短編小説 『coffee kabutomushi』—おかわりは遠慮なしで—
目が覚めた瞬間からもう疲れている。
7時間は寝ているはずなのに昨日の疲れが抜けていない。
重い体を引きずるようにして洗面所の鏡の前に立つ。
頬を触り鏡に顔をぐっと近づける。体がいちだんと重くなった気がした。
ほうれい線がまた深くなった気がする。先月自分で染めた髪にはもう白いものが混じり出している。そろそろ美容室で染めてもらったほうがいいのかもしれない。
38歳。俺ももうすぐ40だ。
まだまだ若いんだからといわれることもあるが時間とともに確実に年を取っている。鏡に写る疲れた男はどっからどう見てもおじさんだ。
水を口に含みガラガラとうがいをして朝の不快感とともに排水口に吐き出す。
トーストを食べながらテレビに目を向けるとトレンド特集が流れている。最近は分厚い底のローファーが流行っているらしく、次々と現れる街頭インタビューに答える女性がみんなキラキラと輝いて見える。
同じ世界の住民と思えなくてめまいがし、テレビを消して食べかけのトーストはゴミ箱に捨てた。
カレンダーを見る。今日は水曜日。ノー残業デー。
沈んだ心がふっと軽くなる。休日よりもどこか晴れやかに感じるのはなぜだろう。
今日は何を読みながら何を飲もうか。あの人は今日もいるかな。
就業後の時間を思い浮かべて頭を満たし、パラパラと降る雨に濡れたアスファルトの匂いを嗅ぎながら、傘を開いて会社へ向かう。
朝の三分スピーチを同じ38歳のメッシに力をもらったとワールドカップの話題で無難に乗り越え、雨の中営業車で客先を回る。
同期がだんだんと少なくなったこともあり気がつけば主任となっていた。頻繁に届く若手からの連絡にそつなく返事を返す。
特に不満はない。たまに理不尽な仕事を振られることもあるし若い社員が何を考えてるのか分からないこともあるがどこもそんなもんだろう。
ただ特にこの会社でもっと上り詰めたいとか、起業して何かを始めたいとか、そんな野心は少しもない。
この先衰えていくからだとともに、俺はいったい何を求めて生きていけばいいのだろう。
雨の中せわしなく動くワイパーのゴムとフロントガラスが擦れる音を聴きながら、薄暗いトンネルのなかに足を踏み込んでゆく感覚に襲われた。
午後5時を過ぎるとみんな一斉に帰る。「お疲れ様でした」の一言とともにそれぞれが向かうべき場所へと歩いていく。
みんながどこに行くのか俺は知らない。
セクハラ、パワハラ、モラハラ。ネットを開けばそんな言葉が並んでいる。何度も調べたがどこまでが良くてどこからがアウトなのか分からない。
俺はもう面倒くさくなって業務以外のことはなるべく口にしないようにしようときめた。
上の年代も同じなのだろう。昔は上司からよく飲みに誘われたがコロナ禍以降めっきりなくなった。
そもそも年齢的に自分が誘う立場なのかもしれないが、もともとそういう気質ではない。時代の流れに正直ほっとしている。
外に出ると雨はひどくなっていた。車道には所々水たまりができていて、車が通るたびに水しぶきがあがる。
なるべく水を浴びないように、俺は歩道の隅っこを傘を広げ歩く。
15分ほど歩くと目当ての場所に着いた。
2年ほど前にできた『エーテルモール博多』
周りに誰もいないことを確認して傘を数回開いたり閉じたりして雨粒を飛ばす。
入口にある雫取り器に傘を突っ込んで店内に入る。
一階の食料品売り場を歩きながら新商品の発泡酒を見つけ、帰りに買って帰ろうかと考えながらエスカレーターに乗った。
二階でエスカレーターを乗り換えるときに、セレクトショップのマネキンが着ている白いボタンダウンシャツに目が止まった。
