世界の終わりは、お弁当のあとで ― 不条理幻想作品集 ―
【あらすじ】
9つのキーワード――『ヘビ』『風船』『音符』『三角定規』『ノコギリ』『バラン』『お弁当』『ペロペロキャンディー』『凧』。
本作は、相容れない自分勝手な言葉たちを用い、「もし、それぞれが物語の中で生き始めたなら?」という発想から生まれた物語である。
ヘビの髪を持つ女との出会い、音符が降る街、奇妙な舞踏会、祭りの喧騒、夢と現実の境界が曖昧な世界――
ナンセンスな童話、シュールな会話劇、悪夢のような幻想譚を積み重ねながら、物語はやがて、“あと十年で世界が終わる”という終末の対話へと辿り着く。
遊び心と寓話性の奥に、「人は何を求めて生きるのか」という静かな問いを忍ばせた、少し奇妙で少し切ない幻想作品集。
不思議な女
ある夜、夜道を歩いていると、ひとりの女がこちらに向かって歩いてきた。
すれ違いざまに顔を見ると、美しい顔立ちだが、顔色はひどく蒼ざめていた。
帽子で髪の毛を隠していたが、はみ出た髪の房が、ギリシャ神話にでてくるメドゥーサのようにヘビでできており、ウネウネとのたうっているのが見えた。
僕は驚きもせず、気にも留めず歩き去ろうとしたが、ふと女に呼び止められたので、仕方なく足を止めた。
「こんな夜更けに何の用でしょうか?」
僕が少し苛立ちげに言うと、
「少しお話ししませんか?」と女は言った。
「別にあなたとお話することは何もありませんが……」と言うと、
女は悲しそうな顔をして、詫びを言い、立ち去ろうとした。
僕はちょっと不憫に思ったので、女を呼び止め、近くの公園のベンチに座って女の話を聞くことにした。
女は二十代半ばで、子供の頃からずっと、ヘビでできた髪の毛のことで周りから中傷されてきたそうで、僕が女の髪にまったく動じないのを不思議に思い、思わず声をかけたとのことだった。
僕は女の話を聞きながら、彼女の髪を見つめていた。
すると、髪の毛のヘビたちも、ウネウネしながら沢山の目で僕を見つめ返してきた。
僕は何故か、ヘビを引っ掴んでノコギリでザクザクと刈り取りたい衝動に一瞬駆られた。
僕は髪の毛を一本いただけないかと、女に訊いた。
女はちょっと戸惑った顔をしたが了解し、手でヘビを一匹掴むとプツンと引き抜いた。
引き抜かれたあともヘビは元気に動いており、僕は、女に礼を言ってその場を後にした。
家に帰ると、僕はヘビの巣箱を整えた。
以前飼っていた観賞魚の水槽にヘビを入れてみたが、ヘビだけでは殺風景なので、何かオブジェを飾り付けようと思った。
ふと、机の上に置き去りになっていた三角定規と、お弁当箱に入っていたバランが目についたので入れてみると、何とも不思議な光景が出来上がった。ヘビは喜んで、早速、三角定規に巻き付きながらバランをペロペロ舐めていた。
翌日の夜、公園に行くとまた女がいた。
どうやら、僕を待っていたらしい。
女は言った。
「ヘビは元気にしていますか?」
「元気にしていますよ。三角定規とバランがお気に入りの様です」
「それはよかった。私の髪は普通の櫛が使えないので、三角定規で梳かしているんですよ」
「ところで、昨日は聞きそびれてしまったのですが、あなたは私の髪を気味悪がらないのですね?」
「ええ、世の中にはいろんな人がいますから……」
「それだけの理由ですか?」
「ええ、それだけの理由です」
女はひどく驚いた様子だったが、すぐに安堵の表情になり、
「あなたのような人を探していたのです。どうか、私のヘビたちをすべて貰っていただけないでしょうか?」
「私は、生まれたときは、普通の髪の毛だったのです。でも、あるとき、呪いのせいで、髪の毛がすべてヘビになってしまいました。私は、呪いを解くために、私のヘビを託せる人を探していたのですが、どうやら、あなたはそれにふさわしい人のようです」
僕は、ちょっと迷った素振りで、
「一晩、考えさせて下さい」
そう言って、その場を後にした。
家に帰ると、僕は、昨日のヘビの世話をしながら、あの女からヘビを貰ったら何をしようかとあれこれ思案した。
おそらく、数十匹はいるだろうから、全部を家で飼うには水槽が足りないと思った。それに、ヘビを喜ばすために、文房具屋で三角定規をたくさん買うことを想像すると、とても恥ずかしくなった。
飼うのが難しいなら、いっそ食べてしまおうか、とも考えた。
「ヘビは肉が固そうだから、じっくり煮込んでカレーにでもしようか? それとも、カリッと唐揚げにする方がいいかな? ヘビ料理をお弁当箱に詰めて、ピクニックに行ったら面白いな」などと想像するのは楽しかった。
しかし、料理のために、数十匹のヘビを捌くのを想像するとゾッとしたので、その案も不採用になった。
僕は、昨日貰ったヘビにおやつのペロペロキャンディーをあげながら、さらに頭を悩ませた。
ヘビは赤い舌を出して、嬉しそうにペロペロキャンディーを舐めていた。
次の日も、僕はあれこれ思案したが、数十匹のヘビの処遇を決められないまま夕方になり、仕方なく、いつもの公園に行って女を待つことにした。
夕暮れの公園には、まだ数人の子どもたちがいて、凧あげをして元気に遊んでいた。
子どもたちの楽しそうな様子を見ていると、ふと、ある想いが湧いてきた。
そして、ひとりの女の子が、音符模様の赤い風船を持っていたので、僕はその子に頼んで、ペロペロキャンディーと風船を交換してもらった。
風船は夕方の風に吹かれてフワフワと揺れた。
風船が揺れるたびに、模様の音符も軽やかに揺れて、不思議とメロディーが流れている感じがした。
僕は風船についた糸を放さぬよう、しっかりと握りしめた。
やがて、暗くなり子どもたちがみな家に帰ると、公園はすっかり静かになった。
そして、子どもたちと入れ替わるように、女がやってきた。
女は俯いて何も言わずに、僕の横に座った。
「一晩考えたのですが、やはり、ヘビをいただくわけにはいきません」
俯いていたので女の表情は見えなかったが、その肩からは落胆が見て取れた。
僕はベンチから立ち上がると、女の前に立った。
女は顔を上げて僕を見た。
「僕と結婚してくれませんか?」
僕は、そう言って、先ほどもらった赤い風船を女に差し出した。
女は驚いた表情をしたが、すぐ明るい顔になり、頬を赤らめ、目には涙を浮かべていた。
「どうして? 私たちは名前さえ知らない仲なのに?」
「僕とあなたとヘビたち、それだけで十分幸せだからですよ」
女は風船を受け取り、僕のプロポーズを受け入れてくれた。
ヘビたちは喜んでいるのか、一斉に動き出した。
その様子は、爽やかな夜風になびく、美しい髪そのものだった。
僕と彼女は手をつなぎ、誰もいない夜道を寄り添って、どこまでも歩いていった。
音符の降る街
ある日、ヘビとノコギリはデートに出かけた。
しかし、その日は朝から、音符がもの悲しいメロディーを奏でてシトシト降っており、予定していた動物園をやめて、映画を観ることにした。
映画館は混んでいたが、何とか席を確保できた。
ふたりは落ち着くと、フードコートに行って食べ物と飲み物を注文した。
ペロペロキャンディーとジュースを手に持ったふたりが席に戻ると、すぐに映画が始まった。
