短編小説『HAYATO会長とricoちゃんの幸せなカメラライフ』
カシャッ
誰もいない森の中にシャッター音が響き、そして吸い込まれて消えていく。
これこれ、このシャッター音。やっぱり一眼レフじゃないとな。
三脚を立て、森に流れる小川を2秒のシャッターで切り取った。背面液晶を確認する。
透き通った美しい水がシルクのように滑らかな線となり、静止した写真の中に動きが表現できた。
満足のいく写真が撮れたので、三脚をカメラリュックのポケットに差し込み、バンドで落ちないように留めた。カメラはストラップで首からぶら下げたままにして、駐車場に戻る。
途中、柔らかい光で照らされた名前も知らない葉っぱが気になったので、手持ちでそのまま撮った。
カメラの背面液晶で確認するとわずかに手ブレしていた。増田は顔をしかめて舌打ちする。
クソっ。
シャッタースピード1/50秒。50mmのレンズをつけているのでブレないと思ったが、マクロ気味で撮ったため手ブレにシビアだった。
増田の一眼レフは手ブレ補正が付いておらず、ご自慢の明るい単焦点レンズにも搭載されていない。
何枚撮ってもブレは抑えられず、仕方がないのでISO感度を8000まで上げ、シャッタースピードを確保した。
ブレなく撮ることはできたが、ノイズにまみれた写真が背面液晶には映し出されている。
遠くの方から声が聞こえる。甘い声で楽しそうに笑う若いカップルがこっちに歩いてきた。男はカメラを持っている。そのカメラをみて増田は歯ぎしりした。
最新のミラーレスカメラ。しかも増田がもっとも嫌う後発メーカーのカメラだった。
奇しくも男は増田が撮った葉っぱに目をつける。
「お、これいい光が刺してんじゃん」
「え、どれ?」
「ほら、この葉っぱ。今日は曇ってるからさ、柔らかい光がいいんだよ」
そう言ってしゃがみ込み、男は片手で構えたまま写真を撮った。
「どう?」
二人は身を寄せて背面液晶を覗き込む。
「え、めっちゃエモい!さすが貴史!」
「だろ?このカメラ凄くてさ、カメラの手振れ補正が8段も効くわけ。だからシャッタースピード1/10秒でもなんも問題ないんだよな」
「なに言ってるかわかんなーい!ねえ、もっと奥行ってみようよ」
「しょうがねーな、フウカは」
二人は手をつなぎ腕を組んで森の奥に消えていった。
「カメラのことなんもわかってないクソガキが!あんなカメラで撮ったもんが写真と呼べるか!」
増田は足元に落ちていた小石を拾い、小川に投げつけた。
木々に隠れていた小鳥たちが一斉に飛び立ち、迷惑そうに鳴いている。
その後撮った苔の写真も、やっぱりブレていた。
自宅に帰り、デスクトップパソコンに写真データをコピーしてXに投稿する。フォロワー数を確認すると一人増えて23人だった。
フォロワー数は関係ない。好きな写真を投稿するだけだ。
そう言って自分を慰めたあと、人気のインフルエンサーを片っ端から見て回る。
どいつもこいつも派手に現像した加工写真ばっかり載せやがって!
