25年前の宿題
25年前の宿題
――逃げた先で、25年前の宿題に追いつかれた
きっかけは、一人の少女でした。
けれど、本当の始まりは、もっと前にあります。
25年前。
私は一度、自分の人生から逃げました。
誰かに責められたわけではありません。
毎日、誰かに思い出させられたわけでもありません。
それでも私は、忘れたふりをするたびに、
逃げた日の自分が、
すぐそこに立っているのを感じていました。
友人と笑っているときも、
新しい仕事に慣れようとしているときも、
ふとした瞬間に、その気配だけは消えませんでした。
まるで、引っ越しのたびに捨てられず、
開けない箱ごと運び続けてきた荷物のように。
開けることも、
捨てることもできないまま、
25年が過ぎていきました。
2026年1月25日。
私は、一人の少女と出会いました。
その日、私は塾で英語を教えていました。
他の先生から引き継ぐ形で、
一人の中学3年生を担当することになったのです。
英語が苦手。
テストで点数が取れない。
受験まで、残された時間はわずか。
引き継ぎの資料には、そう書かれていました。
けれど、資料の数字だけでは、
目の前のこの子が何につまずいているのか、
本当のところは分かりません。
分かるのは、これから自分の目で確かめるしかありませんでした。
状況を確認した瞬間、
私は心の中でこう思いました。
「今からでは、間に合わないかもしれない。」
講師として、
思ってはいけない言葉だったのかもしれません。
でも、
それが正直な感覚でした。
時間がない。
基礎が抜けている。
何を残し、
何を捨てればいいのか。
目の前の少女は、
英語の前で立ち止まっていました。
けれど、その姿を見たとき、
私は別のものを見ていました。
25年前の自分です。
間に合わないかもしれない。
もう取り返せないかもしれない。
そう思いながら、
何もできずに立ち尽くしていた、
若いころの私です。
だから、次の瞬間、
別の声が自分の中から出てきました。
「私が諦めてどうするんだ。」
その言葉は、
少女に向けたものだったのか。
それとも、
自分自身に向けたものだったのか。
今でも、
はっきりとは分かりません。
ただ、その日、
私は決めました。
目の前の、
この一人を救いたい。
正直に言えば、
迷いがなかったわけではありません。
20年以上教えてきて、
間に合わなかった生徒もいます。
全力を尽くしても、
結果が変わらないことも知っています。
それでも今回は、
退くという選択肢が、最初からありませんでした。
市販の教材では足りませんでした。
時間も足りませんでした。
だから、
その子に今、本当に必要なものだけを
作ることにしました。
一枚ずつ、
プリントを作りました。
授業をする。
家に帰る。
その日の様子を思い出す。
どこで止まったのかを考える。
次に必要な一枚を作る。
その繰り返しでした。
私は20年以上、
英語を教えてきました。
授業中は分かった顔をしているのに、
翌週には忘れてしまう子。
テストでは解けるのに、
自分の言葉では話せない子。
英語が嫌いなのではなく、
どこで迷子になったのか分からなくなっている子。
そういう子どもたちを、
何人も見てきました。
だから私は知っていました。
英語が苦手な子に必要なのは、
膨大な説明ではありません。
必要なのは、
今その子が越えるべき段差を見つけることです。
転ぶ前に、
足元の石をどけておくことです。
受験の日まで、
私たちは走りました。
正解した問題も、
次の週にはまた間違えることがありました。
それでも、
間違え方が少しずつ変わっていくのが分かりました。
同じところでつまずかなくなった瞬間、
その子は初めて、自分から次のページをめくるようになりました。
その子は私立高校に合格しました。
さらに、
第一志望だった公立高校にも合格しました。
合格の報告を受けたとき、
私はどこかで、25年前の自分に向けても
報告しているような気がしました。
「今度は、間に合ったぞ」と。
本来なら、
そこで終わるはずでした。
一人の受験生のために作ったプリント。
その役目は、
終わったはずでした。
でも、
私の手は止まりませんでした。
今回は、
間に合った。
けれど、
次はどうだろう。
来年はどうだろう。
