るための靴ではなく、誰もが当たり前に履きつぶす靴。この「匿名の実用品」という出自こそ、PRO-Kedsをはじめとする世界中のキャンバスシューズと、飛躍が分かち合っている血である。

バルカナイズド・キャンバスという、世界共通の血

飛躍の足元を裏返してみれば、その正体はすぐに分かる。布のアッパーを生ゴムのソールで巻き込み、熱と圧力で一体に焼き固める──バルカナイズド製法。これは、PRO-Kedsもコンバースもスペルガも、等しく用いてきた、ローテクスニーカーの背骨ともいうべき技術である。

つまり飛躍は、東洋で独自に湧いて出た珍品ではない。十九世紀に欧米で確立したゴムと布の婚姻が、海を渡って中国の地に根づき、その国の人々の足を支えるために土着化した一族なのだ。素材も構造も、我々が愛するPRO-Kedsと地続きである。違うのは、それを履いた人々と、その土地の物語だけだ。

そして飛躍には、ひとつ際立った逸話がある。その軽さと、足裏の感覚が伝わる薄いソールが、武術の修練に向いていたのである。

少林寺の足元から、パリのランウェイへ──そして「二つの飛躍」

飛躍は、いつしか武術家たちの足元の定番になっていった。とりわけ、少林寺の僧たちが修行や演武で愛用したと伝えられ、カンフー映画や武術の世界を通じて、その素朴な白い靴は「功夫(クンフー)の靴」としての顔を持つようになる(※どの時期にどの程度普及したかについては諸説あり、伝承の域を出ない部分もある)。地面を掴み、跳び、回る。飾り気のない飛躍は、身体そのものを使う者たちに選ばれた。

物語が大きく折れ曲がるのは、二十一世紀に入ってからである。

二〇〇〇年代、一人のフランス人実業家がこの中国の素朴な靴に惚れ込み、ヨーロッパで「Feiyue」の名を冠したファッションブランドとして展開を始めたとされる。パリを拠点に、洗練された配色と物語性をまとわせて売り出された「フランスのフェイユエ」は、欧米のファッション愛好家やセレブリティに受け、瞬く間に洒落た一足へと姿を変えた。

その結果、世界には二つの飛躍が並び立つことになった。中国で人民が履き続けてきた数元の「元祖・飛躍」と、海を渡ってパリで生まれ変わった高価な「フェイユエ」。同じ意匠、同じ出自を持ちながら、商標や権利をめぐる関係は込み入っており、ここで断定的に裁定することはしない(経緯には複数の見解があるとだけ記しておく)。ただ、一足の庶民の靴が、海を渡るだけで「安物」から「モード」へと評価を反転させたという皮肉は、スニーカーの歴史において、実に味わい深い。

安価な量産品を見下し、舶来のブランドをありがたがる──その視線そのものを、飛躍という一足は静かに問い返してくる。

飛躍を履け

40代の男が飛躍を履くとき。

その白いキャンバスには、上海のゴム工場の煤煙と、少林寺の土の匂いと、パリのランウェイの照明とが、一枚の布の上に折り重なっている。一足数元の人民の靴が、海を渡るだけでモードへと反転したという、価値というものの危うさと面白さもまた、足元に宿っている。

我々がPRO-Kedsを愛するのは、それが高価だからでも、希少だからでもない。バルカナイズド・キャンバスという、世界中の庶民が等しく分かち合ってきた一族の、その素朴な誠実さに惹かれているからだ。ならば、海の向こうで同じ血を引き、同じように人々の足を支えてきた飛躍に、敬意を払わない理由はない。

安いか高いか、舶来か国産か、本家か分家か。そうしたラベルをいったん脇に置いて、ただ一足のキャンバスシューズとして飛躍を眺めてみる。すると、PRO-Kedsを履いてきた我々の足が、いつのまにか大陸の物語とつながっていたことに気づくはずだ。足元に纏うのは、ブランドの値札ではない。海を越えて受け継がれてきた、庶民の靴の長い歴史なのである。

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