職場での合理的配慮は「善意」じゃない
一般的な「配慮」は善意で成り立っている部分が大きいと思う。
例えば、荷物を持つ、席を譲る、困っている人に声をかける。それはその人の優しさや気遣いによるものやと思う。
でも、職場での合理的配慮は善意じゃない。
障害者への配慮の話になると、どうしても「福祉」「ボランティア」「助けてあげる」という箱に入れて考えられがち。
でも、職場では、そうじゃない。
合理的配慮は、“特別扱い”じゃなくて障害のある人が他の人と同じように働くための調整。「みんな同じに扱うこと」が平等だと思われがちやけど、それだけでは、かえって不公平になることがある。
障害の有無、体力、特性、環境は人によって違う。
スタート地点や困りごとが違うのに、全員に同じやり方だけを求めれば、結果として一部の人だけが強く負担を抱えることになる。
・何に困っているのか確認する
・どうすれば働けるか検討する
・難しいなら理由を説明する
・代替案を一緒に考える
という対話やと思う。
もちろん、お願いしたら全部やってもらえるなんて思ってない。障害者側だってわかっとる。
でも、「善意だからやらなくてもいい」ってものじゃない。
職場では、配慮を検討すること自体が仕事の一部だと思う。
障害者が困りごとを伝えた時、「頼み方が悪い」「家族に頼んで」「周りにお願いして」で終わる空気があるなら、それは“優しさ”の問題じゃなくて、働く環境の問題だと思う。
最後に。
この文章を、“障害者である自分が書いている”ことに、違和感を持ってほしい。合理的配慮とは何か、なぜ必要なのか、なぜ「善意」だけで終わらせちゃだめなのか。
それを理解し、考え、整える側なのは、支援する側や職場側のはずやと思う。
でも現実には、障害者自身が制度を調べ、言葉を選び、説明し、「それは違う」と訴え続けなければならない場面が少なくない。
その状況自体が社会の課題やと思う。