増田はいつも通り裏アカに切り替えて、すべてにコメントしていく。
【塗り絵みたいっすねw】
【家電カメラwww】
【日の丸構図www】
増田のコメントの特徴は、ほぼ全てに『w』が付くところだ。
ひと通りXのパトロールが終わったところで、スーパーで買った30%オフの惣菜のプラ容器を開ける。
今日はアジフライと揚げ豆腐だ。缶ビールのプルタブを開け、ゴクゴクと喉を鳴らして飲んだあと、アジフライを一口噛じる。
今度はYoutubeを開き、慣れた手つきでXと同じようにアンチコメントを書いていく。
缶ビールをあっという間に一本飲み干し、職場の健康診断でD判定が増えていた事が頭をよぎる。
どうしようか。
そう考えながら、今日もやっぱり二本目を開けた。
風呂に入ってもムシャクシャした気持ちが薄れることは無く、三本目を追加して寝床に入った。
表の通りで暴走族が走り回る音を聴きながら舌打ちを繰り返し、増田は浅い眠りに落ちていく。
次の日、増田は社内の食堂で、同僚の西尾とうどんを啜っていた。
西尾はおもむろに巾着袋からタッパーを取り出す。
「なにそれ?」
「明太子。かみさんに炙ってもらったやつ」
西尾はニヤリと笑ったあとで、自前の茶碗に盛られた白ご飯に、明太子を丁寧に載せていく。
「よし、こんなもんか」
ご飯を窓際に持っていき、スマホで写真を撮ったあと再び席に戻った。
その後も西尾はスマホをいじって何やらニヤけている。
「西尾、お前何やってんの」
西尾は「えっと……よし、オッケー。増田、これ見てみろよ」と言って増田にスマホを渡し、うどんを啜る。
「なんだよ」
めんどくさそうに顔をしかめた増田は、スマホの画面をみて息が止まる。
その画面には、カメラ目線でご飯を食べる西尾が映っていた。それはいい。増田が驚いたのはその横の数字だった。
フォロワー数、一万人。
アカウント名は『全日本ふっくらごはん協会会長西尾』と書いてある。
さっきポストしたばかりの明太子ご飯は、早くも100を超えるいいねが付いていた。
増田は箸が落ちる音で我に返り、誰の箸かと辺りを見回したら自分の箸だった。
「おい西尾……なんだよ、全日本ふっくらごはん協会会長って」
西尾はうどんのスープを飲んだあと、さっきの明太子ご飯を口に運んだ。
「俺だよ。俺は全日本ふっくらごはん協会会長なんだよ」
「は?工場勤めのお前が?嘘つけよ」
「嘘じゃないよ。ほんとなの。言ったもん勝ちなんだよ、なんとか協会って」
「はあ?」
目をこすって何度も確かめる。間違いない。フォロワーは一万人だ。
増田の心を強烈な劣等感が襲い、ナイフで切られるような痛みが刻まれていく。
……嘘だろ、俺は23人なのに。
「詐欺だろこれ!」
増田は自分でも気づかないうちに大きな声を出していた。食堂のおばちゃんから「ちょっと、増田さん、うるさいよ!」と増田より大きな声が飛ぶ。
西尾は増田の手からスマホをサッと取って、ポケットに入れた。
「だから言ったもん勝ちなの!詐欺じゃねーよ」
表情を変えずにうどんに戻った西尾の横顔を見ながら、増田の劣等感は嫉妬に変わっていく。
西尾の話によると今度の日曜、ネットメディアの『あなたの夕食を極上ごはんに変える10の裏技』という特集記事に、会長として取材を受けるらしい。
増田は目の前が真っ暗になり、午後からの仕事でミスを連発した。
何とか仕事を終えボロボロになった増田は、暗い気持ちを抱えたままパチンコに向かう。
パチンコ屋の看板を見上げハッとする。
夕日に照らされたパチンコ屋が美しくオレンジに染まっていた。急いでいつも持ち歩いているコンパクトカメラをバッグから取り出し、写真を撮った。
増田は、コンパクトカメラではモノクロ写真しか撮らないと決めている。撮れた写真を確認してもオレンジ色にはなっていない。
だからこそこの写真には奥行きが生まれるんだと悦に浸り、モヤモヤした胸は少し軽くなった。
適当な台を選び、あっという間に3千円を溶かしたあと、タバコを吸いに外に出る。
最近は電子タバコ派が増えたが、増田は紙タバコにこだわりがあった。高校生の時から使っているジッポライターの音を鳴らし、タバコに火をつける。