映画は、三角定規が主役のスプラッターもので、三角定規がクラスメイト達に復讐するため、林間学校で仲間をめった突きにして惨殺するという、血なまぐさい内容だった。
ヘビとノコギリは、途中まで観ていたが、ふたりとも気分が悪くなり、映画を観るのをやめて外に出た。
外はまだ音符が降っていたが、嫌な気持ちを洗い流したくて、傘もささず、ふたりは音符まみれになった。
音符は、ふたりに降り注ぐたびに、きれいな和音を奏でて弾けた。
周りの凧たちは、奇妙な顔をして彼らを見物していたが、そんなことはお構いなしに、音符の降る街ではしゃぎ回った。
ひとしきり、音符に濡れたあと、ふたりは近くのホテルに入ってシャワーを浴びた。
シャワーは音符で濡れた体を温かく包んでくれた。
体が温まり、一息つくと、お腹がすいてきたので、ふたりは食事を注文した。
しばらくすると、黄色い風船のボーイが食事を二人分運んできた。
見ると、緑色のバランがおいしそうにお弁当を仕切っており、ヘビは満足そうにバランをペロペロと舐めた。
ノコギリは、バランをその刃でバラバランに切り刻み、ムシャムシャとほおばった。
ふたりはお腹が満たされると、互いに抱き合った。
はじめは、恥じらっていたが、次第にエスカレートすると、ヘビはノコギリの体に自らグルグルと巻き付き、力いっぱい締め上げた。
軽い抱擁のうちは恍惚の表情を浮かべていたノコギリだが、ヘビの締め付けが強くなると、ノコギリは悲鳴をあげ、表情は苦悶に歪み、最後は体が真っ二つに折れて絶命した。
ヘビも、ノコギリの刃で深く傷つき、叫び声をあげたが、致命傷ではないようだった。
すると、騒ぎを聞きつけて、先ほどの風船がやってきた。
風船の眼には、ヘビとノコギリの血で真っ赤に染まった部屋のカーペットが飛び込んできた。
恐るおそるノコギリの顔を覗き込むと、ノコギリの刃が触れて風船はパンッと割れてしまった。
ヘビは、しばらく呆然としていたが、やがて、ノコギリと風船の亡骸を丸飲みにして、血を滴らせながら、まだ音符の降る街に這い出て行った。
夕暮れにむせぶ音符は、ヘビの流す血を吸って、不協和音を鳴らしていた。
誰もいなくなったホテルの部屋は、いつまでもしんと静まりかえっていた。
舞踏会
ここは、ブループラネット星にある、バラン王国。
バラン王という叡知と人徳を備えた君主が統治している。
今日は、シャルル・ド・バラン王とドロテア・フォン・ペロペロキャンディー王妃の結婚二十周年を祝う舞踏会が催される。
豪華な謁見広間には、すでに王と王妃が玉座につき、招待客の登場を待っている。
広間の扉の前では、屈強な近衛兵たちが警備にあたっている。
警備を指揮するのは、ノコギリ近衛兵団長だ。赤の隊服に身を包み、特徴的なギザギザの長い髭をたくわえており、眼光鋭く招待客たちを睨みつけている。ノコギリ兵団長は、これまで数々の戦場で武勲を挙げており、中でも、「ブラッディ平野の戦い」では、一進一退の勝敗の見えぬ攻防の末、雨のなか、全身が錆びて刃こぼれしながらも、敵の猛者で空中戦を得意とする凧将軍をはじめ、すべての敵兵を倒して、バラン王の窮地を救った英雄である。
ファンファーレが鳴り、貴族たちの謁見が始まった。
最初にバラン王に謁見したのは、風船公爵だ。でっぷりと太っており、まあるい大きな腹が特徴的だ。風船公爵は、ふわふわした掴みどころのない人物で、日和見的なところがあるが、その体躯からも分かるように巨万の富を持ち、莫大な財力にものを言わせて、この国の財務大臣として確固たる地位を確立していた。そんなこともあり、バラン王とペロペロキャンディー王妃は風船公爵を丁寧に労った。
次に謁見したのは、三角定規侯爵だ。実直な人柄の三角定規侯爵は、曲がったことが大嫌いの熱血漢で、この国の法務大臣を任されており、バラン王の信頼厚い人物である。この日も、皺ひとつないシックな礼服で、三角形の整った豊かな髭をなびかせ、寸分違わぬ歩幅で玉座に歩み寄ると、几帳面に挨拶した。バラン王も、自ら三角定規侯爵の手を取り、特別な謝意を示した。
次に登場したのは、お弁当伯爵だ。そのコロコロと変わる性格は、王国民から、「日替わり弁当」と揶揄されており、いつ敵に寝返っても不思議ではない信用のおけぬ人物と目されている。だが、見目麗しいため、見栄えのするお弁当のように、周りの人間を魅了する力をもっており、王国にとっては扱いが難しい人物だった。この日の王夫妻の、親密でもなく粗雑でもない応対にも、それがよく表れていた。
その後も、隣国からの来賓など多くの招待客が謁見し、錚々たる顔ぶれがそろった最後に現れたのはヘビ辺境伯だ。ヘビ辺境伯はヒョロっとした背の高い瘦せた男で、顔色が蒼白く冷徹な人物として知られている。先のブラッディ平野の戦いで早々に敵に降伏するという失態で、辺境に飛ばされて以来、バラン王に復讐する機会を淡々とうかがっているらしい。当然ながら、王夫妻の対応も冷ややかで、ペロペロキャンディー王妃は、ヘビ辺境伯の挨拶の間、ずっとそっぽを向いていた。
さて、招待客全員の謁見が終わったあと、一同は大広間に移動し、舞踏会が始まった。
宮廷楽団長のサー・四分音符の指揮のもと、バラン王立楽団の演奏に合わせて、貴族たちが踊りだした。
その様子は煌びやかだったが、中でも特に目を引いたのは、ペロペロキャンディー王妃で、白のレースのドレスに身を包み、青やピンクに輝く宝石で彩られた可憐な姿に、居合わせた誰もが目を奪われた。
エスコートするバラン王も、その大きな緑色の瞳と、凛々しいギザギザ眉の厳格な容貌に似合わず、流麗なダンスを披露した。
やがて、最後のワルツを全員で踊ったあと、ファンファーレが鳴り、盛大な拍手の中、王夫妻は退場し、舞踏会は終了した。
こうして、バラン王国の平穏な日々に、また新たな一ページが刻まれたのだった。
フェスティバル
今日は、年に一度のフェスティバルだ。
ぼくは、この催しが大好きで、毎年出掛けているのだが、今日は天気もいいし、さっそく朝から出掛けることにした。
会場に着くと、まずはかわいらしい衣装を着た子どもたちが、赤い風船をくれた。
風船には、音符が描かれており、風船が風にそよぐたびに音符も揺れて、会場のBGMに合わせてメロディーを奏でているようだった。
しばらくすると、ひとりの派手な衣装を着たピエロが近づいてきた。
何やら怪しげな箱を持っており、ぼくに開けるように促した。
ぼくは、恐る恐る開けてみると、ピュ~ッ!という音とともに、箱の中からおもちゃのヘビが勢いよく飛び出した。
周りの客たちから、「ワッ」と驚きの声が上がった。
ぼくは、はじめからビックリ箱だと分かっていたが、大げさに驚いたふりをして、その場の客たちの笑いを誘った。
ピエロはというと、満足げにニッコリ笑い、丁寧にお辞儀のポーズをして、次のターゲットを探して去っていった。
フェスティバル会場の通路の両サイドには、たくさんの屋台が並んでおり、タイ焼き、たこ焼き、お好み焼き、りんご飴、わた飴など、目移りしたが、ふとペロペロキャンディーが目についたので、ひとつ買ってみた。