また同じように、
英語の前で立ち止まる子が現れるはずです。
その子に出会ってから、
また慌てて作るのか。
誰かが「もう無理だ」と思う前に、
差し出せるものを作れないのか。
もう誰も、
置き去りにしたくない。
一人の少女に届けるために作った一枚のプリントは、
やがて中学3年間の英語を網羅する、
300ページを超える教材へと育っていきました。
それが、
Project Traverseの最初の一歩でした。
ただし、
最初に生まれたのは教材ではありません。
一つの考え方でした。
私は、
すべてのページを同じ流れにしました。
解説で理解する。
練習問題で確認する。
瞬間英作文で繰り返す。
授業中に「分かった」と思った瞬間から、
本当の練習が始まります。
理解する。
試す。
間違える。
もう一度やる。
それが当たり前になって、
初めて「できる」になります。
投げ方や打ち方を説明されただけでは、
野球の試合に出られないのと同じです。
私は、この考え方を
「x(エックス)メソッド」と呼ぶことにしました。
「×」には、
かけ算という意味があります。
解説だけでも足りない。
問題だけでも足りない。
瞬間英作文だけでも足りない。
掛け合わせて初めて、
本当の力になる。
そして、xは数学では
「未知数」です。
学習者には、
まだ見えていない可能性があります。
本人さえ気づいていない未来があります。
その可能性を信じたい。
その未来へ導きたい。
そんな願いも、
この名前に込めました。
この時の私は、
まだ知りませんでした。
この「×」が、
教材だけでなく、
アプリ、小説、漫画、
そして25年前の私自身にまで
つながっていくことを。
教材を作り始めたころ、
私はAIをほとんど使ったことがありませんでした。
最初は、
自分で書いた解説を見せて相談する程度でした。
けれど、
すぐに壁にぶつかりました。
AIとは、
意見が分かれることばかりでした。
「あの説明も必要です」
「この例外も書きましょう」
どれも間違ってはいません。
AIは、
私よりもはるかに多くの知識を持っています。
だからこそ、
正しいことをできるだけ多く伝えようとします。
でも、
私は知っていました。
全部伝えることが、
全部伝わることではない。
教室では、
正しさが多すぎると、
子どもは立ち止まります。
説明が増えれば増えるほど、
目の前の道が見えなくなることがあります。
だから私は、
AIが足そうとするたびに考えました。
この説明は、
この子を前に進ませるのか。
それとも、
迷わせるのか。
同じ問答を、
何度も繰り返しました。
AIが一つの例外を差し出すたびに、
私は「それは、あの子に今必要か」と問い返しました。
時には、
AIの言う通りに直したものを、
一晩置いてから、また元に戻すこともありました。
正しさを積み上げることと、
その子が越えられる形に削ることは、
まったく別の作業でした。
たとえば、
比較級の単元があります。
多くの学習者は、
比較級でつまずいているように見えます。
でも実際には、
その手前でつまずいていることがあります。
形容詞とは何か。
副詞とは何か。
そこがあいまいなまま進むから、
途中で苦しくなるのです。
だから私は、
比較級に入る前に、
あえて「形容詞・副詞」だけの単元を作りました。
内容を増やしたかったのではありません。
つまずく前に、
つまずきを取り除きたかったのです。
AIは、
知識を足そうとしました。
私は、
迷いを引こうとしました。
それは情報の引き算でした。
同時に、
苦しみの引き算でもありました。
思えば、
この引き算は、
この時初めて身につけたものでは
なかったのかもしれません。
何度も意見をぶつけ合いながら、
制作開始から2か月で、
300ページを超える教材が完成しました。
完成後、
AIにこの教材を最初から最後まで読み込ませました。
画面の向こうで思考するような、
わずかな沈黙のあと、
返ってきた言葉はこうでした。
「AIには、この本をゼロから作ることはできない。」
英語の知識だけなら、
AIには到底かないません。
AIは、正しい説明も、例文も、
いくらでも差し出してくれました。
けれど、目の前の子がどこで立ち止まるのか。
どんな気持ちでページを開くのか。