煙を吐きながら空を見上げる。夕焼け空はオレンジ色から、暗いブルーへとグラデーションを描いていった。
「おはよう増田さん」
女性の声がした。
「おう、おはよう」
増田は手を挙げたあとで女にタバコを差し出す。
「ども」
そう言って女はタバコを一本引き抜き、増田はそれに火をつけた。
「リコちゃん今日はどうよ」
「全然ダメ。三万負けてる」
「ヤバいじゃん」
「まじ。今月仕事増やさないと」
女の名はリコ。
髪は金髪以上に染められたきれいなハイライトだ。男性ウケする容姿とは裏腹に、パチンコを辞められずに借金に苦しんでいる。
増田はたまに3千円くれるおじさんとして、リコと世間話をかわす間柄となっていた。
「借金どうなの?」
リコはタバコの煙で輪っかを作った。
「増える一方。マジやばいよね。あーあ。」
二人はもう一本ずつタバコを吸いパチンコ屋に入った。
隣同士でパチンコを打ったが一回も当たることはなく、そのままリコの働くスナックへと歩いていった。
―――
「何が全日本ふっくらごはん協会会長だよ!」
キープしていた安い焼酎を飲みながら、増田はリコに甘えて愚痴を吐いていた。
リコは片肘をついてケラケラと笑っている。
「西尾さんだっけ。フォロワー数一万人って凄いじゃん。うまくやったもんだね」
増田は焼酎で喉を焼いたあと頭を抱える。
「くっそーっ!薄頭の脂ぎった顔したやつが飯食うところ見て何が楽しいんだ。詐欺だろ、詐欺!」
リコは先ほどからスマホの画面を見つめている。短くなったタバコを一息吸って、灰皿で勢いよくもみ消した。
「残念だけど詐欺じゃないのよ増田さん。誰でも何とか協会会長って言っていいみたいよ」
リコはテーブルにスマホを置き、二人は顔を寄せて画面を覗き込む。
増田は内容を見て肩を震わせた。
何とか協会はほぼ言ったもん勝ちの世界で、わずかな手続きで法人化することもできるらしい。
つまり西尾がやっていることは詐欺でもなんでもないのだ。
西尾の全日本ふっくらごはん協会のアカウントを開く。
夜のポストは湯気が立ち昇る白飯に、サバの味噌煮を載せた写真だった。
増田はもう一枚の写真を見た瞬間、目を大きく見開く。バランスが完璧な白飯とサバを、箸で口に運ぶ写真が5000いいねを超えていた。西尾はおどけたようにカメラ目線だった。
「くっそー!西尾のボケが!」
スマホを手に取り投げつけようとしてリコのスマホだったことに気づき、ギリギリで踏みとどまった。
リコはプッと笑っている。
「リコちゃん俺悔しいよ」
52歳の増田が唯一本音で話せるのはリコだけだった。
「はいはい、大丈夫大丈夫」
リコは優しく増田の頭を撫でる。
古びた店内に、常連客が歌うカラオケが響いていた。
ーーー
「増田さん上手ー!」
常連客の接客をしていたママが、大きな声をあげる。
増田は年齢に合わない配信ランキング一位の流行り曲をカラオケで熱唱した。会社の飲み会では絶対にやらないが、増田は流行りの歌が嫌いではなかった。
この場所でなにを歌おうが文句をいう者はいないし、そもそも増田は歌が上手かった。
席に戻るといつもは「いいじゃん増田さん。次あれ歌って」と、言ってくれるリコが黙り込んでいる。さすがに年甲斐もなかったかと増田は頭をかいた。
「ごめんリコちゃん。さすがにきつかった?」
ぼーっとした顔で遠くを見つめていたリコは、ハッとして首を振る。
「あー、ごめん増田さん。そうじゃなくて。ちょっと考え事してたんだよね」
「考え事?」
リコはいつになく真剣な顔で頷いた。
「増田さん、結構カメラガチ勢だったよね?」
ガチ勢と言われ増田は嬉しくなり、顔が柔らかくなる。
「え、あーっ、ガチ勢っていうかまあその、好きだけど。なんかそう言われると照れるっていうか」
「照れなくていいのよ。増田さんはカメラガチ勢で、しかも流行りも追いかけてんのよね?ほら、前言ってたじゃん。インフルエンサーが気に食わないからパトロールして、アンチコメントを書き込みまくってるって」
思わず増田はリコの口を手で塞いだ。アンチコメントをばら撒いてることは人に知られたくない。