なんてことはない無地のボタンダウンシャツ。でも素材が上質なのか嫌味のない高級感を感じたし、何よりシルエットが美しかった。
幸い俺はまだ学生の時とさほど体重は変わっていない。
ちょっと見てみようか。そう思ったが頭を横に振り笑う。
今さら服にこだわって何の意味がある。俺はもうおっさんなのだ。
わいわいやりながら歩いてきた学生三人組に順番を譲り、目当ての三階へ登るエスカレーターに足を下ろす。
三人のうち二人は俺の存在が見えていないのではと思うくらい話に夢中だったが、一人は俺に顔を向けペコっと頭を下げた。
どうやら俺はちゃんと見えていたらしい。胸が温かくなって、少しほほえんでペコっと返した。
三階はレディースのショップをメインにゲーセンやらアクセサリーショップやら模型店など様々なものが立ち並んでいる。
フードコートのたこ焼きの香りに心惹かれたが、いやいやそうじゃないだろうと足を踏み出す。
アジアン雑貨の甘いお香の香りを通り過ぎると見えてきたのは『筑前屋書店』
筑前屋書店は大型書店で、児童書から専門書まで様々な書籍が揃っている。広大なフロアを贅沢に使った書店で、紙の書店がなくなりつつある現代では絶滅危惧種とも言える貴重な書店だ。
就職と同時に読書から離れていたが、エーテルモール博多開業時から筑前屋書店に毎週通うようになった。
書店に入ると見渡すかぎり本で溢れている。話題の新刊、趣向を凝らしたデザインの表紙、漫画に雑誌。
年甲斐もなくわくわくが胸のなかに流れ込んでくる。
平積みになった新刊を眺める。朝井リョウの『インザメガチャーチ』
本屋大賞を受賞してさらに売り上げを伸ばしているようだ。
当然だ。めちゃくちゃ面白かった。
「最近の本でなんか面白い本ない?」
そう聞かれたら俺は真っ先に『インザメガチャーチ』をお勧めするだろう。
何となく楽しくなっている自分に気づきながら文庫本のコーナーに歩いていく。
新刊に心を惹かれつつも、すでに心に決めている本があった。
村田沙耶香の『信仰』
同じく村田沙耶香の『世界99』を読み終えた時に次にまたこの著者の作品を読もうと決めていた。
村田沙耶香ならなんでもよかった。ネットで検索し、ずらりと並んだタイトルを見たとき気になったのが『信仰』だった。
棚を探しながらもう鼓動が速くなっている。
新刊と違い発売から時間が経った文庫本は必ずあるとは限らない。ほかの文庫でもいいじゃないかと思いつつ、本心ではどうしても『信仰』が読みたかった。
五十音別に並べられた『む』の棚を探し、村田沙耶香をすぐに見つける。
あるかなと背表紙を辿る前に視界の隅に見えた。
すぐ下に広がる平積みの文庫。
大人気作家である村田沙耶香の本はそこに複数が並んでいて、『信仰』もそこに置いてある。
「そりゃそうだよな」
心のなかでつぶやきながら文庫を手に取る。文庫本の手触りは何でこんなに心地がいいのだろう。
千円もしないものでこれほど高揚感が得られるものが他にあるだろうか。
お目当ての本を手にし仰々しく言葉を並べている自分に苦笑しレジに向かった。
「ブックカバー付けますか」
その言葉に「いえ、大丈夫です」そう答えて財布をポケットから取り出す。
「いえ、大丈夫です」と答えた言葉に、「いえ、付けなくていいです」が正解だったのではないか、伝わっていないんじゃないかと不安になり店員に目を向けたら、表情を変えずに「レジ袋はどうしますか」との声を聞きほっとして「お願いします」と返した。
袋をぶら下げすぐ隣にあるカフェの入口に立つ。
白い壁にさりげなく描かれた
『coffee kabutomushi』
来るたびに思う。カフェなのにカブトムシって。
店先に置かれたA型のブラックボードには
『本日はスパイスカレー 1000円(学生半額)』
と達筆な文字で書いてある。イラストはない。