白地に水色とピンクの螺旋模様が入っており、ソーダとピーチの味がしておいしかった。
ぼくは、ペロペロキャンディーをなめながら、金魚すくいやヨーヨー釣りなど覗いていたが、キャンディーをなめるのに夢中になっていたので、さっき貰った風船を持つ手をうっかり離してしまった。
すると、風船は、しばらく、ぼくの手が届きそうで届かない境界をフワフワ漂っていたが、風に吹かれて一気に舞い上がり、みるみるうちに小さくなっていった。青空に赤い風船が飛んでいく様子は美しかった。
風船を目で追って空を見上げると、空に色とりどりの凧がいくつもあがっているのに気が付いた。
ぼくの赤い風船は、カラフルな凧たちの間を縫うように飛んでゆき、その様子は、まるで子供たちが青空で遊んでいるかのように楽しげだった。
ぼくは屋台を一通り回ったあと、広場の方に行ってみた。
広場では、何人もの大道芸人がパフォーマンスを披露しており、それぞれに人だかりができていた。
そのひとつを覗いてみると、筋肉隆々のふたりの大男が、大きなノコギリで、これまた大きな丸太を切る芸を披露していた。
ふたりは凄まじい勢いでノコギリを引いて、あっという間に丸太を切ると、ドシンッと鈍い音を立てて地面に倒れた。
大男たちが雄叫びをあげると、周りの観客から大きな拍手があがった。
隣の人だかりでは、先ほどのピエロが、学校の授業で使われるような大きな三角定規と分度器を、空中に投げたり体の周りを器用に回したりする大道芸をやっていた。
三角定規が驚くほど高く舞い上がるたびに、大きな歓声があがったが、ぼくは、三角定規が頭の上に落ちてこないか不安になり、それ以上見ていられなかったので、早々にその場を離れることにした。
ぼくは、すべての大道芸を見たあと、最後に音楽隊のパレードを楽しんだ。
音楽は夕暮れの澄んだ空気にのって、会場全体に響き渡った。
帰ってから夕食を作るのが面倒だったので、ぼくは、屋台のお弁当コーナーで唐揚げ弁当を買って帰った。
中には、凧さんウィンナーとナポリタンも入っていて、とても美味しそうだった。
帰りの駅は、フェスティバルから帰る人たちでごった返していた。
電車が混んでいたせいで、家に帰ってみると、お弁当の容器が少し潰れていたが、バランが料理同士を仕切っていたので、おいしく食べることができた。
ぼくは、お弁当を食べながら、今日一日を振り返り、幸せな気分に包まれていた。
しりとり
AとBは仲のいい友達同士だ。
今日も学校からの帰り道、いつものように仲良くおしゃべりしている。
A:「しりとりしようぜ!」
B:「いいよ」
A:「じゃあ、おれからいくよ」
A:「ペロペロキャンディー」
B:「い、イルカ」
A:「カメラ」
B:「ランドセル」
A:「ルビー」
B:「ビー玉」
A:「マント」
B:「とんかち」
A:「ち、地下鉄」
B:「爪」
A:「めだか」
B:「カマキリ」
A:「りんご」
B:「ゴリラ」
A:「ランドセル、じゃなくて…らっきょう」
B:「ウサギ」
A:「ギター」
B:「凧」
A:「こま」
B:「まり」
A:「リス」
B:「すいか」
A:「カメ」
B:「メロンソーダ」
A:「ダイヤモンド」
B:「ど、ど、ド・レ・ミ♪」
A:「ド・レ・ミ? み、み、ミンミンゼミ」
B:「ミント」
A:「豆腐」
B:「ふ、ふ、風船! ん?」
A:「やーい、『ん』がついた~、お前の負けね!」
B:「う~ん、ミスったな~、じゃあ、今度はぼくからね」
B:「ヘビ」
A:「ビール」
B:「る、る、ルーレット」
A:「とんかち、じゃなくて、とんび」
B:「ビニール」
A:「る、る、ルール」
B:「『る』で返すとは! ん〜と、ルールブック」
A:「く、く、クール」
B:「また『る』? る~、る~、ルノー」
A:「の、の、ノコギリクワガタ」
B:「タイ」
A:「イカ」
B:「傘」
A:「三角定規」
B:「ぎ、ぎ~、魚の『ギギ』」
A:「『ギギ』? ぎ、ぎ、牛乳」
B:「海」
A:「三つ葉」
B:「ば、ば、バラン! ん?」
A:「また、『ん』がついた!お前の負け~」
B:「またやっちゃった……」
A:「ところで、『バラン』でなんだよ?」
B:「知らないの? バランはお弁当に入っている緑色のギザギザの仕切りのことだよ」
A:「あー、あれか、さっきの『ギギ』といい、おまえ、物知りだな」
B:「まあね、でも、その割には、しりとり弱いけどね」
A:「ハハハ、お弁当を想像したら、なんか、すごく腹が減ってきた!」
B:「そーだね、そろそろ帰ろうか?」
A:「うん、じゃあ、また明日!」
B:「バイバイ〜」
ふたりは手を振って別れた。
その時、空から一枚のバランがひらひらと落ちてきた。
続いて三角定規。
そしてペロペロキャンディー。
AとBは不思議そうにそれらを拾った。
空を見上げると、音符の形をした雲が、ゆっくりと流れていた。
なぞなぞ
AとBは仲のいい友達同士だ。
今日も、学校からの帰り道、道草を食って、公園で仲良く遊んでいる。
さっきまでは、凧あげに夢中だったが、少し疲れたので、ベンチに座って、ペロペロキャンディーをなめながら、なぞなぞを始めた。
B:「じゃあ、ぼくから問題を出すよ」
A:「いいぜ」
B:「風船を割るとでてくるケーキはな~んだ?」
A:「そんなの簡単だよ、答えはパンケーキ!」
A:「割れるとパーン!」
B:「正解、答えるの早すぎだよ」
A:「じゃあ、次は、おれね」
A:「音符の中に隠れている虫はな~んだ?」
B:「音符の中に? ん~、何だろう?」
B:「分からないな~、ヒントを頂戴よ」
A:「もう? 仕方ないな、音符の種類を想像してみて!」
B:「音符の種類? ト音記号、四分音符、八分音符…」
B:「あ! 分かった、答えは蜂だね」
A:「正解~」
B:「じゃあ、今度はぼく」
B:「肋骨に咲くバラはな~んだ?」
A:「バラ ん?ん?」
A:「あ〜 あばらだ」
B:「正解… もっと悩むと思ったのに…」
A:「今度はおれの番だな」
A:「切れないノコギリを使うと、よく切れるものはな~んだ?」
B:「切れないノコギリ?何それ? 全然分からないよ!」
A:「もうヒントかい?」
B:「うん、頼むよ」
A:「切れないノコギリで切るのは疲れるよね」
B:「うん」
A:「疲れた時、人はどうなる?」
B:「汗をかくね」
A:「他には?」
B:「ゼーゼー言うね」
A:「そうだね、それを別の言葉にすると?」
B:「別の言葉? あっ 分かった! 答えは、『息』が切れる、だ」
A:「正解!」
B:「じゃあ、今度はぼくからいくよ」
B:「三ばかり書く人の使う定規はな~んだ?」
A:「ハ~、そんなの誰でも解るよ、答えは三角定規!」
B:「せ、正解、やっぱり簡単すぎたか?」
A:「今度はこっちがいくよー」
A:「ヘビを捕まえに行く子供が食べるお菓子ってな~んだ?」
B:「ヘビ? お菓子? う~ん、難しい」
A:「ヒントいく~?」
B:「ヒント、ヨロ~」
A:「お前の大好きなお菓子は?」
B:「じゃがりこ」
A:「正解!」