不意に手のひらに熱い吐息が触れた。
リコの唇が触れていることに気づき、増田はテーブルに額を擦り付けた。
「リコちゃんごめん!ワザとじゃないの。ほんとにごめん!」
慌てふためき謝り続ける増田の両肩を、リコは優しく何度もさする。
「増田さん、大丈夫よ。わかってるよ」
リコの顔には、いつもより穏やかな笑みが浮かんでいた。
「西尾さんが羨ましいならさ、増田さんもやってみたらいいじゃん」
酔いが回っている増田は、リコがなにを言っているのかイマイチ理解できなかった。
ただ、妖しく笑うリコの赤い唇は、たまらなく美しかった。
次の日、増田とリコはパチンコ屋の喫煙所で待ち合わせた。
仕事をこなした増田がタバコを吸っていると、リコが紙袋を抱えてやって来た。
「増田さんおはよ。今日は5万勝ったから。これ」
「おはよう、リコちゃん。なにそれ」
紙袋にはタバコが数箱入っていた。「よかったのに」と言いながら、増田は胸がじんわりと温かくなる。
二人はいつものようにパチンコには行かず、喫茶店に入っていく。
「リコちゃん、昨日はごめん。俺酔っちゃって。何だったっけ」
リコは「いいのよ」と笑い、バッグからスマホを取り出した。コバルトブルーにラメが施してあるネイルを見て、増田の心臓の動きは密かに速くなる。
「これよ、何とか協会は誰でもなれるって話」
「ああ、西尾がやってるやつね。あいつさ、今日も昼メシのとき、白飯に梅ひじき載せてさ……」
「増田さん、西尾さんの話はもういいの。これからは増田さんの番よ」
「は?」
「誰でも作れんだから、増田さんも何とか協会の会長になればいいじゃん」
「そんな簡単に……」
「だから簡単なのよ。今この瞬間からもう会長でいいわけ。言ってごらん」
「え?」
「増田さんはどんな協会の会長になりたい?」
増田は戸惑いながらコーヒーを一口飲んだ。濃い苦みが口の中に広がっていく。
あえて違うものはないかと考えを巡らせたが、増田にはこれしかなかった。
「カメラかな。カメラ協会」
リコはニヤリと笑う。
「さすがカメラガチ勢。増田さんはそれしかないと私も思う。私と手を組んでさ、やってみない?」
「リコちゃんと?」
「さすがにおっさん一人じゃきついよ。若い女が必要よ」
そう言ってリコと増田の作戦会議は、喫茶店が閉店するまで続いた。
次の日曜日、増田はリコが通う美容室に座っていた。リコは美容師にどんな髪型にするかを細かく伝えている。
いつも激安カットで済ませていた増田は、オシャレな美容室に胸が弾む。
52歳の増田だがフサフサの髪と、時には40代前半に見られる若見えする顔は、数少ない自慢だった。
リコに見守られながら、髪を切る。
テーブルに置かれたアールグレイの香りがほのかに漂い、はさみが作り出す心地よい音に包まれる。
増田にとって至福の時間が流れた。
昼過ぎに入った美容室だったが、終わる頃には日が暮れていた。
髪は何度も脱色され頭皮に微妙な痛みがあるが、金髪を通り越して美しいハイライトの髪色になった。リコと同じだ。
その後百円ショップに立ち寄り丸い黒縁の伊達メガネを買った。
リコに言われるままに白い壁のカフェの外壁に立ち、腕を組む。
「増田さん、柔らかく笑って!オトナの余裕で」
増田はなかなか大人の余裕を表現できずにNGを連発した。
リコのオッケーがでたときには既に深夜になっていた。
「いい感じにライト当たったから逆にエモいかも」
リコが手を前に出し、増田はそれにタッチした。
誰もいない深夜の通りに、切ない音が鳴り響いた。
職場では豹変した増田を、みな遠巻きに見ながらヒソヒソと声を立てずに話す。
西尾はあんぐりと口を開き「お前何やってんの」と呆れたが、そんなことはどうでもよかった。
増田は鏡を見るたびにリコとおそろいの髪色に喜びを感じ、これから何かが始まりそうな予感に心を躍らせた。
二人でパチンコを打ちながら『幸せなカメラライフ日本協会』にしようとリコが決めた。
増田は「なんだそりゃ」と一瞬考えたが、西尾の『全日本ふっくらごはん協会』と大差ないことに気づき、何でもいいやと頷いた。
