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何度目の、君だろう 第十話「最後の朝」


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登場人物紹介・相関図(ネタバレなし)



あらすじ

親友・翔太の結婚式で再会した橘冬子への想いを抑えられなくなった井上朝陽は、何度この日を繰り返しても、諦めた瞬間に結婚式の朝へ戻され続けた。百合の香りが幼い頃の記憶を呼び覚まし、二人が同じ病院の中庭で出会っていたことが明らかになる。九度目の周回、朝陽は「好きです」と伝え、冬子も「私も」と答えた。でも——また、戻ってきた。諦めていないのに。気持ちを伝え合ったのに。なぜ終わらないのか。朝陽はやがて気づく。冬子がまだ、本当の意味で「逃げない」を選べていないのかもしれない、と。そして冬子自身も気づいていた。引き出してもらった言葉じゃなく、自分の言葉で、自分が選んで——言わなければ、と。

相関図

 十度目の十一月十四日だった。

 朝陽は目を開けた瞬間、天井を見つめたまま動かなかった。

 言えた。伝えた。冬子も答えてくれた。

 それでも——戻ってきた。

 なぜ。

 何が足りないんだ。

 朝陽はベッドの上で、ずっと考えていた。

 麻衣に話した。冬子と幼少期の記憶が一致した。気持ちも言葉にした。冬子も言ってくれた。

 全部、やった。

 でも——

 朝陽は目を閉じた。

 何かが、引っかかっていた。

 前の周回で、冬子が言った言葉。

 また逃げるかもしれないと思って。いつもそうしてきたから。

 朝陽は言った。逃げなくていいと。

 でも——冬子は、本当に逃げなかったか。

 街灯の下で、冬子は「私も」と言った。でもそれは——どこか、朝陽に引き出されて言った言葉だった気がする。

 冬子自身の言葉で、冬子自身が選んで、言えたのか。

 朝陽には、わからなかった。

 もしかしたら——冬子がまだ、本当の意味で「逃げない」を選べていないのかもしれない。

 スマートフォンを手に取る。

『今日楽しみにしてるね。スーツ、絶対似合うよ』

 十度目の麻衣からのメッセージ。

 朝陽は画面を見つめたまま、静かに決めた。

 今日は——押しつけない。

 冬子が自分の言葉で選べるように。
ただ、そばにいる。


 冬子も、同じ朝を迎えていた。

 天井を見つめながら、前の周回を思い返していた。

 朝陽が言ってくれた。好きだと。

 冬子も言った。私も、と。

 それでも——また、戻ってきた。

 冬子は静かに息を吐いた。

 なぜ戻ってきたのか、今日はなんとなくわかる気がした。

 前の周回で、冬子は「私も」と言った。でも——怖かった。言いながら、どこかで怖かった。また逃げるかもしれないという恐怖が、言葉の裏に張りついていた。

 本当の意味で、逃げなかったか。

 自分の言葉で、自分が選んで——言えたか。

 冬子は首を振った。

 言えていなかった気がする。

 朝陽に言われたから言えた。引き出してもらったから言えた。でもそれは——本当に「向き合った」と言えるのか。

 冬子は布団を払って、起き上がった。

 今日は——自分から、言う。

 誰かに引き出してもらうんじゃなくて。誰かに押しつけられるんじゃなくて。

 自分の言葉で、自分が選んで。


 式場に着いた。

 朝陽は麻衣に話した。前の周回と、ほぼ同じ言葉で。

 麻衣は今日も、静かに受け取ってくれた。

「ちゃんと言ってくれて、ありがとう」麻衣は言った。「おかげで、決められた」

「海外赴任の件——」

「うん」麻衣は頷いた。「行くことにする。怖いけど、ずっと叶えたかったことだから」

 麻衣の目が、少し光っていた。

 朝陽は、その目を見て思った。

 麻衣は強い。こんなに強い人だったんだと、今更気づいた。

「麻衣、ありがとう」朝陽は言った。「半年、本当に楽しかった」

「私も」麻衣は笑った。「向こうで、いい人見つけてくるね」

 二人で、笑った。

 清々しい別れだった。


 披露宴が始まった。

 冬子はさくらのそばで、式の始まりを待っていた。

 さくらがウェディングドレス姿で入場してくる。翔太が隣に立っている。

 冬子は、その姿を見ながら胸が熱くなった。

 何度見ても——何度この日を繰り返しても——さくらの笑顔は、毎回新鮮に美しかった。

「さくら」冬子は心の中で言った。「おめでとう」

 翔太のスピーチが始まった。

「好きな人に、ちゃんと向き合えよ」

 十度目の、同じ言葉。

 今日は——もう、迷わなかった。