そこだけは、教室で子どもたちの横に立ってきた私が、
引き受けるしかありませんでした。
たぶん、その積み重ねだけは、
私の中にしかありませんでした。
その言葉を読んだとき、
嬉しさよりも先に、
怖くなりました。
私は本当に、
目の前の一人を救いたいという気持ちだけで作っていたのだろうか。
それとも、
ただ過去の自分を取り戻したくて、
必死になっていただけではないのか。
手遅れになる前に、
誰かを助けたい。
間に合わないかもしれない人に、
まだ間に合うと言いたい。
それは、
25年前の自分に、
一番言いたかった言葉だったのかもしれません。
けれど、
教材だけでは届かない子がいます。
勉強が嫌いな子。
机に向かうこと自体が苦手な子。
どれだけ良い教材を作っても、
開いてもらえなければ届きません。
教材を開いてくれないなら、
教材のほうから学習者に近づけばいい。
そう考えて作り始めたのが、
瞬間英作文のトレーニングアプリです。
私はプログラムを書くことができません。
だから、
ここでもAIと一緒に作りました。
教材に書き込んだ文章の一つひとつを、
ゲームのように触れるものに変えていきました。
目指したのは、
「勉強している」ではなく、
「もう一問だけ」と思ってしまう感覚でした。
教室で、
少しずつ変化が起こりました。
私が見ていないところで、
アプリを開いている子がいました。
空き時間に、
一人で声に出しながら
瞬間英作文をしている子がいました。
その光景を見たとき、
私は本当に嬉しかった。
教材のほうから近づけばいいと
思っていたけれど、
本当は違ったのかもしれません。
近づいたのは、
教材ではなく、
紙のテキストが全てだと信じていた
私のほうでした。
それでも、
まだ届かない人がいます。
「英語の勉強」という入口に
立ちたくない子です。
勉強から入れないなら、
物語を入口にすればいい。
そう考えて書き始めたのが、
小説『Traverse ― 異世界に逃げたあの日、言葉が届かなかった ―』です。
主人公ハルトは、
異世界へ逃げます。
けれど、
特別な能力も、
チート能力も、
最強の武器もありません。
逃げて、
負けて、
また逃げる。
それでも、
少しずつ前へ進みます。
私は、
そんな学習者をたくさん見てきました。
英語にも近道はありません。
理解して、
繰り返して、
失敗して、
また挑戦する。
その積み重ねだけが、
人を変えていきます。
逃げてもいい。
でも、
逃げ方を間違えないでほしい。
もう一度立ち上がる場所だけは、
見失わないでほしい。
その思いを書きたかったのです。
ハルトを書きながら、
私は何度も、
25年前の自分に線を引いていました。
あの日の私も、
逃げること自体が間違いだったのではありません。
逃げた先で、
立ち上がる場所を見失ったことが、
本当の間違いだったのだと、
書きながら気づいていきました。
けれど、
小説を読まない人たちもいます。
もっと直感的に、
もっと遠くまで届ける方法。
その答えが、
漫画でした。
私は絵を描くことができません。
AIに頼んでも、
ページごとに絵柄や主人公の顔が
変わってしまいます。
だから、
登場人物一人ひとりの設定資料を作りました。
一枚の画像に、
一つの場面だけを託しました。
吹き出しやセリフ、
文字の大きさまで何度も作り直しました。
一話を完成させるまでに、
二十回近く全体を作り直すこともありました。
絵が描けない。
プログラムも書けない。
小説だって、最初から上手に書けるわけではない。
できないことばかりでした。
それでも、
できないからやめる、
とは思えませんでした。
25年前の私は、
そこで逃げました。
でも今度は、
逃げたくありませんでした。
二十回近く作り直すたびに、
正直、心が折れかけました。
それでも手を止められなかったのは、
この漫画を待っている誰かの顔が、
少女の顔と重なって見えていたからだと思います。
「英語の勉強」という入口にすら立てない子は、
教室の中にも、外にも、
まだたくさんいるはずでした。
漫画は、
AIが勝手に描いた作品ではありません。
私一人が描いた作品でもありません。
AIと私が、
一コマずつ積み重ねて作った作品です。
教材。
アプリ。
小説。
漫画。