その時、釘に弾かれたパチンコ玉がふらふらとチャッカーに吸い込まれ、7が三つ揃った。
確変へ流れていく演出を見ながら、いけるかもしれないと増田は手応えを感じていた。
アカウントを新規で立ち上げ、『幸せなカメラライフ日本協会』はスタートした。
ヘッダーにはリコが撮った増田の写真を貼り、会長である増田の名前はHAYATOとアルファベット表記にした。
HAYATOは増田の名前、隼人をローマ字にしたものだった。
リコから「何でもいいから増田さんが気に入ってる写真ちょうだい」と言われ、夕日が海に沈む写真を渡した。
リコはスマホでエモく色味を加工し、『いつもの夕日。でもこの瞬間は二度と戻らない』と、テキストを添えポストした。
次の日の朝、スマホでXを開くとフォロワーは24人になっていて、すでに5年続けている増田のフォロワーを超えていた。
その後もリコのアドバイス通りポストを続け、50人を超えた日曜日、初めてYoutubeに投稿するためのロケを行うこととなった。
「おはよう、増田さん」
タバコを吸っていた増田はリコの声で振り返る。そこに立っていたリコの姿を見て、咥えていたタバコが唇からこぼれ落ちた。
リコの髪色が真っ黒になっていた。
それだけではない。いつもは体に吸い付くようなノースリーブにパンツが見えそうなスカートを履いているのに、白いワンピースを着て白いスニーカーを履いている。
透明な雰囲気をまとったリコの姿に、増田の心臓は激しく脈を打った。
「どうしたの?リコちゃん」
リコは白いスニーカーでくるりと一回転した。膝下のワンピースがふわりと舞う。
「若い人は捨てる。ターゲットはただ一つ。おじさんのみ」
「……おじさん」
「純粋そうで透明感のある子が好きでしょう?」
増田はノースリーブのリコも好きだが、確かに白いワンピースもいい。画面越しならなおさらドキドキするかもしれない。
「増田さんは会長のHAYATO。わたしは会員のrico。HAYATOがricoに一からカメラを教えるHowto物にしよう。」
Howto物。
増田はインフルエンサーを嫌悪していたが、アンチコメントを書き込むために追いかけていたため、誰よりも流行りに詳しい。
Howto物はすでに使い古されており、今どきやる人は皆無に近い。
言うかどうか迷ったが増田は心を鬼にした。
「リコちゃん。言いにくいんだけどHowtoものは終わったんだよ……」
リコは腕を組み仁王立ちし、ニヤリと笑う。
「知ってる。増田さんの意見聞いて、そのあとわたしも調べたの。そもそもカメラ界隈が終焉に向かってるんでしょ?」
増田はリコの分析力に驚愕した。
確かに機材性能が天井を突き抜けた現在、カメラ界隈のインフルエンサーは頭打ち感が渦巻いていた。
「リコちゃん……」
「Howtoやるけどターゲットは初心者じゃないの。ターゲットはあくまでおじさん。若い女に教えたいカメラおじさんの欲求を満たしてあげるのが、幸せなカメラライフ日本協会の裏テーマよ」
増田は目眩がしてその場にしゃがみ込んだ。これがスナックで働くリコちゃんの分析力か……。
リコはプロだった。
増田の愚痴を通して中年男の寂しさ、孤独、果てはカメラ界隈の現状までお見通しだったのだ。
このとき、増田はどこまでもリコについていくことを心に決めた。
動画の内容としては昔流行ったようなHowtoものだった。
「どーも。幸せなカメラライフ日本協会会長のHAYATOです」から始まり、
「ど〜も〜!幸せなカメラライフ日本協会会員のricoで~す!HAYATOさん、今日はなにを教えてくれるんですか〜?」とricoが登場する。
第一回は『とにかく何でも撮ってみよう』
第二回は『綺麗なボケってなあに?』
のような何の変哲もない動画。
ただしそこには髪の色がハイライトで丸黒縁メガネをかけたクリエイター風のおじさんと、白で包まれ透き通った黒髪の若い女がいる。
リコは撮影中、事あるごとに「もっと近くに寄って!」「背面液晶覗くときはほっぺたくっついてもいいんだから!」と、増田を叱った。
無邪気で素直なリアクションも完璧にこなした。