この感じ、間違いない。今日のポップ担当はマスターの松田さんだ。
白木でできた両開きのドアが閉まっている。スパイスカレーのときはいつもそうだ。金色のドアノブをひねり店内に入る。
世界が変わったようにスパイスカレーの香りが満ちていた。
カフェなのにコーヒーの香りが負けている。さすが松田さん。
コーヒーにもこだわるけど美味いものも同じようにこだわりたい人なのだ。
窓際席は一面ガラス張りなので店内は明るい。外は雨で薄暗いが白を基調とした店内はそれでも十分に光が満ちている。
白に白木で縁取ったカウンターのなかの金髪女子と目が合う。
「あ、いらっしゃいませ。野々村さん。雨、すごかったでしょう」
「あ、紬ちゃんこんにちは。そうなんだよ。一日雨だったね」
にこやかな笑顔で紬ちゃんは店内を見回す。
「野々村さん、いつもの席でいいですか?今日スパイスカレーなんでこのあとお客さん、結構来ると思うんですよね」
「うん、もちろん。そうだよね。俺も最後に食べて帰るよ。とりあえず飲み放題で。そうだな、最初の一杯はカフェラテフラッペにしようかな」
そう言ったときに厨房からマスターの松田さんが出てきた。
「あら、野々村さん来たとね。そっか、今日水曜日やったね。スパイスカレー、食べて行くやろう」
おしゃれな店内に違和感のあるこってりとした博多弁が響く。
「うん、食べて行く。とりあえず本ば買ってきたけん読ましてもらってよか?」
松田さんと話すときはつい母親と話す気分になって、俺もこってりとした博多弁になってしまう。
「当たり前たいね。いつもありがとうね、野々村さん」
丸みを帯びた身体を薄い茶色のエプロンに身を包んだ松田さんは、手を振りながら厨房の中に消えていった。
松田さんは今どきのコンプラとは無縁の人だ。人との距離を一瞬でゼロにする。
開業から週一で通い始めて一ヶ月たったとき、「いつもありがとうね。この辺の人?名前はなんて言うと?いつも本ば読みよらすみたいけど好いとーと?」と、立て続けに質問攻めにされた。
その当時から働いていた紬ちゃんが慌てて駆けつけて、「また松田さんそがんこと言うて。定食屋とは違うとですよ!」と、金髪で煌びやかな女子までもつられてこてこての方言を話す姿に、思わず笑ってしまった。
窓際にある白木の一枚板でできたテーブルに腰を下ろす。すぐ後ろの丸テーブルでは恰幅のいい年配の男が経済新聞を広げて青いマグカップのホットコーヒーを飲んでいる。
5つあるカウンター席の端に若いカップルが味違いのフラッペを飲み比べしてキャッキャッと騒いでいる。
松田さんの性格のおかげだろうか。
『coffee kabutomushi』にはいつもゆったりとおおらかな空気が流れている。
紬ちゃんが持ってきたカフェラテフラッペをスプーンですくい口に運ぶと淡雪のように溶け、ミルクとカフェラテの香りが口の中に広がった。
松田さんが初めてフラッペを持ってきた時のことを思い出す。
「フラッペは人気のあるやろう?若い人の並んどらすたい。ほら、あの女神様のところ。紬ちゃんも絶対メニューに入れたほうがよかっていつも言いよったと。紬ちゃん結構強う言うとよ。あがんかわいか顔して。私も飲んでみたらめっちゃ美味しかったけんさ、すぐに業者の人とかカフェ仲間に聞いてまわったと。どうやったら作れると?って。そしたらあの機械買えるって言うけんさ、すぐに注文したと。全く同じとば買ったとよ。何十万もしたとばってんさ、やっぱり静かで、あとフラッペのキメの細かさも全然違うとさね。女神様んとことおんなじ商品名にしようかねって思うとったらね、業者の人が『ザ・クワイエット・ワン』ば持ってこらしたときに商標登録されとるけん絶対使ったらダメって言われたとよ。そいけんうちはフラッペ」