B:「え? え? どうして正解なの?」
A:「ヘビは 『じゃ』 でしょ? 捕まえるは 『狩る』 だから」
A:「『じゃ』 を 『狩る』 子で、じゃがりこ!」
B:「なるほど~ 発想力すごいね!」
A:「まあ、それほどでもあるけど!」
B:「じゃあ、とっておきのやつをいくよ~」
B:「ぼくのお弁当は、運動会の日も遠足の日も水泳大会の日も、同じでした」
B:「さて、どんなお弁当だったでしょうか?」
A:「ハハハ、それ、知ってる! 答えはサンドイッチ、三度一致したからでしょ?」
B:「く~、悔しい!」
A:「ハハハ、お弁当を想像したら、なんか、すごく腹が減ってきた!」
B:「そーだね、そろそろ帰ろうか?」
A:「うん、じゃあ、また明日!」
B:「バイバイ〜」
仲良しの二人は、それぞれの家へ帰っていった。
だが、その翌日、Bは学校へ来なかった。
そして誰も、Bのことを覚えていなかった。
YouTube
最近、僕は毎日暇を持て余している。
今日も、また、僕はいつものようにベッドに横たわり、スマホ片手にYouTube動画を漫然と見ている。
何かに興味がある訳ではなく、情報を集めたい訳でもない。他にやることがないから、仕方なく見ているといった感じだ。
最初の動画は、かわいい子猫の動画だった。僕は、子猫や子犬のかわいらしい仕草が好きで、よく動画で見るのだが、YouTubeのアルゴリズムは、僕の嗜好をそれなりに分かっているようだ。
しばらくは、子猫の動画が続き、それから、猫がネズミを捕まえたり、ヘビと格闘したりする動画になった。猫がヘビの攻撃を軽々とかわす様子を見て、僕は猫の俊敏さに目を丸くした。
その後は、猫がおやつやご飯を食べる動画が続いて、とても癒されたが、突然、「お弁当」の動画に変わった。
インスタ映えするような、人目を引く、華やかなお弁当の作り方が紹介されており、投稿主が自らお弁当を作りながら、綺麗に見せるコツを熱心に解説していた。でも、僕の心にはほとんど響かなかった。
それよりも気になったのは、よく見かける、お弁当を仕切る緑色のギザギザの物体で、「あれ、何て言うんだっけ?」と疑問が湧き、ネットで検索したら、「バラン」というらしい。葉蘭(はらん)という植物の葉を切って素材にしたことが由来だそうだ。
その後も、キャラ弁や、某コンビニ弁当の悪評、料理レシピ動画が続き、そのうち、お菓子の動画に変わり、ペロペロキャンディーの製造工程の動画になった。とは言っても本物ではなく、折り紙だったが……
簡単にできそうだったので、ちょっとやってみようかと思ったが、面倒くさくなってやめた。
その後、しばらく、動物や花の折り紙動画が続いたあと、三角定規を使ったお絵かきの動画になった。
興味がなかったので一瞬でスクロールすると、次は、クラシック音楽の動画に切り替わったので、しばらく名曲に耳を傾けた。その後は、作曲家の紹介動画、楽器の動画、音符当てクイズなどを見ていたが、飽きてきたので、いくつかの動画をスキップした。
そのうち、スキップする手が一瞬止まった。ノコギリを持った楽士が、弦楽器の弓を使って演奏している様子が紹介されており、その不思議な音色に驚いた。
そのあとは、ノコギリやチェーンソーで木を切り倒す動画、森でのキャンプ動画が続いたので、ダラダラと見ていたが、いつの間にかウトウトして眠ってしまっていた。
どのくらい眠っていたのだろうか?
「ドーン、ドン! ドン!」と、突然、花火の音がして、僕は目を覚ました。
動画は、いつの間にか、お祭りの風景に変わっており、お祭りのにぎやかな様子が映し出されていた。
小さな女の子が赤い風船をもってヨチヨチ歩いていたが、ふと転んだ瞬間に風船を持つ手を放してしまった。
風船は、風にのってどんどん上空に舞い上がり、その先にはいくつもの凧が舞っていた。
泣きじゃくる女の子には気の毒だったが、青空に舞う、赤い風船と色とりどりの凧のコントラストは、とても美しかった。
その様子を見ていたら、僕はちょっと外の空気が吸いたくなり、「出かけてみようかな?」と思ったのだった。
夢
ある夜、僕は夢を見た。
それは、暑くて寝苦しい夜にふさわしい、不可解な夢だった。
最初に見たのは、子供の頃に野球観戦したときの夢だ。
昼の試合に合わせ、夜中にバスで出発したのだが、出かける際、母が昼食用にお弁当を持たせてくれた。僕は、そのお弁当やら何やらがいっぱい詰まった重いリュックサックと水筒を背負い、親戚のおじとバスの長旅に出た。翌日の午前中に球場に着き、試合開始まで数時間待ったのち、真夏の炎天下のスタンドで観戦したのだが、想像を絶する暑さだった。
観戦の合間に、母が作ってくれたお弁当のおにぎりを食べようとしたのだが、おにぎりは暑さで傷んでおり、食べることができなかった。暑くてぐったりしているところに空腹も相まって、体調は最悪だった。応援するチームも負けてしまい、踏んだり蹴ったりの一日だった。
そこで場面が切り替わり、次に見たのは、ノコギリの夢だ。
僕が子供の頃に住んでいた実家には、沢山の植木が植えられた大きな庭があり、年老いた父の手伝いをして、幼少の頃から、植木の手入れをすることが度々あった。父は厳格な人だったので、剪定バサミやノコギリの使い方が悪いと大きな声で叱られた。
夢の中でも、僕がノコギリで枝を切る様子を見て、父はイライラしながら、時折大きな声で怒っていた。炎天下で長時間作業をして、僕は具合が悪かったが、最後まで我慢してやり遂げた。手入れの終わった植木を見て、父は少し手直しした後、満足げに褒めてくれたが、僕は、褒められてもうれしくなかった。
夜になり、夕食に母が出前のお寿司をとってくれた。お寿司はおいしかったが、緑色のギザギザしたバランがノコギリの刃に見え、ちょっと嫌な気がした。
次に見たのは、若い頃に会社の同僚としばしば行ったカラオケの夢だ。
ぼくは、いつものように友達と行きつけのカラオケ屋に入って部屋に案内された。その部屋は、僕たちが何度も使ったことのあるお気に入りの部屋で、キラキラのモールや色とりどりの風船、音符をかたどった飾りつけがされた華やかな部屋だった。僕たちは自分の持ち歌を心ゆくまで歌ったが、フロントから残り五分の連絡が入り、最後にみんなが好きな曲を全員で合唱し、その余韻が残るまま、次のカラオケ屋にハシゴするというところで、別の夢に変わった。
今度は小学校での算数の場面だ。
図形の授業で、先生が黒板に大きな三角定規と分度器を使って、チョークで器用に図形を描いていた。僕は指名されたので、前に出て図形の問題を解いた。僕は、みんなの前で緊張していたし、先生の使う三角定規は僕には大きすぎたので、うまく図形が描けなかったが、先生が優しく手助けしてくれたおかげで、何とか描くことができた。
僕はホッとしたせいか、手に持っている三角定規を落としてしまい、三角定規が壊れてしまった。すぐに先生の顔を見上げると、先生は、一瞬、悲しそうな顔をしたが、いつもの笑顔に戻って、「気にしないでいいよ、席に戻りなさい」といってくれた。
僕は、席に戻ったあとも、居心地が悪かった。
