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言語共同体の文化

独自の意見というものは、個性を生かす人々の意見が、個人の内側から紡ぎ挙げられたものです。個性は、言葉の紡ぎ方に垣間見えます。

その意見のリズムに乗る言葉の意味を定めているのが、言語共同体の文化です。言葉の意味は、高次元の内的文化から贈与されています。

言葉の意味を定める仕掛けとしては、物語や歴史があります。

話し言葉の信用でつながる民族では、物語が、意味を定めるための触媒として機能し、書き言葉の信用でつながる国家では、歴史が、触媒として機能します。民族という枠組みと国家という枠組みは、話し言葉と書き言葉が異なるように、完全に一致するものではありません。

ただ、現在、物語や歴史にも、プロパガンダが仕込まれていることに、人々が気づけるようになったため、民族や国家の枠組みに対する信用が揺らいでいます。したがって、より広い言語共同体という枠組みで、共有できる言葉の意味を定めて、信用を確立することになると思われます。

ところで、日本語の特徴は、母音による共鳴と調和にあります。

たとえば「す」という平仮名一文字を発声するだけでも、母音が響きます。母音は、全身の細胞と共鳴するように促します。日本語の生活者は、日々、調和する訓練をしているのです。日本語は、子音と母音が一体化しているので、子音だけで発声することはほとんどありません。

調和しやすい日本語人だからこそ、仏教学者の鈴木大拙さんは日本的霊性に気付けたのではないでしょうか。また、言語学者の井筒俊彦さんはイスラム教が大地に根付いていないことに気付けたのではないでしょうか。

一方、英語に慣れた頭では、自然界の音がノイズとして排除されます。あらゆる模範解答が自然界にあるのに、自然界を排除する頭で、自然との調和を優先しない生活を通して、人道を模索せざるを得ません。

高次元の内的文化は、「今ここ」で生きている個人の内側から、独自の意見を支援します。しかし、文化が内面化していない人は、外側に表れる文化の型や前例に縛られて「今ここ」に触れられません。さらに、外側の文化ともつながれない人は、あらゆる出来事が無意味な偶然になります。

文化を大切にし、文系的な資質を育むことは、義務ではありませんか。

スピリチュアルな探究はつづく。