「HAYATO会長すご〜い!どうやったらこんなにきれいにボケるの?」
「あ〜ん!ブレちゃった。会長〜、どうしたらいいですか?」
増田はパチンコを打ちタバコをふかすリコからの豹変ぶりに恐れつつ、ますますリコに惹かれていく。
カメラマンがいないため撮影は苦労の連続だったが、増田はこの時間がたまらなく好きだった。
「増田さんどう?うまく撮れてる?お、いいじゃん」
「リコちゃん、ここなんて思いっきり胸が当たってるよ?やり過ぎじゃない?」
「いいのいいの。ちゃんとricoは気づいてない演技できてるから」
昼の公園で繰り返される二人の撮影。
はたから見れば不審な二人だが、その時のリコの表情は柔らかく、声を上げて笑うことも多かった。
幸せなカメラライフ日本協会のYoutubeチャンネルは、スタート時、予想よりも伸びなかった。
しかしそのネーミングの胡散臭さと、HAYATOのぎこちなさ、そして何より指先の動きまで計算された黒髪のricoが知る人ぞ知る存在となり、おじさん達は虜となっていく。
登録者数1000人まで2カ月かからなかった。
1000人を超え収益化を果たしたものの、二人は通過点としか考えていない。素人がYoutubeで稼げる時代はすでに終わっていることを熟知していたのだ。
登録者数1200人を超えたある日。リコが待ちに待ったコメントが書き込まれた。
『ricoちゃんと一緒に写真撮りたいな……』
……来た。ついに幸せなカメラライフ日本協会が次のステージに上がるときが来たのだ。
増田はコーヒーを飲みながら「リコちゃん、そろそろオンラインサロン始める?」と尋ねた。
リコは増田のタバコを当たり前のように一本引き抜きジッポライターで火をつける。煙で輪っかを三つ作ったあとにふーっとそれを吹き消した。
「増田さん、オンラインサロンは素人が手を出しても無理よ。これから重要なのは体験よ」
「体験か……でもどうする?」
「簡単よ。協会会員募集しましょ」
増田もバカではない。これまでの人生の中でもがいてみたこともある。でもその全てがうまくいかなかった。
……リコちゃんは若いからな。人生そんなに甘くない。胸を切られるほど心が痛むが伝えよう。
増田が大きく息を吸い込んだその時
「うちのスナックのみんなに来てもらおう。みんなで会員募集するの。その動画今度撮ろう」
それを聞き増田は頭を抱えた。
「ヤラセじゃない。詐欺になるよ?」
「違うよ。言ってなかったっけ?みんな会員になってるのよ。だからいーの」
なるほど……。すでに幸せなカメラライフ日本協会には俺ら以外に会員がいたのか。スナックのみんなで会員募集すれば、もしかして一人くらい……。
「最初の募集は10人限定ね。先着順」
限定か。確かに限定と言われると焦るな。
「月の会費は三万円」
「月三万?冗談でしょ?無理だよ」
「中途半端に安いよりいいのよ。やるよ、増田さん」
リコの唇が弧を描き、増田はその冷たい眼差しに吸い込まれそうになった。
会員募集動画は会長のHAYATOとricoちゃん。そして初期メンバーとしてスナックのママをはじめ5人の女性が集まり、総勢7人での撮影となった。
内容はHAYATOがほかの会員にカメラの使い方を教え、ただ写真を撮るだけの動画だった。
「HAYATO会長〜!会長みたいにぼかしたいけどできませ〜ん。教えて、会長」
「はい。そういうときはね、こうやって絞りを開放してあげれば……」
「え?すっご〜い!さすがHAYATO会長!ありがとうございます!」
ただしリコの徹底した指導のもと、全員の距離が異様に近かった。
「ダメ、やり直し。増田さん、遠慮したらダメだって言ってるでしょ?何回言わせるわけ?」
「リコちゃん、ごめん」
最後にみんなで「みんなで写真撮りましょう!幸せなカメラライフ!」と叫び笑顔で手を振った。
概要欄に詳しくはこちらとだけ案内し、Xに会員募集の詳細をポストした。
批判コメントも多かったが炎上するほどの知名度はまだなく、増田の心配をよそに限定10名の会員はあっという間に埋まってしまった。