 向き合う。

 自分の言葉で、自分が選んで。


 歓談の時間、冬子は朝陽を探した。

 いた。翔太のグループの中で、笑っていた。

 今日の朝陽は、いつもより穏やかな顔をしていた。何かが、すっきりしたような顔。

 冬子は深く息を吸って、歩き出した。

 人の間を縫って、朝陽のそばに近づく。

「井上くん」

 朝陽が振り返った。

 一瞬、驚いたような顔をした。今まで、冬子から来ることがなかったから。

「橘さん」

「少し、話せる?」

 朝陽は翔太に「ちょっといい?」と目で伝えた。翔太はにやりと笑って、引いてくれた。


 会場の端の、人が少ない場所に移動した。

 前の周回と、同じ場所だった。

 窓の外に、夜景が広がっている。

 冬子は、窓の外を見ながら口を開いた。

「この日に、何度も戻ってきてるよね」

「……うん」朝陽は静かに言った。
「知ってた?」

「知ってた」冬子は頷いた。
「私も、ずっとそうだったから」

 二人は、しばらく窓の外を見ていた。

「今日でさ」冬子が言った。
「終わりにしたいな、と思って」

「終わりに」

「うん」冬子は朝陽を見た。
「なんで終わらないかって、
昨日——前の周回でわかった気がして」

「何が」

「私がまだ、ちゃんと選べてなかったから」

 朝陽は、冬子の顔を見た。

「前の周回で、井上くんが言ってくれた。好きだって」
冬子は続けた。 
「私も言った。でも——引き出してもらった言葉だった。誰かに言ってもらったから、言えた。それって、本当に向き合ったことになるのかなって」

「……橘さん」

「だから今日は」冬子は息を吸った。
「自分から言いたくて」

 窓の外の夜景が、静かに輝いていた。

 冬子は朝陽を、まっすぐに見た。

「井上くんのことが、好き」

 声が、少し揺れた。

「最初に会ったときから——なんか、この人の前では笑わなくていいって思えた。それが怖くて、ずっと見ないようにしてた。でも——もう逃げたくない」

 朝陽は、何も言わなかった。

 ただ、冬子の言葉を受け取っていた。

「昔、病院の中庭で」冬子は続けた。
「下手くそな手品してくれた子がいて。
ずっと忘れてたのに——井上くんに会うたびに、なんか思い出しそうで。懐かしくて」

「覚えてたんですか」

「忘れてた。でも——体が、覚えてた気がする」

 朝陽は、目を閉じた。

 胸の奥が、熱かった。


「橘さん」朝陽は言った。

「うん」

「俺も——好きです」

 冬子が、小さく笑った。

「知ってる」

「知ってたんですか」

「前の周回で聞いたから」冬子は笑った。「でも——今日また言ってくれて、よかった」

 朝陽も、笑った。

「何回繰り返したんだろう」朝陽は言った。

「数えてない」冬子は首を振った。

「嘘つき」

「本当だよ」冬子は笑った。「途中から数えるのやめたんだもん」

 二人の間に、温かい時間が流れた。

 遠くでさくらの笑い声が聞こえた。翔太が誰かと乾杯している声がした。

「ねえ」冬子が言った。「もし今夜、ちゃんと終わったら——また会える?」

「会いたいです」朝陽はすぐに言った。

「翔太の結婚式じゃない日に」冬子は笑った。

「この日は、もうたくさんですね」

「ほんとに」

 二人で、笑った。


 二次会が終わって、外に出た。

 ゲストたちがばらばらと帰っていく。

 健が「お先に」と手を振った。さくらと翔太が「二次会ありがとう!」と笑いながら車に乗り込んだ。

 麻衣が冬子の横に来た。

「橘さんって言うんだね」麻衣は笑った。
「同じ会社だったんだよね?」

「あ——はい」冬子は少し驚いた。

「私、西田麻衣。朝陽くんと同じ部署で」
麻衣は冬子を見た。「大切にしてあげてね」

 冬子は、言葉が出なかった。

「麻衣——」朝陽が言った。

「いいの」麻衣は笑った。「私は私の夢を叶えに行くから。お互い、頑張ろう」

 麻衣はタクシーに乗って、去っていった。

 その背中を、朝陽と冬子は並んで見送った。

「かっこいい人だね」冬子は静かに言った。

「うん」朝陽は頷いた。「かっこいい人だよ」


 麻衣のタクシーが見えなくなってから、二人は並んで立っていた。

 十一月の夜風が冷たかった。

 冬子が、空を見上げた。

「星、出てるね」

「本当だ」

 小さな星が、いくつか光っていた。

「ねえ」冬子が言った。「中庭の百合、覚えてる?」

「覚えてます」

「あの花、好きだったんだよね、実は」冬子は笑った。「病院通いは嫌だったけど、あの花だけは好きで。あなたが来てくれる日は、なんかいつも百合が綺麗に咲いてた気がして」

