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カンヌ国際映画祭粉砕事件とは何か(v1.2) -- ゴダールとトリュフォー、そしてヌーヴェル・ヴァーグの現代的意義について

■1968年の嵐:カンヌ国際映画祭粉砕事件

1968年5月、フランス社会を揺るがした「五月革命」は、映画史にも象徴的な事件を残している。いわゆるカンヌ国際映画祭粉砕事件だ。その少し前、シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワ解任に端を発した「ラングロワ事件」で映画人たちは既に蜂起していた。学生運動と労働争議が全国に拡大する中、カンヌに集まった映画人たちは「映画祭など続けている場合ではない」として上映の中止を要求し、ついには上映スクリーンのカーテンにしがみついて上映を阻止するという事態にまで発展した。映画祭は最終的に中止に追い込まれる。

この事件には多くの映画作家が関わっていたが、象徴的だったのがジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォーである。ヌーヴェル・ヴァーグの中心にいた二人は、この時点ではまだ「反権威」の旗印の下で共闘していた。しかしその後、二人は決定的に対立し、友情も運動も終焉へと向かう。

■ヌーヴェル・ヴァーグという「友愛の共同体」

そもそもヌーヴェル・ヴァーグとは、友人たちの繋がりから生まれた運動だった。映画学校でも映画産業でもなく、シネクラブ、映画雑誌、映画館、そしてカフェでの議論の中から生まれた文化的ネットワークである。映画を愛する若者たちが互いの作品を支え合い、批評し合い、刺激し合う中で、新しい映画の感性が生まれていった。これを、映画作家たちの友愛と呼ぶこともできるだろう。その中心には、トリュフォーとゴダールの友情があった。

したがって1968年のカンヌ事件は、単なる政治的事件ではない。それはヌーヴェル・ヴァーグという友愛の共同体が到達した一つの頂点でもあった。映画制度に対する反逆、文化権威への挑戦、映画そのものを政治的闘争の場に変えるという発想。そこには確かにヌーヴェル・ヴァーグのラディカルな精神が表れていた。

■文化制度の破壊と「象徴資本」をめぐる闘争

しかし同時に、それはこの運動の自己破壊でもあった。映画祭を停止させるという行為は、映画という文化制度そのものを破壊する可能性を含んでいたからである。そして実際、この事件の後に政治的ラディカリズムへ傾倒するゴダールと、人間を描く物語へ踏みとどまるトリュフォーの間で友情は決裂し、ヌーヴェル・ヴァーグという友愛共同体も事実上終焉することになる。二人の決定的な決別は、1973年に交わされたあまりにも有名な往復書簡に象徴されている。

この決裂は、ある意味でゴダールとトリュフォーの「二重の敗北」の始まりでもあった。トリュフォーはかつて激しく批判したはずの映画制度の内部へと取り込まれ、一方のゴダールの政治的革命は、学生運動の自壊や中国文化大革命の凄惨な実態が露呈する中で、出口のない悲惨な結末へと迷い込んでいったからである。ヌーヴェル・ヴァーグという運動を文字通り「終わらせた」のは、この政治への直接的介入がもたらした亀裂だった。それゆえ、当時の熱狂のみを切り取り、映画人による政治への直接的介入をロマンティックに称賛する近年の風潮には、慎重である必要がある。歴史の文脈を無視した安易な礼賛は、その後に訪れた空虚な挫折を看過するという意味で、危うさを孕んでいる。

この出来事を理解するために有効なのが、社会学者ピエール・ブルデューの分析である。ブルデューは1968年の運動を、単純な労働者革命ではなく「新しい中産階級による文化的反乱」として理解した。この「新しい中産階級」とは、教育資本や文化資本を多く持つ人々のことだ。大学生、知識人、芸術家、文化産業に関わる人々などがその典型だろう。彼らは経済的な搾取というよりも、文化的権威や社会制度に対して反乱を起こした。つまり、1968年は政治革命というよりも文化革命の側面を強く持っていたのである。ブルデューの言葉を借りれば、それは「象徴資本」をめぐる闘争でもあった。

しかし、この運動には構造的限界があった。労働者の多くは賃上げなど現実的な改善を求めていたのに対し、学生たちはより抽象的で急進的な革命を志向した。結果として、ド・ゴール政権が一定の譲歩を行うと労働運動は収束に向かい、学生運動は社会から孤立していった。

■制度のトリュフォー、美学のゴダール

ブルデューの視点から見ると、1968年の文化革命は完全に失敗したわけではない。むしろ別の形で成功した。それは文化制度の内部に浸透したのである。一見すると、上述したような「二重の敗北」に終わったかに見える彼らの軌跡だが、視点を変えれば、その敗北を代償として、それは奇妙な「二重の勝利」へと転じていたとも言えるのだ。大学、メディア、文化機関、芸術制度などの価値観は、この時期以降大きく変わっていく。反権威主義、創造性の尊重、文化的自由といった理念は、徐々に制度化されていった。