その次に見たのは、妻と小さなふたりの子どもと一緒に、大きな公園に遊びにいった夢だ。
僕らは、その公園でボール投げやバドミントン、魚取りや凧あげをして遊んだ。
お店で昼食を食べた後、土産屋でお菓子を売っていたので、子どもたちが目ざとく見つけ、「買って!買って!」と駄々をこね始めた。仕方ないので、買ってあげることにしたのだが、二人ともペロペロキャンディーを選んだ。青やピンクの渦巻柄で、思いのほか大きかった。
子どもたちは大喜びで早速なめ始めたが、しばらくして、かけっこをしているときに、下の子が転んで、その拍子にペロペロキャンディーがバラバラに砕けてしまった。息子は、転んで痛いのと、ペロペロキャンディーが砕けてしまったので、大泣きに泣いた。その一部始終を見ていた僕はというと、息子が転んでペロペロキャンディーがバラバラになる様子が、スローモーション映像のように感じられ、思わず、クスッと笑ってしまった。
最後に見たのは、ニジマス釣りの場面だ。
僕が、ある管理釣り場で釣りをしていると、1.5メートルぐらいのヘビが川の対岸からこちらに泳いでくるのが見えた。ヘビは川の途中にある大きな岩までたどり着くと、まるで一息つくかのようにじっとしていたが、しばらくすると、またこちらに向かって泳ぎだした。
僕は、ヘビに抵抗感はなかったので、興味深く見守っていたが、あまりにも自分の近くにヘビがやってくるので、ちょっと慌てた。すると、ヘビは、僕に気づいたのか、ちょっと方向を変えて川を渡り切り、岸壁をスルスルと這い上がって、見えなくなってしまった。僕は、面白いものが見られたと思った。
その日の帰り、僕が車で山道を走っていると、またしても、ヘビが現れた。車を止めてよく見てみると、なんとヘビはカエルを咥えて、ウネウネと這っていた。ヘビの捕食はテレビではよく見るものの、実際には見たことがなかったので、珍しいものを見ることができたと思い、喜んだのも束の間、そこで目が覚めた。
僕の喜びはぬか喜びに終わった。
最後の日
凧のお弁当には、時々、ある老人が現れる。
老人は、古代ギリシャの哲学者のような出で立ちで、白い豊かなヒゲをたくわえ、それとは対照的なツルッとした頭をしている。
昨晩もお弁当に出てきた。
ノコギリは最初、『天城越え』だったのだが、老人が 「おっと」と言いながら指を鳴らすと、組曲『三角定規』に切り替わった。
「『天城越え』で良いじゃないですか」と凧が言うと、
「いいの。雰囲気も大事でしょ」と老人は満足げだ。
凧はこの老人を「バラン様」と呼んでいる。
それは、そう呼ぶように言われたからに過ぎない。
バラン様は、凧のお弁当に時々やってきて、いろいろな問いかけをする。
今回の問いはこうだ。
「さて、あと十年でこの風船はいったん終わりを迎えるが、おぬし、どう生きるつもりかね?」
「………」
「あと十年か……バラン様、質問してもよろしいですか?」
「なんじゃ?」
「この風船がいったん終わるとは、どういうことですか?」
「文字通りの意味じゃよ。おぬしら、ヘビは絶滅し、ヘビが支配する風船は終わる。そして、違う生物が進化してこの風船の新たな覇者となる、ということじゃ」
「つまり、凧に残された時間はあと十年ということですね?」
「まあ、そういうことになるかのう」
「わかりました。一日お時間をください。」
凧がそう言うと、ペロペロキャンディーが鳴り、凧はお弁当から覚めた。
その日、凧はいつも通りの日常を過ごした。
しばらく前から閑職にある凧は、八時に出社し、会社で特にやることもなく時間を持て余して過ごす。終業のチャイムと共に早々に帰宅し、食事→入浴→就寝という、何の変哲もない音符を送っている。
特に、やりたいことも、やるべきことも見当たらず、「仕事」というやりたくないことを、毎日我慢しながらやっているに過ぎない。
いつも通りの日常を過ごしたその夜、バラン様がまたお弁当に現れた。
今日のノコギリも、昨日に続き、ホルストの『三角定規』だったが、凧は、自分の話に雰囲気が合う曲として、ブルックナーの『交響曲第七番』をリクエストした。
バラン様はちょっと嫌な顔をしたが、指を鳴らして渋々変えてくれた。
何事にも雰囲気は大事である。
「さて、昨日の答えを聞かせてもらおうかのう?」 バラン様はニヤニヤしながら言った。
凧はというと、ブルックナーを聴きながら、ゆったりした気持ちで答えた。
「どう生きるも何もありませんよ。残り十年なら、今のままの音符を十年続けるだけです」
「ほう!」
バラン様は、意外そうな顔をしながら、凧の話に聞き入った。
「凧には、もうやり残したことはないのです」
「人生の大きなイベントは、三十代のうちにやってしまいました。結婚し、ふたりの子どもに恵まれ、転勤し、親を看取り、我が家を建てました。周りからは「生き急いでいるようだね」と言われたものです。
四十代では、仕事に集中して成功を収めました。プロジェクトを任されて結果を出し、出世もしました。
五十代では、病気の治療を通して人生観が変わりました。仕事よりも健康の方が大事だと悟り、仕事への興味が薄れてしまいました。今はただ、なるべく早く退職し、のんびり暮らしたいと思っています」
凧はここまで言うと、一息ついて、ノコギリに少し意識を傾けた。
そして、次のように続けた。
「凧には大した趣味もありません。退職したからと言って、あり余る時間を使って、趣味を極めようにも、これといって思いつきません。これまで、一番の趣味は釣りでしたが、釣りの目標もすでに達成済みで、今は、たしなみ程度に続けているだけです」
バラン様は、指を鳴らして、ノコギリをブルックナーからホルストに戻しながら、凧にこう言った。
「つまり、おぬしの答えは、のんびりと余生を過ごしたい、ということじゃな?」
「よかろう!おぬしの望みを叶えよう!」
ここでまた、ペロペロキャンディーが鳴り、凧はお弁当から覚めた。
ベッドから起きてテレビをつけると、ニュースが慌ただしく報じていた。
あるならず者国家が、某軍事同盟に宣戦布告したことを……
今日をもって、風船は第三次大戦に突入した。
ところが、凧はと言うと、いつものように出勤し、社内の慌ただしさとは裏腹に、平然と席に着き、普段と変わらず働いた。
会社中がそわそわし、重役連は緊急会議など開いていたようだが、凧には関係なかった。
なぜなら、すでに、凧は風船の未来を知っていたからだ。
十年後には、全てのヘビが絶滅し、ヘビの風船は終わる。
今更、会社の存続などどうでもよかった。
凧は、仕事中に退職願いを書き、帰り際に上司に提出した。
家に帰ると、全てから解放されて、晴れやかな気分になった。
これからはもう、やりたくないことはやらなくていいんだと思うと、心が躍った。
凧は、久しぶりに酒を飲み、うまい食事を食べ、ゆっくりと風呂に浸かった。
そして、満ち足りた気持ちでお弁当に落ちていった。
その晩、またバラン様がお弁当に現れた。
ノコギリは、またしても『三角定規』だった。
「おぬしは風船情勢には関心がないのかのう?」