すべてが一つにつながったとき、
私はようやく気づきました。
最初に「xメソッド」と呼んでいたものは、
単なる学習法の名前ではありませんでした。
それは、
私自身の人生の形でもあったのです。
一人の受験生と出会ってから、
教材が生まれ、
アプリが生まれ、
物語が生まれ、
漫画が生まれるまで。
たった半年でした。
振り返れば、
Project Traverseは半年で生まれたプロジェクトのように見えます。
半年で、
これだけのものが生まれた。
なのに私は、
その前の25年間を、
何も生み出せなかった時間のように感じていました。
同じ自分のはずなのに、
この差は何なのだろうと、
今でも考えます。
でも、
違います。
Project Traverseの本当の始まりは、
25年前にありました。
私は新卒で、
民放ラジオ・テレビ局に入社しました。
編成部で働いていたある日、
新番組の仮タイトルを考える会議がありました。
私が考えたタイトルが、
仮タイトルとして採用され、
制作が始まりました。
若かった私は、
嬉しかった。
自分の案が採用されたことが、
誇らしかった。
けれど最終的に、
そのタイトルは正式タイトルには選ばれませんでした。
私は納得できませんでした。
「あんなに褒められた仮タイトルなのに、採用されてないじゃないですか」
当時の先輩に、
そう食ってかかりました。
そのとき、
返ってきた言葉があります。
「仮タイトルは、方向性を決めるもの。
仮タイトルがあるから、みんなが同じ方向を向いて進める。
おまえの仮タイトルには大切な意味があった。」
当時の私は、
その意味が分かりませんでした。
正式タイトルにならなければ意味がない。
選ばれなければ価値がない。
結果に残らなければ、
自分は何者でもない。
そう思っていました。
その後、
私は数年間勤務し、
違う部署に異動して数か月後、
会社を辞めました。
仮タイトルのことが原因ではありません。
理由は別にあります。
でも、
私は逃げました。
それからの25年間、
私はいろいろな場所を渡り歩きました。
大学院。
英会話業界。
講師育成。
営業担当育成。
上場企業での株主総会運営や開示資料作成。
建設業許可の維持。
そして、塾での個別指導。
法律の条文や、
企業の複雑な財務データを整理する日々もありました。
履歴書に書けば、
何かを積み重ねてきたように
見えるかもしれません。
でも、
私自身はそう思えませんでした。
どこへ行っても、
何かを成し遂げたとは思えなかった。
あの時に逃げなければ、
今ごろは責任ある仕事や地位に
たどり着けていたかもしれない。
同年代の人たちは、
それぞれの場所で何かを積み上げている。
それなのに、
自分は何者にもなれなかった。
この25年間、ずっと、
そんな自分が恥ずかしかった。
同窓会の誘いを、
何度断ったか分かりません。
近況を聞かれることが、
怖かったからです。
何をしているのか、
うまく答えられない自分がいました。
人生には、
取り戻せない時間がある。
そう思っていました。
けれど、
2026年。
一人の少女と出会いました。
一枚のプリントを書きました。
そのプリントが教材になり、
アプリになり、
小説になり、
漫画になりました。
その途中、
私はこのプロジェクトを
「xメソッド(仮)」と呼んでいました。
すべてを掛け合わせる。
その方向性がブレないための、
仮タイトルでした。
その時、
ようやく気づきました。
25年前、
先輩が教えてくれたこと。
仮タイトルとは、
正式な名前になるためだけのものではない。
人が同じ方向を向いて進むためのものなのだ。
「xメソッド(仮)」は、
私にとっての仮タイトルでした。
完成された名前ではありませんでした。
けれど、
その言葉があったから、
私は迷わず進めました。
Project Traverseは、
25年前のあの日から始まっていました。
私はそのことを伝えたくて、
25年ぶりに、
逃げた場所へ、
そして当時の先輩へ手紙を送りました。
何度も書いては消しました。
今さら連絡して、
何になるのか。
忘れられているかもしれない。
それでも、
伝えなければ、
この25年は本当にただの遠回りのままで
終わってしまう気がしました。
「25年前の宿題の意味が、やっと分かりました。」