 朝陽は、冬子の横顔を見た。

「泣いていいよって——あのとき言ってくれましたよね」

 冬子は少し驚いた顔をした。

「覚えてたの」

「ずっと覚えてた」朝陽は言った。「誰だかわからなかったけど。あの一言で——ずっと、救われてた気がして」

 冬子は、朝陽を見た。

 目に涙が滲んでいた。

「私こそ」冬子は静かに言った。「あなたが来てくれる日だけ、病院が怖くなかった。手品、下手くそだったけど」

「うるさいですよ」朝陽は笑った。

「本当のことじゃない」

 冬子も笑った。

 くしゃっと、力の抜けた、本物の笑い方で。

 朝陽は、その笑顔を見ながら思った。

 この笑い方が好きだ。ずっと、この笑い方が好きだった。


 朝陽が、冬子の手を取った。

 冬子は驚かなかった。

 ただ、朝陽の手を、静かに握り返した。

 二人は並んで立ったまま、夜空を見上げた。

 遠くで、車の音がした。風が吹いた。

「ねえ」冬子が言った。

「うん」

「今夜、終わると思う?」

「終わる気がします」朝陽は言った。「今日は——ちゃんと、全部言えた気がするから」

「私も」冬子は頷いた。「怖かったけど、逃げなかった」

「逃げてなかったですよ」

「うん」冬子は小さく笑った。「逃げなかった」

 二人は、しばらくそこに立っていた。

 手を繋いだまま。

 十一月の夜の中で。


十一

 その夜、冬子は一人で部屋に帰った。

 コートを脱いで、窓際に座った。

 街灯の光が、カーテン越しに差し込んでいる。

 今日は——全部言えた。

 自分の言葉で、自分が選んで。

 怖かったけど、逃げなかった。

 それで十分だと思った。結果がどうなるかじゃなくて——ちゃんと向き合えた。それだけで、十分だった。

 冬子は目を閉じた。

 頭の奥が、静かだった。

 いつもは一人になると考えすぎるのに、今夜は——何も考えなくていい気がした。

 そのまま、眠りに落ちた。


十二

 目が覚めたら、朝だった。

 見覚えのある天井——

 冬子は息を止めた。

 でも。

 スマートフォンを手に取る。

 画面に、日付が表示される。

 十一月十五日。

 冬子は、画面を見つめたまま動けなかった。

 十一月、十五日。

 翔太の結婚式の、翌日。

 時間が——進んでいる。

 冬子の目から、涙が一粒だけ、零れた。


十三

 朝陽も、同じ朝を迎えていた。

 目を開けて、天井を見た。

 スマートフォンを手に取る。

 十一月十五日。

 朝陽はしばらく、画面を見つめたまま動けなかった。

 終わった。

 本当に、終わった。

 窓を開けると、十一月の朝の空気が部屋に入ってきた。

 いつもと同じ空気のはずなのに——今日は、どこか違う匂いがした。

 朝陽はスマートフォンを開いて、冬子に連絡しようとした。

 でも——電話番号を、知らなかった。

 昨日、聞いていなかった。

 朝陽は少し笑った。

 何度もこの日を繰り返したのに、一番大事なことを忘れていた。

 でも——大丈夫だ。

 翔太に聞けばいい。さくらを通じて聞けばいい。

 時間は、もう動いている。


十四 エピローグ

 翔太から冬子の連絡先を聞いたのは、その日の昼過ぎだった。

 翔太は「やっと連絡すんのか」と笑った。

「何が『やっと』なんだよ」朝陽は言った。

「いや——なんとなく、ずっと気になってたんだなって思って」翔太は笑った。「さくらも、冬子がお前のこと気にしてるって言ってたし」

「さくらさんが?」

「お前ら、似たもの同士だよ」翔太は言った。「どっちも、素直じゃないから」

 朝陽は笑いながら電話を切った。

 冬子に、メッセージを送った。

井上です。連絡先聞いてなかったと気づいて、翔太に教えてもらいました。今度、会えませんか。

 しばらくして、返信が来た。

私も聞けばよかったと思ってました。いつにしますか。

 短い文章だった。

 でも——読んだだけで、笑えた。

 朝陽は窓の外を見た。

 十一月の空が、青かった。

 昨日まで何度も繰り返した、あの日の空とは違う。

 今日は、十一月十五日だ。

 初めての、翌日だ。

 後日、二人が初めてちゃんと会った日——冬子が言った。

「ねえ、何回繰り返したか、結局わかった?」

「わからないです」朝陽は言った。「数えてなかったから」

「嘘つき」冬子は笑った。「絶対数えてたくせに」

「数えてたとしても、言いませんよ」

「なんで」

「恥ずかしいから」

 冬子は笑った。

 くしゃっと、力の抜けた、本物の笑い方で。

 朝陽は、その笑顔を見ながら思った。

 何度繰り返しても、この笑い方には——敵わなかった。

 ずっと、そうだった。

 たぶん——最初に会った日から、ずっと。



第十話・了
「何度目の、君だろう」 完

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