「ええ、ありませんよ、すでに十年後に滅びることは確定しているのです。今更、凧ひとりがどうこうしても、何も変わりませんよ」
「そうかもしれぬのう」
「ただ、周りが騒がしければ、のんびり余生を過ごすというおぬしの希望も、影響を受けるのではないか?」
「そうかもしれませんが、凧の場合、元々世間との繋がりが希薄なので、大したことはないでしょう」
更に凧は続けた。
「凧の存在など矮小なものです」
「これまで、この星は五回の大絶滅を乗り越えてきました。今回六回目になりますが、バラン様が言った通り、誰かがこの風船を再生してくれるのなら、それでいいと思うんですよ。たとえ、それがヘビでなくても……」
そう言うと、凧はペロペロキャンディー時計によって、お弁当から現実に引き戻された。
テレビをつけると、朝の能天気な番組が、どうでもいい情報を発信していた。
凧はチャンネルを変えて、すべての放送局を確認したが、昨日のような風船大戦を報じるところはひとつもなかった。
風船は何もかも、一昨日の状態に戻ってしまったのである。
凧は直感した。「バラン様の仕業だな?」
その晩、凧はお弁当の中でバラン様に食いついた。
ノコギリは、ちょうど、『三角定規』の火星が猛々しく流れていた。
「これは一体どういうことですか、戦争はどうなってしまったのですか?」
「せっかく会社を辞めたのに、全て台無しです!」
「まあ、そう怒るな。おぬしの決心の固さを試したまでよ。退職願いも、わしの力で無かったことにしておいたよ」
「つまり、こういうことじゃな? 風船の存亡に関わるような大事件が起こっても、おぬしにはむしろ好都合で、会社を辞める口実にしたいのじゃな?」
「そうです。今の凧にとっては、長すぎる人生の方が不都合なのです。最後まで生きるにはお金が必要ですが、お金を稼ぐためには仕事をしなければなりません。でも、もう仕事はやりたくないのです」
凧は、更に続けた。
「贅沢を言う気はないのです。豪華な車も、高価な宝石もいりません。風船中を旅したいとか、美食を極めたいとも思いません。ただ、些細なやりたいことができて、やりたくないことをしなくていい、そういうのんびりした音符がしたいだけなのです」
ノコギリは、火星が佳境を迎えていた。
「そうかのう?」
バラン様は少し訝しそうに首を傾げたが、
「まあ、よかろう。おぬしの望みを叶えようぞ」
そう言うと、バラン様はスーッと消えて行った。
凧は深い眠りに落ち、朝、ペロペロキャンディーが鳴るまで、何も感じなかった。
翌朝、凧はいつものように目を覚まし、いつものように支度をして会社に出かけようとしたが、玄関を出ると、あたりは昨日までとは一変していた。
凧の家以外、何ひとつ存在しなかった。
何もない真っ白な風船が、地平の彼方まで果てしなく続いていたのだ。
凧は会社に行くのを諦め、部屋に戻りテレビをつけてみた。
しかし、テレビは何も放送しておらず、ザーッという音と共に、砂嵐のような画面が続くだけだった。
「これもバラン様の仕業だな」
「う〜ん、こういうのではないんだよな~」
そう思いながら、凧はソファーに倒れ込むようにして横たわった。
そして、いつのまにか、ウトウトと眠ってしまった。
すると、バラン様がまたお弁当に出てきた。
「せっかく、おぬしの望むような風船にしてやったのに、不満げのようじゃな」
「それはそうですよ、何もない風船でのんびりなんて出来やしません」
ノコギリは、昨日同様、『三角定規』の火星が続いていた。
「凧は、今まで通りの音符ができればそれで満足なんです! 余計なおせっかいはしないでください!」
「分かった。そう、怒るな。」
「おぬしの望み通りにしてやろう」
「この親父、また余計なことをするつもりだな」と、思わず口から出かかったが、凧はその言葉をグッと飲み込んだ。
目を覚ますと、すでに夕方になっており、風船は元通りになっていた。
それから数日は何も変化なく過ぎた。
というか、何も変化しなかった。
毎日毎日、同じことの繰り返しで、朝起きて見るテレビの内容も、会社で起こる出来事も、道ですれ違う人の挨拶も、何もかもまったく同じで、それがひたすら繰り返されるのだった。
「あの親父、また、つまらんことをしやがって!」
「文句を言おうにも、お弁当に出てきやしない!こんなの、いつまで続くんだよ!」と、凧は腹を立てた。
その後も、更に一週間ほど同じことが繰り返され、いい加減、嫌気がさした頃、お弁当に親父が現れた。
ノコギリは、故障のせいか、『三角定規』の木星の出だし部分が何度もリピートされていた。
凧はバラン様の顔を見るなり、
「いい加減、別の曲にしませんか? 趣味悪いですよ。同じことの繰り返しなんて、もうウンザリです」
「ホッホッホッ、そう言うじゃろうと思ったよ。同じことの繰り返しは、さぞかし面白かったろう?」
「ええ、ええ、面白すぎて泣きたいです!」
「そうか、そうか。こういうのは、お気に召さんのじゃな?」
「召すわけないでしょう!」
「よかろう、おぬしの望みを叶えよう」
「ちょっと待ってください。また、面白がって余計なことしようとしてますよね?」
「その手は食いませんよ。凧が望むのは、前と同じような普通の日常なんです。お願いですから、元に戻してください」
「まあ、そう焦るな。おぬしが目覚めたら、全てが元通りになっておるよ」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、ペロペロキャンディーが鳴って、凧はお弁当から覚めた。
それから数日は、平穏な中にも多少の変化がある日々が続き、凧は安心した。
そんな音符が何週間か続き、その間、バラン様はお弁当に現れなかった。
凧は不思議に思ったが、そんなことも忘れて日々の音符を送っていた。
季節が移り変わったある夜、久しぶりにバラン様がお弁当に現れた。
ノコギリは『少年時代』がかかっていたが、いつものごとく、バラン様は指を鳴らして、ホルストの『三角定規』に変えた。
「そろそろ違う曲にしませんか?そうだ、今日はマーラーの『交響曲第一番』にしましょう」
「チッ!まあ、よかろう」
そう言って、バラン様は指を鳴らして曲を変えた。
凧がマーラーに聞き入っていると、バラン様は話し出した。
「最近は調子が良さそうじゃのう。おぬしの望む、平穏で普通の日々というのはいかがなものじゃ?」
そう言われて、凧はハッとした。
確かに、凧は普通の日々を望んでいた。しかし、その音符は不満ではなかったが、同時に満足も得られなかった。何かもの足りない感じが常にして、刺激のない甘口カレーを毎日食べさせられているようだったと気づいた。
凧は、おねだりするように、バラン様に頼んだ。
「バラン様〜、時には刺激が欲しいですね。『三角定規』ばかりでは飽きてしまい、別の曲を聞きたくなるのと同じですよ」
「仕方ないのう。分かったわい」
そう言って、バラン様は、マーラーのノコギリと共にフェードアウトしていった。
目を覚ますと、昨日までとは違う日常がやってきた。
凧の家は、温暖な地から、突如として、熱帯のジャングルの真ん中に転移していた。
