「新盆」を考える
祖母の新盆で、線香を上げに行きました。
祖母が亡くなって半年ほど経ちます。半年というのは中途半端です。もうそんなに経ったのかとも思いますし、まだ半年かとも思います。葬儀のときのばたばたした感じは遠のいていますが、完全に昔のことになったわけでもありません。
家に入ると、線香の匂いがしました。祖母の家なのに、祖母はいません。まあ、当たり前です。新盆なのですから。わざわざ線香を上げに来ておいて、祖母がいないことにいちいち引っかかるのも変な話ですが、変なものは変です。
手を合わせました。何を思えばいいのかは、よくわかりません。感謝を伝えるべきなのか、近況報告でもするべきなのか。僕はそういうことがあまりうまくありません。とりあえず目を閉じて、しばらく黙っていました。黙っていれば、それなりに形になります。便利です。
そのあと、この家は取り壊すらしいと聞きました。そうか、と思いました。
驚くほどの話ではありません。住む人がいない家をそのままにしておくのは大変です。古くもなりますし、手入れも必要です。思い出だけで建物は維持できません。そんなことはわかっています。ただ、祖母が亡くなって、家までなくなるのか、とは思いました。
祖母の家は、祖母がいたから祖母の家でした。そこに祖母がいなくなっても、家が残っているうちは、まだ少しだけ続きがあるような気がしていました。玄関があり、部屋があり、仏壇があり、線香を上げに行く場所がある。祖母はいなくても、祖母のいた場所は残っている。
その場所も、なくなるらしいです。
そうか。
この言葉は便利です。寂しいとも違うし、驚いたとも違うし、納得したとも言い切れません。いろいろ混ざったものを、とりあえず一言で置いておけます。そうか。そういうことになったのか。
帰るとき、家を見ました。まだ普通に建っていました。今すぐ消えるわけではありません。でも、取り壊すと聞いたあとでは、少しだけ見え方が変わります。目の前にあるのに、もう過去の側に寄っている感じがします。
新盆で線香を上げに行きました。この家は取り壊すらしいです。そうか、と思いました。今のところ、それ以上の立派な感想はありません。
いいなと思ったら応援しよう!
牛乳を買います