初めての撮影会には新規協会員となった10名のおじさん全員が参加し、リコのためならと初期メンバーのスナックのみんなも協力してくれた。
公園で散歩しながら2時間のフォトウォーク。
おじさん達は自慢のカメラを披露し、初期メンバーは、「すごーい!」、「教えて!」、「カッコイイ!」と、赤子の手をひねるようにみんなを喜ばせた。
とりわけricoちゃんは大人気で、次々と浴びせられるおじさん達の要望に嫌な顔一つせず、とびきりピュアな笑顔でモデルとなった。
そして写真を撮ればみんなで集まり、背面液晶を異様な近さで覗き込む。
幸せなカメラライフ日本協会初めてのフォトウォークは、新規会員の皆が大満足の撮影会となった。
毎月5名ずつ新規会員を増やし、三カ月目にricoちゃんは幸せなカメラライフ日本協会東京支部の部長に就任した。
Youtube動画も撮り続け、登録者数が3000人を超える頃にはカメラ界隈でそれなりに知られる存在となった。アンチコメントも少なくなかったが増田は知っている。
アンチは誰よりも熱量のある視聴者であることを。
協会内では意外な現象が起きていた。
「増田さん。私ね、なんだか楽しくなってきたの。カメラ買っちゃおうかな。どんなカメラがいいかな?」
ママが本当に写真を撮る楽しさに目覚めたのだ。
増田は相変わらず老舗メーカーの一眼レフを愛用していたが、もう後発メーカーへの嫌悪感は消えていた。
みんなでカメラ店に向かい、増田は親身になってママの好みを聞いた。
結局ママが選んだのは、後発メーカーの最新ミラーレスカメラだった。
「ほらみて!これすごく使いやすいじゃない!」
「え、どんな感じ?うわ、ママ、いいな〜」
目をキラキラ輝かせて写真を撮るママの顔を見て、増田は心がほんのり温かくなり、鼻の奥が少しツンとなった。
それを皮切りにほかの初期メンバーも次々にカメラの楽しさに目覚め、全員がカメラを購入。
そもそも若い女性陣はスマホで写真を撮り慣れており、カメラの使い方さえ理解すれば上達は驚くほど速かった。
月に三万円を払える男性会員は経済的に余裕のある者が多く、初期メンバーの何人かは男と女の関係に発展していた。
ricoちゃんは相変わらず大人気であり、増田は奪われるような嫉妬に胸を焦がしたが、戦略会議をするときには素に戻り、タバコを咥えたリコの姿を見て落ち着きを取り戻し、さらに惹かれていく。
やがてママが男性会員の不動産会社社長と結婚。にわかに縁結びの協会として注目されるようになる。
ある夜、増田はリコから思いもよらない提案を受けた。
「増田さん、女性会員は無料にしよう」
ハイボールを回して氷がグラスを叩く音を楽しんでいた増田は困惑した。
「……男性会員が怒るでしょう」
「大丈夫よ」
リコはそれだけ言ってタバコを吸い込んだ。
タバコの先端が輝きを増し赤く燃えていた。
会長のHAYATOとして男性会員に、
【緊急です!女性は無料で会員募集するかどうか検討しています。アンケートにお答えください】
と、メッセージを送り、みんなに判断を委ねた。
増田は、当然みんな反対するだろうと思っていたが、予想に反し全員賛成だった。
『幸せなカメラライフ日本協会』は男性会員は月額三万円。女性は完全無料という、マッチングアプリのような場所に形を変えていた。
Youtubeの登録者数が8000人を超えた頃、ついに声がかかった。
『新製品のカメラをぜひ使ってください』
カメラメーカーからの案件だった。奇しくも増田が嫌う後発のカメラメーカーからだった。
ただしそこには条件があった。
『幸せなカメラライフ日本協会としてではなく、フォトグラファーricoちゃんとしてお願いします』
そう、あくまでricoちゃん個人への案件であり、会長のHAYATOは要らなかったのだ。
二人の戦略会議室となった深夜のスナックで、増田はグラスに反射する自分を見つめていた。
髪はハイライトに染め、ブランド物に買い替えた丸メガネの自分が写っている。
クリエイター気取りのHAYATO会長。
成功したような気になっていたが、所詮はハリボテだった。誰も俺を必要としていない。