辺りでは、様々な種類の鳥や動物たちが鳴き叫び、家の中には見たことのない昆虫がたくさん入り込んできた。
「これもまたあの親父のせいか?」と凧は思いながら、親父のいたずらには絶対負けないぞという気概で、その日一日を耐え抜いた。
次の日は、極寒の氷の大地に凧の家はポツンと建っていた。
凧は一日中、厳しい寒さに震えながら、隙間風を塞ぐことに懸命だった。
さらに、次の日、今度は砂漠の真ん中に放り出されていた。
灼熱の中、涼しさを求めて、トカゲやら、サソリやら、ヘビやらが家の中に入り込んできて、その対応に明け暮れた。
ここ数日、気を張っていたせいか、その晩は早々に眠ってしまった。
次の日、目を覚ますと、今度は、凧の家は宇宙空間を浮遊していた。
家中の何もかもが空中を漂っており、凧自身もプカプカと宙に浮いていた。
凧は腹を立て、あの親父に文句を言うために、薬箱にあった睡眠薬を飲んで、空中に浮かびながら眠りについた。
眠りに落ちると、すぐにバラン様が現れた。
ノコギリは、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』だった。
「バラン様? 変化が欲しいとは言いましたが、ここまでとは言ってません」
「ホッホッホッ、喜んでくれると思ったのじゃがのう?」
「誰が喜ぶもんか? どうしていつもこんなに極端なんですか? いい加減にしてください!」
「まあ、落ち着くが良い。今日のノコギリはこの風景にピッタリじゃろう?」
「うまいオチがついたみたいに言うのは、やめてくれませんか?」
「まあ、そう言うでない。雰囲気は大事じゃからのう」
バラン様はケラケラ笑いながら満足げだったが、ふと、珍しく真剣な表情になり、
「これも気に入らぬというなら、仕方ない」
「今度こそ、おぬしの期待に応えて見せようぞ」と重々しく言った。
翌朝、目を覚ますと元の風船に戻っていた。
凧は、安心して今まで通りの音符を再開した。
今度は、同じ日々の繰り返しではなく、変化しすぎる日々でもなく、時々適度に刺激的な出来事があって、飽きのないちょうど良い日常だった。
相変わらず仕事は続けていたが、働く意欲はないので、無難に業務をこなして定時帰宅の繰り返しだった。
プライベートでは、やりたいことをして、やりたくないことはしないで済む音符だった。
とは言っても、大してやりたいこともなかったのだが……
そして、こんな日々が、何か月も何年も続き、気がついたら、バラン様から言われたヘビ滅亡まで残り十年という期間のうち、既に七年が経過していた。
この頃になると、風船情勢は緊迫しており、各地で紛争や暴動が頻発するようになっていた。それは、やがてくる風船大戦の前触れのように思われた。
その間、バラン様はと言うと、凧のお弁当にたまに現れては、きな臭い風船情勢とは裏腹に、のんびりと世間話をする程度で、以前のような問いかけをすることはなかった。
ノコギリは、いつも、モーツァルトの交響曲や協奏曲のような美しく軽快な曲だったので、凧の好みにも合っており、曲を変えるようにお願いをすることはなかった。
ところが、ある晩、お弁当に現れたバラン様は、いつもとは明らかに様子が違っていた。
ノコギリは、モーツァルトの『レクイエム』が重々しく流れており、尋常ではないことが起こる予感がした。
バラン様は、真剣な顔つきで凧に話しかけた。
「今日は、おぬしにとって良くない話があるのじゃ。誠に言いづらいのじゃが、おぬしの余命は残り六か月じゃ」
「えっ、えっ、ヘビの滅亡までには、まだ三年ほどあるはずですが?」
「そうなのじゃが、おぬしはそれよりも早くこの世を去るということじゃよ」
「どうしてですか? てっきり、凧は、ヘビと運命を共にすると思っていました。凧だけ早く死ぬ理由があるのですか?」
「そうじゃ、おぬしは、何年もの間、やりたいことをやり、やりたくないことをやらず、一見、ストレスのない音符を送ってきたように見えるが、人間というのは、ストレスがなければないなりに、ストレスを感じるものなのじゃ。
おぬしの体は、蓄積されたストレスによって、免疫力が落ち、大腸にできた癌が既に全身に転移しておる。残念ながら、もう手の施しようがないのじゃ」
「そんな! 癌だなんて! 凧の体は何ともないですよ!」
「癌の自覚症状は気づきにくいものなのじゃ。明日にでも病院に行って確かめてみるが良い」
この時、ノコギリは、『レクイエム』のラクリモーサがさめざめと流れていた。
凧はハッと目を覚ました。
「これはお弁当だ! お弁当に違いない! 自分が癌だなんて信じられない。きっと何かの間違いだ!」
朝から、どうしようもない不安に苛まれ、近所の病院が開くと同時に駆け込んだ。
その日は、採血、CT、エコーの検査を行い、内視鏡は後日ということになった。
その晩は不安で眠れなかった。
自分では、生への執着があまりないように思っていたが、いざ死の現実を目の前に突きつけられると、動揺を隠すことはできなかった。
数日間不安の中で過ごした後、内視鏡検査の日が訪れた。
朝から下剤を飲んでお腹を空にし、病院で胃と大腸の検査を行った。
麻酔をしていたので知らぬ間に検査は終わり、やがて目を覚ますと、医師から結果を言い渡された。
ステージⅣの大腸癌であること、既にリンパ節や他の臓器への転移が見られること、外科手術では対応できず、化学療法や放射線治療をする必要があること、治療の効果がなければ余命は長くて六か月であること、などが伝えられた。
凧は、説明の間、うわの空だった。
家に帰ると、布団に潜り込み、泣きながら眠ってしまった。
凧が眠りに落ちると、バラン様が、モーツァルトの『レクイエム』と共に現れた。
「………」
凧の顔を見ても、バラン様は何も言わなかったが、その眼差しには悲しみの色が浮かんでいた。
「凧はどうしたらいいんでしょう?」
「このまま死を受け入れるしかないのでしょうか?」
「それもひとつの選択じゃ。だが、違う道も残されておる」
「これまで、おぬしは、やりたいことをやり、やりたくないことをやらずに済む日常を求めておった。じゃが、そのようなメリハリのない音符こそ、人間にとっては苦痛なのじゃ。そして、そのストレスが、知らず知らずのうちに蓄積し、今回の病気につながったのかも知れぬ」
「おぬしにとって、本当にやりたいことは一体何なのじゃ?」
「なんとなくではなく、頭で考えたことでもない。おぬしが心の底からやりたいと思うことは何かを問うておるのじゃ。よく考えてみよ」
ノコギリ は相変わらず『レクイエム』がかかっていたが、バグなのか、一瞬、『天城越え』に変わった。
バラン様は、チッと舌打ちして、いつものように指を鳴らし、また『レクイエム』に戻した。
凧は目を覚まし、今度こそ真剣に、自分のやりたいこと、そして、残された日々をどう生きるかを考えることにした。
とはいえ、自分が本当にやりたいことは、簡単には見つからなかった。
そのため、凧の癌は進行し、抗がん剤や放射線治療も功を奏すことなく、六か月後に凧は、壮絶な苦しみの中、命を落とした。
しかし、死ぬと同時に、バラン様によって六か月前のお弁当の場面に引き戻された。