聞いてもいないフラッペの裏話を昔からの友達みたいに俺にはなしてくる松田さんに、「その話めっちゃ面白かばってん俺は客ばい。言うてよかとね、そがん話」と、思わずこれまたこてこてで返す。
松田さんはニコッと笑い、「野々村さんに言いたかったとさ。良かとば買うたとよって。腹黒かやろ」そう言ってペロっと舌を出した。
その時、俺にも松田さんのような気軽さがあったらもっと得意先で気に入られるだろうかと思った。
どうだろう。もしかしたら逆に破滅するかもしれない。
いずれにしろ俺には無理だ。松田さんというキャラクターがないと成立しないだろう。
他に客は……あの人はまだ来てないか。
今日は雨だけどどうだろう。いつの頃からか毎週見かけるようになったその女性は、いつも筑前屋書店のブックカバーで包まれた本をここで読んでいる。
気になってはいたものの声をかけるわけにもいかない。今はそれだけで問題になる時代だ。そもそも自分があの人を気になっているだけでもう許されない感じがする。
少し溶け出したカフェラテフラッペを口に含み、俺は村田沙耶香の『信仰』を開く。
信仰は幾つかの短編小説とエッセイで構成された短編集だ。
最初の小説は本のタイトルにもなっている、『信仰』
「なあ、永岡、俺と、新しくカルト始めない?」
最初の一文で一気に持っていかれた。村田沙耶香の世界に引き込まれる。次第に俺の視界から景色が消えていった。
あっという間に最初の短編小説、『信仰』を読み終えそのまま次の『生存』まで読んだ。
なんだよ鼻の穴ホワイトニングって。なんだよ野人って。
常軌を逸している。なんでこんなこと書けるのか。村田沙耶香の頭の中はいったいどうなっているのか。
粟立つ肌をこすってテーブルに目を移すとカフェラテフラッペが空になっていた。
カウンターに目をやるとエスカレーターで順番を譲った学生がスパイスカレーを食べながらわいわいやっている。
「おばちゃん、いまどきコンビニでもカレー買ったら500円はするよ。このスパイスカレーが500円ってヤバくない?」
松田さんは空になったグラスにお冷やを注いでいる。
「ヤバくなか。あんたたちは学生やっけんそいでよかと。それよりさ、味のことば教えてくれん?美味しい?正直に教えてほしかとさね」
「うまかにきまっとるたい。まじでヤバかって」
オシャレな空間。交わされる博多弁。恰幅のいい松田さんの隣でキャラメルフラッペを丁寧に作るキラキラした紬ちゃん。
まるで異世界に迷い込んだみたいだ。
紬ちゃんと目が合って、空のカフェラテフラッペを見せる。
紬ちゃんは笑顔で手のひらを上げた。
客が増えてきた。後ろのおじさんはまだ経済新聞を読んでいる。あの人はまだいない。
飲み放題のホットコーヒーを持ってきてくれた紬ちゃんに礼を言い本の世界へ戻る。
『最後の展覧会』に出てきたロボットに『マツカタ』と名前をつける村田沙耶香のセンスに衝撃を覚え、ふと隣を見た時にギョッとした。
あの人が座っている。
その人は抹茶フラッペを飲みながら筑前屋書店のブックカバーが付けられた本を読んでいる。
いつの間にかすぐそばに座ってたなんて。鼓動が速くなる。
この人はどんな本が好きなんだろう。何を読んでいるのか気になる。ぱっと見単行本サイズのようだがジロジロ見るわけにはいかない。
気持ちから目を逸らすように窓の外を見る。いつの間にか夜になった真っ暗な通りをヘッドライトを照らした車がノロノロと走っている。雨はまだ激しいままだ。
心臓を落ち着かせようとホットコーヒーを手に取る。
青いマグカップを持つ手が震える。何を動揺しているんだ俺は。
彼女は俺なんか見ていない。わかっている。それでも悟られないように涼しい顔を作り、必死で震えを抑えながらなんとか口元に運んだ。