映画の世界でも同じことが起きた。興味深いのは、その後のゴダールとトリュフォーが、この二つの方向をそれぞれ体現していったことである。

トリュフォーは映画制度の内部で活動を続けた。彼は物語映画を作り続け、映画産業や映画祭の存在を否定することはなかった。一見すると、これは革命の後退のようにも見える。しかし別の見方をすれば、彼はヌーヴェル・ヴァーグの精神を制度の中に定着させることに成功したとも言える。作家主義や個人的表現を重視する映画文化は、その後の映画制度の中で当たり前のものになっていった。彼が守ったのは「映画を楽しむための公共圏」であった。

一方のゴダールは、映画そのものの制度を批判し続けた。商業映画から距離を置き、政治映画や実験的作品、ビデオ作品の製作に向かい、作家性を否定した匿名的集団によって作品を作るなど、映画という装置自体を解体しようと試みた。彼の姿勢は、文化革命の精神を純粋な形で保とうとする「制度化」への徹底した拒絶であった。もっとも、実際のゴダール作品はあくまで独自の作家性として消費され続け、彼自身も80年代以降は商業映画へと復帰している。その意味でゴダールは、単なる永遠の革命のシンボルというより、革命と制度のあわいを往還し続けた作家と見るべきだろう。

こうして振り返ると、1968年以降の映画史では奇妙な二重の勝利が起きている。制度の面ではトリュフォーが勝利した。映画祭、映画産業、映画教育などの制度はむしろ強化され、その中で作家映画は正統な文化として定着した。しかし、美学の面ではゴダールが勝利した。現代の作家映画の多くは物語映画でありながら、その映像感覚や自己反省的なスタイルはゴダールの影響を強く受けているからだ。つまり映画文化は、制度としてはトリュフォー的でありながら、感性としてはゴダール的であるという奇妙な状態にある。

■SNS時代の「自己破壊」を越えて

この構図は、現在のSNS時代を考える上でも示唆的である。SNSの言説空間では、しばしば永遠の文化革命のような言語が優勢になる。道徳的糾弾や急進的な正義の主張が拡散され、象徴的人物が次々と断罪され批判の対象になる。そこではゴダール的なラディカルな反逆のイメージがしばしば英雄視される。近年のSNSにおいて、カンヌ国際映画祭粉砕事件が「映画人による直接行動の理想」として顕揚される傾向が強いのも、その表れだろう。しかし、当時の運動が内包していた政治的自壊や、後の映画人たちの苦悩を捨象したまま、この事件を安易に神聖化することは危険である。それは歴史的な複雑さを「映える」反逆のアイコンへと矮小化し、対話なき断罪を加速させることになりかねないからだ。かつての革命が「二重の敗北」という惨憺たる結末を通過したという事実を忘却したとき、私たちは再び同じ自己破壊の轍を踏むことになる。

こうした言説は、また、現実社会の制度や文化的公共圏を弱体化させることもある。議論や熟慮よりも、即時的な怒りや断罪が優先されるからだ。それは、友愛なき革命の暴走に似ている。ある意味で、現在のSNS空間は1968年の文化革命の自己破壊的側面だけが永続化した世界のようにも見える。革命の言葉は増幅され続けるが、それを受け止める文化的制度や友愛の共同体は弱体化している。結果として、人々は同じ文化を共有する仲間というよりも、互いに糾弾し合う敵として出会うことが多くなる。断絶は深まるばかりだ。

この状況を考えると、トリュフォー的な映画文化の意味はむしろ大きく見えてくる。映画館という空間、作品をじっくり鑑賞する時間、そしてその後に行われる批評や議論。こうした「遅い文化」は、即時的なSNS政治とは対照的な公共圏を形成している。

もしヌーヴェル・ヴァーグを「文化的共和主義」と呼ぶことができるなら、それはまさにこの点にあるだろう。つまり、制度を完全に破壊するのではなく、文化制度の内部で反逆の感性を生き続けさせるという態度である。それは、異なる意見を持つ他者と、同じ「スクリーン」を共有し続けるための作法でもある。あるいは、同じ体験を共有しながらも、異なる意見や感想を抱いた他者との間で、お互いの差異を認め合うための作法だと言い換えてもよい。

■ヌーヴェル・ヴァーグは継続する

そしてここで思い出すべきなのは、ヌーヴェル・ヴァーグの出発点が友人たちの連帯だったという事実だ。批評を通じて互いに議論し、映画を愛するという共通の情熱の中で、違いを抱えながらも共に文化を作り上げていく。そこには政治的敵対とは異なる、文化的友愛の精神が存在していた。

もし現在のSNS空間が1968年の自己破壊的衝動の側面を延長した場所になっているのだとすれば、そこで必要なのはさらに強い革命言語ではないのかもしれない。むしろ、ヌーヴェル・ヴァーグが持っていたような文化的友情や熟議の空間を取り戻すことではないだろうか。

トリュフォー的制度の中で、ゴダール的感性が育つ。互いに異なる立場を持ちながらも、同じ映画文化を共有する。そうした文化的共和主義の空間を再び作り出すことができるならば、1968年の遺産は単なる革命の夢ではなく、持続可能な文化の力として再び生き続けることになるだろう。ヌーヴェル・ヴァーグは、勝利も敗北もしていない。それは現在もまだ継続中の闘争であるのだ。


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