最初は何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
しかし、何回か「死に戻り」しているうちに、凧がまだ答えにたどり着いていないこと、病床で見るお弁当には凧の過去が走馬灯のようにフラッシュバックすること、そのお弁当はこれまでの人生で感じた凧の想いを蘇らせること、そして、その想いが答えにたどり着くためのヒントであること、などが朧げながらわかってきた。
死に戻りを何度か繰り返した後、ある夜、久しぶりに、バラン様がお弁当に現れた。
「おぬし、何度死に戻った?」
「四回です」
「なかなかやりたいことは見つからぬようじゃのう?」
「ええ、苦戦しています」
ノコギリは、ベートーヴェンの『第九』が始まった。
凧は、バラン様に、これまでの死に戻りを通して、自分の人生をお弁当で振り返ったこと、そして、それを通して自分についてわかったことを、包み隠さず話した。
「凧は子どもの頃、父に厳しく育てられたせいか、大人の顔色を伺う『いい子』を、知らず知らず演じてきました。そのため、自分自身の感性が十分育たなかったようで、他人に評価を任せるようになってしまいました。
一見、自分で考え、感じ、行動してきたようでも、実は、無意識に周りの人に従わされていたのかもしれません。
凧が自分に自信を持てなかったり、真にやりたいことが見つからないのは、そのことが大きく影響しているようです」
凧は更に続けた。
「また、若い頃から、本来やるべきことがうまくいかないときに、別の何かで穴埋めすることがよくありました。何の成果もなかったら、周りの人に合わす顔がないとでも思っていたのでしょう。
でも、そのような代償行為の成果には、いつも『後ろめたさ』が付きまといました。だから、代償行為にどれほど熱中して成功しても、真の満足を得ることはできませんでした。
その結果、凧は、何をやっても、どんなに成功しても、素直に喜べない人間になってしまいました」
「………」
バラン様は、静かに凧の話を聞いていた。
「ですが、バラン様と出逢い、バラン様との対話を通して気づきました」
「結局、やりたいことの内容なんて、何だってよかったのです」
「それよりも、他人からの押し付けではない、自らやりたいと思うことを探し求めて生き続ける、それこそが、大切だったのではないでしょうか?」
「そして、悲しいことに、それが見つかろうと見つかるまいと、必ず死を迎えるのが、人という生き物なのですね」
バラン様は、凧の話を最後までじっと聞いたあと、うなずきながらこう言った。
「その通りじゃ。何がやりたいかではなく、やりたいことを探し求めて生き続けること、それこそが、人という生き物の在り方なのじゃ。そのことに気づけたのなら、おぬしの人生は、決して無駄ではなかったのじゃよ」
凧は、バラン様の言葉を聞いて救われた思いがした。
「世の中には色々な人がおる。老衰で心臓が止まるまで生き続ける者もおれば、事故や災害で思いがけず命を落とす者もおる。おぬしのように病気で亡くなる者もおれば、他者によって無理やり命を奪われる者もおる」
「死に様が生き様を物語るという輩もおるが、わしはそうは思わん。死に様など運に過ぎぬ。やりたいことを求めてあがきながら生き続けることにこそ、意味があるのじゃ」
「おぬしの場合、あれほど頑張ってきたのに、早々に死という運命を受け入れ、本当にやりたいことを探す旅を途中で放棄し、さして『やりたいわけでもないこと』を『やりたいこと』と偽ってそれに満足する、おぬしのそのような生き方を見て、わしは心を痛めておったのじゃ」
バラン様からそう言われて、凧は胸を打たれた。
ノコギリは、『第九』の第四楽章が始まった。
凧は、歓喜の歌の中、静かに目を覚ました。
風船は既に終末の様相を呈していた。
戦いは、小国同士の小競り合いに留まらず、大国を巻き込んだ風船大戦に発展し、風船中の国々が巻き込まれていた。このような状況の中、誰もが核兵器が使用されることを懸念していた。
一方、凧はと言うと、抗がん剤治療からホスピスに移行していたが、これまでの死に戻りと違って、幸いにも苦しみは少なく小康状態にあった。
とはいえ、凧が癌で死ぬのが早いか、風船が核戦争で滅ぶのが早いかは微妙だった。
先のバラン様との対話以降、凧はもう、何がやりたいのか、どう生きるべきかは考えなかった。
ただひたすら、目の前のことに集中し、「そのことができるということ」を心から喜んだ。
凧は、「答えにたどり着いた!」と確信できた。
こうして凧は、臨終の床にいながらも、人生の最期を充実して過ごすことができた。
そして、風船の、とある場所で、核ミサイルのボタンが押された時、凧は麻酔を打たれて、お弁当と現実の境を彷徨いながら、バラン様と楽しく語り合っていた。
ノコギリは、ベートーヴェンの『第九交響曲』の歓喜の歌がまもなく終わろうとしていた。
「いかにも、雰囲気を大事にするバラン様らしい選曲だな」と感心しつつ、人生の最期に聴くには悪くない曲だと思いながら、凧は静かに息を引き取った。
あとがき
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
本作は、『ヘビ』『風船』『音符』『三角定規』『ノコギリ』『バラン』『お弁当』『ペロペロキャンディー』『凧』という、どこか統一感のない9つのキーワードから生まれました。
実は、このキーワードたちは、ある日の心理カウンセリングで生まれたものです。
その日、私はカウンセラーの先生と「投影法」というお絵描きのワークを行いました。交互に絵を描き、それが何に見えるかを答え合う――そんな少し不思議な時間でした。
そして最後に先生から出された宿題が、「このキーワードを使って物語を書いてみませんか?」というものでした。
最初に見たときは、「一体どうやって物語にすればいいんだろう?」と、正直かなり戸惑いました。
ですが、せっかくなら無理に整えすぎず、それぞれの言葉が持つ奇妙さや自由さを、そのまま物語の中で遊ばせてみようと思ったのです。
すると、不思議な女が現れ、音符が空から降り、ヘビが街を這い、バラン様が夢に現れ、世界は終わりへ向かい始めました。
書いているうちに、これは単なる言葉遊びではなく、「人は意味のないもの同士を繋ぎ合わせながら、自分なりの世界を作って生きている」という話なのかもしれない、と感じるようになりました。
人生もまた、どこか不条理です。
嬉しいことと悲しいこと。
美しいものと滑稽なもの。
意味のあることと意味のないこと。
それらがごちゃ混ぜになりながら、ひとつの物語になっていく。
この作品が、そんな“少し奇妙な人生”を、ほんの少しでも楽しむきっかけになれば幸いです。
最後に、この不思議な世界に付き合ってくださったあなたへ、心から感謝を込めて。
小森 信(こもりしん)
その時に描いた絵です!

いいなと思ったら応援しよう!
この度は、応援ありがとうございます! いただいたチップは活動費として大切に使わせていただきます! 