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【山歩エッセイ】撤退に悔いなし。だが、心残りもあり。【英彦山】


 宝満山、福智山そして貫山に続いて、【福岡県の山その4】です。

【英彦山】遠征費用内訳

 記録欠落により省略します。

英彦山の概要

2005/2/11(金)英彦山

快晴。山歩き中に遇った男性によれば「寒いのか暑いのか判らない」陽気。

09:30 しゃくなげ荘 ※残雪がある。

車道を歩いて上がっていく。吐息は白く、空気は冷たく引き締まっている。
バスで4~5分と聞いていたので、いささか甘く見ていたが、なかなか銅の鳥居に着かない。時々、車から追い抜かれる。人に遇わず。

09:53 銅の鳥居(~09:55) ※国宝

ここにも人が居ない。初老の男性2人に抜かれた。

10:32 奉幣殿(~10:45)

写真を撮りながらゆっくり進む。時間は気にしないでゆっくりと。
ここまで来ると、人が多くなった。
奉幣殿から800m超上がった辺りから、もう逃れようがないほど、氷と雪が道を覆っている。1/9に購入した6本刃のアイゼンを履いた。アイゼンのおかげで氷上はすいすいと行けるような気がした。効率よく力を使えていると思う。
千本杉を抜け、頂きが近付いてくると、視界も開けてくる。
快晴の空の下、田川・飯塚・直方・中間が一望できる。
霧氷が見事である。頂上に近くなるほどに、美しくなっていく。
青空と霧氷の白のコントラストは素敵としか言いようがない。

人も多い。
雪が深く、時々ヒザ上まで埋まったりする。人が歩いた跡を新調にトレースするようにした。

12:35 英彦山(中岳:英彦山神宮上宮|~13:25)

弁当。魔法瓶のお茶は熱かった。重かったけど持ってきて正解だった。
売店建物(店はやってなかった)で食べる。動かないでいると大変寒い。

阿蘇・九重・由布岳まで見える素晴らしい眺望と、芸術的な霧氷を一度で目にすることができ、好運だった。
雲仙の方角に、雲仙岳の影が見えた気がしたが・・・・・・。微妙である。

中岳から南岳に向かう。上り下りも急坂で積雪が多い。慎重に進む。

13:45 英彦山最高点(南岳|~14:05)

中岳よりさらに美しい眺めをほしいままにできる。
360°のパノラマは、山歩きの醍醐味と言ってよい。

中間・直方・飯塚・田川・福智山・三群産地・馬見山・背振
山系・佐賀平野(久留米方面?)・耳納・津江の山地・阿蘇・九重・由布岳・国東方面・英彦山中岳・・・・・・。雲仙はやはり微妙。

鬼杉へ向かおうとするものの、南側斜面の溶けかけた氷と雪、急降下する岩場に張られた鎖を見て、恐怖を感じ引き返した。もと来た道をたどることにした。
南岳から下るとき、中岳の右手(東)に周防灘越しに本州(山口県)が見えた。

14:35 中岳

人がほとんど居なくなっている。アイゼンも履かずにここまで来た方々が居て驚いた。
スパッツを履いているのに、左膝が痛む。時々、膝頭の位置にあわせてスパッツを調整することが必要なようだ。今後、気をつけようと思う。
途中、氷も雪もなくなり、往路に履いた辺りでアイゼンを外す。

15:35 奉幣殿

改めて鬼杉に強いて行かずよかったと思えた。ここまで下りてくれば安心だ。・・・・・・と思ったら氷で滑り尻を石段で打つ。とっさに両手をついたので、さして痛くはなかった。

15:50 銅の鳥居

美しい光景を目で見て、写真にも撮ったものの、鬼杉ルートを諦めたことが、心に引っかかっている。諦めたことを後悔してはいないが、「後ろめたい」気持ちに近い気分がする。微妙なところだ。

2026/08/23追記

Geminiに質問してみました。

【問い】

「後ろめたい気持ち」の正体は何でしょうか?

【答え】

このテキストにおける「後ろめたい気持ち」の正体は、「登山者としてのプライドやこだわりを全うできなかったモヤモヤ(自己への不完全燃焼感)」です。
テキストの文脈から、その感情が生まれている要因を分解すると以下の3点に集約されます。

  • 「撤退判断の正しさ」と「心理的スッキリ感」のギャップ
    筆者は「急降下する岩場の鎖」と「溶けかけた氷雪」に恐怖を感じて引き返しており、下山後も「諦めたことを後悔してはいない(奉幣殿まで下りて安心した)」と撤退の判断自体は正しかったと納得しています。
    しかし、論理的な正しさと、感情的な満足感は別物であるため、心に引っかかりが残っています。

  • やり残しに対する不完全燃焼感
    鬼杉ルートを諦めたことで、計画していた行程を完璧に踏破できなかったという意識が、「後ろめたい(=どこか不誠実であったり、途中で投げ出したりしたような感覚)」という表現につながっています。

  • 危険を避けたことへの一瞬の「弱気」に対する恥じらい
    山歩きの醍醐味を存分に味わった満足感があるからこそ、最後の難所で「恐怖を感じて逃げた(引き返した)」という事実に対して、登山者特有のちょっとした引け目を感じている状態と言えます。

後悔(=あの時行けばよかったという思い)ではなく、自分の安全を優先した正しい判断だったと頭では分かりつつも、「最後までやりきれなかった」という小さな引け目が「後ろめたい」という表現に現れています。

・・・・・・見事な言語化です!
自分の来し方に重ね合わせて、切なくなってしまいました。

前日譚

後日譚



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