そう書きました。
返ってきた言葉は、
私の人生に、
もう一度色を戻してくれるような言葉でした。
「夢中になれることが見つかったのは素晴らしいことだと思います。
人生の色合いが違ったものになります。」
その返信を、
私は何度も読み返しました。
25年間、
詫びるべきなのか、
説明すべきなのか、
ずっと分からずにいた相手から届いた、
ただの肯定の言葉でした。
それだけで、
こんなにも救われるものかと、
自分でも驚きました。
その言葉を読んだとき、
私は少しだけ、
自分の25年を許せた気がしました。
何も積み上げていないと思っていました。
ただ逃げてきただけだと思っていました。
でも、
そうではなかったのかもしれません。
伝えることの難しさ。
教えることの大切さ。
人間として、一人ひとりと向き合う心。
そして、正確に情報を整理する方法。
あの膨大な書類の中から、
本当に必要な1行だけを見つけ出す緻密さは、
300ページの教材から迷いを引き算する力に
変わっていました。
それらは、
逃げながらも、
私の中に少しずつ積み重なっていたのです。
25年間、
遠回りをしたからこそ、
教材が、
アプリが、
小説が、
漫画が、
そして、
Project Traverseが生まれました。
漫画『Traverse』のプロローグには、
こんな言葉があります。
「次は逃げ方を間違えるなよ。」
最初は、
主人公ハルトに向けた言葉のつもりでした。
でも今は分かります。
あの言葉は、
25年前、
何も考えずに逃げた私自身に向けた言葉でした。
逃げてもいい。
でも、
逃げ方を間違えるな。
逃げた先で、
もう一度立ち上がれ。
逃げた先で、
誰かのために手を伸ばせ。
逃げた先で、
25年前の宿題を解き直せ。
一人の少女に出会わなければ、
私はまだ、
その宿題の意味に気づかないままだったと思います。
救おうとしていたのは、
少女だけではありませんでした。
あの日、
間に合わないかもしれないと思った少女の姿に、
私は25年前の自分を見ていました。
だから、
諦められませんでした。
一枚のプリントから始まったものが、
気づけばここまで育っていました。
誰かを救いたいという思いは、
いつの間にか、
過去の自分を迎えに行く旅になっていました。
あの子が今どんな道を歩いているのか、
私は多くを知りません。
それでいいのだと思います。
xは、
私が答えを決めるものではなく、
あの子自身が、これから解いていく未知数だからです。
Project Traverseは、
まだ未完成です。
書き直したい部分ばかりです。
それでいいのだと、
今は思います。
完成させることより、
直し続けることのほうが、
私には合っているのかもしれません。
25年前、
正式タイトルにはならなかった仮タイトルにも、意味がありました。
完成された名前ではなくても、誰かを同じ方向へ進ませることはできる。
それなら、今の未完成なTraverseにも、きっと意味はあるのだと思います。
だから、
私はまだ終われません。
ここまでは、
一人で作ってきました。
仕事が終わったあと、
毎日、一人で作り続けました。
「仮タイトルがあるから、みんなが同じ方向を向いて進める」。
あの日の先輩の言葉を、
私はようやく理解できた気がします。
一人で掲げてきた仮タイトルを、
これからは誰かと一緒に、
同じ方向を向いて育てていきたい。
そう思っています。
25年かかって、
ようやくスタートラインに立ちました。
きっかけは、
一人の少女でした。
けれど、
その一人の少女が、
25年前に立ち止まったままだった私を、
もう一度ここまで連れてきてくれました。
だから今度は、
私が誰かを連れていきたい。
私はもう、
逃げた自分を、
恥じてばかりはいません。
逃げたからこそ見えたものがあり、
遠回りをしたからこそ拾えたものがありました。
手遅れになる前に。
諦めてしまう前に。
まだ間に合う。
逃げても、もう一度始められる。
そう伝えるために、
私はProject Traverseを作り続けます。
25年前の宿題は、
ようやく解けました。
でも、
答えを書き終えたわけではありません。
ここから先は、
私が誰かに手渡していく番です。
まだ間に合う、と。