ホットコーヒーはすでに熱を失っていた。
一気に飲み干して、カウンターを見る。松田さんと目が合った。
俺は松田さんに青いマグカップを上げておかわりを知らせようとしたが、松田さんはその前に頭の上に手を掲げ、オッケーサインを作った。
頭を下げて再び本を開く。
文字が追えない。いや瞳は追っているのだが全く頭に入ってこない。鼓動は落ち着くどころかさらに速くなっている。
ダメだ。こんなことコンプラ的に良くないし、もはやセクハラだ。ホットコーヒーが来たら一気に飲み干して、今日はもう帰ろう。
そわそわしながら座っていると松田さんがホットコーヒーを持ってくるのが視界の隅で見えた。
俺のところまであと三メートルのところくらいで松田さんが声をあげる。
「美波ちゃんはまだおかわりよかとね?」
「ちょうどよかった。頼もうって思うとったとよ。さすが松田さん」
「ホット?アイス?」
「暑かけんアイスにする」
「そうよねー。もう暑かよねー。あら!ごめん野々村さん。野々村さんいつもホットコーヒーやっけん持ってきたけどアイスがよかった?」
「いや、よかとよホットで。ありがとう」
「ほんとやろうね?遠慮せんでよかとよ。美波ちゃん、この人野々村さんって言うとけどね、遠慮さすとこのあっとさね」
「そうね、野々村さんて言わすと。ようここで本ば読みよらすですよね。あっ!松田さんのせいでもろに博多弁になっとるたいね!」
二人はあっはははと大きな声で笑っている。こういう時の女性のパワーにはいつも圧倒される。
しかし……黒髪に丸いメガネをかけた清楚に見える彼女がこてこての博多弁を話すと、一気に身近な存在に感じてしまう。
「美波ちゃんもここで本ばよう読みよらすとよ。二人ともいつもありがとうね」
その言葉を最後に残して松田さんは早足でカウンターに戻っていった。
嵐のような人だ。この場に渦巻きを起こしてスッといなくなる。
だけど何の嫌味も感じないところが松田さんの凄さだ。
「あの、松田さんってパワーありますよね」
あっけにとられカウンターでアイスコーヒーを作る松田さんをみていると、隣から声が聞こえた。彼女の、美波さんの声だ。
「ほんとに、松田さんにはいつも圧倒されます。気がつけばこてこての博多弁にされるし」
美波さんが頬を膨らます。
「しかもコンプラなんて完全無視!」
その言葉に俺と美波さんは目を合わせぷーっと吹き出す。
あははと笑い合って、「でもなんだろう、松田さんは全然嫌な感じしないんですよね」美波さんは息を整えながらつぶやくように言った。
「本当にそうですよね。不思議」
松田さんが美波さんのアイスコーヒーを持ってくる。
今度は「二人ともおかわりは遠慮せんで言うてよ」と一言でいなくなった。
青いマグカップの取っ手を握る。
もう震えていない。この瞬間を逃したら俺はダメになる気がした。
いいじゃないか。人を好きになったって。
「あの……美波さんは本がお好きなんですか」
「はい。村田沙耶香、大好きなんです」
「村田沙耶香いいですよね。俺も今ハマっててこれ、さっき買ったんですけど『信仰』です。世界99をこないだ読んで、その、衝撃が走って……」
美波さんは微笑んだあと筑前屋書店のブックカバーを外す。
その下から顔を出したのは村田沙耶香の『世界99』の下巻だった。
美波さんがふふっと笑う。
「私、その衝撃のまっ最中」
「えっ、そうだったんですね。ヤバいですよね。その本」
「ほんとヤバいです。何なんですか、ピョコルンって」
「ああ、ピョコルン。もう、ちょっと美波さんの前で言葉に困るくらいヤバ過ぎて……」
「ピョコルン……」
俺と美波さんは目を合わせてまたぷっと吹き出し笑った。
スパイスカレーの香りが鼻先をくすぐり腹がぐーっと鳴った。