タバコをガラスの灰皿に押し付けてふーっと煙を吐いた。煙と一緒にリコと積み上げてきたもの全てを吐き出した。
「リコちゃん、案件受けなよ。リコちゃんならメーカーの看板インフルエンサーに絶対なれるよ」
グラスに浮き出た水滴が流れ落ちる。線を描いて何個も流れる。
リコは増田のタバコから一本抜き、ジッポライターの金属音を鳴らし火をつけた。
肺の奥深くまで煙で満たし、輪っかを作る。そして安い焼酎のグラスを音をたてて回した。
「増田さん。わたしパチンコの3千円、忘れたことないんだよ」
静かな時間が流れ、二人は男と女の関係になった。
ricoちゃんは次の動画で発表した。
「こんにちは〜!ricoで~す。今日はみなさんに重大発表があります」
カメラメーカーから案件があったこと。幸せなカメラライフ日本協会としてではなく、rico個人としての依頼であったこと。
会長のHAYATOが一緒なら断ると言われたこと。
ricoちゃんは「ほんとーにごめんなさい!カメラメーカー様、すいません!わたし、一緒に頑張ってきたHAYATO会長とじゃないと嫌なんです!」と何回も頭を下げた。
HAYATOは、いや増田は撮影しながら溢れる涙を抑えられなかった。
ricoちゃんへの申し訳なさも感じつつ、リコの気持ちに体中が火照るように温かくなった。
動画は炎上しカメラ界隈の企業からは総スカンを食らった。
中にはHAYATOのDV疑惑など悪質なものもあったが、それ以上に「案件まみれのYoutubeでよくやった」との声も多かった。
リコはその後もまったく変わることなくricoちゃんを演じ、HAYATO会長は相変わらず不器用だった。
炎上は一時的なもので、一切案件に恵まれないYoutubeチャンネルだったが、かえって視聴者には支持され、登録者数は2万人を超えた。
増田は日に日に増えていく登録者数に驚きつつも、リコの言う通りだったなと舌を巻いていた。
「リコちゃん、また増えてる」
隣で目を閉じていたリコは、まどろんだ顔のまま増田のスマホに目を向ける。
「ね、すごいね。私も驚いてる。ホントはね、ちょっと怖かったの」
うふふっといたずらに笑い、増田の頬にそっとキスをした。
幸せなカメラライフ日本協会も相変わらず好評で、マッチングの場でありつつ、やがて本気でカメラを楽しみたい女性も集まった。
それから3年後、結婚したふたりのもとにカメラメーカーから案件が届いた。
増田が愛する老舗カメラメーカーからだった。
『ぜひお二人にエントリー向けカメラのプロモーションをお願いしたい。』
増田はそれを見た時、息が止まった。
……まじか、信じられない。
でも、リコはオファーされた案件を、増田が一緒じゃないからと断った過去がある。
すました顔で、「案件嫌いな人を狙った作戦だよ」と笑ったが、あれはどう考えても、リコにとって大きなチャンスだった。
今度は一緒だからと喜んで受けるのは、なんだかズルいような気がする。
すっかりカメラにはまったリコは、テーブルに並べたレンズにブロワーを吹いている。
「リコちゃん。こんな案件来てるんだけど。どうしたらいいかな」
「案件?」
リコは増田のスマホを覗き込む。その内容を見て大きく目を見開いた。
肩を震わすリコを見て、増田はしまったと目をしかめた。
憧れているメーカーからのオファーに浮かれている自分がいた。やっぱり見せるべきではなかった。
……そっと削除すればよかった。
俯いていたリコがゆっくりと増田に顔を向ける。
その顔を見て増田ははっとした。
リコが泣いている。頬を濡らし、泣いている。
やがて子供のように声を上げ、また泣いた。
「よかったね、隼人。ほんとうによかった」
増田はリコちゃんのおかげだよと何度も繰り返し、二人で泣いた。
ひとしきり泣いたあと、安い焼酎をグラスに注ぎ乾杯した。
祝福するようにタバコとジッポライターが、テーブルの隅で出番を待っていた。
エントリーカメラのキャッチコピーは『幸せなカメラライフ』
カタログの表紙は完璧にピュアなricoちゃんと、相変わらず不器用に笑うHAYATO会長の姿だった。
